今週は長くなりました。

人間というのは「この人の言うことなら、素直に聞ける」
そんな人物を目指すことが自分と縁ある人達を生かして行くんだと思うんですよ。

こういう人物には、素直に心が開け、行動を惜しまなくなりますから。

社長のあなた!

あなたの社員が心開かず、自主的行動を惜しんでいるとしたら、

それは、あんたが悪いのよ。

「この人の言うことなら、素直に聴ける。」という存在になってないのよ、

あなたが。

心を閉ざしていると、愛とか幸福といった「青い鳥」に近付けないと思います。

心は素直に開き、勇氣を持って行動していると「青い鳥」を見つけられるかも知れんのです。

だから、素直に聞ける人物を見つけることが大事やわなぁ。

人の言うことを聞きたがらない人達って多いんじゃないかなぁと、

感じる時があります。

先ず自分が「この人の言うことなら素直に聞ける」っていう人物を目指す、

心を高める。

また同時進行で、そういう人物を求める行動をする。

これに尽きると思います。

誰でも出来るそのコツは、普段自分で決めたことは必ずやる。

という習慣をつけて行けばいいんです。

気付いたらスグするんです。後回しにしたらいかんのよ。

日常的な些細な事は特にスグせな、いかんのです。

神は細部に宿るって、日本古来から言われて来てるしね。

ベストを尽くす程度ではいかんですよ。パーフェクトを目指さな。

些細な事をパーフェクトに。ですからね。

そうしていれば、イザやりたいという時に、やりたいことが出来る可能性の

確率が高くなるんよね。

ところが、多くの人は「何なにしたらやる」になってしまってるんちゃうかなぁ。

結婚したら、する。子供が出来たらする。お金が貯まったらするというように、何かの分岐点では、やるということになってしまって、日常的な出来事や小さなことからは手を抜いてしまうという習性、感覚になってしまっている。

小さな事が積み重なって大きなものに成って行く訳なんやから、

それではいけないんちゃうかなぁと思う訳です。

やると決めたら、必ず実行する。自分の心の声を聞く。

自分を裏切らない生活を貫くんです。

ええ、皆さん。大なり小なり他人(ヒト)を裏切っとるでしょ。

ワシも含めてですが。自分さえも、裏切るんですか!?

世間で言う、経済力があるとか無いかの視点でなく、どれくらい人の面倒を見れるか、それが真の意味での「甲斐性」やと思うんです。

道を歩いてて、困っている人に気づいて見て見ぬふりをする人も、

甲斐性がないわけですね。お金の問題やないんです。

面倒を見る。ということが人として一番大事なことじゃないかと思う訳です。そういう観点で経営者なら社員の面倒を見るんです。

およそビジネスの素質がないなぁという社員と共に努力をするんです。

(大企業はしませんから、こういう事)

これを実践するのは、並大抵なもんじゃないですよ。ホンマに。

でもこういうところに全身全霊を傾けるんです。

それが出来得る中小零細企業なのに、普通の社長達は、そういうことをしません。

だから、本質的な充実感にならないんじゃないかと思う訳です。

社員一人一人の人生のことを考えてあげたことがあるんですか?
って言いたいわ。

ワシは、昔から考えてやって来てるで。

だから、経営指針書にもハッキリ明記しとるよ。

社員の70歳~80歳までの支援策も書いとるよハッキリと。
(ネットで「香川湧慈の考え方」を検索して上から3番目に経営指針書があるからクリックして読んでみて下さい。34ページあるけど)

出来る出来んじゃないんよ。氣持ちがあるか、無いんか、なんよね。

先週も書いたけど、社員と取引するなっちゅうの。

そういう人、ケチ臭いなぁ、っ感じてしまいます。

そもそも中小零細企業で、社員の人生を考えてあげたい、

というところまで深く思えない人を、何で雇うんかねぇ?

あなたの金儲けの道具くらいにしか考えてないんちゃうの?

まぁ、社員数一桁(9人以下)の会社なら絶対安易に雇ったらいかんと思うでぇ。ワシは考えられんですね、安易に雇うって。

社員が数十人数百人居るなら「人間性に立脚した科学性を追求でき、

同時に社長と多くの社員が「合意と納得」の行く仕組みを構築すること」が、
充実感につながります。

誰だって、自分の娘や息子だったら、その子の人生を考えてあげるでしょう。また、借金してでもしてやるでしょう。

あなたの社員に対して何で、そういう氣持ちに成れんのかねぇ。

また縁あって雇ったんなら、トコトン自分の人生観、社会観、価値基準を社員にぶつけて、理想像を訴え続けて、

その理想像に対して、トコトン摩擦を起こすんです。

そこまでやって社長の考えに共感が無い人を何で雇うの?ってね。

そういう「人生を考えた言動」の、摩擦があって初めて、雨降って地固まるんです。雨、降らさな、地は、固まらんで。

だから、人間関係が、ハッキリして来るんです。

縁の深さがハッキリして来るんです。

社長の意に共感しているなぁと感じたら、一生面倒見てやるぞ!という氣持ちに、段々なって来るもんです。

あと、ここまで書いたから、ついでに言うとくけど、社長足る者、会社の経営状態から、社員一人一人が個人的にも仕事上でも置かれている状況まで把握して、

経営の改善を図ろうとせないかんもんやし、そうしていても、中間管理職が、社長の意をよく理解していなかったら、

実体の把握も、ままならず、経営改善は絵に書いた餅に終わり兼ねません。

だから幹部教育が大事なんです。

幹部とは、一心同体、運命共同体に成らんと充実感は味わえんのです。

また、政治家なら国民の面倒を見な、いかんと思うけどねぇ。

国民の面倒を見たいと心底思って役割を果たしている政治家、何人居るんだろう?言い訳しない。

自分の出来ることで、甲斐性を身に付ける。人間は、大人も子供もとかく「数」を価値観の中心に置いている。

いい点数を取りたいとか、お金持ちになりたいとか、会社の利益額や業務規模を競う。数を追いかけていることで実は自分達を苦しめている。

息切れするで、そんなに急いで、焦ってどうすん?って言うときます。

生活や仕事で言うなら自分のやるべき仕事というのがあるんです。

それぞれの仕事がキチンと出来ているか、いないかで評価が決まるんです。

人間は皆、能力に差があるんです。特徴があるんです。

それを認める器量が、要るんですよ。

だから、数を追わず、それぞれの役割を果たすことが甲斐性につながると考えてみてはどうでしょうか。

それがワシの根本思想「人生経営は温かさ」です。

人間は本当に、心からあったかいなぁ。と感じた時、

生きる勇氣が湧くんですよ誰しも。熱い涙が沸々と出るんですよ。

だから、先ずあなたがあったかい人間にならんと、目指さんと。

人間は「温かさ」

人生は「温かさ」

経営も「温かさ」

温かさとは、手は放しても、眼は放さない。眼が放れても、心は放さない。

心を放しといて、ハード(物理的なもの)だけしてあげても、ダメなんだ、

ということを分からないかんでぇ。

放ったらかし育児放棄みたいなもんですよ。確り心で、抱いたらんかいっ!と唸っときます。 

 

平成30年、最初のメッセージは、新年に当たり贈り物をしたいと思います。

年末にパソコンの中身の整理をしていたら、

昔のインスピレーションメッセージを「香川湧慈語録」として、
まとめたものが出て来ました。

昔は、毎週一行か二行の極々短い凝縮した、「語録」にしていました。

約7年分(380週分)ですが、B5の用紙数ページです。

一週に一行程度なので、凝縮された言葉になっています。

欲しい方は、添付送信しますので、添付書類を受け取れるパソコンアドレスからy-emotion@niji.net へ「香川湧慈語録下さい」のメールを下されば、

追って添付送信します。

読んでみたい方は、プリントアウトして、ホッチキス留めして、読んでみて下さい。

年末に何人かに差し上げましたが、その中の一人の方が、

香川さんこれ凄い⤴⤴わ。本にしたら儲かりますよ。

と親切心で電話掛かって来ましたが、本にはしたくないし、

するつもりもありませんし、したら、値付けせんならんでしょ。

そうなると価値がその値段以上にも以下にも成らんということなんよね、

値を付けるっちゅうことは。

値を付けないから、手にした人が、自分の価値観で活かしてもらえるんです。大事な物って、そういうもんです。

それが贈り物なんですね。

本当に大事な物は、売ってはいけない。というのがワシの持論です。

それを生業(商売)にしている人じゃない限り。

何でもネットで売ってしまうのはどうかと思うなぁ。

良い物、大事な物は、売るんじゃなく、これと思う出逢いがあった時に、

差し上げるのが粋というもんやと思うんだけどね。

大事に扱ってくれるであろう人に、差し上げるのが、物も生きる。ということなんよね。

そう言やぁ15~16年前に知る人ぞ知る漆作家「赤木明登」さんに、

ワシがお弁当箱の二段重ねの模型を作り、この弁当箱に相応しいお味噌汁の椀を作ってほしいと手紙を書き、自分の生き方を綴った経営指針書を添えて、
製作を依頼したことがあります。意を汲んで頂き、朱色と墨色の、

お弁当箱セットを15セットずつ計30セット作ってもらいました。

1セットが7万円でしたから合計210万円➕税をお支払しました。

結果は、残念ながら、活用する予定が諸事情で出来ませんでした。

だから以来思って来た想いは、200万円近くの物をプレゼントしてもいいなぁ、と思える出逢いがあれば贈り物にしよう、と。

大事な物は商売でない限り、贈り物にした方がええんじゃないかと思う訳です、ワシは。

もちろん、買いたいから譲って欲しいという料理屋さんとご縁が出来れば、

それに越したことはありませんが。

では、今年最初の言いたいこと。

皆さんは取引って言葉好きですか?ワシは好かんなぁ。

取引って、駆け引きっていう感覚が浮かぶからね。

信用してないって感覚やからね。

だからうちは、取引先とは言いませんし、取引先とは書きませんから。

ワシは、取組先と言うし、書くんですよ。

お互いの得意分野を活かして、良い商品良いサービスを、世の中に発信する「取り組み」をしませんか。という意味です。

今どきのWin&Winという軽い意味じゃ、ないですから勘違いしないように。

深い哲学もなく軽々しくWin&Winって使う人多いように感じますが、

それならhappy&happyという表現が好きですね。

勝つ&勝つ、より、幸福&幸福の方がお互いを尊重している表現だしね。

「取組先」は、個人の人間関係も同じです。

あなたは、身近な人とも、取り引きしてませんか?

よぉ~に自分の胸に手を当てて思い起こしてみて。

身近な人達と取り引きのようなことしたら、いかんと思うけどねぇ。

そんなケチ臭いことしよったらケチ臭い人生に陥ってしまうでぇ、と言いたいのです。

自分に個人的にしてくれていないから、自分もしない、的な。

縁深い身近な人達には少なくとも「してあげなさい!」と強く訴えて来ましたワシは。

縁ある人達と、取引やするな!って言うときます。

出来ることなら、してあげなさい!

これが、あぁほんまやなぁと感じたなら、してあげたらええのよ。

つべこべ言わずに。

自分が、してもらっていなくても、自分はしてあげなさい、

がワシの心情であり、信条なんですよ。

こういう想いと行動は自分と自分の周囲の運を、より善きものにして行くと言うより、自分と、自分の周囲の人達の心を澄んだものにして行くと感じます。

新年早々のメッセージ一言。

「出来ることなら、してあげなさい!!」

経営者なら誰しもと言えるくらい、無茶苦茶大変な時期を体験した人は、

多いと思うんやけどねぇ。
どうですか?

ワシは記憶力は良い方なんやけど、一番大変だった時期の、

どうやって、あの人数で、日々の業務をこなして来たんだろぅって、
ふっと、今週湯船に浸かってて思ったんだけど、思い出せないんよねぇ、

ほんまに。

そんな時期が数年毎日の如く続くと、どこかに「来るよ」。
ワシは内臓に来たねぇ盲腸に。
普通は盲腸の手術って数十分らしいんだけどワシなんか盲腸腐ってて破裂寸前だったと、労災病院の執刀医が言うてました。
3時間半も盲腸手術に掛かったのは初めてでした、って。
破裂してたら死んでたって。後から聞きました。

だから、経営者は覚悟を毎日確り持って歩むことが大切やと自覚せないかんわなぁ。

人それぞれに、運命的に苦難が現れるんやと思います。

好んで「苦難来たれ」と思う人は、現代には居ないと思うけどね。
(昔は、我に七難八苦を与えよ!と神に祈った人物は居たけどね)

つまり、ワシのようにお金で苦難が来る人、誰かさんのように社員で苦難が

来る人、辛いけど病(やまい)で苦難が来る人など。

全部ひっくるめて、(自分に記憶が無いだけで)前世で自分がして来た

「ツケ」が今、現れて来たんだと捉える考え方が他人の所為(せい)にはしない、自分事になるんやと思う訳です。

何が起こっても自分事と捉えられたら、運命が上向きになって行くと思えるんよなぁ。

こんな事メッセージしてると、そう言やぁ、

子供の時から愚痴めいたことは出たことないなぁ。

経営者になって30年になるんだけど、他人の人間としての行為に対して、

アホとちゃうかぁってぼやくことはあっても愚痴は出たことないですね。

ぼやきと愚痴は違うからね。

愚痴、泣き言が自分の口から出た瞬間、

また一から振り出しに戻るんだと信じられたら、

一切、愚痴や泣き言は出なくなるんだけどねぇ、愚痴や泣き言が出てる間は、そういうことを信じていない、あなたが、おるんですよ。

愚痴や泣き言が出るようなら、経営者を辞めた方がいいんじゃないかと思うとるんです。

社員が下手打っても、会社は、そうは潰れないと思うんです。

けど、経営者が愚痴、泣き言言うとると会社は潰れて行くと思えてしまうんですね。

さぁ、今年も後わずかです。

来年、あなたが確実に実践する「事」を決めな、いかんでぇ~。

確実に実践する事を、来年365日続けたら、確実に運氣が上がりまっせぇ~!  

 

皆さん、あれもこれも何でも顔突っ込んでないですか!?

例えば、社長が様々な勉強会なる「会」にやねぇ、安くはない金を払い、

時間を費やしてはいませんか、と言いたいんですよ。

自分の人生観、社会観や価値基準を確り持っていない人が、

あんまり色々、顔出しよったら振り回されるだけやと思うんやけどねぇ。

ええですかぁ、人生観の確立の度合いが少ない人は他人の価値基準に振り回されてしまいますよ、と言いたいんです。

先ずは自身の人生哲学や経営方針を核に成るまで深めることに時間を割かなきゃ、空回りして、貴重な時間を奪われ、

こんなはずじゃなかった、とか、何で自分だけ上手く行かないんやろぅ、って愚痴る人間の仲間入りしてしまうでぇホンマに。

中途半端に金があり、価値基準が稀薄な社長が陥りやすいんだと感じてしまうんよねぇ。


ギリギリの金しかない方が結果的に工夫する能力が身に付くように思いますね。

教養を身に付ける読書の習慣や、教養感じる人との交流や、

人生を遠くから考える価値観を身に付けてゆくと、

自ずと取捨選択が出来る人間になって行くと感じます。

人間としての、本質を追求する。多面的に見る。遠くから考える。

こういうことを、実践しながら「会」に参加すべきやと思うんやけどねぇ。

お金は必要なもんやけど、お金や得する事が一番の人生の価値観の人、

多いわぁ~っ!

人生の究極目的を考える習慣を持ちながら、生活していると、究極目的を持って歩んでいる人達との巡り合わせがあるように感じるんだけどねぇ。

その究極目的を実現する為の道具の一つが、お金やという価値観ですワシは。

なぜ?なぜ?なぜ?をよぉ~に考える習慣を身に付けることを勧めたいなぁ。

なぜ?自分はお金がほしいのか?

その理由を突き詰めて行くと、価値観に変化が起こって来て、ブレない自分に成れ、心が自由に毎日歩めると思うけどなぁ。  

経営者は哲学を持て。と口酸っぱく言うて来ました。

勿論、経営者じゃない人も、会社の経営者じゃなくても、

あなた自身の人生経営の経営者には変わりはないでしょ。

哲学とは、日々の生活に密着したものです。

人がその一生を通じてどのような生き方をすべきか、、、。

何事も無く、人生を終えられる。そんなことは先ずありません。

何かが起きた時に、その判断を誤ることなく、事に対処する能力を得る。

哲学を持つとは、そういうことやと思っています。

人生を充実さす為に、自分自身の生きる哲学を持ち、

日々哲学を深めて行くことが大事だと言えますね。

哲学は生きる価値観とも言えます。

例えば、夫婦は趣味が別々でも、生き方の価値観が一緒というのが幸福やと

思いますね。

 

会社も、そうです。

経営者と社員も趣味が別々でも、生き方の価値観が一緒というのが幸福やと

思うんです。

この逆は不幸やと思うなぁ。

生き方の価値観に共感の無い所に幸福は生じないと感じます。

究極の生き方の価値観のことを言うとるんですよ。

人間の多様なる価値観を認めることは大事なんですが、究極の生き方の価値観がチグハグな人の集まりは、結局不協和音の源(ミナモト)やと思うなぁ。

だからお互いに「生き方の価値観」を発信し合うのが大切やと思う訳です。

人生で長い長い時間を共にする間柄なんやから、夫婦も社内の人間関係も。

「生き方の価値観」の共感に、人間としての「温かさ」が生まれて来るんだ、と強く言いたいのです。

数十人、数百人規模の社員が居る会社の社長には、こう言うてますよ。

全員の心に、グサッと響くスピーチが出来る哲学を持たないかんでえ、と。

人間としての「深さ」を感じてしまうような自信に満ちたスピーチが、

社員全員を奮い立たせるんだ、と。

一人一人の意見を聞くだけでは、ダメやでえと。そんなん、まとまるはずないで、と。

一人一人の理想を述べてもらうんです。

そうすると必ず共通のものが出て来るから、数十人、数百人居ても共通基盤を見出だせ、皆の充実が生まれて来るんだと信じて行動してほしいと願います。  

久~しぶりにお告げが来ました☺(信じる信じない、ご自由に(笑)))

愛国心から出た「誠」にのみ、神は支援してくれる。

愛国心って?どういうことを言うのかを勉強せな、いかんわなぁ。

神に、自分が出来ることを宣言すること。

抽象的なことでなく、具体的なことをです。その真意が、

神の眼鏡に叶うものだけを神は支援してくれる。

つまり、いくらパワースポットとか霊験新たかな場所とかに、

足しげく通っても、

あなたの真意が「神の眼鏡に叶うもの」でなければ、

神は支援しない!ということを自覚すべき、と。

全ては、神のみぞ判断する。天が判断するということを、

ほんまに自覚せなあなたの大事な人生が砂上の楼閣になってしまうでぇ、

と言いたいのです。

事を為すは人にあり。事が成るは天にあり。なんですね。

神の眼鏡に叶う。これを知る術はありませんが、やはり、

神国日本である我が国誕生の時から存続する伝統的な神道の考えを学ぶことから、神の真意を察知してゆく行為は、大切かと思う訳です。

これからの時代は、一人一人の真意が、神の眼鏡に叶うものか否か、

で結果が出るということに、間違いないと感じます。

金儲けも、人間関係も全てですよ。

誰のせいでもなく、あなた自身の真意が、神に判断されるっちゅうことです。

抽象的な目標は、あなたの心の中で秘めるんです。

✳他人に言う必要はないと思います。

実際に確実に出来る事だけを宣言する。その実績を積み重ねる。

そしてその行為が、愛国心から出た誠である時のみ、

神の眼鏡に叶うものだと感じているんですよ、ね。

出来ることを積み重ねる以外に、神の信頼は得られないんじゃないかと思うとるんです。

例えば、自分の趣味で何かを作っているとか何かをやっている場合に、

かなりクオリティが高いのに、仕事での業務が、

その趣味レベルのクオリティがないのは、意識の差なんです。

そういう何気ない日々の、あなたの心の習慣を、実は神さんは観察してるんだと考えてみてほしいもんですね。

同じ人間が「やることに差を生じさせている」という、ある意味無責任さ、をやってしまっている人に、神の支援は無いんじゃないかと。

「差を取る」ことが、実は「悟り」(さとり)につながるんです。

あなたが日々やるべき事に、なぜ差を付けるのかねぇ?

まるで小さい子供に、お父さんとお母さんのどっちが大事?って聞くようなもんです。

まるで世の奥さんが、あなた、仕事と家庭、どっちが大事?って聞くようなもんです。
こういうのを愚問と言うんです。どっちも大事なんです。

比べるもんじゃないんです。

役割の違い、なんやから、どっちも大事なんです。

自分のやっている事、すべてに、仕事も趣味も、精一杯の誠実さでクオリティを同じ意識で事に当たることが、

その真意を見られているんだと、皆さん自覚しましょうや。

今年も後わずか、さぁ、あなたは何を決意しますか?!

より具体的な、必ずやりきる事を神に宣言して、有言実行の来年一年を歩もうではありませんか。

愛国心とは?を考えてみて、自分の行為は、愛国心から出た誠なのかを自己チェックすることが、神が支援してくれるスタートラインに立てると思う次第です。

斯く言うワシは、もう来年確実にやり続ける事を、毎日神棚の神々に宣言していますよ。

今日は、ちょっと休みます。は裏切り行為になると自覚しているので、365日やり切りますよ。確実に出来る事を宣言し、ただひたすらに実践する姿勢を観てもらいます神々に。  

自分が「この人!」と思っているなら、支えなさい。
と言いたい。
自分に都合良い時は、支える。都合悪くなると支えないのは「支えている」とは言わないんです。

自分が「この人!」と思う人には、その人がヤル氣になる言動、

癒される言動をしてあげるあなたの努力忍耐が大切なんです。
それが、将来に亘り、お互いの充実につながって行くと思えてなりませんねぇ。
「支える。受け入れる。」と言うのは、都合じゃないんです。丸ごとOKの心境なんよね。

「心配しているから」と言うなら、文句を言うんじゃなく、協力してあげることが大切。
相手が、元氣が出る、ホッと癒される言動。

文句が出そうになったら、踏み留まる努力。

感情は、どうすることも出来ませんが、その後どう行動するかは、自分が決めることが出来るという「自由」があるんです。

カチン❗と来るのは、感情だから仕方ないんです。

カチン❗と来たら一旦瞬時に止めて、次に何するかを瞬時に決めることが出来るという「自由」があるんです。

カチン❗と来たら瞬時に止めて、次に烈火の如く叱りつけた方が、

相手の為と感じれば、わざと怒鳴り散らす、とかね。

これ、中々の精神性、思慮が無ければ出来ないんですね。

何が言いたいか。

つまり、何が起ころうとも「どう行動するか」は、自分が決めることが出来るんだ。と言うとるんです。

これが「自由自在」と言える中の一つです。

根本的な性格は、変わらないと思います。が、

ものの考え方や、見方や捉え方、行動は変えることが出来るんですね。

自分の感情をコントロールする訓練は人生に於いて、

とても大事でクオリティーを高めます。

やっぱそれには、良書を読む習慣や、この人深いなぁと思える人とめし食べたり、一杯やったり、するのよ。

また、歴史上名の残っている人物の生き様に学ぶんです。

何で、何百年も何千年も昔に生きてた人物の名が残っているのか、

考えてみて下さい。

とてつもない数の人間が、過去に生まれ死にしているのに、

名が残っている人物の数の少なさ。

やっぱりそれは天が神が仏が、後世の我々に生き様を学ばさせる為に、

残るようにしてくれているんだとしか、思えないんだよね。
ほんまに。

何百年何千年と、その人達の考えや行動が残っているということは、今からの我々に、起こるであろう問題を自ら解決して行く道しるべになるんですね。

だから我々も寿命来るまで、自分の生き様を見せることに意識して毎日歩むことが、結局自分の魂の充実につながるように思えるのです。

あなたは、あなたの、考え方、行動、つまり生き様を自分が観察して、

恥ずかしくないかを自分の心の良心に聴いてみる習慣は大事やと思います。

他人が何と言おうと、自分の良心に恥じない生き方(ものの考え方や行動)を毎日したらええんじゃないの。と言いたいねぇ。

あと、自分の「思いの水準」を高くしていないと、自分のレベルは高くならないと思いますし、繊細な事に気付かないようになってしまうんですね。

自分の心のレベルが低いままだと、その程度の人としか出会わなくなってしまうと思うんです。

自分の心のレベルを上げる。思いの水準を高くすると、

感性が豊かに成って行くと思います。

生活水準も大切だけど思いの水準、つまり思考水準を高める生き方がおもしろい人生に成ると、思えて仕方ありません。

自分の人生、おもろいなぁ!と感じたかったら、思いの水準を高め心のレベルを上げてゆく行動しませんか!

足して100点が人生。という考え方。

50点の社長と50点の社員。足して100点。

また50点の旦那と50点の女房。足して100点。
つまり、お互いが心通じ合いながら発展して行く為に99の努力をすることが肝心。

「99の努力をした者だけに、天は1を与えてくれる。」
もし、成就してないなら99の努力をお互いがしていないんだと捉えてみる反省心が大事。

自分の役割を果たす努力もせんで、50点ではいかんでぇ。

自分の果たすべき役割とは何ぞや?!を、たまには考えてみんとねぇ。

お互いが、それぞれの役割を果たす努力を、

天は観ていて、1を足してやろうか、どうしようか考えているんだと。

表面的なもので判断するんじゃなく、内面的なもの、あらゆる総合的に考えてみたら、 「足して100点」という考え方になるんじゃないかと思う訳です。

この「足して100点」になるには「勢い」が重要になって来るんですよ。

機運、つまりムード。

皆さん方の会社は勢いが感じられますか?

組織は「勢い」が重要やと思います。組織の最小単位は家庭です。

家族間でも、滞ってはいかんのです。

勢いというか生き生き感が大事です。

況(ま)してや、他人を含む組織には、勢いが重要なんです。

だから、方向性を示したトップは、組織に「勢い」があるかどうかを、

見極めることが重要なんです。

その時にやねぇ、部下にその意向が感じられない時は、

つまり、勢いが感じられない時は、トップの決断変更が要求されるということなんです。
しかし、トップが自己中的な面子の上から「こだわり」を生じてしまう人が多いんですよ。

組織に勢いが付かなければ目標の実現は無いんですよね。

思い切った変更が要求されるのに、変なこだわりを意固地になるから、

上手く機能しないんです。

また、トップの意固地な面子があるなぁと感じたら、その防波堤になるのが、ブレーン(補佐役)の仕事です。

そういう見極めの出来るブレーンが居るかがこれまた重要になって来ます。

商売は勢いに求めて、人に責(もと)めず。 と思うのです。

一人一人の働きよりも先ず全体の勢いが重要なんです。

トップの仕事とは、全体の力を一つにまとめて、勢いに乗らせること。

社員の多い少ないではなく、勢いの有無によって勝敗は決まる。

前進すること無くして守ることは意味を持たないんです。

積極的な行動があって初めて、守りが成り立つ。

撃って出る攻撃つまり目標、理想に、人の心を集中させる。

攻め以外に勝利なし。攻めるとは、思う一点に全力投球することを言うんだけどね。

思う一点に全力投球してますかねぇ?あれこれ、気が散ってないでしょうか。どこか保身の心に重心が行ってないですか?

手をこまねくばかりの防衛は、人の心をバラバラにしてしまう。

攻撃は求心作用。防衛は離心作用。

目標を明確にして、それに向かって積極的に進むことは、求心力を高め、

離心を防ぐ、最大の策なんですよ。

人は、有情。商いは無情。と世間では言われているいますが、

ワシは「有情活理」なんやけど。
情が根底に流れているからこそ、理つまり、仕組み(システム)が活きて来るという考えです。

また「大切なものは見えない」もんやから、見えないものの中から大切なものを掴む感性が大事なんです。

ひょっとしたら天は、あなたに学んでもらう為に、チャレンジを与えているのかも知れんのです。

この方法しか、伝える術がないから。

もし、繰り返し同じチャレンジを与えられているとしたら、

そのチャレンジから学びを得ていないということかも。

日々の業務で言うなら同じミスを繰り返しているなら、学びを得ていないということですよ。

それから、大きな苦難が遭った人は、人格の変換のキッカケだと捉えることも大事。
故に、苦難は有り難いと言える。自分の殻の中から抜け出る方法は、唯一つ。

謙虚になること。

考え方が、運命を決める。

これを素直に認めることを「謙虚」と言うんだと思うんです。
成功というのは、その人なりの成功の定義によるんだけど、成功者というのは特殊ではないと思うんです。

原則の中で全てが生きているんだから、

ただ活用の仕方を知っているから成功して行くのかも知れんのです。

成功しない人は、出来ないんじゃなく、やり方を知らないだけやと思うんです。

基準というのは、どこまで引き上げるか、が鍵。

生きる目的は唯一つ。自分が如何に慶ばれる存在になれるか。ということ。

只今、この瞬間から自分が、どう周囲に慶ばれる存在になれるか。

の積み重ね。

さぁ、皆さん。これ、一つ一つを自分に置き換えて考えてみるべし。

「注意の促し方」

人に意見をしてその人の欠陥を改めさせることは、大切なことなんやけど、

その方法については、大いに苦心を要するものである。

人の善悪を見出すことは、ある意味簡単であるし、またそれを批判するのも 簡単なことではあるんだけど、

大概の人は、人の嫌がる言い難い事を言ってあげることが親切だと心得て、

それが受け入れなければ仕方が無いことだと言う。

これでは、何の益にもならない。人に恥をかかせ、悪口を言うのと同じ事である。自分のうっぷん晴らしに言っているだけである。

意見というものは先ず相手にそれを受け入れる気持ちがあるかどうかを

よく見極め、互いに心を打ち明け合う程の仲となり、

こちらの言葉を信頼するような状態にしなければならない。

それから気持ちを引き入れ、言い方や、言う時期をよく考え、手紙とか、

または別れ際などに自分自身の弱点や失敗などを話して、

直接相手に意見 しなくても、思い当たるようにするのが良いのです。

また、先ず相手の長所を褒め、気持ちを引き立て、その上で喉が渇いた時に水を飲むように、こちらの言い分を自然に受け入れられるように工夫して、

欠陥を直して行くのが本当の意見なんです。

殊(こと)の外(ほか)、難しいものなんです。

誰しも、欠陥、弱点と言うのは長い間に染み付いたものであるから 一通りのことで直せないことは、自分にも覚えがある。

同僚同士がお互い親しくし、その欠陥を正し合い、一つ心になって御用を勤めるようになることこそ、思いやりなんです。

然るに人を辱めたのでは、どうしてこの目的を遂げる事が出来ようか。

人の善悪を取り上げて追求するものは、他人の恨みによる報いを受ける。

罪過の追求、詮議は人を辱めるだけに終わってしまう。

議論に勝っても、説得に成功することは無いものです。

さりげない会話の中で相手の間違いをそれとなく示唆することが、最善策ではあるが、 これには受け入れられるだけの素地として、先ず信頼関係がなければならない。

更に、言い方や時期に至るまでの考慮が必要である。

相手が受け入れ易い状況を、積極的に働きかける大いなる「慈悲」が必要なのである。

水が余り清ければ、魚は棲まないということがある。水藻などがあるからこそ、魚はその陰に隠れて成長するものである。

少々の事は見逃し、聞き逃しておくことによって下々の者は安心して暮らすことが出来るもんです。

人の気持ちもこの心得が必要なんです。

多少の事は見て見ぬ振りをする度量が無ければ、纏めて行くことは出来ない。

これが出来る経営者は自分の経営方針に確信を持ち、かつ、部下に対する深い愛情を抱く人である。

人というものは、立場が下の者ほど苦労していることを、よく分かっていなければならない。

普通経営者は、社員より収入も高く、自由に使える経費もあるものである。

それに引き換え、欲しい物があっても、それを許す経済が無く、時間も拘束されるのが社員である。

その事を常に心に置き感謝の念を持って日々暮らして行く心境が、

経営者には必要なんです。

社員や後輩の気持ちをよく察し、その立場に立って広い視野を以って検討すれば、大きい過ちを起こすことはまず無い。

社員が増えて行けば、社長の眼も行き届かなくなる。

社員もまた社長と接する機会も減って行くもんです。

これは、致し方の無いことであるからこそ、ここで管理職の任務が大切となる。

管理職を務める者は、大局的な立場に立たなければ、害が出るものなんです。

社長に代わって、社長の素行、幹部の善悪、世間の声、社員の苦楽などを正しく聞き取り会社を正して行くのがその務めである。

従って上に対して厳しく点検する事が本来の主旨である。

然るに、社員の悪事を見出し、聞き質して言上するから却って悪事が絶えず、害を及ぼすことになる。

下の者の悪事などは、 別段会社に害をもたらすものでは無いのである。

また、悪事をした人を取り調べする役の者はその人の言い分が通って、

助かることを願って取り調べをするべきである。

これも、結局は会社の為である。最も求められるのが、この役割ではないだろうか。会社が掲げる理念に基づいた経営がなされているかどうか。

先ず誰よりも、トップが、幹部管理者たちがその行動に責任を持たなければ、最終的にその苦労を背負うのが、社員たちである。

下から上を仰ぎ見ても、見えるのは直属上司への不満や漠然とした会社への 不満である。

それは、時には根拠の無いものだったりもする。

また社長に進言するにも様々なやり方があるものです。

真に忠義の志からする進言は、周囲に知られないようにするものである。

社長の感情に逆らわぬようにして、欠点を直して差し上げるのである。

間違っても、周囲に対して社長の欠点を大っぴらにし、自分の忠義ぶりを見せるような行為はしてはならない。

社員同士の注意の仕方も同じです。

自分は、本当に会社の為を思ってやってるいるのだ、というように見せたいのだろうが、これは一種のパフォーマンスとでもいうべきものであって、同僚の反感を買うだけ。

社長に対して礼儀を外れた言葉遣いは、例え諫言であっても見苦しいものである。

諫言や意見などは、事が起きてしまってからでは、効果は無く、 却って事が大きくなってしまう。病気になって薬を飲むようなものである。

諫言や忠言に限らず、社内の様々な動きに対しては治療ではなく、

予防でなければならない。

欠陥製品が出荷されてからでは遅いのである。その前にくい止めなければならないし、それ以前に、欠陥製品が出来ないようにしなければならない。

経営トップは、人体に例えれば、頭の部分であり、心臓部分でもある。

ここに病が生じてしまえば、名医といえども治療には困難を伴うのである。

それ相応の立場にない者が諫言をすることは却って不忠となる。

もし、真に忠義の心からするのであれば、自分の考えた意見をそれに相応しい人にそっと話し、その人の意見として述べてもらうならば、事は成就するだろう。

ともかく、色々と配慮をし、事が成就すれば良いのであって自分の忠節心などは人に知られる必要はないんです。

もし、何人にも相談して話が進まないようであれば、その時はそのままにしておいて、また繰り返し努力すれば、たいてい目的を遂げることが出来るんです。

我が身は一途に捨てて社長に捧げ、どのようになろうとも構わぬという気持ちになっていれば、道を取り違えることは無い。

大体、諫言というものは何の為にするのかと言えば、社長の過誤を正す為である。とすれば、どうすれば意見が採り入れてもらえるかを先ず、考えることである。

社長に近く仕える人には、社長や色々の人と親しくすることです。

自分の為ではなく、何か社長に申し上げたいことがある時の為である。

絶対的な力を持った社長の下では社員が時に盲目的思考に陥り易いもの。

これは短期に急成長いや、膨張して来た会社に多く見られるものである。

何故なら、会社が掲げるべき理念を明確にしていないか、 或いは有ったとしても、その理念を社員が共有していないからである。

社長から社員に至るまで、理念、目標を共有して初めて、人を育てる事が出来るんです。

社風は最大の教育者である。その社風を作るのが社長の役目であり 社風は人を駄目にもし、育てもする。

経営者は人を「育てる」ことに喜びを感じて欲しいものである。

最近の缶コーヒーのBOSSのテレビCMが、「いいねぇ!」

ワシの好きな竹原ピストルのセリフが。
内野聖陽扮する国会議員が辞職した際に秘書に投げ掛けた

「お前はこの25年間を後悔はしていないのか。」の一言に、

秘書役の竹原ピストルの一言。

「いい時も悪い時も、あなたのそばに居ました。それが私のプライドです。」

何とも言えない表情と声が、よりこのセリフを、胸に響かすねぇ。
グッ!と来ます。

初めてこのCMを見た時、瞬時に涙が出たねぇ、この一言に。

状況によって手のひらを返す人達が、無くなることはないんだろうけど、

節操の無い言動(立ち居振舞い)は、見苦しいねぇ。

昨日まで「こう主張します」と言っていた人が、

今日から違う主張をしている人に、

「あなたは節操が無いのか?!」と言うと、

「夏に夏服を冬に冬服を着て、どこが悪い」と答えて憚らない人達多いんじゃないかなぁと感じますね。
さも筋が通っている、当然のことのように、返答する人達。

目先の利害の為に節操を曲げているように見えてしまう人は、

何かその人の内面、本質が見えてしまう瞬間かも知れないね。

理屈は大事です。理性的納得を得る為の論理だしね。

あなたのことを心配しているからと、色々噂話をする人も多いように感じますね。

でも、その人の立場と同じ状況を体験していない人が、それはこうしたらいい。とか、何でそうしなかったのかとか、悪気なく言う人、ようけおるやろ!

人間の軽い、屁理屈屋に陥ってしまうよ。と言うときます。

相手の心中察するというのは、理屈を理解した上で、トコトン深く相手の立場を想像するんよ、そしたら心中を徐々に察する心を備えることができると思います。

その相手のことを、あなたが見て、尊敬の念を抱け且つ、信頼できる人物なら

「自分には分からない何か深い事情があって、敢えてそうしてるんやろうなぁ。」と心中を察しな、いかんのとちゃいますかね?

あ、言うときますが、信頼の置けない、尊敬も出来ない人には、別ですよ。

「心配してるから」と言うのは、ワシに言わせたら「理屈」なんですよ。

心配してるなら、そっと心で祈ってあげたらええのよ。

そして、自分に出来る支援を陰でそっとしてあげたらええんじゃないかなぁ。

それしか実際できんやろ。と言うときます。

自分の責任において、出来ることを全うする以外に、お役立ちはできんと思います。
「それが、私のプライドです。」と、少なくともワシと縁ある身近な人達には、堂々と言ってほしいもんです。

そういう人物に成ってほしいと願っていますね。

相手の心中を察する、心の許容量と寛容量と洞察力を身に付けたいね。

相手の立場に立って、心中察していれば、当人の居ない所で噂話はしないもんだし、また、その人に軽々しく「良かった」とか「感動しました」とか、

言えませんよ。

人生に影響を与えるほどの深い感動のことを「感銘」と言うんですよ。

皆さん覚えといてね。

ホントに感銘を受けたら、言葉がでません!ズシンと胸に来ますよほんまに。

自分が向き合うだけのものを持っていないと感銘は受けないものなんです。

感銘を受ける人は皆、自分として精一杯をやっている人なんですよ。

ワシはそう思うなぁ。
自分として精一杯をやっているということが大事やと思うから、言いますね。

皆さん、自分としての精一杯をやっているのか?を、振り返ってみて下さい。

そしたら「感銘」を受ける機会が出来て来ると思います。

人生に影響を与えるほどの深い感動が魅力ある人間にしてゆく原動力になりますよ。

また自分としての精一杯をやっている人というのは、

相手に対してちゃんと自分の素直な想いを、返事しているんですよ、皆さん。

ちゃんと返事してますか?あなたは。自分に出来る精一杯をやっている人は、どう返事していいか分からんでも、ちゃんと返事してるんですよ。

自分の「良心」に耳を傾けているもんです。あなたの良心が答えてくれると思うんです。
誠実さの現れですからね「返事」は。

必ず、想いを返事すること。そうせな、節操の無い人間になってしまうでぇ、ほんまに。

ちゃんと返事する為にも、教養を身に付けんとね。勉強せないかんわなあやっぱり。

相手の想いに、ちゃんと答えられへんで。

感銘を受ける体験を重ねていると、自分としての精一杯をやっていると、

ちゃんと返事が出来る人物に成って行けるんだから、

先ずは何事にも、想いを伝える返事を訓練しましょうや、勇氣を出して。

「それが、私のプライドです。」と言えるように成るから。ほんまに。