これからの時代、人数規模の大きい会社は、

戦略的に縮小して行く方が充実度が増して行くような気がします。

そうやって本当に自社に相応しい適正規模を考えてみてはどうですかね?

大人数の会社が望みなら10人以下の事業所で百ヵ所作れば同じ会社で、

1000人の社員という事になるしね。

組織とは、上意下達と下意上達が順調な状態を言いますから、

上の意思を部下に伝えられていて且つ部下の意思が上司に伝えられている状態のことで、
尚且つ、そのメンバー同士が、同志つまり、相互に心通じ合っていて、

相互に認め合っている状態だから、
目的の共感が出来ている状態のことです。

だから、10人以下じゃないと、中々成り立たないと思う訳です。

社員が全員相互に意思疏通が順調で、心通じ合っている状態は、

10人以下の社員数じゃないと、出来得ないんじゃないかと思っているんです。
この規模で、事業の『着実性と収益性とビジネスモデルの持続性と発展性』を包括している事業を営むなら世間で言われる、人手不足なんて、

関係無いと感じるんだけどね。

それを実現する、一番重要なポイントは、

組織の中心人物である経営者の人格なんですね。

また、各事業所の所長であり店長の人格になりますよ。

その職場の中心人物が所長や店長です。

『中心人格の信念なき行動は、花は咲いても実は成らない。』なんです。

『花は咲いても』とは外見的に、事業が拡大していて、社員数も増えていて、売上、利益上昇している、という例えです。

『実が成る』とは、そこで働く人達の収入と、心の通じ合いや、仕事の充実感等の例えです。

まともな人は、その人の『人柄』に付いて来るもんだと思うからです。

最終的には、人柄に付くんですよ。

人は、厳しいから付いて来ないのでなく、信頼できないから、付いて来ないんです。

そう感じませんか。

経営者は会社の親であり、社員は会社の子供です。

世の中の親にとって、一番幸福な事は、信じられる我が子を持つことではないでしょうか。

親にとって、一番幸福なことは『あぁ、ワシがいつくたばっても、あの子なら立派にやってくれる。』と、

親の目に適うて信じられる子を持つことではないでしょうか。

親が、安心して死ねる程信じられる事ではないでしょうか。

では、子供にとって、一番幸福な事は、親が尊敬できる事ではないでしょうか。

親が尊敬できないと言うこと程、子供にとって、不幸な事は無いと思います。

会社に置き換えると、経営者にとって、一番幸福な事は、信じられる社員を持つことではないでしょうか。

経営者にとって、一番幸福な事は『あぁ自分がいつくたばっても、うちの社員なら立派にやってくれる。』と、

経営者の目に適うて、信じられる社員を持つことではないでしょうか。

経営者が安心して死ねる程、信じられる事ではないでしょうか。

社員にとって一番幸福な事は経営者が尊敬できる事ではないでしょうか。

経営者が尊敬できないと言うこと程、社員にとって一番不幸な事は無いと思います。

ということが言いたいのです。

バブル崩壊後、デフレが30年近く続いています。

これからも、やや低成長はあっても、高成長は無いでしょう。

そもそも、急成長って漢字が国語的におかしいと思いませんか。

赤ちゃんだって生まれてから20年経って成人式ですよ。

2~3年で、いきなり、二十歳にならへんのやから(笑)。

急成長というのは膨張なんです。

ぷぅ~と、🎈風船を、一気に膨らます感じやね。

膨張企業に陥ってはなりません。針一本で、爆発してしまいます。

インフレは難病ですがデフレは死病です。

デフレより多少のインフレの方が活氣が出るもんです。

デフレ時代に、着実に幸福を感じながら歩む会社経営を実践継続するポイントが、

社員間の心の通じ合いであり、経営者と社員が尊敬、安心出来ている間柄であり、

事業の着実性と収益性とビジネスモデルの持続性と発展性を包括しているかを常にチェックすることかなぁ、と思う訳です。

規模が既に大きくなっている会社の経営者の皆さん。

将来の充実の為に、戦略的に『心通じ合い相互に安心感抱ける』組織に、

縮小を工夫されてみてはどうでしょうか。

小集団活動の集合体がベターだと感じます。

世の中にベストは無い有るのはベター。ベストつまり、100点は無い。

常に、よりベターを。

なぜ、こういうことを言うかと言うと、

その会社なりに努力を重ねて、人数規模を大きくして来た中小企業が数百人になった会社を、まぁまぁ知っていますが、

昔のような充実感を、端から見てて、何か、感じないんよねぇ。

その人数の社員を毎月毎月食べさせて行く為に、何か昔と違って、

信念を貫いた商品を、サービスを、提供でき得てない感あり、なんですね。

辛抱ができ得ないんだと感じます。

次々と新商品新サービスを出し続けないと、その所帯を維持できないんだと感じてしまいます。

息切れしながら社業をやっている感を否めないんですね。

外見的には、隆々さをアピールせざるを得ない感を否めないんですね。

(見栄)

この感覚分かりますかねぇ?

現在ビジネスモデルとして既に数十人、数百人規模でないと利益が成り立たない業態や、分割は出来ない業態でしたら、

トップである経営者が、凄い!と全員から感じられる人物に成るしかメンバー皆の心を統一は出来ないと思います。

個別の問題解決より、凄い人物に成るよう努力されたし。です。

そうなると、数百人の心が一つに成れる社風が形成されると思う訳です。

『良い社風』が、全ての社員の心を一つにさせて行く力があるように感じます。

如何なる状況に置かれても、ブレない社業。

これを継続的に出来ている状態を『自由な状態』と、本来は言うんです。

西洋の自由は、選択の自由です。

好きか嫌いか、どっちを選ぶか、という『選択の自由』と言う意味だから、

浅いんです。深さが無いんです。

日本の自由は『如何なる状況に置かれても、己れを見失わない』という心境を、自由と言うんですね。

この自由をずっと継続する為に、それが維持出来るであろう適正規模を確立しませんか!

と投げ掛けますね。



今週は『人生の深さを身に付ける自覚』について思うことを。

全ては『観念』することから始まるんだけど観念していない人が、

ものすごく多いと思いますねぇ。

この『観念』をせずに行動をしても、人生の意味に、味わいを感じないんじゃないかと思う訳です。

『観念する』とは、いわゆる甘いも酸いも体験しながら、

トコトン自身を内観し尽くした時に、

『あぁ~自分が生きる道は、役に立てる自分の生き方は、これしかないなぁ。』と、

神妙になる心境のことを『観念する』と言う。と思うんです。

だから、観念して生きている人は、芯が強いんですよ。

うちの社員全員に芯の強い人間になってほしいから、

また何が遭っても、動揺しない心を備わってほしいと願っているから、

あたふたせず、物事に対処することが自然体で出来る人間になってほしいから、
人生を歩む考え方や、物事の捉え方をしょっちゅう話しながら、

日々の業務に意味合いを必ず話し、丁寧にこなすよう訓練しているんですね。

先ず、知的理解を与え日々の業務で反復訓練させない限り、身には付かないと思うなぁ。

普通の人はワシのこういう言動を、うっとうしい、と思うと思うんですが、

うっとうしいと思っている内は、
観念なんて出来得ないと感じます。

あぁ、有り難いなぁと思える人は、観念出来得る人間やと感じますね。

人間として観念して、生きてほしいから、大事なことは口酸っぱく言わな、

いかんのよホンマに。

ワシの亡き師匠はこう言うてました。『繰り返し言う勇氣を持て』と。

社員に口酸っぱく言うのは『会社の親』としての願いやからです。

また、観念は、考えて出来るもんじゃないんです。

沸々と、湧き上がって来るもんやと、ワシは思うんです。

だから、教えたからと言って、沸々と、湧き上がって来るもんじゃないんですね。

絶対零度から沸々と、湧いて来るものです。

皆さんは、沸々と湧き上がって来る感覚になったことがありますかねぇ?

自分は、これしか生きる道がないなぁ、

これしか、自分が誰かの役に立つ生き方は、出来ないなぁ、って、

沸々と湧き上がって来た体験はないですか?

沸々と湧き上がって来るものが、理念なんです。

理念とは、人生の究極目的のことを言うんですよ、皆さん。

理念って、何も経営者だけに存在するもんじゃないんです。勘違いしないように。

人生の目的である人生理念、つまりあなたの人生経営の理念です。

考えて作るもんじゃないんです。

トコトン自分を追い詰めて、極端に言うと、血ヘドを吐くくらいのところまで追い詰められた心境や、

内観し尽くして、湧き起こって来るもんなんです。

だから、観念している人の言動は、観念していない人からは、

理解が出来にくいかも知れません。

でも、言っている事が『人として、まともな事』なら、

理解しようと心を傾けてみては、どうでしょうか。

観念して人生を歩むことで、自分の人生を、より味わい深いものにし、

より高みに導いてゆくものになってゆくと感じます。

だから昔から『本真者(ほんまもの)の師匠』

と言われた人は弟子に対して、

『観念せぇっ!!』と喝を入れて来たんだと感じますね。

そこには、愛が存在しているんですね。

情が存在しているんですね。

思いやりが存在しているんですね。

だから、観念して、今から、あなたの真の人生をスタートしませんか!と言いたいんです。

昨日までは、リハーサル。という考え方で、今日からスタートしてほしいなぁと思う訳です。

また、観念したら、死に対しても不安にならないと感じます。ワシが、そうやもん。

覚悟が備わっているから、いつか来るであろう寿命が来た時、

『あの世』とやらに行く訳ですが、怖さは無い心境ですワシはね。

人間は病気で死ぬのでなく、事故で死ぬのでなく、自殺や他殺で死ぬのでなく、

寿命で死ぬ。

これを観念の域で信じられるか、どうかなんですよ。信じる信じないは、

人それぞれですが。

寿命で死ぬんだと観念したら、死は怖くないという心境になると感じます。

あの世には六道が在ると仏教は説きます。

六道とは、地獄→餓鬼→修羅→畜生→人間→天という、

あの世で住む世界のこと。

どこに行くかは、閻魔さんが決めるんじゃなく、

自分の生きて来た言動や生き様で、自動的に振り分けられると考えてみては、どうですか。

まさに、大いなる自業自得で、行き先が決まるんですね。

ワシの好きな人物に、源義経がいます。

義経と家臣である弁慶の詩に、ワシの大好きな詩があります。

弁慶が言います。

『六道の辻の巷で待てよ君(殿=義経公)、遅れ先立つ習いありとも。』と、

今は戦の最中。

本来なら、家臣である自分が先に死ぬものですが(遅れ先立つ習いありとも。)

戦ですから、どっちが先に死ぬか分かりません。

もし、殿(君)が先に逝くことになりましたら六道の辻の巷で待っていて下さい。

という意味です。

そしたら、義経公は、こう返しました。

『いつの世も、またいつの世も、巡り逢わん染む紫の雲の上まで』と。

何度生まれ変わってもまた、巡り逢おうぞ。

染む紫の雲の上(天上界の最高の住む世界)
に行くまで。という意味です。

こういう人間関係が、現代社会の、経営者と社員、夫婦、友人等の間で、

心底感じられる心境に成れた人を、

『幸福な人』とワシは思うんだけどねぇ。

そういう観点で、あなたは今、幸福ですか??

観念してますか??内観されたし。



色々と、他人の反応を気にし過ぎる人が多いようですので、メッセージを。

最初のリアクションで大体分かるもんじゃないでしょうか。

というメッセージです。
つまり、あなたが何か話したり、行動をした時に、

相手が最初に、どんな反応だったかで、感じるでしょう。

あなたが、誰かに何かアクションを起こした時に、相手が全く反応を示さなかったり、お座なりな対応だったりすることって多々あるでしょう。

それは、その時点では相手のあなたに対する好意の度合いが、薄いんです。

関心が無いんですよ。

良い悪いを言ってるのでなく、その時点での相手の、あなたに対する、

心の傾向性が感じ取れるんじゃないでしょうか。と言いたいのです。

あ、もう一つありますね。

その人が、何かに集中している時は悪気なく、お座なりになってしまうかも知れませんが。

相手があなたに関心が無かっても自分の商売に関する事だったら、

上手いように応対するかも知れませんが、自分の損得に関係するから、

が多いかも。

でも往々にして、最初の相手のリアクション(反応)を見て、あなたに対する好意の度合いや関心の度合いを認識したらええのに、

何で『要らんでいい気』を遣うのかなぁ。しんどくなりますよ。

もちろん人間にはバイオリズムがあります。興味、関心の度合いのバイオリズムです。

一年前には、興味がなかったのに、今はすごく興味がある。とか。

自分の得にならないと感じている人に対しては、氣が向いてないとか。

多いと思います。

『行ないは、心』ですから、その人の行為、つまり反応が、その人の今の心の表れなんです。

瞬時に判断したらええのです。

あぁ、今は、この人は(相手)自分に関心が無いんだ、とか、好意は抱いていなんだとか、

又は、逆に丁寧に反応してくれる人は、関心を持ってくれているんだ、

好意を持ってくれているんだとか、

はたまた、かなり気を遣ってくれているんだとかの判断基準になるんです。

だから何が言いたいかというと、

最初の反応が、自分が思うような反応じゃなかったからと言って、心左右されるなかれ。と。

淡々と、あなたがやるべき事を、右往左往せずに、一喜一憂せずにやったらええのです。

自分の人生の責任者は自分なんやから、

淡々と、やるべき事をやっていると自然体で居られると思いますね。

やっぱり、自然体が、一番です。ひょうひょうと行きましょう。

自分が、関心の薄い人から何かアクションされたら、

丁寧に応対することを徹底出来たらええんですがね。

特に、人間として大事なことには。

どうでもいい他愛ないことは、どうでもいいんだけど、他愛ない事に対しても、変な気を遣わずに自然体で丁寧に対応している自分でありたいですね。




今週、数年振りに、同友会会合で同友会の後輩とバッタリ会ったので、

晩飯行こうやと誘いました。
久しぶりに、その彼と晩メシに行きました。

数年前までは同友会の会合の後、月に二回は必ずと言っていい程、晩飯行ってた仲です。

彼が同友会のある役職を退いた時に、他団体の役職を受けることになったので、この数年間、同友会は音沙汰なしの状況だったので、懐かしくメシ誘いました。

で、彼が「実は香川さん、18で入社した子が最近家庭の事情で辞めたんですよぉ。
5年間真面目に勤務していて、いい社員だったんですけど、こうこうこういう事情があって、、、」

てな、言葉を発したので、ワシはすぐに、こういう言葉を発しました。

「その子に、想いを馳せてやってる?来たる人には、やさしさを。去りゆく人には、しあわせを。やで!」

そしたら、彼は「うっ・ん・んっ!」と、

ワシの言葉を聞いて、一瞬にして胸が詰まって「あぁっ、想いなんて馳せてないなぁ。」という感じで頷いてました。

「なんで、喧嘩別れした訳やないのに、想いを馳せてやらんのよ、○○君。」とワシは声が出ていました。

皆さんも、皆さんの所から離れて行った人へ想いを馳せてあげませんか。

銭要らんのやから(笑)

想いを馳せる。大事に想う。相手のしあわせを想って、やらんですか。

何かの縁があって来たれし者には、やさしさで迎えてやらなぁ。

また何かの縁があって去ってゆくんだから、その人のしあわせを想ってやらなぁ。

そう感じませんかね?

で、その○○君。

「やっぱり香川さん、同友会は、会社の中身の心配事を聞いてくれたり、話したり、いいっすねぇ。
他団体では、中々そんな事まで話ししませんもんねぇ。」って言うから、

「それはそうかも知れんけど、自分から裸になって、
お前んとこの会社どんなん?
お前んとこの社員どんなん?
ちゃんと人間としてのコミュニケーション取れとん?
業務のことしか、コミュニケーションしてないんとちゃう?
商売の損得ばかり考えてない?
社員の心の収支バランスや社業の筋道を説きながら、仕事してる?
仕事は、上手い事行っきょん?
うちは、こんな感じでやってるで。って、
自分から本音で本氣で接したら、ええだけのことやん。」って話したんですね。

○○君、ワシから見たら、ええ男やのに、

(そりゃそうですよ、彼は高松、ワシは宇多津で、先ず距離があるけど、数年間毎月二回は晩飯行ってた仲やから)

自分とこの社員に本音が語れないみたいなんですね。わずか数人の社員やのに。
皆さんは、どうですかねぇ?自分とこの社員やで。

なんで、本音で話が出来へんの?と言いたいですね。(笑)

そこの勇氣を出さな、実のある人生は動きませんよ、と投げ掛けますから、

自分の胸に手を当て、心を向けてみんですか。

ハッキリさせないかん事にはトコトン、ハッキリ明確に。

ハッキリさせんでもええ事には、それなりにしたらええと思うんです。

だから、目に見えない縁がハッキリ現れて来るんだと思います。

霧が晴れて来るんですよ。

霧、晴らさな、時間だけが無意味に過ぎて行くだけやと思うけど。

物質財産を失っても、心の痛手は少なくて済む。

身体の健康を失ったら心の痛手は深い。

でも勇氣を失ったら、もう取り返しがつかない。

なんよね。

全ては己れの心に存在するちょっとした勇氣が、運命を左右してるような氣がするけどねぇ~。

何事も『ちょっとした勇氣』の積み重ねなんだと、ワシは言い切って来ました。

こういう生き方をしたい!人間は、こういう生き方をするのが、充実するんだ、という人生観の確立。

こんな世の中でなかったら、いかんやろう。という社会観の確立。

人生の価値基準の確立が、出来てないから、勇氣が湧いて来ないんだと思うんです。

何が本当に価値あるものなのか、を自分なりに深めてゆく、会話や交流をして行くと、
深みが出て来ると思うんだけどねぇ。

あなたの何気ない言動に、深みがある言葉を発したり、

ちょっとした行動に深みが感じられたら、それが威厳なんですね。

威厳とは、威張ることではありません。

相手が自ずと頭が下がってしまう深みがある人間のことだと思うんです。

お互い、深めて行きたいもんです。

今週、中小企業家同友会の岐阜県多治見市の東濃地区の例会に報告者で呼ばれてエモーションの経営を語って来ました。

90分話ましたが、開口一番こう言いました。

皆さん方、自分とこの社員と取引してないやろうなぁ!って。

取引してる間は、真の信頼関係は、結べへんでぇっ!って。

縁あって自分(社長)が選んだ社員やろぅ。人事部長が採用した訳やないやろぅ(笑)

中小零細で、社長の知らないところで採用してた、なんてある訳ないやろぅ。

経営者が、人間としての本質を、自分の本音を本氣で、語らん限り信頼関係は、結べんと思うなぁ、と。

そして縁について話ました。

縁には、助縁と逆縁があるんです。どっちも大事なんやと。

助縁は、自分を助けてくれる縁や。

逆縁は、自分のやる事に逆らったり、裏切った人の縁。

この逆縁が、自分の欠けている能力を身に付けさせてくれる有り難い存在なんよ。

自分を裏切ったり迷惑掛けられたりした人がやねぇ、

ひょっとしたら将来、その人が自分の助けに成る存在になるか分からんというのが縁ですよ、皆さん。

どちらも大事やと捉えること。

こういうことを自覚することを『縁を貴ぶ』と言うんです。

というような事を前提に話しました。

あと、ランダムに話した事を列記しますね。

社員は使うものでなく生かすもの。

生かすには、一人一人の特性を見抜くこと。子育ても一緒じゃないかなぁ。

ヤル氣を起こさせるんじゃなく、ヤル氣が起こってしまう環境を作る努力が、本質やなぁ。

ピンチとチャンスは、同時進行している。

ピンチが続いているなら、水面下でチャンスも進んでいると考えてみること。

だから、心澄まして、内観せよ。ピンチが続いているからと言って、

落ち込むなかれ!

また、順調が続いているなら、水面下でピンチも進んでいるんでいるんだと

捉えること。
油断大敵や。無理なく、無駄なく、油断のない生活態度が大事やで。

ピンチの後にチャンスが来るんじゃないんだよね。

何にもしなかったら、チャンスなんて来ません!

ピンチをチャンスに変えるには、責任者の、決断と根性やと思います。

根性とは、1:方針の一貫性。2:行動の持続性。3:自主独歩性。

この三つを合わせて、根性と言いますから。

経営者と社員に於ける人間関係で大切な心構えは、

『衣食足りて礼節を知る』と、『武士は食わねど高楊枝』の関係。

経営者は、社員に対して、衣食足りて礼節を知る。を心すること。

社員は権利ばかり主張せず、武士は食わねど高楊枝の心境を。

つまり、権利と義務の関係でなく、本質的な人間関係は責任と感恩の関係なんよ。

自分の責任感ある行動を周囲が見て、感謝の念が湧いて来るもんです。

そして恩に感じる気持ちが大切なんよ。それが人間です。

責任感も感謝も恩も、感じんようなら、あなたは、人間じゃないんです!

人生のグランドデザインを描くこと。

理想像を描いて、理想像に向かってチャレンジすることが人生を生かすことにつながる。

だから、経営理念は、全社員の将来像でなければ充実には至らないんよね。

うちで言うなら『志高く、らしく生きる』ことが全社員の、将来像なんです。

また全社員の将来像でなければ、躍動なんてしないのよ。

年間の粗利益計画は、まず社員の待遇面を考える事から始めるから信憑性が

湧き、希望が湧くんです。

気持ちがあるなら、してやりなさい。

社員一人一人の意見を聞くな。聴くべきは、一人一人の理想像である。

『お前は、将来どう成りたいんや?!』

銀行には、決算書でなく、経営を語ることで融資を受けよ。

経営とは、人格を磨きながら、経済活動をすること。

経営者は社員の『主・師・親』でなければならない。

主とは中心。何の中心か?それは、教養と判断の中心でなければ、ならない。

教養と判断の中心だから、社員の人生を導けるのである。

社員の人間性と能力に於ける師匠的存在であり、無情の愛を注ぐ親である。

零細企業は、言い値が通る商売をするから、気分が良いんです。

同業者が見て、これだけは、あそこには及ばない。と感じさせるだけの、

すば抜けたものを持て。
それがプロやと思う。だから、言い値が通る商売が出来るんです。

社員は、厳しいから、付いて来ないのではなく、信頼が置けないから付いて来んのやで。
共通基盤を持たないと理想像は実現しない。

将棋や武道や芸術や音楽やスポーツ等に、定石がある。基本がある。

先ずは基本からやと思います。

経営にも定石や基本がある。

経営の第一の基本は、社員の志の一致です。心の統一です。

心がバラバラでまともな仕事は出来ません。

タイミングを図って、一度は、トコトン向き合うこと。

向き合ったら、横に並んで一緒に星を見よ。

向き合うばかりは、お互いの粗(あら)が見えるだけ。

夫婦も同じ。

一度は、トコトン向き合うこと。

向き合ったら、横に並んで一緒に星を見なさい。

人間は、誕生から20年で成人。

成人になって、何かに10年くらい、一所懸命取り組んでやっと一人前という考え方。

会社は、信念に裏打ちされた、経営の指針を打ち立て明文化した時が誕生という捉え方。

だから、真の誕生から20年で成人式。それから10年くらい、指針に則って全社員で力を合わせるから、

やっと一人前という考え方。

つまり、真の誕生から30年は掛かって一人前と心せよ。

会社設立して30年経ちましたは、一人前じゃないんです。

信念に裏打ちされた、経営の指針を明文化した時が真の誕生だという考えです。

それから30年一所懸命実践せな真の一人前には成れないと心しているんです。

真の誕生すらしていない会社や個人、ようけ(沢山)おるんちゃうかい。

何の為に経営するのか。如何なる方法で、維持発展させて行くのかを、

自分自身は勿論のこと、社員や得意先をも納得させられるだけの哲学を持つこと。

それすら持たずに事業してるなら、バクチと一緒や。

先の見えないトップに就いている部下ほど、哀れな者はないんだと自覚せな、いかん。

無能な、そして非人間的な上司に就いている部下ほど、哀れな者はないんだと自覚すること。

と、まぁこんな事を、エモーションでの実話を交えて語りました。 

 

『要は、こういうことやで。』と、あらゆる日常業務の意味合い、

目的を教えていないんじゃないか?

と思う場面(電話応対や対面応対)に、遭遇するんよねぇ。

部下に、要は、こういうこと。と、理解納得出来るまで教えることを怠っているんじゃないかと感じる事がままあるんよね。

これを『教えざるの罪』と言います。

通常業務は、ちゃんと出来ていても、イレギュラーな対応が、ピンぼけ感多々あり。
いや、通常業務でも、ピント外れな対応も目立つなぁ。

商売は順調であっても社員教育が行き届いていない会社、

ホンマにようけ(沢山)あるように感じます。

そういう会社の商売の数値が良いのも、ずっうっとは続かんような気がするなぁ。

仮に、数値が良いのが続いていても、社員の退社と入社が頻繁で、

職場の人間関係とか、社長に対する思いとかが、希薄なものになっている感ありですね。

そういう場面に遭遇する度に、うちの社員達には

「うちは、そういう事は無いようにな。(笑)」と言うてます。

これも社員教育の一環です。

他人(ひと)の振りみて我が振り直せ。の示唆の一環です。

一つ一つの些細な業務の意味合いを説明し、理解納得してもらう為の努力をしているんです。

この日々の業務の『要は、こういうことやで。』を習慣にしていると、

社員自身の人生に於いて、本質を追求する(要は何が目的か)心の習慣が、

徐々に身に付いて行くんですよ。

そういう観点が、世の社長達に無いから、単に業務指導しか、出来んのだと思いますね。

で、社員も一つ一つの些細な業務の意味合いを理解納得せずに業務に当たるから、
やり甲斐や働き甲斐が、業務でなく、お金に傾いてしまうんだと感じますね。

要は、こういうことが本質であり、目的やからな、と全ての業務のその会社に於ける意味合いの説明を、

社員に理解納得出来るまで、教える手間を省くから、言われた事しか出来ない、指示待ち社員に陥るんですね。

そういう社員も、仕事という意識が無いのか知らんけど、

指示された事柄に、何故これをするのか、の理解納得をしていないのに、

何の疑問も抱かずに、

「これは、どういう意味合いでするんですか?」の質問もしないで、

言われた事しか出来なくなっている。

だから、応用力が身に付かないんやと感じますね。

つまり何事も目的意識が無いから、躍動感が生じないんですよ。

イレギュラーな事に、瞬時に対応できる応用力が、身に付いてないから、

通常業務以外の事態が起こったり質問を受けたり、した時にあたふたするんです。
こういう事を生産性が無い。と言うんです。

だから業務の理解納得や目的意識が無い社員は、

経営者の考えを理解しようと努力することは考えたこともないから人間関係のトラブルが生じるんですよ。

そして仕事が、ただ単に、労働と給料の交換所に、職場が、会社が、なってしまっているんですよ。

日々の業務を通じて、社員自身の人間の幅や奥深さや見識の高さを養おうとしよう、

なんて、思ったことも無いんちゃうかなぁ?と感じてしまいます。

自分の人間性と可能性を引き出す場所が、職場なんですよ。会社なんですよ。

仕事をしながら、給料をもらいながら、自身の人間性と可能性を引き出せるという、意識が、

充実を生むんじゃないかなぁと。

だから会社というのは『自身の人格を磨きながら、経済活動をする所』なんです。

人格磨きには、多様なる価値観(自分とは違う考え方)を理解する心の許容量が必要になりますから、

性格は変わらないけど考え方や捉え方や見方は変えることが出来ますからね。

そういう意識を社長が全社員に、真剣に伝え続けるから、

社長から経営者に成れるというのがワシの考えです。

日々の業務を教える時に、人の道が説かれているか、が大事なんです。

あらゆる業務(電話応対・帳簿記入の仕方・商品梱包・システム等々)に、

人の道を説きながら、合意と納得を得れるように、意識して事に当たるんですよ皆さん。

『要は、こういう事』と理解納得できていれば、応用力が身に付いて来るんです。

人生は、応用力。とも言えます。

数々の想定外の問題事も、応用力さえあれば克服出来て来るんですね。

応用力を身に付ける為にも、要は、こういう事やな、という思考習慣を身に付けてほしいと願うものです。

業務には、人の道を。教育には、涙を。

涙の無い指導は、教育に成らないんですね。この『涙』深いでぇ。

行動は好奇心でなく『発心(ほっしん)』でするもの。

発心は、目的が明確であるから、それを目指して行動をするものやからです。

行動するキッカケは、好奇心であって良いんだけど、

そこに目的意識を持たないと行き当たりばったりの人生に成り兼ねない。

遊びでも、仕事でも、何でもいいんだけど、

『何の為にやるのか』

という目的意識が大事やと思います。

ちょっと日頃から、この『何の為に』を、考える心の習慣を身に付けると、

生活が整って来るようになると感じます。

この「ちょっとした差」が天地の差に成るような気がします。

中々、意識した事を、持続させて行くのが、出来ないのが、殆どだと感じますね。

ちょっとした簡単な、毎日の体操や、これを飲むだけなのに、とか続かない。

せっかく買った健康用具も、毎日続かない。

やっぱり、この「何の為にするのか」の意識が、軽いんだろうね。

世間でよくある誰でもがやってる様々な事の続かない習慣というかクセというか。

ワシも、ようありますよ。続かないクセ。

でも振り返ったら、何十年と、毎日続けている事も、あるんですね。

振り返ったら、好きだから、かもね。続いているのは。

続いていない数々の事は、芯から好きじゃないんかもねぇ。

成功する、しないは、この「ちょっとした差」なんだろうね。

仕事でも、そう。

一気に、お客を増やしたい。販売してくれる会社を増やしたい。

いわゆる代理店とか、特約店とか、フランチャイズとか、

一気に増やしたいという気持ちは、分からんでもないですが、

一気に出来てしまうとツケが来るように感じますね。

やっぱり考え方を発信し、理解納得してもらい、

着実にシステムのルールを守ってもらえるよう地道な努力が、

長い目でみて、お互いが気分良く歩めると思う訳です。

『考え方の共有』が先ですよ。

その合意と納得があって初めてビジネスの話を進めるのが、

順序、道、じゃないかと思う訳です。

今、中々自社の顧客が拡大しない。と悩んでいる人も、多いでしょう。

自社の仕事をトコトン深堀りするんです。

お客の潜在ニーズを探るんです。そして、その潜在的なニーズにプレゼンするんです。

そしたら、新たな販路が見えて来ますから。

先ず想像しましょう。イマジネーションですよ。

そして、創造しましょう。クリエイティブです。

想像し、創造するんです。

それしか『手応えのある道』を、拓く方法はないんちゃうかなぁ、と思う訳です。

これからは特に、今までの常識が通用しない時代に成って来ると強く思います。
激変の時代に成って行くんだろうと思う訳です。

だからこそ、自分の生き方にブレが無いよう歩まないと、

いかんと思いますよ、と皆さんに発信します。

『ブレない生き方』のお手本は、天皇陛下の生き方です。

天皇の歩む道つまり、皇道(こうどう)に学ぶ生き方を考えてみてはどうですか、と言いたいと思った次第です。

皇道とは何か、くらい自分で調べてみて下さいね。

分かりやすく言うと、自分が天皇陛下なら、毎日どのような想い、

どのような考えで人生歩むのかを考えてみることで、

視野が変わって来るんじゃないかと感じますね。

自分が天皇陛下だったら、という観点で会社を見る。家庭を見る。

そんなこと思ったことも無かったんじゃないですか?

天皇陛下は、公正無私を貫いているお方で、

365日、国民の幸福のことを願い、祈ってくれている人間なんですね。

あなたはあなたの会社で公正を貫いてますかねぇ?

私欲が強く出ていませんかねぇ?

経営者は、社員の幸福を365日願い、祈っていますかねぇ?

社員の人達は、経営者や他の社員の幸福を、365日願い、祈っていますかねぇ?

先ず意識し続けるからやがて、無意識に身に付いて来るんですよ。

無意識に、こういう事を願い、祈っているのが『まともな親』が、

子を思う気持ちと同じですね。

ということなんです。

人生の、あらゆる問題解決のヒントが、そこに存在するような気がします。

そもそも、人間の問題の大多数には、利害が出て来るところに発生して来るんです。

利害を考え、そして、利害を超える器量があるかどうか、なんですね。

ここ最近のニュースを見ていると、権力金力地位のある、

その組織のトップの、醜い立ち居振舞い。

正に、天皇道の真反対の立ち居振舞いやなぁと感じてしまう。

無様、不様。としか言い様がない。

讃岐(香川県)が生んだ哲人であり覚者であり達人であり、

愛と情を備えた、空海こと弘法大師が、こう言うているんです。

1000人中、998人が、地獄に堕ちる。と。

欲望に生きた人達が、1000人中、998人。

この998人を『凡夫』と言う、と。

我々人間のほとんどが凡夫です。

唯一、凡夫が地獄から抜け出せるのは、こう言うています。

神の願いを自分の願いとして実践したら、心底そういう気持ちに成ったら救われると。
弘法大師は言うているんです。

ということは、我々凡夫でも、神の願いは何なのか、を模索しながら、

実践したら地獄に堕ちずに済むかも知れんということです。

また、この弘法大師に多大な影響を与えた、聖徳太子は、こう言うています。

凡夫ばかりであっても『和』を成せば、そこは『浄土』と成ると。

つまり、現代に置き換えると、凡人ばかりの経営者や社員でも皆で『和』を

作れば、浄土に成るんだと。

和とは、仲良しのことを言うのではありません。

日本古来の本当の意味の和とは、

所属する組織の全体の発展の為に、

一人一人が、自分は何を以て、お役に立つのかを自覚して、

その自覚した事を、自分の特性(長所)を生かして、果たしている状態。

役割分担が為されている状態を、和と言うんですよ。

こういう状態を日本語では『らしく』とも言います。

つまり、和とは、自分らしく生きている状態のことなんです。

決して『自分らしい』と、何でも勝手に出来る『自分勝手』とは、

全く異なるものですから、勘違いせんようにね。

最後に、ワシの好きな武将である楠木正成公の言葉に、こういう言葉を遺しています。

『非理法権天』と。

非道な事は理つまり、道理には勝てない。勝てないとは、世間は認めないということ。

また、道理が通っていても、法には勝てないということです。

いくら道理が通っていても、法が全てに社会正義とは言えないからです。

そして法を守っていても、権力には勝てないというのも、

世間ではよく見られる光景ですね。

最近ニュースの各団体のトップ達の権力。理不尽極まりない感じですが、

しかし、楠木正成公は言うてます!

如何なる権力も、天には勝てない。と。

だから、聖徳太子も、弘法大師も、神=天の願いを学べ。と我々、

凡夫に諭してくれているんです。

我々が地獄に堕ちる事を防ぐ為に。これを愛情と言わず、何と言おうか。

日本人の先哲の教えは有り難いなぁと感じた今週でした。  

あぁ~消してしもうたぁ。

今週のインスピレーションをメモってたのにぃ、

九割方メッセージ書いてたのにぃ。

ウッカリ削除してしもうたぁ。

読み直していて中々、ええメッセージやと思うとったのにぃ。😱

思い出しながら、メッセージ書きます。

それでは今週のを。

経済的成功者が人生の最大のメリットを得る的な風潮が昔からあるけど、

本当にそうやろうかねぇ?

その人の晩年、魂は歓喜するんやろうかねぇ?

人生の成功って、何なんやろう?って、考えたことありますか?

人生のメリットって、何なんやろう?って、考えたことありますか?

たまには、トコトン、自分にとっての成功は何なんやろう。って、

突き詰めてみることをしてみたら、ええのにと思うんだけどね。

資産が何億、何十億、何百億、何千億って、テレビや週刊紙で見るけど、

経済的な成功者という観点で言うと、99%くらいの人達は、

不成功者だと感じます。

そう感じませんか?

事業で上場し個人資産何百億とか何千億っていいんだけど、

そこの社員の給料は?待遇は?どうなん?

その事業体は、30年、40年と高収益で社員の待遇も良好に維持されるんだろうか?って、思ってしまうんよね。

そもそも人間の成功の価値観は、自分なりの『成功』の定義によるんですよ。

人間にとっての成功とは、いったい何なんやろう。って、

人間にとってのメリットって、いったい何なんやろう。って、

一度くらい、トコトン考え抜いてみてはどうでしょうか?

そしたら、結局のところ、自分の夢や志、人生目的に向かって、

どれだけ挑戦したか、努力したか、じゃないかなぁ。

という心境に成って来ると思うんだけどね。

挑戦した不成功者には再挑戦としての新しい輝きが待っているんです。

挑戦を避けたままで、降りてしまった人には新しい人生なんて来ない、

ただ成り行き任せの、虚しい生涯を送ってしまい兼ねないだろうねぇ。

『友達』って言うのも同じ感覚です。

本当に友達って言える人は、自分の心を解放出来る間柄を言うんだと思うんだけどね。

だから自然体で生きてると、縁があれば友達が出来るんです。

無理に友達を作ろうなんて、せんでええと思うんやけどねぇ。

自分の考え、意見を、発信していれば、

それに共感する人も居れば、反発する人も出て来るんです。

縁がハッキリして来るから、自然体で、人間らしく歩んだらええんです。

作為が加わると、ろくなこと無いと思うんだけどね。

自分の心の純粋さを、貫きませんか!

まぁ、ワシは興味ないんだけど、経営者の集まるセミナーが、

巷で沢山開催されているようだけど、

皆、同じように見えてしまったり、感じてしまったり、するのは、ビジネス、利潤追求のみに、専念している感満載であり、

その外の人生はゴルフかマージャンだけ。みたいな。

皆、同じ顔つき、同じ服装。

魂が歓喜する生き方がワシは好きです。

だから、トコトン人間の本質と感じることに一直線です。

自分がやってることが物事の本質かどうかは分からんもんですが、

一度きりの人生、自分に純粋に生き切る。

生き切るんです!

純粋さに、中途半端は無いと感じます。

だから逆に言うと、中途半端な人に、純粋な人は、おらんのちゃうかなぁ。😱

自分が生き方を発信していれば、それに共感するか、反発をされるか、なんですよ。

反発を恐れていては、魂の歓喜は、無いと思うんだけどね。

だから、自分の魂が歓喜する生き方しませんか!

それが、その人にとっての『成功』『メリット』じゃないでしょうかねぇ。

今週は、友人経営者の一人が再婚しました。

開口一番ワシは、こう言いました。

『女房の心一つ、解放させてやれんようじゃいかんでぇ。

社員の心も解放させてやれんでぇ。

心の解放が幸福の原点でもあるからねぇ。』って(笑)。

結婚という漢字は好きじゃないんよね。婚は、女が黄昏(たそがれ)る、

と書く。

女と昏(たそがれ)を合わせた文字です。黄昏って、日没直後って意味やろぅ。つまり、黄昏時です。

今から、夫婦の人生を始めるのに、たそがれたら、いかんやろぅ。

『夫婦の為の生活か、生活の為の夫婦か。』

明らかに、夫婦の為の生活でなかったら、『つまらん』ものに陥ると思うんだけど。

でも世の中は、生活の為の夫婦が多いのか?皆さんは、どう感じますかねぇ?

古来の日本語では、結魂と書くんです。結ぶ魂を結魂と言うんです。

つまり、魂の結び付きの生活を歩むことを、意味してるんやとワシは昔から、思うて来ました。

会社での充実も同じです。

魂の結び付いた者同士で、共に歩むから充実が生まれるんです。

その為に経営者が全員が幸福感じるであろう理念、

つまり何の為に生きるのか、何の為に経営するのか、

を明らかに言葉にしたものを経営理念と言うんですよ。

それを明らかにして、そこに共感してくれる人達だから、魂の結び付きに成って行くんですね。

結ぶ魂でないと、権利と義務の関係、労働と賃金の関係にしか、ならないんです。

つまり、人生が早くも黄昏時になってしまうと思うのです。

黄昏は、日没直後ですよ。

黄昏(たそがれ)たら、いかんのちゃうかなぁ新婚さんが。

そして一緒に働く仲間達が、黄昏たら、情熱なんて湧いて来んでしょう。

人生の輝かしい時期を情熱、元氣、勇氣で、歩むのが健康な職場、会社と言うもんです。

魂の結び付きの関係を考え抜くんですよ。

そしたら、人生の全ての問題事を、解決するヒントが浮かんで来ますから。

ワシは昔から、社員の心が解放出来る職場を創って来たと言っても過言じゃないと言えます。

『心の解放』

ええ言葉やなぁ、と、つくづく思うねぇ。自分の心を解放してますか!?

周囲の人の心を解放させる努力をしていますか!?

職場で例えると、社員一人一人の居場所を作ってやることやと思います。

居場所を作ってやるには、一人一人の特性を見抜く眼が必要です。

これは親が子供に対しても、同じことが言えます。

社長であるあなたは、社員一人一人の居場所を作っていますか?

そもそも、居場所を作ってやりたいと思ったことがあるんでしょうかねぇ、

社長さん?


社員が生き生き働いてくれないと嘆く社長が相談に、たまに来ますが、

ワシは決まって、そう言ってますよ。

社員一人一人の、心の奥底に潜む『光』を見出だす社長自身の人間力が、

居場所作りに必要なんです。

そうしないと社員一人一人の『特性』を発揮させてあげることが、難しいんです。

特性を発揮し、居場所があるから、生き生きと自然体で働けるんですね。

夫婦関係も、社長と社員の関係も、今年開催されたサッカーワールドカップの各々のチームの関係も、です。

特性を発揮させる環境が居場所を作ります。この状態が『健康体』と言うんです。

家庭環境も職場環境もスポーツチームも。

健康体を目指して、先ずは立場が上の者が『あるべき姿』を学んでほしいと

願うものです。

ちなみに、うち(エモーション)は、次回の『社内学校』から、

佐藤一斎の考え方を学ぶ(上に立つ者のあるべき姿)を、付け加えます。

佐藤一斎の解説本は買いません。その解説者の意見に傾く恐れがあるから、

原本を揃えて、先ずは読む。

そして自分なりに考えて、社員皆で、考え方を考えるんです。考え方を考えることを哲学と言うんです。

今大河ドラマで『西郷どん』をやっていますが、西郷隆盛の『南州翁遺訓』の内容は、 佐藤一斎の思想哲学を学んだ事が書かれていますしね。

上に立つ者の、あるべき姿を学ぶから、

本当の『自分らしい』生き方が出来るんじゃないかというのがワシの昔から

無意識に感じて来たものです。

ここ、よく考えてほしいと思っています。

人としての、あるべき姿を学ぶから、本当の自分らしい生き方が出来て来るんだと。

逆に言うと、『自分らしく』生きれてないなぁと感じるんなら、

それは、『人としてのあるべき姿』を、学ぶことをして来なかったからじゃないでしょうか?

そういうことをせんから、いつまで経ってもあなたの心がスッキリせんのちゃうかなぁ。

心は、いつもベストコンディション。

これに尽きます!

自分らしく生きる為の『人としてのあるべき姿』の学びです。