ワシの亡き師匠の講義に『経営者は喜怒哀楽を整えよ』というのがあるんやけどね。

この意味は、決して、喜怒哀楽を出すな、
ということじゃなく、

怒るべき時には目ん玉飛び出るくらい烈火の如く怒れ!

嬉しい時には子供のように無邪気に、供に喜べ。

相手の心中察して、
供に泣いてやれ!

この『何何すべき時に相応しい態度』を純粋に出せる人間でないと経営者じゃないんだと言われてました。

何でもかんでも、喜怒哀楽を出せ、じゃないんです。

相応しい時に、
相応しい純粋な言動が『整える』なんです。

そういう観点と感点で
対人関係を接することが大切やなぁと思う訳です。

皆さん、よぉに振り返ってみてね。
他人事じゃなく自分事として。

中小零細企業経営者は銀行との関係は切っても切れない仲かも知れんもんです。

そういう観点で言うと

銀行のトップや中間管理職の任に在る人達の言動を見聞きするにつけ、こういう感情が湧いて来るんです。

銀行が金貸しに陥っているから決算書の数値や不動産担保でしか、融資判断をしないから過ちを犯すし、銀行員自身も、やり甲斐や、生き甲斐を感じないんだとワシは昔から言うて来ました。

銀行が金貸しに陥っては、いかんのです!

陥ってますけどね(笑)

単なる金貸しに陥っているから、多額の不良債権を出してしまうんですね。

銀行員自身も、仕事にやり甲斐や生き甲斐を感じないまま毎日を過ごしているんじゃないかなぁ、と感じているんですねワシは。

そもそも、得意先企業に、興味を持たない。

その経営者の、経営に対するものの考え方に関心を持たない。

その会社の社員の人間性に関心を持たない。

事業の着実性と収益性と持続性と発展性に関心を持とうとしない。

決算書しか、見ない。

人間洞察力が、無い。

これが大いなる原因だとワシは強く言うとります。

そもそも決算書の数値しか見ずに融資するから、その会社の『運』を洞察出来んのよ。


この『運』を洞察する観点が香川湧慈独特の思考なんよね。

何十年も決算書の数値は、銀行から見ると、そんなに良くないし、財産も資産も無いに等しいのに、商売が継続していて、そこで働く人達は生き生きしている会社ってあるんですよ。

これは、決算書に表れて来ないんですよ。

全て決算書に表れるって言うとるコンサルタントが居ますが、理屈なんですハッキリ言うて。

偉そ気に言うな!(笑)

血が通った経営を分からんのですよ。

ワシは、そういう理屈だけ人間、ご都合主義人間は、一番好かんのです。生理的に嫌なんです!
ハッキリ言うて。

ワシはこう思います。

決算書内容は銀行から見て、そんなに良くない、資産や財産ゼロに近い状況が、何十年も続いているのに、継続している事実がある。

しかも、そこの社員の待遇は世間より良い。

あるんですよ皆さん!

まぁ、うちもその一つですが(笑)

それは、経営者の人望に尽きるんです。
これはワシが自分で言うとるんじゃないんですよ。

うちの亡き師匠が、
言うて来たことを言うとるんです。

『それはなぁ、一言で言うと、経営者の人望に尽きるんじゃ!』って。

『規模が数百人であれば、経営者とその会社の幹部の人望なんだ』
と。

これを感じる洞察力が欠如しているんですね銀行トップと中間管理職の任に在る人達は。


金貸しに陥っているからです。

銀行の存在意義目的は何やと思うとるんでしょうかねぇ?

それは地域の『誠実でヤル氣があり、温かさを感じる会社』を伴走支援することに尽きるんです。

資金面で支援しながら
経営のアドバイスが出来るようなパートナーに成って行かないといかんのです。

誠実さを感じない、
人間としての温かさを感じないような会社に

決算書の内容が良いからという判断で金貸しするから、

ダメなんよ。

伴走とは文字通り
『供に走る』という事です。

つまり得意先の経営を意氣に感じながら供に取り組むということです。
✳意氣に感じないなら要注意ですよ。
いくら数値が良好に見えても。

意氣に感じる為には、その会社の経営者や、社員の考え方や人間性と事業のことを、根掘り葉掘り、聴きに行く行動を中間管理職の任に在る人達が普通するけどなぁ。

せえへんのよねぇ多くは。

ごく稀には、居ますけど、そういう人は。

担当渉外係りだけに行かして。

自分が行かしとるくせに、ワシの言う観点を担当渉外係りから事情聴取もせえへんと杓子定規な判断に留まっているんです。

そもそも銀行の本来の仕事は、その得意先の資金をショートさせないよう常に支援しながら、血を通わす活動をすること。なんです。

これが『伴走支援』
なんです。

本当の『保全』って、そういう実践なんですよ。

その会社の『運』を洞察する力を養うことが結果的に銀行の保全につながるんですよ。


これが銀行の本来の道であり、使命なんですね。

そこに銀行員も、
やり甲斐や生き甲斐を感じるはずなんですよ人として。

ということをワシは縁ある銀行員に直接よく言って来たんですよ。

ホンマに(笑)

こんなこと言う経営者あんまり、おらんらしいですけどね。

でも、多くの銀行のトップと中間管理職の任に在る人達に、この考えが欠如しているとしか思えませんねぇ。

案外、直接担当している渉外係りには、この観点のある人達時々いますけどね。

その上司が保身の塊、理屈人間やから、
志ある渉外係りが埋もれて行くんです。

政治家も同じやなぁ。

志ある新人政治家が、保身の塊の政治家達に囲まれているうちに、

やがて垢まみれになり汚れが気にならないように段々なって行くのと同じなんですよ。


現在の金融庁の方針は銀行に対して強く発信していますよ。

昔と180度変わりましたね。

こう強く発信しています。

『伴走支援せよ!』
『伴走支援する為の、対話を得意先企業とせよ!』
『得意先企業をもっと見なさい!』と。

そうしないと、日本の社会が活性化しないとお上(金融庁トップ)は考えているんじゃないかなぁ。

人間として醜いなぁと感じる『保身』の言動が、ワシは一番嫌なんです。

自分の本来の使命を、考えたこともないんじゃないかと感じてしまう言動を見るにつけ吐き気さえ催すことがありますね。

ワシが『必殺仕事人』や『破れ傘刀舟』になってやろうか(笑)と思うことは、ありますよ正直。

昭和の人なら、分かるでしょ。

藤田まこと演ずる
必殺仕事人中村主水(ナカムラモンド)

『てめえら人間じゃねえ叩き斬ってやる!』

の名台詞の萬屋錦之助演ずる破れ傘刀舟(ヤブレガサトウシュウ)

気分良かったなぁ、
この二つのテレビ見る度に、ね。

もう一瞬にして気分がスッキリ!

エネルギーが湧いて来たよね。

理屈しか言わない、
理屈しか思わない、
保身の言動をする人達を見るにつけ、

中村主水や破れ傘刀舟に成りたい!と思うこと、ありますよ。

必殺仕事人や破れ傘刀舟に依頼する町人じゃなくてやねぇ、ワシが必殺仕事人や破れ傘刀舟に成りたいと思うんですよ。

過激でしょうかねぇ?(笑)

令和の時代、
多くの銀行が倒産すると思います。

倒産しそうな銀行は、吸収されて行き、銀行員は数万人単位でリストラされるやろうねえ。ホンマに。

今、自分の仕事を意氣に感じて、自分の『心が踊る』仕事をやっていない人達は、

淋しい人生老後が待っていると感じるんだけどねぇ。

大いなる『自業自得』なんだから。

血の通った日常を自らの努力で歩まないと、

血の通った人生や老後に成るか、成らないか自分の因縁を作っているんですよ。

と声を大にして言うとるんですワシは。

会社を起こして10年以内に倒産廃業する会社が90数%らしいんですね現在は。

10年継続している会社はわずか数%しか残ってないらしいですよ。
統計的に見ると。

ワシは昭和63年4月に独立して現在に至りますから、丸31年継続しとる計算になります。


今年起業32年目です。
愛するルイボスティー
は35年目ですが。

社員と『苦楽共有』して来た証しですよ。

血の通った経営をして来た証しですよ。

これは自信持って言えますよ。ホンマに。

まぁ、ワシが知る限り決算書の数値が良い所の多くは、

社員(パート社員含みますよ)の安月給の上に成り立っているんですよ。

そんな状態で、うちは何十年商売やっています。内部留保、数億あります、って?

つまらん!じゃないですか、社員を扱(コ)き使って自分だけ儲けての、長く続いているだけの会社なんて。

お前は経営者として、恥ずかしくないんか!
(CM の、お前に愛はあるんか!と同じです)

と言いたいですね。

その会社の社員の給料や福利厚生の総額と、

その会社の年間粗利額を鑑みることをしない銀行中間管理職の多いこと。

売上を重視し、粗利額を軽視している銀行の中間管理職の任にある人達、多いですよ。


辟易しますね。
そういう連中に。

バカじゃないのか、
アホじゃないのか、と感じる経営者は、ワシだけでしょうか?

このメッセージ読んでる経営者の皆さん!
そう感じませんか?

銀行から見て決算内容が良くない数値でも、

その会社の人間性と、社会性と科学性のバランスと高さを見抜かないと、いかんのよ。


多くの業績至上主義の会社は、決算書の数値は良いけど、

人間性と社会性に投資する感覚が無いんだとしか思えませんね。

科学性は利益を上げる為の事業の構築のことです。

当然や、そんなこと。

偏っている業績至上主義の会社、ホンマに多いよぉ~。

バランスと、その高さに挑戦せな、生きている意味が無いのにね。

多額の会社内部留保金を貯めていても、

人間性と社会性のバランスと高さに投資していない会社は、

つまらん!会社です。

昔ワシは中小零細企業を支援している、まぁコンサルタントの人に学んだことがありますよ。

その人言ってました。

『香川さん日本の銀行だけですよ。保証人制度があるのは。
日本以外の国々の銀行は、完全にプロジェクト融資ですから。』って。

だから、融資をしようとしている相手先企業を確り『観る』んだと思う訳です。

例えば銀行の一支店で年商1億以内の会社なら、千はあるんじゃないかなぁと思います。


その数多ある零細企業に、その会社の年間粗利額まで伴走支援すれば、

わずか一支店で、おそらく300億の融資実行でき、3億の安定収益を上げ続けることが出来ると思うんです。

一支店だから14~15名でしょ銀行員数は。

年間3億の安定収益をその人数で上げられるなら、しかも、銀行の本業務で。

一般会社に置き換えると、充分ですよホンマに。

不良債権にはならんですよ、その小さい規模の会社に融資し、その会社が人間性と社会性と科学性のバランスと、その高さに挑戦している会社なら。

個人の人間関係も同じと思うなぁ。

人間洞察力を磨いていく習慣が、結局自己を防衛することにつながるし、

自分の心が穏やかに成れ、喜怒哀楽を整えることにつながるんだと思えて来るんだけどねぇ。

その一つの方法として本物思考の人物と日頃から付き合うことは、
大事ですよ。

単に、お付き合いだからと安易に誰彼と付き合うから、

あなたの心が疲弊するんです。

心が疲れるんなら、
何で付き合うの?

ワシはあり得ません。

あなたも自業自得なんだから、と言いたかった今週でした。

ついつい言いたい事が出るわ、出るわで長くなってしまいました。  

『健康管理は、人生の仕事のうち』身体の手入れは定期的に。が大事。

言うときますが決して健康オタクということじゃ、ないんですよ。

健康オタクは、元氣に長生きは出来ない感じがするんです。

ワシが言いたいのは、自分が『これ』と思う身体の手入れは、

自分の経済が継続的に可能な範囲で、定期的に実施することが、

実は、身体が記憶してくれるんですよ。

疲れたから、利用するんじゃ、ほんまはいかんのです。

『この、お手入れ』は続けたいと思ったものは、

自分の経済に合わせて定期的に継続して行く行動が、大事なんだと言いたいのです。

ワシは31年来の友人が『脳と脛椎への氣功調整(頭蓋仙骨手技療法とクラニオセイクラル手技療法を合わせた独自手技療法)』

を実施する療術師なんですが、

毎週定期的に夫婦で、長年に亘って、身体の手入れに通っているんですよ。

また福利厚生として、うちの社員達にも月に三回は、会社負担で通わせています。

なぜ、一ヶ月は4週又は5週あるのに、月に三回なのか、

うちの経営指針書の『給料』の項目に明記しているからです。

『健康管理と自己啓発に身銭を投資し続ける習慣を身に付けなければ、

利益が上がっても給料は上げないというのがエモーション流』

とハッキリ書いているからです。

自分で自主的に、健康管理と自己啓発をしている人間であり続けてほしいという、ワシの願いなんです。

社員が身体の手入れを毎週定期的に長年に亘って実践することが社員自身の

幸福につながるという信念なんですね、ワシは。

自分の身体の手入れを自主的に、定期的にやっている人は、

健気(けなげ)な人やと思うのです。

特に女性の『健気な努力』をしている姿は、美しいもんです。

仕事も同じです。

人間は、健気な努力をしている姿が、自分と周囲の人達の心を浄化させて行くものです。

仕事の能力がやや乏しくとも、本人の健気な努力が大事なんです。

健気な努力をしている人は、心の純粋さを失っていない証拠やと思うとるんです。

あなたも、自分の心の純粋さを維持したいなら、

健康管理と自己啓発に身銭投資し続ける健気な努力を!

逆を言うと自身の健康管理と自己啓発に身銭を使わないような人や関心の薄い人は、

やっぱり、運が遠退くような気がするなぁ。と感じます。

今まで色々な人を見て来て感じるんですよ。自分の仕事をガムシャラにやっているのに、

健康管理の定期的手入れと自己啓発の定期的学びに関心の薄い人は努力が報われないような気がするんです。

限られた自身の収入の使う配分を年間で考えてみてはどうですか?

と言いたいなぁと思った今週でした。  

『品格』の感じられない企業が東証一部上場に成っては、いかんと思うんやけどねぇ。

大昔は、東証一部上場企業というのは利益だけでなく、品格が要求されていたように感じているんです。

ある時から、上場基準が、品格の乏しいものに堕ちたように感じてしまう現在の東証一部上場企業の数々。

やっぱり相撲道で言う横綱のような力と品格を兼ね備えた企業だけが、

東証一部上場企業でなければ、いかんと思うんです。

そもそも上場する会社の目的は資金調達やと思うんです。

株を買ってくれる事で何百億、何千億という資金調達が出来る訳で、

借入による資金調達ではないから支払い義務はない金やからねぇ。

借入による資金調達だと、赤字であっても、返済元金は勿論、利息払わなならんしねぇ。

上場して数百億円という返さなくていい多額の資金を活用して、

描いた事業が出来るから面白いし、上場する意味があるんです。

描いた事業をどうしてもやり遂げる為には、

数百人あるいは数千人という社員数と数百億数千億という、潤沢な資金が必要なんだ。

という経営者が上場を目指すべきなんです。

そうなると、常に良い意味のプレッシャーは『常態』になって来ます。

常に株主の眼が気になるもんやし、自浄作用も働くもんです。

恥ずかしくない生き方や仕事のやり方をするもんです。

自然と品格が問われて来るもんです。

なのに、いつからか、かつて品格があった、東証一部上場企業が、

落ちぶれたなぁと感じる企業が増えているんじゃないかと思われて仕方ないんですね。

またベンチャー企業と言われる社長の中で、

利益だけ上げているからとか、中には赤字なのにビジネスモデルが発展性を

感じるからというだけで、

上場する会社が、この20年で増えたなぁと感じるし、上場基準が大昔に比べ下がっている感あり、です。

『品格基準』というものも、上場基準に入れてほしいもんですね。

品格を感じない、上場した社長というのは、

多額の上場益だけを得ることが目的で、自分が事業を継続するんだということは、眼中に有るとは思え無く、

その事業と社員を譲渡している創業社長達も居ると感じます。

全く以て、品性を感じないマネーゲームに陥っている感があります。

事業だけを売却するんならまだ分かるけど、

当然社員も居る訳やから、社員も譲渡してしまうことになっているのが、

ワシは好きじゃないんです。

大昔の一部上場企業の経営者には、人生哲学(人生観・社会観・価値基準の確立)を確り持っていたと感じますね。

またその人生哲学が、幹部社員から末端社員にまで流れていたと感じます。

経営者自身が社員達に『人の道を諭して』いたんですよ。

出光興産出光社主、松下電器幸之助社長、ソニー井深会長、盛田社長、

東芝土光社長、本田技研(ホンダ)本田社長、東洋工業(マツダ)松田社長、

人生哲学、経営哲学が貫かれていたと感じますね。

横綱のような力と品格を備えているなぁと、思える企業だけを東証一部に、

上場さすべきやとホンマに思いますワシはね。

そもそも、組織を考える場合『良いもの』を作ろうと考えるんですが、

『良いもの』の基準がお互いに異なるから、一概に『良いもの』とはこれだ!と言えないんですね。

だから『今、間に合うもの』を作るべきなんです。

人間も社員も、仕事も『間に合うこと』が、大事なんです。

間に合わない人間は、いくら何を言っても、言い訳になるんです。モノに成らんのです。

何ぼ儲けていても、間に合わないんでは、ダメなんです。

また、月末の支払いをちゃんとして残高がスッカラカンになっていたとしても『間に合って』いれば、OKなんです。

他者に迷惑を掛けずに済んでいるんだから。

また教養の高い人ほど理想を追い勝ちなんですが、理想の形態というのは現実には無いものなんですよ。

理想の形態というものは無い。だから、絶えず理想を求めて動くことが大事なんです。

人の修行も、会社組織も、己れの不完全さに自ら鞭打って、完全を追い続ける。

いつの時も、初心に返り一歩一歩進めて行くことが大切なんです。

要するに『いつも、これから』なんです。

人間とは『これからです!』という決意のある間は、前進するもんです。

だから、皆さん!『いつも、これから』『これからです!』と決意しましょう。

本物の人間に成りたいのならね(笑)

そして、東証一部上場企業には、会社としての『お手本』を目指してほしいもんです。

『上場する』とはそういうものやと、ワシは言いたいんですよ。

上場していない会社も『それぞれの立場』で、同じ規模の会社の『お手本』を目指さないかんのです。

だからワシは、日本の零細企業のモデル、つまり『お手本』を、目指しているんです。

何事も『目指す』ということが、人として、組織として、幸福や、

充実した人生の『源』に成るんだ!と皆さんに訴えたいんです。 

 

今週は長くなりましたが、お付き合いを。

新聞に、こんな見出しが大々的に載った今週

『深刻さ増す人手不足・働き手過去最低』
ワシは昔から言うてますが『人手』という呼び方や書き方が好かんのです。

人手という言い方には人の道が感じられないし、

何かしら人を雇うオーナー自身の金儲けの道具のような感覚を受けるから、

好かんのです。

また『従業員』という言い方も好かんのよ。『業に従事る人』には変わりないんだけど、

『業務だけ』ちゃんとしてたら良い。というニュアンスが強く感じるんよね。

当然、業務は優先するのは当たり前です。

朝、起きたら「おはよう」昼、出会ったら「こんにちは」

夜、寝る前には「おやすみ」
等々、当たり前のことと同じ感覚やから。

ことさら『当たり前』のことをあんまり声高に言うのは好かんのです。

会社に働きに来ている人達は、雇用形態が、

フルタイムであろうとパートタイムであろうと、短期のアルバイトであろうと、その会社の一員なんやから『社員』という言い方、呼び方、書き方をしてほしいと昔から思うて来ましたワシはね。

少子高齢化と言われて何年?十年、二十年?これまたワシは対策案を発信して来ました。

まぁ、ワシの話を聞いたことある人しか、知らんけどね(笑)

10人未満の5~6人所帯の起業を、どんどんせえ!と。

理由は色々ですが、比較的多くの人達が、維持しやすい規模だからね5~6人なら。

10人未満の社員でやり甲斐があり心地好く儲けの継続性がある事業をしたら、ええのよ。

そうそう多くの起業した人達が数百人規模の会社経営には成らんでしょうに。

また、その規模だと心地好く維持発展出来る会社は比率的に激減じゃないかなぁとね。

比較的起業して維持しやすい5~6人規模の起業家が増えて、数百万社出来れば、

その5~6倍の雇用(数千万人)が図れるし、その規模なら、経営者が確り勉強し、

心温かい会社を創って行きながら、この規模で継続的に儲かる事業の構築をして行けば、

持続可能な社会が形成されて行くのに。と思うんですがね。

また、この規模なら、人手不足にはならんへんと思うんです。

あと、5~6人規模なら社長一人の営業力で、皆の給料は稼ぐ力がないといけませんよ。

そして高齢者と呼ばれる人達も、働いて所得税を払っている人達には年金満額支払いして
(働いて収入があると年金減額される政策がおかしいと思うんよ)

身体の都合で働きたくても働けない人達を除いてが原則ですが、

年金もらえる年齢になっても、働ける身体なのに、働かず所得税を納めない人達には、 財源がホンマに無いなら、年金減額したらええのよ、と。

終身現役の人生が人間の幸福やと思っているからです。

隠居なんてしてると、細胞が急激に老化するで、ってワシは昔から言うて来たんです。

数百万人?数千万人?と言われる、高齢者達が働いて所得税を納めていれば、

消費税2%もあれば、充分だと感じるし、

働いていれば、ボケの防止や医療費大幅削減(年金財源に成るしね)にも、

つながると思うんやけどねぇ。

一社で数十人、数百人の規模を追うから、

いつしか、業績のみに囚われて、起業した時の使命感を忘れてしまい、

社内環境が『人間性豊かなもの』には成って行かん会社も多いなぁと感じておるんです。

そして、経営者自身が全ての社員に使命感を感じさせることが出来なくなるんです。

経営者自身の息吹を感じさせられなくなると『会社の魂』が薄まって行くんですよ。

『会社の魂』が薄まって行くから社員のうつ病が出て来るんです。
(零細規模で職場環境が原因で社員がうつ病になってしまうって無いんちゃうかなぁ。)

ワシは、これ(会社の魂が薄まること)が、一番のネックだと思うとるんです。

また、多額の毎月毎月の経費や給料を稼ぎ続けないと成り立たないから、

数年は出来ていても、そのビジネスモデルに陰りが見えて来ると、やがて焦りの事業や、歪んだ社内環境を作ってしまうんだと感じておるんです。

息切れしているんじゃないかと感じてしまう大人数の会社も、ようけありますよ、ほんまに。

また、どんどん市場のパイが小さくなっても5~6人規模の仕事が、無くなることは無いと思うんだけどねぇ。

5~6人規模の勉強熱心で人間関係良好な会社なら、フルタイム社員一人当たりの粗利額が年間1000万円は、継続的に稼ぎ出そうと一致団結し、社内環境を整えて(残業なし、年間休日130日、給料と、福利厚生を時給に換算して2400円~3400円で人間関係良好)
行くことは可能やと思う訳です。

適材適所が継続できる業態だと思っているんです、零細規模は。

零細規模で、人間関係が上手く行っていないとか、適材適所になっていないとか、継続的に儲けて行ける事業構想を描いてチャレンジ出来ていないなら、

それはその会社の社長が、不勉強なんです。

だから社長にはなれても、経営者には成れないんですよ。

経営者は365日勉強し365日とは言わないまでも、常に社員の人生を考えてしまう人種なんやけどねぇ、ホンマは。

だから零細企業経営者こそ、365日人間学を勉強せえ!

労働集約型でないビジネスデザインを描け!と言うて来ました。

零細企業こそ言い値が通る商売をせな、おもろないやろ、って。

零細企業だから、上記に書いた内容の会社が可能に成る可能性が、高いんだと言うとるのです。

零細企業なら社員一人の責任は大きくなるから、自ずと責任感が身に付きやすいんです。

何千人、何万人の会社は責任も何千分の一、何万分の一やからね。

決意も強くなりやすいんですよ零細規模は。

決意が責任感を生み、責任感が方法を生むんです。

だから、人間としての成長もしやすいのが、零細規模なんです。

これが数百人規模で例えば百人のフルタイム社員だと、

社員一人当たり年間1000万円の粗利額だと年間10億円の粗利額だからねぇ。

こりゃ中々皆が皆は、5~6人規模の会社に比べると、達成する数は激減じゃないかなぁと感じるのよ。

別に、大所帯の会社を否定してるんじゃないんです。

使命を果たすのに、その大人数が必要で、そこで働く社員達が、適材適所を継続できていて、経営者の考えに共感できているなら、大いにOKです。

そして、社員の安月給で成り立っている利益なら、そりゃつまらんのです。

数百人、数千人の社員全員が全員がですよ。

給料と福利厚生を時給に換算したら少なくとも2400円~3400円になっていて、会社の利益を出してほしいもんですね大人数の会社には。

だから『人手不足』と言うな!と言うとるんです。

使命感の無い社長が、規模を大きくしてはいかんと思うのはワシだけでしょうか?

人間性豊かで、科学性と社会性のバランスと高さを備えている、

大人数の会社の経営者は人手不足なんて言わないもんですよ。

だいたい人手不足と言うている大人数の会社は、パート・アルバイト募集をしょっちゅうやってますよね。

学生のアルバイトだったら、卒業を機に辞めてしまうのは分かるけど、

学生じゃない人達が辞めているのは、社内環境に、居心地が悪い何かが存在していると、言えるんじゃないかなぁ。

経営者と社員の双方に愛と情と経済と自己啓発がバランス良く存在していれば、辞めないと思うんだけどねぇ。

また、飽く無き拡大をやっていると、そりゃ社員の人数が必要にはなってしまうよね。

最終到達形を決めていないから、拡大を追ってしまうのか?

拡大をガムシャラに追い続けて、知らず知らずに、膨張企業に陥っている、

大人数の会社も、ようけあるんちゃうかなぁ。

『最終到達形』つまりどんな人生で終わりを迎えたいのか、という人生観、

死生観を経営者が持つことは、社員の為に大事なことやと思いますよ。

世の中に、もっと零細企業の起業家が数百万人と増えてほしいもんです。

で、経営者が人間性と科学性(事業の構築能力)と、社会性のバランスと、

高さを備えた人物に成って行くと、

そこで働く社員達は、体調の健康と心の健康と経済の健康と家庭の健康と仕事の健康を、 全て手に入れることが可能に成るんだという信念で、ワシは起業を志した35年前、22歳の時から縁ある人達に、発信して来たんですよ。

(文章にした証拠ありますから笑)

自分らしく、自分に出来る日本国家に役立つ道だと胸に秘めて来ました。

だから神棚の前では、そのことのみ、宣言しているんです、何十年も毎日ね。

祈りは「意宣(イノ)り」なんよね。

皆さんは、神棚や神社で何を意宜(イノ)っているんでしょうかねぇ?(笑)

あなたの、その『意宣り』神様から見て、叶えてやりたいと思う内容でしょうか?

あなたとあなたの家族や親戚だけが恩恵を受ける我欲が強いものなら、

果たして、神様が応援してくれますかねえ?と考えてみて下さい。

人手不足の新聞見出しから、神への意宣りになってしまいました。

多くの、中小零細企業経営者や、個人商売をしている人は、正直なところ、

その会社その商店なりに経済的にはギリギリでやっているのが実情でしょう。

周囲から見て、羽振り良さそうに見えていても、内情はそうでもない会社、

個人商売人は多いと思います。

年商が数億、数十億であっても案外ギリギリ経営っていうのは多いと思います。

数十億規模を売り上げる会社は、だいたいが大所帯だから、

多額の経費と大勢の社員の給料を毎月毎月捻出し続けないといけないんだから大変やと思う訳です。

『本業』そして自分の足元が最も厳しい現実なんです。

その最も厳しい現実から出発しないと、本物には成れないと思うとるんですよ。

人間、一生の内にやれる事は、たかが知れていると思う訳です。

大事なことは、自分に与えられた仕事を通じて、

如何に縁ある人達を『仕合わせ』にするか、だと思うのです。

『幸福=仕合わせ』と呼びます。

仕とは、為すこと。

為すことを合わせている状態が人間の幸福と言うことやと思っているんですよワシは。

中島みゆきの『糸』の歌詞に『♪♪人は仕合わせと呼びます🎵🎵』とありましたが、

あぁ~、ワシが言うとることと一緒やぁ、と思いましたね。

今の足元を受け入れることから始めない限り『天職』には成らないと思っています。

天職とは、生涯懸けて自らが作り上げて行くものやと思うのです。

為すことを合わせて行く努力。

それが幸福を感じられる道やと思います。

うちの社員達は社長のワシから見ると皆天職に成っていると思いますね。

社員達は天職だと感じているかどうか分かりませんが、よくよく、自分自身を振り返ってみたら、

そう感じるんじゃないかなぁ、と思うとります。

今、ほんまにギリッギリッな人へメッセージします。

『より崇高な』出会いを模索してみたらどうでしょうか。

ワシも一番しんどかった時期(今振り返っても、どうやって乗り切って来たか思い出せないんだけど)

出逢いがありました。宮城谷昌光著『歴史の活力』という単行本の最初の方に孟子の言葉を書いていました。

読んだ瞬間『あぁ~っそうかぁ~!!』と、項垂(うなだ)れましたね。

唸りましたね。

感動とかそういう言葉じゃ表せないですね。本当に芯から腑に落ちた瞬間って。

また、あの孟子の言葉は、ほんまにしんどい状況、ギリッギリッの状況の時に読まないとたぶん心に衝撃は来ないやろうね。

で、読んだ後、沸々とパワーが湧いて来たのだけは覚えてるね。✨

だから、ギリッギリッじゃない人や、まぁまぁ順調な時には読んでも

「あぁ、そうなんや」くらいにしか感じないと思いますね。
理屈でしか捉えられないんですよ普通の人達は。

心に衝撃を受けた言葉に出会うと、自分からは言葉が出ないもんですよ。

あ、話を戻します。『仕合わせ』について社会生活で言うなら、

自覚のある役割分担が仕合わせに成るんですよ。

指で例えるなら、

五本の指が、それぞれ違う機能を役割分担しているから『手』としての機能が発揮されるんですね。

たぶん、親指は小指に成りたいとか、人差し指は中指に成りたいとか思っていないと思うんだよね。

野球に例えると、

野球少年なら誰しも、四番でピッチャーというスタンスを望むと思うんだけど、

『仲良しチーム』が目的なら、順番に四番でピッチャーを皆がやれば、仲良しチームは達成できるけど、

甲子園出場甲子園優勝が目的なら、

メンバーそれぞれが、得意分野を役割分担して自分のポジションを一所懸命に役割を果たすことで、

自覚のある役割分担が為されるから、幸福感を味わえるんです。

人間社会も、自分達の指のように、自覚した人達で溢れたら、

仕合わせ=幸福感を味わえるのに、と思うんやけどねぇ。

そういう自覚をそっちのけで『運』を良くしたいと多くの人達が思っているのが、間違いの始まりやなぁと思う訳です。

そもそも、運を良くしようと思えば結局、心を養わなければならないんですよ。

心を養うということは学問をすることなんですね。

従って、本当の学問をすれば人相も良くなり運も良くなる。

全てが良くなって来るんだと感じるんです。

運も相も結局は、学問に他ならない。

学問を修養すれば、自ずから良くなるんです。

だから、昔から本物の人物は、運や相の大事なことは知っているけれども、

敢えてそれを説かなかったんです。

「あんたの人相はどうだとか、あんたの運命はどうだ。とか」

こんなことは、本物の人物は言わない。

本当の人間の運命というのは、人間学つまり聖賢(聖者とか賢者)の学問を一所懸命修めて行くと、

自然に一皮剥け、二皮剥けて変わって行くもんやと思うのです。

自分の知らないうちに運命も人相も変わって行く。

それが学問の本質やと思うなぁ。真の学びは人間の運命も変えて行くんだと、思って下さい。

だから、皆さん。

古来から続いている、『人間学の学問』を学ぶ習慣を身に付けて行きませんか。

そういう行為が本当の仕合わせやと思っているので、うち(エモーション)では、時間と予算を組んで実践しているんです。

ワシを含め、社員全員の幸福=仕合わせの為に。





ワシの人生を導いてくれている(今もあの世の世界から導いてくれている実感ありなんですが)師匠の言葉に、

『無心とは』の項目を説明している学術団体設立趣意書を見つけたんです。

昭和29年のものです。

うちの師匠は昭和3年生まれでしたから26歳にして、こういう深い哲学を述べているのかと感じた次第です。

師匠は昭和23年二十歳の時に水だけで、百日断食を成し遂げ、

禅の修行で最も厳しい臨済禅の修行を完遂した禅坊主で哲学者であり、

歴史学者でした。
師匠が主催する学術団体の第一回目の新聞(A3サイズ)で4ページにも及ぶ内容の中に『無心とは』の項目を見つけました。

こう書かれています。

『無心とは四方八方に氣を配りながら、充分意識を働かせ、

しかも何処にも止まらないことを言い、天地に満ちふさがる様な充実感を

以て、何ものにも囚われず拘(こだわ)らず、さらさらと水の自由に流され行く心を無心と言うのである。そこには、不安も恐怖心もない安心の境である。』と。

これを読んでワシは、気付きました。

気付いたというか、悟ったと言う表現の方が理解してもらいやすいかなぁと感じます。

どういうことかと言うと、

人間の究極の姿やなぁとビビビッと来たんです。

そして、なぜ会社を起業した時から、日本に於ける理想の零細企業を目指して来たのか、を悟ったと言う訳です。

理屈を言えば、理想の零細企業を目指した理由は色々ありますが、

一言で言うならば、

社員全員がこの定義の『無心』の状態で人生を歩める人間に成れるよう導いて行きたい。 という想いで、会社を作ったなぁと言い表せるんですよ、

この師匠の『無心』の定義を読んだら。

それを悟ったという感じでした。

『四方八方に氣を配りながら』というのは、同じ氣を遣うことでも相手の反応によって、 気疲れするんだったらそれは氣を配っているんじゃないんです。

相手に気遣いしても、相手が自分の思うような反応にならなかったとしても、

全然気は疲れない心なんだよね、氣を配っている状態というのはね。

だから、ワシは昔から気は使うな氣は配れ。と言うて来ました。

このメッセージ読んでくれている人の中にもワシが、このことをよう言うてるのを聞いた事あるでしょ?

『充分意識を働かせていて、しかも自分の心は充実感に溢れていて何ものにも囚われず、 拘(こだわ)らず、さらさらと水の流れの如く自由な心の状態』で、人生を歩める社員達に成れるよう導いて行きたいと願っているんですよ。

この『無心』の人間性を身に付けるというのは人間の究極のテーマやと感じるし、当に生涯懸けて値する人間像やなぁと思えるんですワシは。

うちの社員全員と女房とが『無心』で人生を歩める人間性を身に付けるられるよう導いて行ける『人生経営者』を目指す。と志しているんです。

それを身に付ける為に職場や仕事が存在しているんだという意識を更に強めたという訳です。

こういう願い、想いというのは、どこの親でも我が子を思い、子の立派に成長する事のみを願うというごく自然な心情じゃないかと思うんです。

そのことの自覚を深めさせられた『無心の定義』を発見した思いでした。

師匠は26歳にして、このように定義してたのかぁ~って。

そのことを今週、先ず言いたいと思った次第です。

その実践で大事な言動を、って考えたら、やっぱり自分の言動で他者の心が

響くかどうかだと思うのです。

『響く』ということ。

色々な人の話を聞く事がありますが、中々、心に響くことは少ないですねぇ。

何かに本氣で取り組んで来た人の実話で且つ人の道や生き様に粋さを感じるものは、響くなぁ。

その人の話し方じゃないんだよねぇ。

話し方って言うのは、その人のキャラクターによって様々だから。

ワシみたいにエネルギッシュに話すクセの人も居れば、

穏やかに話すクセの人も居ます。

その人の本心、本音、取り組んでいる事への本氣度が充満している人の実話で且つ人の道が感じられるものや、粋さが感じられるものは、

話し方がどうであれ、響くもんです。

あなたの言動は他者の心に響いていますか?

それには、あなたが『響く生き方』を実践してないと、響かんわなぁ。と感じます。

経済活動をしないと、生活はして行けませんが、その経済活動に、人の道が流れているから、またあなたの行為に『粋』を感じるから、心に響くんじゃないかと感じます。

そう考えるとキーワードは『人の道と粋さ』だと言えるなぁと感じた今週でした。









何でもかんでもテレビで放映するから、

人間の本質を考えようとしたことのない人達の『自分勝手』を増長させてしまっている感あり、です。

情報を公開して社会に役立つものと、そんなん公開するから、

社会が余計乱れると感じる情報もありますね。

全く放映する側の人間の、物事の判断基準、区別が出来ていないと思う訳です。

あなたは、何事も区別が出来ているでしょうか?

区別が出来るっちゅう事は、判断基準を確り持っているということです。

そうやろぅ。

自分が物事の善し悪しの判断基準を持っているから、区別が出来るんよね。

人間は、誰しも有意義に生きる為に、自分の『人生観』『社会観』

『価値基準』を確り持つ事が大事なんです。

また、それらを持つ為の勉強をせな、いつまで経っても、自分らしく歩めないと感じますよ。

誰やって、自分らしく歩みたいんと違う?

何で『自分らしく』をもっと内観せんのかなぁ?したら、ええのに。

まぁ『らしく』の定義も分かっていないと、内観の仕様がないわなねぇ。

『らしく』と『自分勝手』は、全く異なるものやからね、言うとくけど。

『全体の中の自分の位置を客観的に認識し、時と処と立場に相応しい判断と

行動が出来ている状態』なんよね。

『らしく』とは、誰かが決め付けるものではなく、自分が自問自答して行く中で自覚するもんやと思うのです。

人は、その人に相応しい『何か』を成し遂げる為に生まれて来ていると思うんだけど。

それを自覚出来たら、自分らしく歩めます。

一言で言うと

『自覚のある役割分担を、らしくと言う。』です。

あと、自分らしく歩んでいるなぁと思える人達に、自分から会いに行くことくらい、せななぁ。

何に於いても判断する基準が人生観や社会観から培われて行きますから、

スッキリと自分の人生を、尾を引かず歩めるんですね。

まぁ、ここ近年のテレビ報道を見てて感じるんですよ。

判断基準を確り持つ為には、そうやねぇ。

『苦労の中に居て苦労に支配されないこと』は大事やなぁと思います。

苦労があっても、気にせず、見事それを跳ね返す氣力は、

人生目的がキッチリ確立していれば、湧いて来るんですよ、ほんまに。

先日も、後輩経営者にこんなことを言いました。

『なぁ、苦労は何の為にするか、知っとるかい?』って。

考え込んで中々言わんから、ワシは言いました。

『今よりもっと快適に成る為に、もっと快適にする為に苦労っちゅうもんはするもんやと思うんよワシは。』
『苦労には、せないかん苦労と、せんでもええ苦労があるように感じるんよな。』って。

楽しみを共にする友人は沢山持っていても、哀しみ、苦しみを共にし、

共に心で泣いてくれる者が、どれだけ居るか、否かを振り返ってみよ!

なんですよ。

会社で言うなら、苦労を苦労と感じさせない社風を作る努力をせな、いかんのよ。

苦楽を共有し共に前進また前進の、前向きな姿勢で、生き甲斐ある人生を求めて歩み続けようとする社風。このムード作り。

『宇宙は前にだけ動いている』って何かに書いていたような気がするから、

故に人も前にだけ向いて動いていれば良いのです。

反省の振り返りはしても、過去に囚われてはなりません。

これが大切やと昔から思うて、情熱注いでやって来ましたワシはね。

雰囲気は社員皆の協力によって出来るもんです。

一人の不心得者を生じた時に、そのムードはいとも簡単に壊れてしまいますから、

絶対に、一人の不心得者を出さないよう全身全霊で取り組んで来ましたよワシは。

お互いがお互いに注意しながら、お互いのムードを壊さなぬ努力が大切なんよね。

組織、特に職場は。

だから、少ない人数で貫きたいという気持ちが湧いたのかも知れませんね、昔。

うちの社員達には『区別』が出来る人間に成ってほしいし、

『区別』が出来る人間で、あり続けてほしいもんです。

例えば、この30年くらいの母親は、やって良い事と悪い事をキチンと子供に教えていないような感あり、です。

当に、子供を叱る前に『教えざるの罪』を、自覚せよ!と言いたいわなぁ、

ほんまに。

会社で言うなら、幹部社員も同様です。

会社で言う幹部とは、家庭で言う母親ですから。

普通は社員達としょっちゅう接しているのは幹部社員やからね。

生物学的にも言えるんよ。

母親は赤ちゃんに乳を飲ませて(母乳の出ない人は粉ミルクを)育てるように、

乳=ちち=父なんです。

つまり、本物の母親は父親の意志を噛み砕いて子に飲ますものなんよね。

会社で言うなら幹部は社長の意志を噛み砕いて社員に飲まさないかんのよ。

これが本来です。

但し、社長の意志が、人間の成長、会社の発展に繋がっていることが当然、

前提ですけど。

心に曇りがあるだけ、真実は映らない。と思います。

背伸びせず、自分をさらけ出す勇氣を持てば新たな展望が開けるのよ、

ほんまに。

ちょっとした勇氣が、未来を変えますから。

あと、人は全力で挑戦している人を見たいと感じていると思うんです。

制約条件が厳しいから人は工夫をするんですね。

人生は、同じスピードで無くなって行くんですよ。

だから、一秒一秒表現力を工夫しないと、輝けないんだ!と皆さんに投げ掛けますね。

『世渡り上手に充実なんて無い。世渡り上手に心の安心無し。』

教育理念の無い教師が教師をしてはならないのと同じく、

経営理念の無い人が、経営者をしてはならないんですよ、皆さん!

会社を経営するって、白紙の上に価値を創造する仕事やと思うて、

ワシは取り組んで来ましたし、今も実践中です。

上手くやるより、全力でやらんとね。

どんな時も、すぐに、気持ちで恩返しをすることが、やっぱり誰にも出来ることなのに、

せん人、多い感じがするなぁ。

どんな立場の人でも、心あるんやから、気持ちで恩返ししましょうや。

と今週はメッセージしますね。  

今週は岐阜の飛騨高山と多治見の同友会仲間に「よし!遊びに行ってあげよう」と、
ふと約一ヶ月半くらい前にピン!と閃いたので、飛騨高山の友人と、多治見の友人に前以て連絡していました。

で、行って来ました。

思えば、一年前と一年半くらい前に飛騨高山のカ○君達や、多治見の、柴○君や磯○君や伊○君、木○君や高○君が、
ワシに会いたいと一泊でエモーションに訪問してくれました。

たぶん、ずんやり7時間は(笑)ワシの話(仕事の流儀や人生観、社会観、

価値基準)を聴いてくれたり、大いに経営談義に、語り合いました。

また昨年夏には多治見の同友会例会報告者に呼んでくれて交流が出来たし、

柴○君、磯○君、伊○君、木○君、三○さんが、うちのルイボスティーを大量に買ってくれたり、

飛騨高山のカ○君も、友人経営者の水○君にルイボスティー紹介してくれたら、これまた大量に使ってくれて。

岐阜は縁が深いなぁ、有り難いなぁ、という感情が湧いて来て、

『遊びに行ってあげよう。会社も見たいし、社員の人達にも会いたいし。』と思った次第でした。

で着くなり彼らの社員の人達にいきなり(笑)いつもの調子で気安く声掛けて、勉強会です(笑)

『社員の第一はやねぇ社長の考えを理解する努力をすることやでぇ~⤴。
社長の考えを理解しようと努力せん人が社員になっては、いけません❗❗
先ずはこの姿勢が無い人は、日本人やないんや。業務能力だけでええんちゃぁんて思ってる人はアメリカ行けえ、ちゅうの(笑)』

『だから、アメリカは学歴も人種も貧乏も、問わない。与えられた仕事の能力さえあれば高額報酬得れる国や。
しかし、契約社会や。イエスかノーか。ハッキリしとる。中間がない。

曖昧さがない。
社員の一生なんて考えない。終身雇用なんてアメリカ社会の始まりには、

無かったんやから。』

『成果とは何か?の、違いが日本人とアメリカ社会とは違うんよ』

てな感じで、あらゆる角度から持論を語りながら相手に質問もしながら、

皆ワシの話に前のめりでした。

後で各社長からお礼言われました。

わざわざ自費で岐阜まで来てもらって、社員教育してくれて、

僕も気付きが一杯出来て、目から鱗が何ぼもありました。って。

いやいや、これがワシの仕事なんやぁ。

うちの経営指針書見てみて、経営目的をように読んでみてん。

『自分の生き様を通して、縁ある人に勇氣と感動を与える為のキッカケを与え続ける人生を歩むこと。』

と書いとるやろ(笑)。って言うてます。

皆さん方は、自分の縁ある人に、自分の言動生き様を通して、勇氣や感動を与える為のキッカケを与えているでしょうか?

こういうのを、本当の贈り物と言うんじゃないかなぁと、思う訳です。

これは余談ですが、

多治見には飛騨高山から出て15時に着く予定だったので、18時から懇親会設定してくれていましたから、

時間がかなりあるから良かったら『歴史に学ぶ経営学』と題して、二時間くらい話しようか?って前以て言っていたんですよ。

源義経秘話、初代会津藩主保科正之秘話、楠木正成、堀秀政、上杉謙信、

武田信玄、日露戦争の大山元帥と児玉源太郎、明治天皇と乃木希典、

山本権兵衛が東郷平八郎を選んだ理由や、
伊藤博文の金子堅太郎への命令のやり方、出光佐三秘話や松下幸之助、

臨場感溢れんばかりに語れますから(笑)

二時間じゃ足りないけど、話しようか?となっていましたが、社員の人達との話になってしまったので、

歴史に学ぶ経営学は、改めて機会を作りますから、お願い出来ますか、ということになりました。

夜懇親会の時に、昨年うちに来てくれたメンバーの中に高○君が、遅れて駆け付けてくれました。

多治見の柴○君が高○君に同級生でもあり、すごく良い仲らしく
『香川さんこいつは、何言っても、ウンウンはいはい、って言って何もせん奴なんすよ』
って、散々な言われようで、周囲の高○君をよく知っている仲間は同じ感覚だったので、

突然ワシは、高○君にこう言いました。

『高○君、売上無かっても、メシ食えるんやろう!』って。

思わず彼、うぅぅっ!『はい。』って。

で、ワシ『それはそういう家庭に生まれて来た運命や。仕方ない。ご先祖に感謝せないかんなぁ。そういう境遇を。
けど、ご先祖に甘えたらいかんなぁ!甘えとんとちゃうかぁ?そやろっ!』って瞬時に言いました。

ものすごく胸に響いたらしく、一瞬で目に涙が溜まってましたね、高○君。

『高○君の誠を現さないかんでぇ。誠つまり真心や。真心を行動に現すから、先祖が喜んでくれるんやで。
「まこと」の漢字には四つあるんや。
真事(まこと)真理(まこと)信(まこと)誠(まこと)
真事は物理的事実、真理は宇宙の真理、信は自分が信じているという事実、

誠は真心つまり良心のことや。』
って言うたんですね。

皆さんもそうですよ。

有り難いことにメシ食える境遇であれば、あなたのご先祖に感謝せな。

でも先祖が築いてくれた境遇に甘えたら、いかんと思いますね。

どういう生き様をして行くのがご先祖が喜んでくれるのかを考えるキッカケになればと、今週のメッセージを投げ掛けますね。

『最大と成るより、最良と成れ。』を目指して歩んで来ましたし、現在進行形です。

だから常に自社にとって『最良とは何か?』を考えてチャレンジし続けて来たんですが、

皆さんは、自社の最良とは何か?にチャレンジしていますかねぇ?

最近特に言われている『働き方改革』?国が内政干渉するな!と言いたいねぇ。

勿論、ブラック企業と思われる所だけに干渉してくれ!と言うときます。

例えば、年次有給休暇についても、うちみたいに年間の公休日が、

128日ありますから、 大体皆、有給を取るのは年に数日という感じですから、130日は休みです。

で残業なんて一切ない会社にしていますから(経営者のワシが残業しない、と最初に決めたからね。)

それでも有給を、国が決めた日数取れって?

例えば、年間の公休日が110日以下の会社に適用せぇっ!っちゅうの。

ワシは社員に『対個別対応能力』を磨け。と昔から指導して来ました。

国も対個別対応能力を磨けっ!っちゅうの(笑)

ワーク・ライフ・バランスって何年も前から言われ出したけど、うちなんて、会社設立時から約30年間、

ワーク・ライフ・バランスの取れた会社やけどねぇ(笑)

社員の人格教育をしながら、経済活動を実践して来たし、

設立時から残業なし、完全週休二日、年次有給休暇自由に気兼ねなしに取得できる風通しの良い職場環境。

明るく、楽しく、生き生きとした職場環境でずっとやって来てるんだけどねぇ。

働き方に対して助成金という名で税金使っていますが、

『助成金を支給するから、職場環境整えて下さい。』というような環境に、

既にしている会社や職場環境にしている所は、どうせえって言うのよ。

ちゃんとしている所謂(いわゆる)ホワイト企業には、助成金の余地はないわねぇ(笑)。

何か助成金や補助金って、もらわなくても良い経済力がある会社がいっつも、もらっている感があるんだよね。

出来レースじゃないけど出来レース感あり。そう感じませんか皆さん!

要らんやろぅ助成金や補助金は、銭あるんやから(笑)。

債務超過で赤字決算の会社だけに、規定をクリアーしたら助成金や補助金を

支給します。
だから、何とか債務超過から脱却し、黒字に出来る原資にしてもらう為に助成金や補助金を出すからね。

っていうようにして、税金を有効活用したらええのに。

財務的に、黒字で債務超過でもない会社は、助成金や補助金は除外です。

自力で職場環境改善して下さい。ってしたらええのに!

そう思いませんか?

社員の年間給料を国が定める率を超えて昇給したら、税金減額という施策があるけど、
もう何年も前から大幅に給料アップして来た会社に対しては、何の税額控除もないんですよ皆さん。

うちなんか、昇給の時は、一人に数万単位で月給上げて来た実績(年間数十万アップ)がありますが、過去だから、ね。

過去に、政府が言う、ワーク・ライフ・バランスの取れた会社だとか、

昇給の基準クリアーして来た会社だとか、

そういうのを調べて、何年もホワイト企業を継続している所に、

何か特典表彰するくらい調査せえへんのかなぁ?と思ってしまいますね。

全く『本末転倒』の感あり、です。

各省庁の予算消化的なもんが横行してる感あるんだよね。

そんな非生産的なやり方でなく、中小零細企業の、モデル企業を調査して、

それを公表し、表彰しながら、なぜそのような会社、職場環境になって来たのか、して来たのか、

その経営者の考え方を披露することで、感化して行く施策が大事だと感じるのはワシだけでしょうか?

広い日本全体を見てみると「こういう所では一日も働けないなぁ、よく働いておるなぁ」と感じるような、所謂3K(きつい、汚い、危険)的な職場がありますが、しかし、そういう所で働いている人が、毎日不愉快にやっているかと言うと、そうでもないんです。皆それぞれに、そこに一つの希望を持って、

やっている例が、まぁまぁあるんですね。

そういうような場所では設備とか仕事の性質上、

様々な環境を快適にもって行くということは、中々できない感ありです。

そういう場合でも愉快に働くには、やはり、人間関係と言うか「この環境はなるほどある場合には悪いかもしれないけれども、このような仕事の性質上やむを得ない。しかもこの仕事は、社会全体に非常に必要なことである。
だから、自分達がここで働くことは、一面に大きな役割を果たしておるんだ。ある種の使命をも、果たしつつあるんだ。」

こういう考えを持つ、そういう考えを持っていなくても、そういう感じがするような雰囲気を作ってあげるということが大切やと思うのです。

職場の環境だけ見て、こんな所で働いてはいかん、こんな所は辞めよう、

ということになったら、日本は成り立たなくなってしまいます。

皆それぞれ辛抱すると言うか、その環境に自分を生かして、

そこに一つの仕事の醍醐味を味わう、というように社員が考え、
またそういう職場を持っておる所の経営者、その職場の指導者の立場の人達が、それに溶け込んでお互いに苦労を分かち合うというようにしておるところに、一見こんな所でよく働けるなぁと思うような雰囲気や、場所でも、立派にそれがやって行けるというようなことが現に行われつつある訳です。

どういう場所であろうとも、どういう仕事であろうとも、

皆それぞれの尊い使命というものが含まれている。

そういう使命と取り組んでやって行くところに、生き甲斐を感じるというような自覚を、お互いに持ち合う、
そういうものを持ってもらうように導くということが、非常に大事なことではないかと、思うのです。

それが出来ない会社はやはり、周囲から見て好ましい環境であり、

好ましい仕事であり、好ましい作業であるように考えられても、

やっている本人達は、中々喜ばない。そして不平をどんどん言うている。

これも実際世の中には沢山あります。

あの地位で、まだ不足を言うているというようようなことが実際ありますよ。

それに比べて、非常に地位的に恵まれないような人でも、歓喜に満ちて働いている人もあります。

そういうものを、その人自らの工夫によって見出だすということは非常に大事なことで、

また大いに努めるべきであるんですが、

しかし、やはりそうした人達を導いて行く者や、そうした仕事をしてもらっておる者、そういう人達を指導、監督している者が、

そういう自覚を与えるようなもって行き方をすることが、尊い使命の一つではないかと思うのです。

つまり、どんな職場でも『人間関係が良好』ということが問題解決に最良なんだ、と言いたいのです。

あなたの職場の人間関係は良好ですか?!

それが良好じゃないから、会社として利益が上がっていても、

社員が安月給だから、成り立っている会社の利益では、本末転倒なんですよ。

先ずは上の立場の人が率先して人間力を磨かないと、砂上の楼閣になりますよ。

人間力とは、人間的魅力の略語ですから。

上に立つ者の人間力によって、社員を諭して行く、導いて行くことが、

職場の良好な人間関係を構築して行くんですよ。ほんまに。

そこを蔑(ないがし)ろにして、いくら会社を運営しても、精神が疲れ果てるだけやと思うけどなぁ。  

今週ピ~ッン!と閃きました。

奥深くほんまやなぁ!言い得てるなぁということが浮かびました。

性格の違いや考え方の違いがあれど、人間の幸福というものを哲学的に一言で表すと、

人は、それぞれ様々な立場で生きている訳やから、

『己れの立場を自覚した上で、日本人らしい生き方で、己れの立場の結果を出すことに尽きる!!』

これが出来ていなければ、自分は幸福なんだと思っていても、個人の自己満足にしか成らない気がするんです。

人間としての『幸福』という意味が閃いたんです。

この意味、深いものがあるんです。

先ほどの言葉、何回も読み返してみて下さいね。

要は、

自分の立場を自覚せないかんで。

日本人らしい生き方をせないかんで。

日本人らしい生き方であなたの立場の結果を出さな、いかんで。

ということなんです。

つまり、あなたが、あなたの立場を自覚してやねぇ、

如何にして、日本人らしい生き方で、具現化するのか、結果として現すのか。ということやなぁと、つくづく思う訳です。

つまり、いくら思っていても、結果を見せないと、世間は信用してくれんもんです。

いや世間より自分自身の納得というか、真の幸福という観点で言うと、

日本人らしい生き方で結果を出すことが、

実は『天が認めてくれる唯一の道』なんじゃないか、とさえ思えるんです。

『日本人らしい生き方で』が、肝であり要であり、基礎なんです。

結果だけ出しゃあ、良いってもんじゃないんですよ。

多くの会社、職場での社員間と社員と社長とのコミュニケーションに、

何と情のないことか。

『日本人らしい』が、身に付いていれば、情の乏しい間柄には、ならないんだけど。

お互いの正論と正論のぶつかり合いを聞く度に『あんた達ほんまに日本人なの?』って、感じてしまうのはワシだけでしょうか?

理屈は大事やけど理屈を超えた『思いやり』にこそ情が通い合い、

心も業務もスッキリと、ほんわかして行くのにと思うのです。

よく耳にする例は、「それは業務命令ですか?」とか、

「残業代付くんですよね。」とか、

様々な、冷たい言動。

ワシに言わせたら、社長の人間力、指導力が、まだまだ不十分なんよ、ね。

どんな組織でも、語弊を恐れず言うならば、

『親分子分の関係』『阿吽の人間関係』が幸福の源やと考えておるんですよ

ワシは。

そこには、根底に情が流れているんですよ。

お互いが、お互いを、尊重出来ているんですよ。

尊敬と仰慕が存在しているんですよ。

だから10人未満の零細企業の方が、社員全員が相互に、

心通じ合う間柄が可能になって来るんですよ。

この『相互に心通じ合う』が、人数が多くなると、不可能だと思うのです。

相互やからね、相互。

だからワシは、理想の零細企業を生涯懸けて目指しているんです。

まぁ、相手によって、自分の立場が上の時もあれば下の時もあるでしょうし、横の時もありますが、

親と子、夫婦や兄弟姉妹、上司と部下、先輩後輩や、経営者と社員や、

監督と選手や、
地域の集まりの立場上、上の時、下の時。

様々です。

例えば、職場では社員で家に帰ると親や妻、夫、という感じだとすると、

それぞれの立場を自覚して日本人らしい生き方で、

その立場の結果を出すんだ!と言いたいのよ。

皆さん!

自分の立場をよくよく考えてみて下さい。

そして、その立場の、結果を出しているでしょうか?!

しかも、日本人らしい生き方で、具現化しているでしょうか?

ここが大事なんですよ本当に。

日本人とは、どういうものなのかを勉強せな日本人らしい生き方で結果を出そうにも出す術(すべ)が分からんわねぇ。

こういうことは、信心深さがあるか、ないかで、理解出来るか出来ないか、

だと感じますね。

この『信心深さ』というのは、ハッキリ二つに分かれます。

たぶん、多くの信心深いと思われる人達は、

ご利益(りやく)の為の信心深さになっている感、大有りなんよね。

それはワシに言わせたら、信心(神に祈る心や感謝する心)じゃないんです。

使命を感じての信心深さじゃないと、神々には通じないと、思えてなりません。

ワシは、25年くらい前から、自分なりの生まれて来た役割というか使命を感じてしまったんですね。

だから神社参拝に行っても、ご利益は頼んだ事はありません。

一般的に皆さんが思っているご利益とは、

病気を治してほしい、とか、お金を儲けさせてほしい、とか、

人間関係の争い事を解決してほしい、とかです。
✳病・貧・争の解決

そういう事は、神社で神々に頼むもんじゃないんです。

自分の考え方、捉え方を自分で『日本人らしい生き方』に変えて行かないと、改善はされないんです。

原因結果の法則、因縁を作るのは他でもない自分なんやから。

お釈迦様も言うています。

釈尊と言えども、因縁の法は曲げられない、と。

何の為に生まれて来たのか、何の為に生きるのか、をトコトン内観を繰り返す取り組みをした体験をすることで自分なりに生まれて来た役割とか使命が感じるようになると思います。

使命から行く神社参拝であり、使命から来る自分の日本人らしい生き方で、

結果を出すことが、幸福の源泉だと言いたいのです。