やっぱり人の心に響き人を行動に駆り立てるキッカケは、

『言葉や文章』やね。

だから表現力を磨く事は、大事で大切やね。

胸にグッと来てしまう言葉を発信し続けたいしね。

言葉は出して贈る贈り物なんです。

思っていても言葉に出さないと、贈り物にならないんです。

有っても無いのと同じなんですよ。

温かい言葉を発すると人に勇氣を与えるし、感動を与えるし、生き方を考えるキッカケを作ってあげれるしね。

これは、何に於いても共通しているんじゃないかなぁ。

子育てにも言葉の掛け方一つで違いが出るだろうし、生徒指導もしかり。部下指導もしかり。

同僚、先輩、後輩、お客さん、関係先、家族。全ての人間関係に言えると思います。

言葉の表現力は磨かないかんのじゃないかと思う訳です。

箱根駅伝の優勝チーム東海大学の両角監督の選手に発した言葉も、彼等の心理を捉えてるしね。

表現力というのは自身の知識と体験から会得するもんだと思うんです。

知識は、教えることも出来るし、習うことも出来ますが、

智恵は、教えることは出来んですし、習うことも出来んのです。

自身で学び、そして、体得するしかないんですね。

また、経営学も教えることは出来るし、習うことも出来ますが、

経営は、教えられないし、習うことも出来んですね。

自身の苦労を学びに変えて行くことで体得するしかないんですね。

表現力を身に付けるのも同じ。

自身の苦労を学びに変えた者に『しか』表現力は磨かれないと思うんです。

深みのある言葉は、そういうもんだと思います。

10年くらい前だったかなぁ、

故小野田寛郎元少尉の講演を聴きに大阪まで行ったことがありました。

終戦後、終戦を全く知る由もない小野田さんはジャングルで29年間も過ごす訳ですが(戦争中だと思っているから)

昭和49年に日本に帰還されたのをTV ニュースで見たのを覚えています。

帰還された第一声に、当時中学一年生だった自分にも響いたのを、思い出します。

『恥ずかしながら、生きて帰って参りました。』だったかな。

こんな理不尽な体験を4年間の戦争と29年間たった一人で、しかもジャングルの中で、

いつ敵が襲って来るか分からない状況の心理の中を29年間も過ごした人の心境を聴きたいと思いましたから、

ご縁があったので聴きに行きました。

小野田さんはその後、40年生活され、四年前に91歳でお亡くなりになりましたが、

以前の講演会後の質問で、ワシは『うぅっ!ほんまに、そうやわなぁ!』と唸りましたね。

質問は

『今まで生きて来られた中で、嬉しかったことは何ですか?』

に、瞬時に即答されました。

『無いっ!!』と。

一瞬皆、シ~ンとなりましたね。

で次の質問が

『今までで一番辛かったことは何ですか?』

に、これも即答でした。

『戦友が皆、戦死したことです。』と。

この二つの返答は、深く、重かったです。

同じ言葉でも、誰が発するか、どんな体験をして来た人が発するかで、

受ける方の胸に来るものが違いますね。

なにがしか、ワシの心に響くものがありましたし、影響されるものがありました。

人の心に深みを与える言葉を自然体で発せられる人間でありたいですね。

それが自然体で出来ている人は、心に温かさと責任感が備わっているんだと思います。

だから、ワシの経営者としての昔からの永遠のテーマは

『商売はセンス。経営は温かさ。』なんですよ。

皆さんは『温っかい』人間ですか?  

今年最初のメッセージです。

今年は元号が変わります。

歴史を振り返ってみたら、慶応(江戸時代)から明治に変わった時は動乱、維新。

明治から大正に変わって二年後に第一次世界大戦勃発。

大正から昭和に変わって翌年は世界金融恐慌発生。

昭和から平成に変わって翌年はバブル崩壊。

平成から新元号に変わる翌年が大規模な何か起こるんじゃないかと思う訳です。

ちなみにですが、
新元号は『仁徳』になったら、自分の予感は凄いなぁと(笑)

浩宮皇太子殿下の名前は『徳仁』親王だからということと、 

十六代天皇の仁徳天皇に似てる感じがするんです。

まぁ、歴史は繰り返すと言われていますが、

何が起こっても、大きな変化の中で、 
己れの『立てるべきもの』を見極める。

そういう年だと自覚しています。

断つべきものを断ち、立つべきものを立てる。

ワシは経営者として、今年も『着実性と収益性と持続性と発展性』を包括した事業を坦々とやって行きます。

坦々とは、平坦な道を歩くという意味です。

他所(よそ)の会社を見ていて感じる、少なからずある点は、
お金の使い方が坦々とは言い難い感ありですね。

『見栄』
『しょうもないプライド』『思慮浅才』で、大切なお金を使っとるなぁと感じる会社、

まぁまぁあるんちゃうかなぁ?

特にちょっとした儲けが出た時のお金の使い方が、問題になる事が多い感ありやね。

ワシは、経営者は一種の芸術家やと思うんです。

経営という行為が傑作を残すか、はたまた、駄作を作ることになってしまうか、

経営者の哲学、手腕、覚悟に掛かっているんやと思う訳です。

白紙の上に価値を創造するのが本来の経営やと思う訳ですが、

まぁ、それぞれの経営者の価値の定義によるわなぁ、
どんな作品を描くかは。

単なる金儲けや合理的な経営という観点だけで見たらいかんと思いますね。

結局、人生とは何か、人間とは何か、というところから出発し実践せないかんと思うんです。

経営者は、総合芸術を創る芸術家やと思うからです。

そういう観点から言うと、

着実に顧客を積み重ねることも、
利益を上げることも、

社員の人間性と可能性を引き出すことも、

お客さんから必要とされることも、

社員と社員の家族や、お客さんから愛されることも、

数々のピンチを勝機に変えて行く思慮深い行動力も、

四方八方から質を上げて行く総合芸術家でないといかんと思う訳です。

そう思いませんか?

単に事業の業績を伸ばすことだけに心が充満している社長も、これまた多い気がするんよねぇ。

そういう会社の社員の人間的成長が伴っているのか?と考えてしまいます。

仕事を通して人の道を説きながら、それが、業績に反映されていることが本来なんやと思うのです。

経営者は、総合芸術家だから、その評価に値するだけの苦心なり、悩みが生じて来るんですね。

これが本来の経営者の姿やと思うんです。

苦しさを味わうことが楽しみになっているのが経営者というもんです。

現状に満足感のあるという人は、本当の芸術家に成っていないと思うなぁ。

駄作を作っとると思わな、いかんでしょうねぇ。

経営者をやる以上、傑作を作らないかんと思う訳です。

それが、周囲の幸福、充実につながるからです。

だから、社長の考えを社員全員の共感を得られるような人間力が必要やと思う訳です。

社長業は心配業と言われるように、心配するのが嫌な人は、
経営者は出来んですね。

あらゆる事を心配している。
心を配っている。
会社で一番心配する役が社長です。

社長は心配せな、いかんですよ、それが仕事なんやから。
心配があるから社長やっとる意義があるんです。

そして、常に四方八方から見た発展を考えているのが経営者です。規模に関わらず。

そして、会社では
『親父』になれていないといかんと思いますね。

ものを言いやすい親父ですよ。

ものが言いにくい親父ではダメですね。

叱り方にも苦労があるんです。

叱るという苦労もせないかんわな。

叱りもせず何もせずして部下が本当の仕事が出来ることはないんです。

叱られて有り難いと部下に感じてもらえる。
そういう社長でいるかどうか、も大切です。

毎日毎日が真剣に仕事しとる訳やから、
叱るのも誉めるのも、真剣ですよ。

心根は伝わりますからね。

あなたは社長として、

社長じゃない人は自分の周囲の人達に対して考えてみて。

社員に対して深い感謝と慰労の気持ちを根底に持っていますかね?

何百人、何千人と社員を抱えて何百億という売上を上げて、
経営者は人も羨(うらや)むような高収入を得ている人もいますが、

社員やパート・アルバイト・派遣という人達の『安月給』の上に成り立っているなら、

ちょっとおかしいと思うんですね。

白紙に価値を描く芸術じゃないなぁ。

社員が百人までなら、
社長が人格的に、能力的に尊敬と仰慕されているならば、
命令口調(これ、こうしてくれ)

で采配出来ると思いますが、百人超えて来たら、
采配はお願い口調にならんと上手く行かんと思います。

またその規模になると、

報酬と地位の与え方を区別が出来ないかんと思いますねぇ。

その規模の社長さん、区別出来てますか?

社員が、その地位に見合うだけの見識、適性があるか、それを見極め、采配して行くことが経営者に課せられた責任だと思っているでしょうか?

会社に長年功労してくれた社員には報酬で報い、部下指導に適している社員には地位で報いる。

これを間違ってはいかんのよ。

長年功労してくれていても、部下指導が適しているとは限りませんからね。

人の値打ちというものは、任せてみんと分からんもんです。

任せてみて、初めて分かるというもんです。

任すとは、手は放しても目は放さない。

人数規模が大きくなったら、目は放しても、心は放さない。

これが『任す』ということなんです。

だから部下は中間報告をせないかんのです。

「今、こうなっています。」と聞かれなくても、中間報告をしてくれよ、と社長は社員に頼んどかないかんですよ。

そういう判断を身に付けるには、朝に発意して活動し、
晩に反省する。この連続でないといけません。

経営という行為は、経営者の指揮の下、総合芸術作品を創って行く。

そして傑作を世に残さな意味がないんだと、新年に当たり決意した次第です。

社長じゃない人達も、自分の人生を駄作にすることなく

『傑作』にして行く気持ちは毎日持たないかんと思いますよ。

あなたの白紙のキャンパスに価値を描いて行くんだ!(昨日まではリハーサル。今日から本番。という気持ち)

と新年に決意してほしいなぁ。

今週は『相性』というのが、ピン!と閃きました。

性格は違うのに相性は合う。ってあるんよ。

だから相性は性格じゃないと思います。

相性は、たぶんその人の心の根底に流れている価値観じゃないかと感じます。

価値観とは第一義にしているもの、と言えるんじゃないかと。

究極の価値観は、魂の傾向性じゃないかとも感じます。魂の傾向性が同じ人が相性が合うんじゃないかなぁと、ふと浮かびました。

世間でよく言う性格の不一致というような軽い感じではないんですね、

魂の傾向性は。

また人それぞれの心底に流れている『自覚』が相性にも影響しているんじゃないかと。

ワシの考える自覚とは、人は誰しも本来『徳』を身の内に備わっているもの。

それを如何に掘り起こして行くか、

ここに、それぞれ持って生まれた気質と才能があるんですが、

自らを知り自らの才能に応じて掘り起こすのも、また自らなんですね。

ここに『発心』があり、それを実践して行くことを『自覚』と言うんですよ。

簡単なもんじゃないんですね、自覚というのは。

「ああ、そうなんだ」と思うことだけでは、自覚じゃないんです。

それは単なる思い付きやと思います。

また適性というのは、伸ばすべきところさえ伸ばせば良いのではなく、

抑えるべきところを抑え、伸ばすべきところを伸ばして行かなければ、

人としての成長とは言えない。

自らを律するとは、そういうことを言うんだと思う訳です。

自らを律して後に、何を為さんとするかを思う段階ではまだまだ自覚とは言えない。

何を為さんとするかを思い、その自らの思いが、決して独り善がりにならないよう言動を省み、

実践して、それをまた独り善がりにならないよう周りに広く耳を傾け、名実共に、何を為さんとするものぞ、と知ること。

これを『自覚』と言うんです。

中々、この域に達するのは難しいんだけど、

やっぱりこういう心理なんだとワシは感じています。だから、自分の中では心掛けていますよ。

この『心掛ける』事が大事で大切なんやと思う訳です。

良心の声に耳を傾けることは、無謀なほどの要求を良心は言わないと思うんです。

持って生まれた気質に応じた意見を述べて来るんですよ、あなたの良心は。

しかし良心の声だけでは不確かなんです。

何度も何度も精査し、(ほんまに間違いないんか?この良心の声は?って自問自答し)

実践し、その中に見えて来る良心の声でなければならない。

これもまた難しいんだけど、そういうことなんだと思えたら、自覚に向かえる心の道が拓けて行くんだと感じます。

他人から何かしてもらった時あなたは、その人の『心を、想いを』相手と同じ心で、想いで、受け取っているでしょうか?

してもらって当たり前のような感じに陥ってないでしょうか?

何か実績を作ったから給料を上げてくれた。

あなたは、まぁそれくらいしてもらって当然くらいに思ってないでしょうか?

社長の心を、想いを、同じくらいのレベルで受け取らな、いかんのよ。

と多くの人に言いたいなぁ。

ニュースで、スーパーボランティアと呼ばれている尾畠春夫さん(あのおじいさん)が、子供達に言うてましたね。

『掛けた情(なさ)けは水に流せ。受けた恩は石に刻(きざ)め』って話しているのを見て、

ワシはその瞬間、涙が出たわ。ええこと言うとるなぁほんまや、と。

それを地で行っているのが、あの尾畠春夫さん。

自分のボランティア人生を生き生きと楽しんでいる。

あの尾畠春夫さんのような人を『人間としてのエリート』と言うんですよ。

そう感じませんか皆さん!

中々出来ませんよホンマに。世の中の『エリート』に対する認識が間違ってるわなぁ。

掛けた情けは水に流せは、あなたが何かしてあげたことは忘れなさい。ということや。

「あの時、してあげたのに。」思うなっ!っちゅうの(笑)

あなたが何かしてもらったことは生涯忘れるな。ということですよ。

こういう心境に、心底共感できる間柄なら、相性は合うんじゃないかなぁ、と。

心底ですよ、心底。上部(うわべ)の共感じゃないですよ。

本当に相性の合う者どうしで仕事したり、生活したり、生活出来ていることが、味わい深く幸福を感じるんだと思う訳です。

その為に、お互いが、ワシが先に述べた自覚を再認識してほしいのです。

そして、お互いが自覚ある人生を模索して行きませんか。ねぇ。

ちなみに、ですが、スーパーボランティアの尾畠春夫さんは、

魚屋を経営する前に、二十歳そこそこで生活の為に鳶と土木の会社に安月給で就職していた時期があるようで、

その体験が50数年経って、被災地でのボランティア活動に役立っていると言ってるんですよ。

だから、過去の自分の体験を生かすも殺すも自分の考え方次第ということやなぁと感じますね。

人生に無駄は無い。を実現させて行きましょうや。  

皆さんは人生を生きる上で『拠り所』があるでしょうか。

ワシはハッキリあります。

年明け1月で亡くなって丸25年になりますが『人生の師匠の哲学』が、

我が人生を貫く、拠り所です。

生前の師匠の講義録の数々がスッ~と自分の中に渇いた喉を潤すように染み入って来るんです。

折に触れ、時に触れ、読み返していますが、いつしか自分の人生に迷いを消してくれましたね。

迷いと悩みは別物だと思うとるんです。

悩みというのは、自分以外の人達のことを想う、心配するものやと思うとるんですねワシは。

そうやねぇ自分のことで悩むことは、ないなかなぁ。

揺るがない『拠り所』があれば、迷いは消えますよ、皆さん。

拠り所とは人生を生きて行く心の支えとなって行くものです。

人生は、やはり不安定な中に、安定を求めて生きている訳やから、

安定感というものを得る為には、
どうしても『自分はどこからこの世に来て、そしてこの世に何をしに来て、
人間は皆、いつか死ぬ訳やから、死んだ後の世があるとするならば自分はどこに去って行くのか。』を冷静に見つめ、
そしてそれを、自分が心底、納得行くものにしない限り、安心感というものは持てないと思うんです。

すなわち魂の安心であり安定。そういうものを、自分自身で発見することなんですよ。

これを『拠り所とする哲学』だと思います。

その為には、やはり、歴史、特に古典や兵法を勉強せな、見出だして来れないと感じますね。

歴史というのは、人がどのように生きて来たか、どのように過ごして来たか、そういうものを振り返る。

そして、その時の流れというものを通じて、その一貫した姿の中に冷静な科学的視野を持って分析して行く。

このようにして歴史感を養って行かなければならんと思うんです。

その中から『原理原則に照らして現在をしっかり把握する』こと。

人間は、明日の分からない存在です。

明日が未知数だから、希望や夢が持てるんです。

しかしながら同時に、明日が未知数だから、そこに苦悩が起こり、

不安、不安定な気持ちを起こさせるんです。

だから物事の原理原則があるはずなんやからその原理原則を古典や兵法から

見出だしながら、

それに照らして、現在点をしっかり把握することなんです。

第一に自分の人生哲学をしっかり把握する。

つまりどういう生き方をすることが、自分の人生にとって意義ある生き方なのか、人生とは一体何か。

人の一生の生き様を、どう考えたら良いか。

その生き様を原理原則に合わせてものを見つめる。

そうすることで人生観が確立して来ます。

だから第一に人生哲学を持つ。次に歴史感、歴史の流れを掴む。

それによって現時点を考える。

そして人生はある意味戦いですから、兵法を学ぶ。

この三つを継続していれば、迷いは消え去り魂の安心と安定を自分のものにすることが出来るはずですよ。

うちの師匠の講義の中に『先の見えない上司に付いて行く部下ほど哀れな者はない。』という項目があるんですが、

確かにその通りやなぁと。

上司とは上に立つ立場の人ということです。

大手企業なら上司。中小零細企業なら社長であり、家庭なら親ですね。

まぁ全ての『上に立つ立場の人』ということやね。

だから上の立場の人の最も重要な要素は『先を読む』こと。

だから歴史の流れや、歴史上の人物の生き方や、古典に見る兵法を学ぶこと。

しかし、未来は未知数だから、千差万別であり十人十色、一人一人特徴が

違う、一人一人生き様が違う。

自分の将来は未知数の世界なので、お手本はどこにもないんですね。

何が言いたいか!

それは独自の法則を生み出すしか、ないんですよ、皆さん。これには大変な苦労が伴って来るんです。

うちの師匠は言うてます。

『人間生きて行く上で大事なことは、独自性を見出だせ。人生にお手本はないぞ。参考になるものはあっても、お手本通りにはいかんぞ。だから自分自身の中から生み出した体験の滲むこと以外に頼れるものはないぞ。』
『頼り甲斐のある自分を確立せえよ。頼り甲斐とは、己れの体験、痛みのことだ。』と。

つまり、本を読んだだけの勉強の知識では、痛みは感じないんだよね。

実体険の痛みから何かを悟るというか自覚することかと。

それが『拠り所』だと思うんです。

この拠り所を確立することが、如何に自分と自分が導いて行かなければならない人達への安心感や安定感につながるんじゃないでしょうか。

そして下の立場の者に肝心要(かんじんかなめ)の所を注意出来ないかんのです。愛と情を持って。

そうすることで、導いて行けるんだと思うんです。

ちなみに歴史上の有名な武将の『拠り所』を何人か述べますね。

忠義の武将楠木正成は『非理法権天』

義の武将、上杉謙信は『毘沙門天信仰』

名将武田信玄は『動と静の一致・風林火山』

革命の武将、織田信長は『一切の、もの真似をしない独自性で天下布武を

成す』

さあ、あなたは?

この世の中はある意味『地獄』ですよ。

理不尽が横行しているのは、今も昔も変わりない。だから地獄。

そう思いませんか。

歴史を見ても、これは一貫している。だから、これから先も地獄は続くでしょう。

その地獄の中を我々は生き生きと歩んで行かんとならんのやから、

自分の魂が安心する、安定する『拠り所』を見出だしてほしいのです。

最後にワシ流に言うならば、この言葉かな。

『泥から出でて(生まれて)泥に染まらぬ、蓮の花』なんです。

この世の中は、泥のような世界。その泥のような世界に生まれて来ている訳ですが、

泥に染まらぬ蓮の花のように棘棘(とげとげ)しい武器を持ちながら、

美しく(納得行く)人生を歩む。というのが、

ワシは一番、魂が安心し、安定するんよね。

皆さん、自分の生き方の価値観、拠り所を、語呂よく一句、作ってみんですか?  

じっくり話したこともない人が、
その人に対して「あの人は、何か恐い感じの人だとか、あの人は、あんな人やと思ってた。」だとか色々他人に話している人って、おるでしょ?

ワシに対しても、そういうことを、たまに耳にする事があるんよ。

「えぇっ~、一回も、じっくり話した事ないでぇ、その人と。」って、

答えたことがありますよ。

まぁワシは自分の信念に従って、言葉を発したり、行動をして来ましたし、

現在も進行形ですから『我関せず』の心境ですが、

皆さんは、一回もじっくり話した事のない人の、自分への感想に、振り回されていませんかねぇ?

今、NHK 大河で西郷どんが来週最終回を迎えますが、
あの江戸城無血開城を成し遂げたのは、

西郷隆盛と勝海舟という『人物』同志だったから成し得たんですよ皆さん。

人間としての器量の大きさと洞察力の深さを備えた人物同志だから出来得た一大事だっと思います。

お互いが、胆が太く、圧倒する迫力があり、何の苦労も、裏付けもなくして、出来上がるはずがないんです!

血の滲むような努力と決死の覚悟を持って、万全を尽くして来た、二人だから、

人物なんですね。

西郷は勿論、勝海舟も自分の保身や、金儲けに、一切関心が無い。

二人に共通していたのは『日本国家の役に立つ為』という一心しかない人間ということ。

やがて勝海舟は、明治維新後、新政府の要職を依頼されて活動するのですが、

じっくり話した事もない連中が、こう非難したんですね。

「徳川を売った犬が、新政府内に納まって」

福沢諭吉なんかは、こう非難しています。

「江戸城を戦わずして明け渡したこと、武士の痩(ヤ)せ我慢。城を枕に討ち死にすべきが三河武士。その上、新政府でぬくぬくとしているとは恥ずべき身の処し方である。」と。

ワシは福沢諭吉は好きじゃないんよね。

偉そう気なことを言うて如何にも高尚な言葉を遺していますが、

人物じゃないなぁと、ワシは思っています。

で勝海舟は、この言にこう言っています。

「行蔵(コウゾウ)は我に存す。」と。

「毀誉(けなすことと、ほめること)は他人の主張。我に関せずと存じ候」

とのみ、答えたんですよ。

つまり、ひたすら自身の信念に基づいて行動し続けたんですね。

またこうも言っています。

「人間、用心しても、死ぬ時は死ぬ。胆力さえあれば、
やたら殺されたりはしない。」と勝海舟は覚悟していたから、

幕府重鎮であった時に、たった一人で薩長軍に和解交渉に出向いたんですね。

歴史が、こう教えているんだから、

自分と、じっくり話した事のない人達の言葉に振り回されては、いけません!

自分の信念に基づいて言葉を発したり、行動して歩みましょう。

そういう人物を目指したいなら、現代風に言うと、

自分の仕事(経営者なら経営、勤め人なら、自分の職務、主婦なら主婦業等々)に、

一所懸命に取り組むことと、禅の考えを学ぶことを同時に取り組むことだとワシは思います。

最後に、我々日本人が忘れては、ならないのは、
『公正無私』の態度で『誠を尽くす』ということです。

西郷隆盛や勝海舟の生き方から皆さん方自身の生き方を考えてみてはどうですか?!

歴史の事実は誰も分からない。その場に現代の自分達が居合わせていませんから。

歴史『を』学ぶのではなく、歴史『に』学ぶ姿勢を大事に歩んでいます。

考古学もしかり。神の存在もしかり。あったか、なかったはあまり関係なく、

歴史上の人物の言動とされている事柄から、自分が、今後どう生きるか、の参考書にする姿勢が、学びに成るという思いです。

自分が、その立場だったら、どう考え、どう言動するか。を考える行為が貴いと思っているんですね。

だから、周囲の縁ある人達には、歴史を学ぶんじゃなくて、
今抱えている課題を歴史上の人物の生き方に照らして、どう考えるかが、

歴史に学ぶことやと思うけどなぁ、(笑)と。

あと、今日は忠臣蔵。四十七士の討ち入りの日です。   

彼らの覚悟に、想いを馳せてみる一日にしてほしいと願います。

まぁ今週のニュースで『あおり運転の裁判』のことが取り上げられていて、

法律の解釈で無罪の可能性がある?

アホ言うなっ!って。

そもそも法律の為に、人間社会がある風潮に異論を感じない法曹界に、

バカじゃないかと感じるんよね。

法律は何の為に存在するのか!

それは当然、人間的な社会生活をする為に、法律の存在意義があるはずなんです。

法の解釈?理屈やないでしょう。

人間として、いかんもんは、いかん!と、スパッと決めたらええんです。

例えば飲酒運転したら一発免許取り消しじゃないの?

問答無用で決まってるのに。

本末転倒極まりないわなぁ。

高速道路で、煽り運転して高速道路上で駐車させたら、即懲役10年の実刑。執行猶予無しにしたら、

カチン!と来て煽り運転した奴でも、思い留まるんじゃない?

そう感じませんか。

世の中が、法律の為の社会に陥っているとは思いませんか?

法律の為に人間社会が存在するんじゃなく、

人間的な社会生活の為に法律が存在するのが本来じゃないんか、とニュースを見てて感じたんよね。

それでは今週浮かんで携帯にメモしていた、インスピレーションメッセージです。

街を歩いていて、ふと知り合いを見つけることは、よくあると思うんですが、

「いゃあ、久しぶり、お茶しようやっ。」って声掛けたくなる人とそうでない人がいませんか?

ワシも、声掛けれない人がおるんですよ。別に好かん人じゃないんだけど、

何話そうか?って瞬時に浮かんでしまう人なんです。話題が浮かばない、

というか、話が合わんやろぅなぁと、瞬時に感じてしまう人です。

そう思うと、中々会話の中身が合うという人は、そうおらんのちゃうかなぁと思います。

そういう観点で、人間関係を捉えると、話が合いそうもない人と、氣を使いながらの会話を、余計にしていませんか?皆さん。疲れる😣💦⤵だけやでぇ。

勉強会での会話は別です。

自分の価値観と違うなぁと感じる価値観の持ち主との会話は、自分の幅を拡げますから、したらええと思いますが、

プライベートな時間まで、話が合わないなぁと感じる人と、敢えて会話することはないんじゃないかと思う訳です。

約2500年前に、孔子は『人生は楽しむべし』と言った、と歴史は教えます。

ワシは『楽しむ』為には?を考えました。

楽しむために、第一は『ものを知る』ことやなぁ、と。知らないと楽しめないからねぇ。

知るということによって、次に好きになること。

好きであるかどうかが『やり抜ける』かどうかの違いになる。

好きになったら大好きになること。三度の飯より好きになる。

だから楽しくて仕方なくなる。

楽しむとは、単なるエンジョイや、レジャー、バカンスではないんですよ、

皆さん。

経営は楽しんでするもの。苦学でなく遊学。

月の内10日で稼ぐべき仕事をし、10日を勉強に費やし、10日を余裕を持って生きる。

余裕の中からノウハウを仕入れる。そのノウハウが、次のステップを生む。

商売の狙いは客層やと思う訳です。

一段上の、グレードの高いお客に密接に繋がること。

ノウハウを如何に仕入れるかということをしないと、次の生産的な仕事が出来ない。

販売するのは商品だけではないんです。

付帯するノウハウが、販売の援護射撃をやってくれるもんです。

アイデアは偶然からは生まれない。

10日勉強し、10日で飯を食い、10日は遊ぶ。

遊ぶとは、色んな人と交流を深め、その10日こそが、人脈の大きな力となって行くもの。

そういう生活設計『無駄なく、無理なく、油断のない生活態度』を心掛けること。

余裕を持って自分自身に仕入れ(インプット)を盛んにして次の売り上げに

結び付く備蓄が大事。

商売は人気と勢い。同時に仕組みと仕掛けですね。

そして、そのノウハウとアイデアを駆使しながら、時に宣伝、企画を立て、

水面下で根回しした時、契約が成立するもの。

その契約を成立させた一番重要な課題は、商売外の商売。

これが商売を成り立たせているという本質を忘れてはならない。

働く人が、楽しめて、ゆっくり成長して行くのが本来じゃないでしょうか。

もっぺん言います。

楽しむとは、レジャーでも、バカンスでも、単なるエンジョイではないのよ。

楽しみながら、ゆっくり成長して行きましょうと言いたいのです。

人間の幸福は突き詰めると、自分が楽しくて楽しくて仕方がないことをしている。

そして、それを周囲の人達が、喜んでくれていて、勇氣が湧いて来たり、

感動してくれたりしていることが、
誰に於いても幸福、しあわせ、というものじゃないでしょうか。

うちの経営根本精神は『経営は人間学』と、ハッキリ明記しています。

人間とは何ぞやを探究しながら、好きな仕事をしていたいんです。

人間学を探究していると、人生哲学を深めることが出来るし、新たな発見があるんです。

そんな時『うんんっ!と、うなだれるほどの感激』があるんだよね、これが。

周囲の縁ある人達に、勇氣と感動を与えるキッカケを与え続けられ日々を

歩めているのが、楽しくて楽しくて仕方ないんですよ。

特に、旨い料理と旨い酒で、人生哲学を深める会話をしていますよワシは。

時に、相手が涙流して喜んでくれるんです。

共感、歓喜、うなだれるくらいの腑に落ちた姿を見るのが、

楽しくて、楽しくて、仕方ない、しあわせやなぁと感じるひとときです。

正に慈悲の心から発する行動だからだと感じてならないんですね。

慈悲の心とは、

例え、相手が理解出来てないだろうなぁと感じる人達であっても、

トコトン深めて来た、哲学を分け与える想いなんです。

相手に対する『願い』から発する想いなんです。

聴いた相手は、無意識に脳に刻み込まれると思うんです。

脳に刻み込まれていれば、その人が、大変な困難に遭遇した時、

脳から解決策が出て来るんですよ。

だから、お金より、その人にとって大事な贈り物になるんだよね。

これ、信じて下さい。

縁が深いであろうと感じる、先輩や上司などには『感謝』の想い。

上に感謝、なんです。

そして、縁が深いであろう同じ立場や立場が下の人には『願い』の想いで接してほしいのです。

上に『感謝』。下に『願い』。

これが人としての道、心のあり方じゃないでしょうか。

社員が辞めてしまう。とよく耳にするんだけどねぇ。

様々な要因があるんだろうけど、

一番重要な要因は、経営者が全社員の魂に響く接し方を、

して来なかったんじゃないかということと、

社員が他の社員への『思いやり』の心を、醸成する風土作りに重点を置いて来なかったんだと、ワシは感じてしまいますね。
何百人居ようと。

給料を含めた待遇もあるけど、それだけじゃないんだよねぇ、職場は。

最近の東京ディズニーランド社員が会社を訴えてたニュースを見てても、

しかりです。

テレビコマーシャルで大地真央が言うてるやろ『愛はあるんか?』って。✨

的を射てるというか、言い得ているという感じですね。

そう感じませんか?

社員が辞めると言っている社長さん、胸に手を当てて思い返してみて下さい。

『あんたに、愛はあるんか?!』って。

人間『愛と情と経済と義』の四つは欠かせない要素でしょ。

この四つのバランスとその高さですよ。

結局、詰まるところ、経営者の『人格』に尽きると思うんです。

あぁ言うときますが、人格というのは、教養や知性の範疇ではなくて、

どれだけ苦労を重ねて来たかの繊細な神経、人情の機微を備えていることを言うんです。
つまり人の心を読み、人の心に触れること。

まさに人の心の温かみと痛みを知ることであり、

そしてその微妙な世界に生きられるということが人格なんですよ。

だからうちは経営指針に取り組んだ25年前から、自分自身は勿論のこと、

社員には人格を高め、深めることを目指すことを経営目的に明記しました。

そういう職場にしたいと強く思ったんです。

ワシの切なる社員に対する『願い』なんですよ。

だから、会社の憲法である経営指針書の経営目的に明記して、

毎朝朝礼でも唱和しています。

毎日意識するキッカケを与え続けるしか、ないんです。

そして、毎年昨年より今年。今年より来年。

自分が少しでも人間性と可能性を伸ばせていることにチャレンジできるよう

課題を与えているつもりです。

業務能力の向上と、社員自身の人間性と、可能性の向上。

人生の機微の、微妙な世界に生きられるように祈っておるんです。

人間いつか死にます。

あの世に持って行けるのは『人格』だけやとしか、思えないからです。

それが最大の財産じゃないかと思うとるんです。

皆さん方の会社の社員やスタッフと呼ぶ人達に、

人の心の機微が、心の温かさや痛さが、 分かる風土を創る努力をしているでしょうか?

そこやと思いますね。

普段の何気ない会話が味気無いものになってませんかねぇ?

縁あって集った、同じ職場の仲間ですから、生涯懸けて、

お互いがお互いを最愛の人にして行く努力が大事やと思いますね。

夫婦も同じです。仕事も同じです。会社も同じです。

縁あって出会って、そこに居るんだから、

生涯懸けて、人生最愛のものにして行く努力をせな、あなたの魂が安心せんですよ。

『魂の安心』が、どんな人に於いても、仕合わせ=幸福と言うもんだと思うとるんですよ。

あなたは、あなたの魂を安心させる努力を、してますか?!

あなたは、あなたの周囲(社員や身近な人)の人の心を、解放させる努力をしてますか?!

『変な気を使っていない状態で、何か楽しい。』という状態ですね。

誰だって苦労はしたくない、というのが本音でしょうが、

苦労を重ねて、人情の機微を感じ取れる繊細な神経に成らないと、

人間としてモノに成らんのです。

だから大事な人には、『苦労をしながら、考え方や捉え方を磨いて行けよぉ~』と、ワシは願っとるんですよ。

それを自分のものにする為に『仕事』が存在するんです。

本来、仕事って、そういうもんだと思っているんですが、皆さんは仕事をどう捉えてますかねぇ?  

香川湧慈➖発信=ゼロ

自分から、これを除いたら、何も残らない。

そう自信を持って言えるものがあるか。

それくらい人生を懸けることが出来る対象が見つかれば、

新しい世界へと導かれるはずです。

会社で言うなら、経営戦略は、経営者の性格の反映です。

つまりその会社の経営の戦略は、

その会社の経営者の性格のように知らず知らずに、なって行くもんです。

規模を大きくしたいという性格が強ければ、そのような戦略を組んでしまうもんです。

経営者の性格のような社風になって行きますから、ホンマやで。

これは経営者の思いが強くても、弱くても、関係なく、

性格のように傾いて行きますよ。

良い悪いではなくて、トップの性格がかなり影響するんだ、と言いたいのです。
会社では、人数規模がかなり多くなると、様々な人達の因縁が、

絡み合って来てしまうんですよ。

だから、思うようには中々行かなくなって行くんです。

目に見えない運命の、様々な因縁が影響して来るから、余程強力なトップの指導力が無ければ、思う方向に動いて行かんのじゃないかと感じてしまいます。

だから、経営者の心底望むような社風には、中々なっては行きませんね。

個人の人生も同じですよ、皆さん。

あなたの人生曲線、人生設計は、あなたの性格の反映です。

性格に導かれるというより、性格に誘導されているんですね、知らず知らずの内に。

あなたの歩む人生は、あなたの性格のように誘導されて行くんだと捉えてみて下さい。

だから最初にメッセージした『自分➖○○=ゼロ』を考えてみて下さい。

自分から、コレを除いたら、何にも残らないものを考えてみて下さい。

それを見出だしてほしいんですよ。

ワシは人生曲線を考えた頃から、振り返ってみると、やっぱり何か『発信』をして来たよなぁと思ったんです。

自分から『発信』を引いたら、自分じゃなくなるなぁと思ったんです。

あなたにとって、『コレ』を取ったら、自分じゃないなぁと言えるものは何ですか?

それを見出だすのよ!

自分を生きるって、そういうことだとも、言えるわなぁ。

そういう事を見出した人達が集まると風土が出来て来ますから。

人間集団の最大の教育者は『風土』なんですよ。

会社で言うなら社風。家庭で言うなら家風。地域、国家で言うなら『風土』です。

その風土の『民度』をより人間性が良く成るように上げて行く努力を、そこに集う人達でやって行くことが、

何より大事なんだと、皆さんに自覚して行動してほしいなぁと思った次第です。

風土に合わない人が、その集団に居ることが良い風土創りにブレーキを掛けているんだと自覚せな、いかんのと違いますか!

と投げ掛けますね。

性格は違って当たり前です。

でも、進む方向、目指す方向が風土に合わない人が居るなら、その人も、不幸と言うもんです。

その人に合った集団が在ると思うので、そこへ行かせてあげるのも親切と言うもんです。

異なりを認めながら、一つを生きる。

これが、真の『和』なんだと思えてなりません。

それぞれの性格の違いを認めて、尚且つ目指す方向は同じ。

でないと良い風土は、出来得ませんから。

心穏やかに、後味スッキリ歩む為には、良い風土創りをして行くしか、

ないんですよホンマに。

人間の性格は変わりません。

でも考え方や捉え方、ものの見方は、学びと努力で変えて行くことが出来ますから。

『あぁ、この人はこういう性格なんだ。』と認められたら、腹も立たなくなるんじゃないかなぁ。

でもその集団のトップの考え方や目指す方向に共感出来ない人は、

そこに居てはいけないんです。

この意味、深いんですよ皆さん。

異なりを認めても、『一つ』を共に生きれないなら、和は成り立ちませんから、
不協和音に陥るんですよ。

皆さんの集団、周囲のあらゆる環境で、今日のワシの投げ掛けを、考えてみてほしいと思った今週でした。  

『濁っていてはダメ。いつも瞳は澄んでいよう。』

人間の寿命から考えてみると、

20年くらい前は、60代で寿命を迎える人が多かったように感じますが、

今時は70代で逝ってしまったら『まだ若いのに、、、』という感じです。

90歳前後という感じでしょうかねぇ。

その内、身体を大事にしている人は、百歳近くまで生きるんじゃないかと感じます。

人間が物心ついて社会人らしい考えを持つのには、二十歳くらいでしょうか。

二十歳から百歳まで生きたとして80年。

この80年間を、いつも自分のことだけ考えて過ごす人生もある。

しかし、周囲のこと、地域のこと、国のことや将来のこと、というふうにいつもそういう考え方を持って生きたとしたら、

段々その人生は太くて幅の広い人生へと変わって行くと思うんですね。

お互い、出来ればそういう幅の広い、直径の太い人生であった方が良いんじゃないかと思うのです。

こういう生き方は何もその人の能力や才能、財力や家柄などとは、関係ないと、つくづく思います。

立派と言われる学歴や地位や肩書きがありながら、世の中にやねぇ全く貢献できない人もよぉ~けおるような気がします。

そういう人達は、だいたい、学歴や職歴や、地位や才能や肩書き等が自分より劣るなぁと思っている人に対しては『見下している』んですよ。

言葉より、行動で瞬時に分かりますね。

経営者で言うなら、

縁あって自分の社員になってくれている人達の人生を考えたことも無い人が、沢山居るのも端から見てて感じる人、まぁまぁ居りますねぇ。

その社長の、社員への待遇を見たら、瞬時に感じますよ。

自分の金儲けの道具にしか社員のことを思っていないとしか感じられない処遇を見たら、


感じざるを得ないのよなぁ。

それでは、心通じ合う道理がないよねぇ。

ワシは、よく言うて来ました。

『何でちゃんとしてやらんの?もし、自分の娘がやねぇ、大学受験に際して、お父さんどうしても東京の私学の○○学部に行きたいの。

って真剣に頼んで来たら、借金(教育ローン)してでも、思いを叶えさせてやりたいと思わへんの?

それと同じ気持ちで、自分とこの社員にも、行動してやらんと、経営者やっとる価値ないでぇ。』って。

一方、学歴や職歴や、才能は、人様に誇れるほどではないけれど、

いつも、社会のことや周囲の将来のことを、考えて行動している人達も少なくないのを、ワシは知っています。

人間の価値は、どこにあるのか、もう一度見直してみてはどうでしょうか。

自分のことばかり考えて行動していると、自分の人生が行き詰まるようになって行くんですよ!

ほんまやけん。

行き詰まった人達に、こそっと、聴いてみてん。

ホンマやって感じるから(笑)

どんな状況下でも、自分と自分の周囲や、社会のことを考えることを習慣になっている人は、行き詰まらないようになっていると、

自分の体験からもハッキリ言えます。

本当に価値ある人というのは『良い習慣』を沢山持っていますね。

良い習慣というと、難しそうに考えますが大したことはないんですよ。

ゴミを見たらサッと拾うとか、靴が乱れていたら、ちゃんと揃えるとか、狭い道で行き合ったら、ちょっと退いて道を譲るとか、

カチン!と来るのは、脳が感じることやから仕方ないんですが、

その後、どう行動するかは、自分が決める事が出来るという自由があるんですよ皆さん。


大いに『カチン!』と来たらいいんです。

人間なんやから。

カチン!と来て、ぶちギレたらええんです。

溜めたらいかんよ。

あなたの身体にツケ来るから(笑)

でも、その後のあなたの言動が、あなたの、将来の嫌事を招くのか慶事を招くのか、自業自得なんやから。

価値ある人生を歩む為に『自分の瞳が濁るような生き方はしない。』

『後味の悪い日は送らない。』

この二つだけでも続けてみてはどうでしょうか。

それを実践する為に、『心の無駄遣い』をしないよう自己チェックして下さい。

時間の無駄遣い、お金の無駄遣い、

それよりも、心の無駄遣いが人間にとって一番よくないと思うんです。

善からぬ事を考えたり安易な事を考えたりするだけでも、心の無駄遣いです。

思っても、甲斐のないことを思ったりするのも心の無駄遣い。

やっぱり、思ったら、甲斐のあることを思い続ける。

そして、やり通すということが一番力に成ると思うのです。

必ず、その人生は輝ける人生になって行くと思うのです。

いつも瞳は澄んでいようじゃないですか!

例えどんな小さな灯火でも、一度点(トモ)した灯火は、絶対に消さない。

どんなことがあっても消さないという気持ちで守り続けてほしいんです!

同じ灯火を持った人達が集まって来て、やがて大きな青い炎に変わって行くと信じているんですよワシは。


こんな営業、多くないですか?あなたの商品に興味があります。

取り扱いしたいので、販売代理店になるにはロットと卸値はいくらになりますか?って。
まぁうちで例えるなら先ずお客さんで買って飲んでから、

感想なり何なりリアクションがあって初めて『扱いたいんですが、、、』

でしょ?

売れそうだから、扱おうか?

だけでオファー掛けて来る人、割りと多いんですよ。

ワシは、そういう感覚の人は、人間が軽過ぎると感じてしまうんですね。

自分勝手というか、自分「だけ」の損得しか眼中に無い!って感じがしてしまう。

げんなりするんよね。

本氣度、関心度が感じないからです。誠実さも感じません。

見積もりだけして、返事しない人も多い気がするなぁ。

相手に対して失礼だという感覚すら無いんだと感じてしまいます。

返事が出来ない人が、ほんまに多いと思いませんか?

そもそも、何かの販売代理店を希望する人は商品も去ることながら経営姿勢を聞いて来るもんですがねぇ。

そういう人は、ワシは好感を持つんだよね。

実例として一つ。

今年の6月に韓国釜山の経営者から、エモーションのサラシアルイボス(血糖値やヘモグロビンa1cと便秘の改善に良いお茶)を扱いたいという縁があり、

その経営者は日本語も読めるし、話も出来るので、エモーションの経営指針書他、考え方生き方を綴ったものを読んでくれたらしく、

ワシに会いたいと、宇多津(地元)まで来たのには本氣度と関心度を感じたねぇ。

それから打ち合わせや韓国での輸入関税やら諸々調べて、

その会社のオリジナルパッケージで取り扱いが始まったんだけど、

毎月発注ロットをコンスタントに注文が来ています。

だから11月6日から、韓国に行って、事情聞いたり、アドバイスしたり、

打ち合わせと、懇親しに行きます。

高松~ソウルの航空便が毎日運行になったばかりなので、ソウルに行くって伝えると、

わざわざ釜山から新幹線で社員さん連れて、ソウルの宿泊ホテルまで来てくれることになりましたが、

本氣の人は、心地好いねぇ。

うちは以前からエモーションのルイボスを扱いたいと言う人には、

宇多津(地元)まで来られますか?一泊で。

って声掛けてますよ。

相手の本氣度や関心度を図る上でも。

だから、わざわざ東京からも来られましたし名古屋からも、

色々な地域から香川湧慈に会いに来られますよ。

で、代理店成りたいとなれば、基本、先入金です。

本氣度、関心度のある人は、すぐ振り込んでくれますね。

気持ちいいです。✨

こういう関係は、振り返ってみても長年の、お付き合いになっていますね。

うちは、顕微鏡の如くアフターフォローしますから。

信頼関係が成り立たないと、ビジネスが成り立たない『独自の仕組み』にしているんですね。

デジタルでは出来得ない仕組みにしているんです。だからエモーションの仕組みは『凄い⤴』って、何人にも言ってもらいましたね。

ハードとソフトと信頼関係の三つ巴の構築が大事で大切なんじゃないかと思います。

皆さんの会社のシステムはどうですか?

ハード&ソフト&信頼関係が成り立っていますか?ご一考あれ。

およそ『仕事』をする人って言うのは皆『アーティスト』でないといかんと思うんだけどねぇ。

アーティストと呼ばれる人達は、大勢の人に震えてもらう仕事をすることによって、自らも震える存在であり続けようと努力している人とも言えます。

そう考えれば、経営もアートだし、営業もアートだし、人事も総務も経理もアート、研究も開発も製造も企画もアート、

つまり、仕事に携わる人は皆、アーティストであり、そのアーティストが世に問う仕事は、すべて「アート」である。

と考えることもできますね。

今の仕事を極めて、お客さんの期待を超える仕事を行えるようになり、

お客さんに興奮してもらったり、感動してもらったり、

という世界を生み出せるように、常に精進を怠らない。

そんな気持ちになるのではないでしょうか。

皆さんは、自分の仕事をアートにしようと、取り組んでますか?

日々の何気ない同じ事の繰り返しの上に仕事は成り立っています。

ここで大事なのは、あなたの心構えなんです。

ちょっとした日々の、あなたの業務をアートにして行こうという、心構えの問題ですよ。

アーティストの中で、天才と言われた、岡本太郎の『自分の中に毒を持て』という本を読みましたが、

やっぱり『芸術は爆発だ!』っていう有名な言葉がありますが、その通りの生き様だと感じましたね。

面白いし、発見があるね。一度、読んでみては?

皆さんも自分の人生、周囲が震える、そして自分が震える生き様を歩みませんか?!

そして、自身が世に問うているものは、「アート」であるのか、それとも、

やがて打ち捨てられる「ゴミ」なのか、

自問自答を重ねてみませんか。

毎日少しづつでも成長を遂げるには自問自答で自浄作用を起こして行くしかないんじゃないかと思う訳です。

それを『自分に素直』と言うんじゃないかなぁ。

一日一回でも良いんです。自問自答を重ねる素直さの積み重ね。

つまり『微差を積み重ねて、絶対差を作り出す』ための最短距離であると考えてみてはどうですかねぇ。