先日、ワシが主催している日本的経営を学ぶ経営者勉強会で、ある人が、

こんな一言を。 

社員から『自分達は、○○さん(その組織の長)の為に仕事しないといけないんですか』

 的なことを言われて、困ったんです。ということがありました。

 

その社員はワシに言わせると、仕事を勘違いしとるわ。

 

けど、勘違いさせている、その『長』の話の仕方や、理解納得させるだけの説得力を培ってほしいと願っておるんですが。

 

仕事は本来『自分の為に』するもんやと思う訳です。

 

自分の為と思えるから『その氣』に成れるし充実感が湧くもんなんです。

 

それが『当たり前』のことなんだという前提で、話しますね。

 

そもそも会社や事業所の長の考えや方針を、そこに属する社員や、所員が、

理解しようともしないのは本末転倒なんよ。

 

自分が所属している長の、考えや方針や、ビジョンを先ずは理解しようとする心が、人の道であって、その気持ちすら無い人がいるんなら、

それは社員や所員の役目を果たそうという気が無いのと同じです。

 

自分が、社長や所長の立場やったらやねぇ、

 

自分の社員や所員が、自分の考えや方針や、ビジョンを理解しようともしなかったら、どう感じるの?

 

もしそういう人が居たら、その人達にハッキリ言うときますよ。あんたは『人間じゃない!』と。

 

自分が、社長や所長の立場に居てやねぇ、

『自分達は、○○さん(その組織の長)の為に仕事しないといけないんですか』なんて言われたら、

 

情けなくなりませんかねぇ。

 

よくよく聴く耳を持って、社長や所長の考えや方針やビジョンを、理解しようとする心で聴いたら、ええのよ。

 

その『考えや方針や、ビジョン』が、皆さん方の人生の充実につながるものやったら、

 

『有難うございます。ハイ!喜んで。』って成るやろう。

 

もし、その社長や所長の考えや方針やビジョンが、納得行かんのなら、辞めたらえんよ。

 

納得していない、自分達の生活の充実や人生の充実を考えてもくれてないんだったら、

 

そんな所(とこ)で何で勤務するん?って感じやなぁ。

 

自分の大切な命を費やしてるんやで、職場という場所は。

まぁ極論よ、これは。

 

あぁ言うときますが、中小零細企業の社員の場合ですよ。

大手企業や公務員は、別です。

 

そんな思いに成るのはある意味無理な組織体やからね。

 

自分達の生活の充実や人生の充実を考えても無い、会社や事業所のトップや幹部ばっかりじゃないかなぁ。

 

社員の生活の充実を一番に考えて、行動してくれている社長や幹部は、そうは居らんと思います。

 

社員にしたら、辞めたいけど、ごはん食べないかんから、致し方なく勤務している人が、

 

すごく多いとは思うけど、これも『巡り合わせ』なんやけど、でも就職決めたんは自分やろ。

 

ぶつぶつ言うたらいかんわなぁ。

 

キチンと合意と納得が行くコミュニケーションを、せなぁ、いかんのちゃぁん。

 

人間は、ヤル氣より『その氣』が、充実感を上げ、実現可能度を上げる。

そう思いませんか。

 

ヤル氣を起こさせる事をやっている会社があるように感じるんだけど、

 

ワシは、何か、ちょい違和感を昔から感じて来たので、ヤル氣を起こさせる

セミナーとか研修なんかは、自主的に参加するタイプじゃないんです。

 

ヤル氣を起こさせる。というのは、何か意図的で、好みじゃなく、違和感があるんよ。

 

それより『ヤル氣が起こってしまう』風土作りに、その氣になって来たんよ

ワシはね。

 

トップが描く『社風』を作って行くと、その社風が、社員達が心地好いと感じるものなら、

 

皆が『その氣』に成ってしまうもんですよ。うちは、そんな感じの社風ですね。

 

社風は最大の教育者。正に、言えてると思います。

 

冒頭に書いた、勉強会で、ボソッと話した人も、このメッセージ読んでくれているので、 

アドバイスとして今週インスピレーションが浮かんだから、理解させる努力に、工夫してほしいです。

 

経営トップや経営幹部は、部下に対して説得力を持つこと。

これ大事な、トップや幹部の仕事です。

 

そうしないと、勘違いをさせてしまうんよ。部下も悪気があって言うてるんやない筈。

 

また社長や所長の考えや方針やビジョンが、部下の生活の充実や、人生の充実につながるものか否か。なんよ結局。

 

人の道を起点に、あらゆる経営を考えて、

 

先ずは、長の立場にある人自身が、掘り下げて、納得したものだけを、

発する。明記するんよ。

 

合意と納得の経営を、目指しましょう。

いきなりですが、

 

お金を儲けて行く経済活動は、人生に於いて大事で、有意義な事ですが、

 

(キツネ)や、狸(タヌキ)に憑依されるような考えや行動、つまりそんな生活したら、いかんで~っ!と、言うときます。

 

狐や狸が、どんな人に憑依するか?

 

銭の亡者(モウジャ)飽く無き金儲けの権化。

 

つまり、ガメツク金儲けに走る輩(やから)のことです。

 

だからガメツイ金儲けが上手い人は、だいたい憑かれてるから金儲けが出来ていて、世間からは成功者的に見られていますが、

 

末路を知らないから、金儲けが至福の喜びの域を出るよしは、無いんです。

 

讃岐(香川県)の哲人、空海こと弘法大師は、こう『十住心論』で言うてます。

 

死んだ後、人間が行く世界を説いてますよ。ガメツク金儲けして来た人の死んだ後に行く世界を。

 

商売人だけでなく、主婦であろうと会社員であろうと、自分のお金の損得勘定が一番。

 

のような考えや行動をしている人に狐や狸は憑くんちゃうかなぁ。

 

金儲け活動と、人間性の豊かさの『バランスと高さ』が重要やと思う訳ですが、

 

特に、がめつく金儲けで財を成した社長や、元社長が、こんな人達を『カモ』にしています。狐か狸が憑いてるからね😱😱

(気を付けな、いかんで。引っ掛かったらいかんで())

 

自分の心の『芯』が、確りしていない社長達をカモにしてますよ。

 

だいたい、そういう人を狙っている人は、狐か狸のどっちかが取り憑いています。

 

よぉ~に顔つき、表情を見たら分かるから。

 

あぁ皆さん。鏡で自分の顔を見て、狐や狸に表情が、もし似てきたら、

ガメツク金儲けに傾いている信号だと受け止めて、

自身の考えや行動を『人の道』に修正しましょう。

 

そしたら、憑いてる者が逃げて行くから。

『光、入りなば、闇消えゆ。』です。

 

ガメツク金儲けに動いている人は『カモ』を探していますから。

 

社長の立場にある者が『芯』が無い人は、悪いけど、ワシに言わせたら、

情けないよ。

 

芯が確りせんから、金儲けで財を成した、有名な社長に振り回されているんちゃう?

 

その人の『カモ』にされてる感あるんよね。

 

金儲けのカモ。自己満足感のカモ。等々。と、感じることがあるんです。

 

だいたい、そういう振り回されている側の社長という人は、

 

ほんまは、お金苦しいくせに、或いは社員の安月給で利益出しているから、

 

または、会社の規模がそんなに小さくないから、一応キャッシュは回っている。

 

そういう会社の社長は自分の社員達の心と、真剣に向き合ってない社長が多いと思う。

 

また、語弊を恐れず言わしてもらうと、

 

その金儲けで財を成した有名な社長、または元社長は、

だいたい財を沢山な額を成して、悠々自適に暮らしているのにも関わらず、

 

大勢の中小零細企業の社長達から金を取ってやねぇ

(まだ欲しいのか?()って感じ)

 

高額な勉強会等を募集している傾向が大な人達、まぁまぁ居るんですよ。

 

現役で本業としてコンサルの仕事をしている人は、別ですが、

 

財を億単位で持っとるんやから、無料で自分の過去の商売体験や、

 

考え方を希望者に語ってやったらええのに、とワシは思ってしまうんです。

 

でも、せえへんのよ。そんな考えや、思いも浮かばんのやと思う。

 

同じ財を成した人でもガメツクなく、人の道を実践しながら経営して来た人は、無償で、自分の体験を語っているんよね。

 

中小零細企業の社長の皆さん!

 

自分の社員達の『心の奥深い所』に話し掛けていますか?

ワシは、心掛けて来ましたよ。

 

社員の心の奥底に潜む『良心』に向かって、話掛けて来ました。

 

まぁ社員達は、それを良心で受け留めてくれてるかどうかは分かりませんが()

 

たぶん皆、良心で受け留めてくれていると思うとりますが。

 

皆さん商売の損得勘定ばっかりで会社運営してませんか?!

 

ガメツク金儲けで財を成した人のだいたいはやねぇ、社員の心の奥深い所に話掛けて来たとは思えないんよね。

 

もし自分の社員の心の奥深い所に話掛けていないなら、

社長として、人間的に『つまらん』と感じませんか?

 

ワシは、ずっと社員達の心の奥深い所に話掛けて来たし、現在もそうしています。

 

なぜなら、縁あって、集って来た社員全員の『人格の完成』を目指したいという永遠の、人生テーマを持っておるからなんです。

 

人間は、自分で自分の『より善き習慣』を身に付けたいと強く思い行動せん限り、モノには成らんもんやと思いますが、

 

ワシは、経営の目的を『何のために経営しとるの?』と問われれば一言です。

 

『社員の生活の充実』に尽きるんです。

 

そうでしょう? 

皆さん、まともな親は、自分の子供達の『生活の充実』を心底無意識に

願っとるんじゃないの?!

 

もし『自分の社員の生活の充実』に気持ちが向かないなら、そういう情が湧かないなら、なぜなんやろうか?と、自身の内面へ心を向けてみてはどうでしょうか?

 

社員達の心の奥深い所に、仕事に於いては、全ての業務がつながるように、

 

話掛けておるんですよワシはね。

 

この意味や感覚、分かる人には分かるんやろうけど、一般的な社長には、

何のこっちゃ?かも知れませんが()

 

皆さん『中立』って、どういう意味か知っています?

 

中立と言うのは己を立てることであって、どちらにも付かないという意味では無いんです。

 

中立だから、振り回されずに居れるんです。自分の人生の究極目的を確立出来てるから、

 

つまり、心の芯が確りしているから、それに従って、日々歩んでおるんやけどね。

 

うちの経営指針書に天命とは、と明記していますが、正に天命を自覚した時から、自分の心の充実が、増して来た感が、あるんです。

 

こう指針書に明記しているんですよ。

 

経営は人間学である。経営をするということは、社業を通じて、 

人間とは、何者なのか(人間が幸福に生きるとは、どういうことなのか。)

探求し、 その人の持って生まれて来た役割を、職場という舞台で果たして行くことだと考えています。 

 持って生まれて来た役割のことを「天命」と言うが 「私の天命は?」と人から聞いて納得出来るものではない。

 自分の心の中の、もう一人の自分と深く向き合い、考え抜いて、

 自らの体験を 通じて血へどを吐くくらいの思いの上に於いて、

 これしか生きる道はないと 追い詰められてこそ、初めて「天命」を自覚出来ると思う。

 

と明記しています。

 

だから、こんな心境で歩んで来ましたし、歩んでおるんです。

 

天命に従って、人事を尽くすのみ!と。

 

決して、世間で安易に言われている『人事を尽くして天命を待つ』じゃないんです。

 

自分のこの世で果たすべき役割を、自覚してしまったから、

究極、もうそれ(天命)しか関心が湧かないんよ。

 

だから『天命に従って人事を尽くすのみ!』で日々、歩んでおるんです。

 

だから『心はいつも、ベストコンディション』状態が、ずっっと継続中です。

 

 

皆さんは『誠意』って考えたことありますかねぇ。

 

いつも誠意を感じる人は、信用されて行きます。

 

いくら良いことを言っていても、行動に現れてないと、誠意を感じんもんです。

 

あなたは、相手によっては、愛想悪くなってませんか?

 

ここ大事です。

 

あなたは、周囲の人達から、誠意がある人やなぁと思われているでしょうか?

ちと振り返ってみてはどうでしょうか?

 

自分のことを『あぁ、気に掛けてくれてるんだ。』と感じた人は、

 

その人に対して、誠意があるなぁと瞬時に感じるもんですね。

 

友人しかり、お客さんしかり、縁があって、なにがしかの付き合いしたんだから、

 

気に掛けてあげたら、ええと思うんやけど。

 

何事に於いても無意識に、ちゃんと返事している人は誠意が備わっているなぁと感じて来ましたが、

 

誠意の無い人達が増えとるんやろうかねぇ?

 

まぁ、返事をしようという意識の無い人達は、

二三十年前からも多いような感覚を体験して来ました。

 

というのは商売始めて33年。

 

たぶん1万人以上の人達と、名刺交換して来て、そのほぼ全員に、

手書きの便りを出したり、何かを同梱して来たし、現在も進行形ですが

 

『縁ある人に勇氣と感動を与えるためのキッカケを与え続ける人生を歩む』というのが、

 

自分の人生の目的やから、その実践をしたいと思って勝手にしてるだけなんやけどね。まぁ、お節介やけど。

 

この事を、うちの社員に聞いてもらったら、ホンマなんや、と分かりますから()

 

ほぼ毎日、誰かにお便りを書き、これを送ってあげたら相手の役に立つんじゃないやろうか、と思える経営の綴りを用意したり、

 

コピー機の前でコピーしてますから。

 

で、送った人からは、まぁ、何の返事も無い人が、たぶん九割は居りますねぇ😱❕しかも『代表取締役』という肩書きの人が。

 

筆無精とか、そういう問題やない、日頃の気持ちの問題やと思うわぁ。

 

だから、その社長達の会社の社員に対しても同じちゃう?って感じてしまうなぁ。

 

あと、返事が来んのはワシに対する想いの度合いが、その程度やと言うことなんやと自覚はしてますが()

 

まぁ別にワシは、それが世の中の大多数やと思ってるので、何でもないんやけど、

たまぁ~に、あぁこういう人達って、たぶん誠意が無いんやなぁ、と感じることがあるんです。

 

人間観察が出来て面白いなぁと思うとるんですが。

 

世の中は、誠意があっても能力がない人には付いて行かんもんですね。

 

また、能力があっても誠意の無い人は、世間は認めない。と思うとるんですね。

 

これ、経営にも言えますね。

 

人柄が良い社長でも、経営能力が無い人には不安で付いて行きにくいのが

『普通(大多数)の社員』です。

 

逆に、商売の能力がある社長でも、人柄が悪かったら、誠意を感じなかったら、人は付いて行けるもんではないんよねぇ。

 

能力があっても誠意の無い人を、世間は認めない!んです。

 

これを読んでるあなたは、そうならんといてね、お願いやから。

 

社長というのは、社員をどれだけ愛しているか、に尽きるんです。

 

社員を愛しているから自身の内面の誠意が、浮上して来るんちゃうかなぁと、ふと今週浮かんだんです。

 

これ(下記『』の投げ掛け)は、冗談が半分ですが()

 

『何で?愛情も湧かないような人を雇うの?()身内にしてしまうの?

手が足りないから雇ったり、社員が辞めたから補充要員として雇ったり?』ですか?

 

社員に愛情が湧かない社長は、愛情が自然と湧いて来るような真剣勝負を日頃からしてないんよ、たぶん。

 

理想に対して社員とも真剣勝負せな、愛情なんて湧いて来んのよ。

 

人間誰しも、誠意は備わっている筈なのに、

 

それが日頃から現れないのは、その人が自分の損得しか考えてないからなんです。

 

『あっても現らしめない限り無いに等しい』なんです。

 

これも、何にでも応用できるし、言える事やと思います。

 

自身の内面にあっても現さなかったら、行動せんかったら、無いのと一緒なんです。

 

これを禅語で『あっても現らしめない限り、無いに等しい。』と言うんです。

 

気持ちを現す。これ習慣に成るようにワシも努力するから、皆さんも努力しませんか。

 

 

社長の皆さん!

自分が感激した事や、エピソードをシャワーの如く、社員達に降らせてますか?

 もし、そういう事をしてないとしたら、 

なんで、せんの?同じ釜の飯を食う仲間やのに。

 

ワシは感動を共有したいから、そういう事をやって来たけどねぇ。

 

何でも『キッカケ』を与え続けるのがワシの人生やから、です。

 

これだけは、誰に何と言われようと、貫いてますねぇ。

 

自分らしい生き方なんやろうねぇ。

 

『縁ある人に、勇氣と感動を与えるキッカケを与え続ける人生を歩む』

 

これ無くして香川湧慈の『存在意義』が無いんです。

つまり、生きてる意味が無いのと同じなんよ。

 

あぁ話を戻します。

仕事もそういう日常が感動の共有になり、 

社内業務の情報の共有化にもつながるんやけどねぇ。

 まぁ、多いでぇ~。社内の情報が共有化されていない会社。

 

悪い意味で世間でよく言われる『役所仕事』みたいな、

全く情報の共有化が出来てない会社や、お店。

 

いや、共有化?っていう観点の無い会社や、社長達。

 

別に、業務を順調良く進める為の『共有化』がしたいから、じゃないんやけどねワシは。

 

単純に、感激した事を社員皆と分かち合いたいから、ワシは昔からシャワーの如く、降らして(共有化)来た感ありですね。

 

感激した事や感動した事を自分だけのものにせんと、社員と分かち合ったら、えんじゃないの!と言いたいのと他に、

 

今週はこれが言いたいんです。

 

自分なりの人生哲学を明確にしていない社長が『変化が常態』という

経営の勉強会なんかで、かじった程度の社長達は、

 

『変わらなきゃ』って安易に思い、信念ない行動をしてしまう。

 

移ろい行くものの中で変わらずに居ることもホンマは大事なんやけどなぁ。

 世の中、常に変化に晒されているからこそ、 

変わらないで居ることが、逆に輝いて見えることがあるんです。

 周囲の人達が変化して行く中で『変わらない信念』を貫いていると

『存在感』が増して来るもんです。

 

周りの変化が逆に、 

自社が信念を貫いているから、存在感を増して、自社の『風格』を創ってくれているんです。

 

同じ事を、手を抜かず貫いていれば、商売は上手く行くもんです。

 

もっぺん言いますよ。 

『同じ事を手を抜かずにやり続ける』から、商売はだいたい上手く行くんです。

 

こういうのが『老舗』と言われるものだと思うなぁ。

 なのに、なんで、同じ事の繰り返しに手を抜くんかなぁ?

 

これを読んでるあなた『毎日毎日の、ルーティーン』が手抜き、氣抜き、になってやせんですか()? 

同じ繰り返し事だからこそ、手を抜いたらいかんのよ。

 

上手く行ってない会社は、同じ事の繰り返し業務を、手抜きしてるんよ。

マンネリになってしまってるんちゃうかなぁ。

 

マンネリは、霜です。

霜は、知らず知らず忍び寄って来て、根を腐らせるから、

一番要注意せないかん配慮なんよ。

 

会社に於ける最大の敵は『マンネリ化』やからね!

 

だからうちでは口酸っぱく、マンネリ予防を言うとります。

 

せないかん変化とは、マイナーチェンジ。 

ちょっとでも、自分の成長や、仕事の成長になるなぁと感じたら、

 自身の中身を変化させて行かんと、悪い意味で、いつまで経っても成長せえへんのです。

 マイナーチェンジは、繰り返しやらないと、進歩は無いのよ。

 

マイナーチェンジという『変化は常態』の文化(社風)を創って行かんと、

発展して行かんのや!と自覚せなぁ。

 

大きなチェンジじゃないんです。 

他人(ひと)が気づかないくらいの、内面の小さなチェンジです。

 

『名人は、変化を感じさせずに、変化している。』と先哲(先人の哲人と思われる人達)は、教えます。

 

本来『老舗』というのは、

 

その人、家、会社が、その人柄、家柄、社風の根底に在るものは何かを見極め、如何に、その仕事を責任を持って積み重ねて来たかで『格』が生じて来るんやと思う訳です。

 

そして、この人柄や、家柄、社風、仕事を、 

どう学び生かして来たかで『式』に成るんじゃないか、と。

 

この二つが成り立たないと「格式」があるとは言えない。 

ただ古いだけでは格式があるとは言えないんです。

 

なのに、世間では長く続いているから、古くから存在しているから『格式』がある会社だとか、お店だとか言うてる人が居りますが、

 

何を以て、格式があると言うのか?

くらいは、明確に説明できるようにしてほしいもんです。

 

自分の責任に於いて、自分の責任を積み重ねてゆく。

 

これが格式を形成して行くんです。

 

人として『格式』ある人間でありたい。

 

少なくとも、うちは、社員全員が、そういう人間に成ってほしいと願って社業をやっておるんです。 

ワシは、それが第一義なんです本氣(マジ)で。

 

だからうちの経営理念は『志高く、らしく生きる』にした理由であり、

 うちの経営指針書の『経営目的』の項目に明記している一文です。

 『思想と経済のバランスの取れた会社を築きながら、、、、』と。

 

格式ある人間集団が、格式ある会社に成るとしか、思えない。

 

その第一歩の『同じ事の繰り返し』が実は、 

元氣ハツラツの朝礼や社員間の挨拶に出て来るのよ。 

社外の人には、元氣な挨拶は、だいたい出来るもんです。 

毎日顔合わせている人達つまり『今さら』と無意識に感じている間柄の人達への、元氣な挨拶が、やっぱり基本。

 

と今週閃きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この数十年の間、日本の中小企業の70%が、赤字企業だと、統計は語ります。

 

毎年、毎年、利益が出てる訳じゃないのが、多くの会社です。

 

そして、この20年近くは、会社設立から10年生き残る率は数%だとこれまた統計は語ります。

 

エモーションを設立した30年前は、20%という統計だったように思うんだけど、この20年間は、生き残る会社数が激減してるんやなぁと。

 

ワシが思うに、会社を設立して業務を進めながら事業を拡大することを目指している会社が、多いように感じるんだけど、

 

社長の人生哲学を磨こうとしない、深めようとしないから、

事業と哲学のバランスが取れない。

 

だから、会社は成長ではなく、膨張企業へと進んで行くんです。

 

ワシの場合は逆やなぁと、今週ふと思いました。

誉められたもんではないんやけどね。

 

脱サラ、独立自営の道を志した22歳の時から人生哲学を深めて行くのが何より好きになって行ったんですね。

 

それを裏付ける事実を言うと、18歳で銀行に就職し、独立を志ざす22

まで、一番の関心は、

パチンコ、麻雀、ゴルフだったのが、人生哲学を深めることに、熱中し出したら、ギャンブルは一切止めましたからね。

 

しょうもないギャンブルは止めたんだけど、独立自営という人生のギャンブルの世界に入る訳ですが()

 

やっぱりワシはホームドラマより大河ドラマの人生が愉しいと感じる人種やと思うから。

 

振り返って感じるのは独立を志して約4年後の26歳で、独立自営の道を歩み始めた訳なんやけど、

 

事業が中々、思う様に伸びて行かなかったから、ある意味『膨張企業』に成らんで良かったなぁ、と()

 

もちろん、逆に哲学と事業のバランスが取れてなかった訳です。

 

さっき言いました事業が伸びて哲学が深まっていない状況と、

 

ワシの様に、事業が伸びずに哲学は深まって来た状況となら、

どっちが善かったか?

 

ワシは選んだ訳じゃないんだけど、先に哲学を深めて来たのが、

会社が30年以上継続して来た理由の大きな要因かも、と。

 

まぁ長く継続して会社経営をやって来られた最大の資源は?

 

『人の道』に外れた事をしなかった。

 

つまり『人の道』を実践しながら、経済活動をやって来たからだと今週浮かんだという訳です。

 

あぁ運が善かったなぁと、心から思いましたね。

お金の面だけは、事業が伸びて来なかった訳やから、かなり、困窮して来ましたが、

 

これも、哲学を深める実践なんやと感謝の念が湧くんやから、面白いねぇ()

 

たぶん、独立自営の道に入って順調に事業が伸びていたとしたら、

 

今、エモーションは無かったなぁとつくづく感じるんよね。

 

分かりやすく言うと、

 

小学生低学年レベルの社長が、事業がヒットして拡大しているからと言って、

 

従業員を沢山採用し、社内の人間関係のことに関心を持って良好にして行こうという思いもなく、事業拡大にしか関心が無く、

そして的を射た戦略も構築できずに、会社運営しているようなもんですよ、

ほんまに。

 

こんな会社、危なっかしいと感じませんか?

 

で、事業の数値だけが伸びているから銀行は良客と思い、多額の貸付をする。で、やがて不良債権で泣く銀行。

 

もっと分かりやすく言うと、あなたの子供が小学2年生だとして、

 

その子供が5万円ちょうだい。って言うたら『何に使うんや?!』って言うでしょ()また理由を聞くでしょう。

 

それと一緒ですよ。

 

人生哲学を深めてもない社長(小学2年生レベル)が多額のお金を扱う商売をやっているのと同じなんです。

 

しかも、沢山の従業員の生活を抱えているんですよ。

 

そんな意識も無く商売してる社長連中、多い気がするなぁ。

従業員と社員は区別せないかんですよ。

 

(業務)に業ずるだけの人を『従業員』と言います。

 

経営者の経営に対する考えを理解し、納得し共感して社業に励んでいる人を『社員』と言うんです。

 

あなたの会社で働いている人達は、従業員ですか?それとも社員ですか?

 

従業員から社員になると、やがて『人材』に昇華できる土台が出来て来るんです。

 

人材とは、自分で考え自分で問題を解決して行こうとする社員のことを言うんです。

 

『社長』と『経営者』もワシは区別しとるんです。

この意味、もう分かるでしょ。

 

社長足る者、人間は本来、どうあるべきか。人間の幸福や充実した人生とはどういう状態を言うのか。

 

自分なりの価値基準、人生哲学を明確にして歩む。商売をする。社員指導をする。

 

そして、それに相応しい、的を射た戦略を考えて、社員の人間性が豊かに成るように、

 

戦略を社員達に理解させる、そして納得させる指導力、説得力を持つと、

社員達は共感して社業に励んでくれるんです。

 

それが社長から経営者に昇華する唯一の道ではないだろうかと思う訳です。

 

『経営者』に成ると、ワシの価値観ですが、

 

社員の給料と福利厚生は『人件費』とは全く考えないもんやと思うんです。

 

『人件費という経費』と考えるから、少しでも削らないと、

と脳は無意識に判断してしまうんよ。

 

ワシは、多くの社長と捉え方が違うと思うとるんですが『人の道』に則った考えなら、

社員の給料と福利厚生は、会社の『資産』なんやけどなぁ、本来。

 

何で損益計算書の費用の部に記載されるんやろうかねぇ()

 

資産だと考えるから、脳は無意識に増やしたい。と判断するんちゃうかなぁ、と。

 

世の中の会計法変えれないもんでしょうか?

 

ワシの言う『経営者』が増えないと、そこで働く人達が、いつまで経っても、従業員から社員に、人材に昇華して行かんのよ。

 

責任者の信念なき行動は、花は咲いても実は成らんのです。花が咲いて喜んでいる社長達。要注意ですよ皆さん!

 

中心人格(社長や父親や組織の長達)の信念無き行動は、花は咲いても実は成らない。なんです。

 

よぉ~に肝に命じて、ちゃんとして行かんとね。

究極かぁ!と思うほどのピンチが来た時は、瞬時に、身体に不調が来るもんです。

これは正に、脳と身体が直結している体験的証拠やなぁと感じる。

だから、体調の疲れを軽減させる自分なりの方法を常日頃から実践しながら、

心を落ち着かせて、覚悟を決めるしか無いと、体験的に言える。

 

そういう時は、常識に囚われてはいけない。

異常なくらい前向きな思考でないと、自分の心を克服できません。

 

うちのルイボスティーの愛飲者で、70代男性で、ある会社の会長も言うてましたね。

会長は東日本大震災の被災者で『香川さん、あの時、高台から自分の自宅と

会社が、わずか数十秒で津波に流されて行くのを目の当たりにしたんだよ。

異常なくらい前向きでなかったら、生きて来れなかったよぉ。』って。

 

その言葉、聴いた時には『ううぅんっ!』と言葉が出ませんでしたねワシは。

心中察しても余りあると言うか、想像は何となくできても、当事者の心中には到底行き着きません。

 

ええですかぁ、皆さんの中で、絶望的なピンチに遭遇している人。

異常なくらい前向きに考えないかんですよ。

 

覚悟を決めて、異常なくらい前向きだったらたいていの事は克服できるんちゃうかなぁ。

恐るるに足らずです。

 

覚悟を決めると不思議と、自分らしい解決の工夫が浮かんで来ますよ。

覚悟が確り根付いていないから、慌ててしまい、自分に似合わない対処をしてしまうんです。

 

人生、慌ててはいけません!迷ってはいけません!

じっくり難題解決の、ストーリーを考えるんです。

 

その為には、日頃から自身の体験を蓄積して

『こういう時は、こんな流れになるんかぁ』的な、学習をしとかなイザと言う時、あたふた慌ててしまうんよ。

体調を整えながら、心落ち着かせて、解決のストーリーに思いを巡らせるんです。

 

その為には、日頃から様々な行動を蓄積してなかったら中々ストーリーは描けんわなぁ。

 

やっぱり『百聞は一見に如かず。百見は一行に如かず。』です。

行動から体験する自分なりの体験を蓄積して学習する習慣が結局、モノを言うようになります。

 

自分の人生を、どう歩みたいのかという最終到達系を想像し続けていると、

いつしか『こういう生き方なら本望やなぁ』と覚悟が決まって来るようになりますから。

 

また、難題に遭遇している人に聞きます。

 

その難題の相手は誰ですか、、、、、?相手は『人間』です。

たいていの場合。

 

昔の人はええこと言うてますねぇ。『男は度胸女は愛嬌』と。

これ正に、究極やなぁと感じます。

 

やっぱり、男は度胸。つまり器量がモノを言うんやと感じます。

 

この『度胸』は、確りした自分なりの判断基準や価値基準を自身の心に備えているから、備わるんです。

 

だから、物事の判断基準や、生き方の価値基準くらいちゃんと持っとかな、

人生の経営はできんでぇ、そこの貴方。

 

女は愛嬌というのは、まぁ、顔の造りは親の責任ですが、

顔の表情は自分の責任ですよ。

 

だから、愛嬌が自分と周囲の人達の心を救うんじゃないかなぁ。

 

あぁ、話を戻します。

 

対人間なんだから、度胸を据えて、対処したらええんです。

相手も、立場上あなたに、やいやい言わないかんのかも知れんのです。

 

度胸を据えるには、自分の考えを整理するいわゆる人生哲学を確り持つこと。

 

そうしないと度胸は、座りませんし、据えることはできんのちゃうかなぁ。

『逃げようと思えば、ピンチ。腹を据えればチャンス。』になって行くから。

 

そもそも、死ぬ事以外は全て挽回できるんですよ、皆さん!

誰にでも失敗はあります。

大事なのは、それをどう自分の糧にし、挫折をバネに前に進めるかどうか、

なんです。

 

皆さん、考えてもみて下さい。

失敗のない人生ほど、つまらんものは無いんちゃいますかねぇ。

失敗は、チャレンジしたからこそ起こり得るもんです。チャレンジせん人に、失敗は無いのよ。

つまらん人生になってしまうんよ。

 

挫折を乗り越えることで、真の成功、充実を掴み取れるんです。

 

壁にぶち当たった時、諦めて逃げるか、乗り越えて、まだ見ぬ景色を見るか。なんよね。

ワシは、まだ見ぬ景色が見たいなぁ。

 

その為には、人生哲学を確立したらええのです。

自分の『考え方を考える』習慣が哲学を深めて行きますから。

 

判断基準、価値基準を確り持って尚且つ、

それが独り善がりになってはいないか、を自己の心に向き合ってみるんです。

そこまで行かな、自分の判断基準や価値基準は形成されんと感じますねぇ。

 

想定外の『あらゆる難題』が、死ぬまで来ますよ、人生は。

自分で自分の問題に気付いて、自らこれを解決するところに人間の智慧というのはあるんです。

自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱に成ります。

単に、受身的に聞いたことは、あんまり価値にならんのです。

 

男は度胸。女は愛嬌。を磨いて行きましょうと言いたかった今週でした。

 

 

『縁・巡り合わせ』を操っている者。

 

誰しも自分を理解してほしい。と思っていると思いますが、

 

人間関係は、目に見えない『縁』で動いているんです。

まぁ、信じる信じないは別ですが。

 

今まで仲良く付き合っていた人がある日突然と言っていいくらいに縁遠くなることは、あるんよねぇ。

 

理屈じゃないんですよ縁って言うのは。

 

人間は、理屈で考えようとしてしまう、脳の傾向性がありますが、

人の縁と言うのは理屈を超えて動いているんよね。

 

だからある意味、覚悟したらええのよ。

 

『なんで?あの人が離れて行くの、、、』って思うのは、脳が感じるから仕方ないんやけど、瞬時に、覚悟したらええのです。

 

縁、つまり巡り合わせというのは、我々人間が作っているように見えて、

実は次元の異なる世界(あの世)で、

 

何者か(神道では自分をこの世に産み出した魂の親、つまり主護霊と言うんやけどね)が、

 

人の巡り合わせを操っているんだと、ワシは思って来ましたから。

 

だから、この世は、偶然性と必然性がミックスしたものやと思うんです。

 

なのに、こう言う人達居るでしょう。『全ては、必然なんよねぇ。』って()

 

どこかの、セミナーで聞いたとか、そういう系統の本に書いていたとかで、

自分が掘り下げても無い、納得感も薄いのに、

 

軽々しく分かった様に言う人達。自分なりの、確りした持論で言うてるなら別やけどね。

 

ワシはこう思っておるんです。

 

人間の努力と、目に見えない縁の巡り合わせの合作が、現実の世界だと。

 

そう思ったら、全部が全部、自分の努力だけやない。という気持ちになれませんかねぇ。

 

そういう気持ちになれたら、自然と『有り難いなぁ』という気持ちが湧き上がって来て、感謝の気持ちが充満して来るんよ。 

 

目に見えない縁に、感謝が出来て来る気持ちになるもんです。

 

そう捉えると、人生は『感謝』と『反省』に尽きるなぁと。

 

本質と感じるものを、学べば学ぶほど、まだまだ自分は出来てないなぁと思うもんです。

 

こういう心境が本来なんやけど、世の中は、感謝も反省もしてない人達が、

パフォーマンスで、こんなこと言うてる人達、居りませんか。

 

本心は思ってないくせに『いやいや、まだまだですよ自分なんて』的な謙虚を装って発言してる人達。

 

本心は自信ありなくせに、自分を良く見てもらいたい意識で、

わざと、へりくだったエセ謙虚を醸し出している人達。

 

思ってもないことを言う人達。偽善者やである意味。

 

ワシは、あんまり好きやないんよ。

 

謙遜してるなら、未だこう言う人の方が印象は良いんやけど。

 

『いやぁ、自分はまだまだあそこまでは出来んわぁホンマに。

でもこれだけは、努力して来たから、まぁ何とか出来てると自負しとるんですがね。』的な。

 

方が、印象良いんやけどね。本心が感じられるからやなぁ。

 

やっぱり、本音で本心で、自分が感動した事を、自分が掘り下げて納得行く境地で、発言する。

 

結局、これに尽きるんやけどねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

縁ある人達と共に育つということは?と浮かんだんです今週。

 

人間が生きて行く上に於いて『概念整理』をキチンとして行く事が極めて大事やなぁと、思って来たので、

 

自分なりの定義付けを考えて来ました。

 

概念を整理すると言うのは『あらゆる事』に自分が納得できる定義付けをすることを言うんだと。

 

この定義することを、日頃からしないから、迷いが出て来たり、

人間関係のギクシャクを感じるんやと思う訳です。

 

ワシが活動している、中小企業家同友会では『共育』と言う言葉を使い、

共に育つことを実践しようと活動しているんですが、

 

いわゆる、世間で言う『教育』をワシは自分なりの納得行く定義付けをしておるんです。

 

優秀な人とは、教える能力の優れた人。

 

先ずは、知的理解を与え、反復訓練することが『教育』と定義しとるんです。

 

教育するから、共に育つ『共育』につながるんです。

 

誰かが、教えないと、共に育つ環境は現れないんじゃないかと。

 

先ずは、教えながら、相手に『気付き』の、キッカケを与える事をやって来ました。

 

その為に、より高い見識を身に付ける学びを実践しとるんですが、

 

自らが感動できるか、深く考え納得できるかが、鍵じゃないかと。

 

そして胆識にして行く努力や教養、哲学を以て教え育むことをすることが

大切。

 

親が子供に教えるから子供は、学びにつながり、その子供の反応から親が学ぶようになっている状態が『共育』と成るんです。

 

先生が生徒に教えるから、生徒は学びにつながり、その生徒の反応から先生が学ぶんですよ。

 

要は『学ぶ姿勢』さえあれば『共育』に成ると感じるんです。

 

親孝行は、子供が親にするものと考え勝ちですが、ワシは両方だと思っておるんです。

 

『孝』の字は、老と子が合わさった漢字。

 

先生と生徒の立場も、経営者と社員の立場も同じです。

 

先ずは立場上、上に立つ者(経営者や先輩等)が、なんですが、

まぁ同僚、仲間、後輩であってもですが、

 

勉強し、より高い見識を身に付けながら胆識を目指し、自分の考えを整理して、

 

知らない人に知らせてあげる、つまり教えること。

それを受けた者は学びながら、意見を言う。

 

その意見や行動から、教えた者も、学ぶ。

教育して行くと、経営者自身も育って行くんです。

 

つまり『共育』になって行きますから。

 

教育するには、経営者自身が、人間学を深めて行くしかないと思ってワシは、

 

自らが感動し、自らが掘り下げ、自らが納得したものだけ、語っておるんですよ。

 

なのに、世間を見聞きしていて感じるのは、

 

自らが感動もしていないし、掘り下げてもいない、納得もしていないことを、安易に言葉にしている人達、多いんちゃうかなぁ。

 

だから、説得力を持たないんです。

 

説得力とは、理解させる努力と、納得させる努力と共感させる努力で言葉を

発し、行動で示すことを言うんじゃないでしょうか。

 

何年諭しても、分かってくれない社員や部下も居るでしょう。

 

待てば、いいんです。『いつか分かる』と信じて。

 

それがまた、経営者の忍耐力を養わせてくれるんですよ。

 

自分に寿命が来て、誤解されたまた逝ってしまっても、いいんです。

 

『いつか分かる』という生き方をして逝けば良いじゃないですか。

それが『粋(いき)』と言うもんです。

 

生き様は逝き様であり、粋な様だとワシは定義しとるんです。

 

かけがえの無い人間。誰かの役に立つ人間。
今週は、この二つが浮かびました。
で、残念ながら、うち(エモーション)でもたまに、感じることなんやけどね。
皆さん方の会社の社員の人達は、お客さんについて自分が直接よく
知っている顧客と、知らない顧客に対する関心度、注意深さは、
同じ感覚で日々の業務を為していますか?
だいたいの社員の人達は、この『同じ感覚』という意識が、
薄いんちゃいますかねぇ。
と言うのは、
社員がよく知っているお客さんのことは無意識に注意深く業務をしている、よく気が付くにも関わらず、
知らないお客さんには無意識に、注意深さが欠如しているというか
ウッカリがよくある。
注意深さが欠如している感覚を、ワシは指摘しとるんですよ。
この『無意識についつい、、、』が要注意なんよ。
つまり、会社にとっては『同じ顧客』なのに社員の意識、
関心度が違ってやしませんか?と投げ掛けますね。
ここに人間としての『レベルの差』が生じて来るんです。
社員が、自分がよく知っているからとか、全く知らないから、
で注意深さが変わるようじゃ、
一流をめざしている社員とは言えません!
こういう『ちょっとした事』を経営者は瞬時に察知する観察力を持たないかんと、ワシは留意して来ました。
今、コロナ禍で会社が休業を余儀なくされている飲食店等の経営者の皆さん。心中察します。
 
休業していて時間があるんだから、うちが昔から実践して来ている『社内学校』を推奨しておるんですよ。
 
社員の人達に、この時期だからこそ心の財産を蓄える教育をせないかんと思いますよ。
人間としての、心を豊かにしてゆく教養を身に付ける、社内学校を開設するんです。
これを『心の財産を蓄える』と言うんです。
 
持続化給付金で、生活の援助だけでは、この窮地の時間を無為にしてしまうでぇ。
忙しい日常業務に追われている時期には、
社員達に教養を身に付けさせる時間を中々、割けないんやから
(忙しくても、本来は時間作らないかんのやけどね。これも含めて
仕事なんやけどね。)
今、せっかく時間が有るんやから、心の財産を与えてあげるのが、
経営者じゃないの!と言いたいんです。
 
人間は、誰かの役に立つことが出来ていればやねぇ、それこそが、
幸福(しあわせ)と言うんです。
それ以外に人間の幸福(しあわせ)って、ありますか???
どんな境遇の人も、どんな立場の人も、誰かの『役に立つ』ことが
幸福(しあわせ)なんやと、ワシは思いますね。
役に立つ為には、自分の心を豊かにしてゆく勉強をせな。
教養を身に付けな。自分なりの人生観、社会観、価値基準を確立せな。
役に立ちたくても、立てませんよ。
誰かが相談に来ても、相談にすら乗ってやれませんよ。
 
勉強って、何の為にするのか?それは、誰かの役に立つ為にするんです。
だから、昔から先哲は『勉強せえ!』と言うて来られたんやないやろうかねぇ。
自分が心優しいだけで誰かの役に立つ行動をしてないならば、
それは『優しさ』には至らんし『お役立ち』には至らないんです。
自分の為に一所懸命になってくれている誰かの行動は、
必ず『伝わる』もんです。それが人間です。
犬でも、伝わるよぉ。
それが、的外れな行動であっても、相手の為の一所懸命さは伝わるんですよ。
社員に『居場所』を作ってやりたいという愛と情の一所懸命さの現れの一つが社内学校だと言う信念からワシは、実施して来たんです。
 
会社で言う『居場所』とは、社員が喜んでくれる給料や福利厚生を
与えながら、
風通しの良い、自主的に伸び伸びと働けている環境のことです。
人間は誰しも居場所が在ることが、心が落ち着きます。
『家庭と職場の両方』が『居場所』であることが、
健全な状態の基礎じゃないやろうかねぇ。
そもそも、自分とこの社員達に『居場所』を作ってやりたいと
思いもせんような社長は、経営者じゃありませんから。
 
言い方悪いけど、自分の金儲けの道具くらいにしか、
自分とこの社員を思ってないんよ。
うち(エモーション)の社内学校は、社員が人生で何が起こっても自分で
克服できる教養を身に付ける講義なんですが、
昔、最初に社内学校をした内容は社長のワシが『これは人間としての心が豊かに成る』と思った本を社員数分、購入して(今ならアマゾンで中古本が安く入手できるんやから)
 
月に一回『音読』を、いや週一だったかな?社員全員で音読を持ち
回りで、やりました。
社内学校?って思った社長へ。
取り掛かりは本の音読会なら、始めやすいんじゃないかなぁと。
本を与えるだけでは、家に帰ると、家事に追われるし、
見たいテレビもあるしで、本を読む時間を割けないもんです。
だから、社長が『これ!』と思う中古本を社員数分揃えて、
店舗が複数あるなら、月一ペースで、各店舗ごとに、
音読会を実施するんです。
パート社員には時給をちゃんと付けて。
社長は、全店必ず出席して『社長と共に』が大事で大切で、
キモに成りますから。
 
社長が共に勉強しない勉強会は、本来じゃありませんから。
社長と共に、全社員の心の財産を蓄えて行く取り組みを始めませんか。
その実践の継続がやがて『かけがえの無い人間』を養成して行きますから。
ワシは『かけがえの無い人間』であり続けたいし、
社員にも『かけがえの無い人間』で、あり続けてほしいという
願いから、社内学校を開設して来ましたし現在も進行中です。
かけがえの無い人間。誰かの役に立つ人間。
この二つでええんじゃないですか!
こういう人間なら、お金は、その人なりに充分回って行くもんですよ。
かけがえの無い人間。誰かの役に立つ人間。に成りたいと思わない人は、
いくらお金を貯めていても、つまらん人間やと思います。
充実する人生を歩む基礎じゃないかと思うんです。この二つは。
シンプルに、独自性を生み出し、深みが感じられるような人生の為に、心の財産を蓄える時間を割いて行くんですよ、皆さん!
 
 

コメント

 
 
 
 
アクティブ

人間の智恵は、先週メッセージしましたが、漏れがある。

 

だから『悟り』には至らないんですが、ちょっと考えてみました。

 

悟りは『さとり』と読むから『差取り』と考えたら、理解が深まるんじゃないかなぁと。

 

つまり、相手と自分の『差』を取ること。比べないことが、差を取ること。

 

お金を沢山持っているとか、持っていないとか。

他人と『比べない事』が、差を取る考え方。

 

つまり、悟りへ向かう心境やと浮かんだ訳です。

 

比べるから、要らん迷い事が湧き起こって来るんよ。

この、他人と比べない思考習慣さえ身に付ければ、

 

だいたいの迷い事は消えるんちゃうかなぁ。

 

卑屈になるべからず!そして驕るべからず!やね。

 

比べない思考を身に付けると言うことはそう言うことや。

 

また『差取り』は、受け入れる。ということでもあるわなぁ。

 

『受け入れる』とは、自分の思い通りにしようと思わないこと。

 

自分が、どう生きるかだけに徹するんよ。

 

それが、周囲が見て、楽しそうだったり、充実してそうだったら必ず、周りの人が善い影響を受けるから。

 

それだけでも、大いなる社会貢献やでぇ。

 

先週『おちょやん』の最終回。ええこと言うとりましたねえ。

真理やなぁと感じました。

 

この言葉です。

 

『生きるっちゅうのはほんまにしんどうて、おもろいなぁ。』

 

筆舌に尽くし難い苦労を体験し、乗り越えて来た人物の言葉だから尚更、

真理を感じた次第です。

 

今、生きることがしんどいと感じてる人。

『人生おもろいなぁ』にせな、いかんですよお!

 

そのコツは、考え方やものの見方や捉え方次第です。

 

全ては、考え方、ものの見方、捉え方で決まるんだ!と信じて、あなたの思考のOSをバージョンアップして下さい。

 

今週は、これが言いたかったんです。