行動は好奇心でなく『発心(ほっしん)』でするもの。

発心は、目的が明確であるから、それを目指して行動をするものやからです。

行動するキッカケは、好奇心であって良いんだけど、

そこに目的意識を持たないと行き当たりばったりの人生に成り兼ねない。

遊びでも、仕事でも、何でもいいんだけど、

『何の為にやるのか』

という目的意識が大事やと思います。

ちょっと日頃から、この『何の為に』を、考える心の習慣を身に付けると、

生活が整って来るようになると感じます。

この「ちょっとした差」が天地の差に成るような気がします。

中々、意識した事を、持続させて行くのが、出来ないのが、殆どだと感じますね。

ちょっとした簡単な、毎日の体操や、これを飲むだけなのに、とか続かない。

せっかく買った健康用具も、毎日続かない。

やっぱり、この「何の為にするのか」の意識が、軽いんだろうね。

世間でよくある誰でもがやってる様々な事の続かない習慣というかクセというか。

ワシも、ようありますよ。続かないクセ。

でも振り返ったら、何十年と、毎日続けている事も、あるんですね。

振り返ったら、好きだから、かもね。続いているのは。

続いていない数々の事は、芯から好きじゃないんかもねぇ。

成功する、しないは、この「ちょっとした差」なんだろうね。

仕事でも、そう。

一気に、お客を増やしたい。販売してくれる会社を増やしたい。

いわゆる代理店とか、特約店とか、フランチャイズとか、

一気に増やしたいという気持ちは、分からんでもないですが、

一気に出来てしまうとツケが来るように感じますね。

やっぱり考え方を発信し、理解納得してもらい、

着実にシステムのルールを守ってもらえるよう地道な努力が、

長い目でみて、お互いが気分良く歩めると思う訳です。

『考え方の共有』が先ですよ。

その合意と納得があって初めてビジネスの話を進めるのが、

順序、道、じゃないかと思う訳です。

今、中々自社の顧客が拡大しない。と悩んでいる人も、多いでしょう。

自社の仕事をトコトン深堀りするんです。

お客の潜在ニーズを探るんです。そして、その潜在的なニーズにプレゼンするんです。

そしたら、新たな販路が見えて来ますから。

先ず想像しましょう。イマジネーションですよ。

そして、創造しましょう。クリエイティブです。

想像し、創造するんです。

それしか『手応えのある道』を、拓く方法はないんちゃうかなぁ、と思う訳です。

これからは特に、今までの常識が通用しない時代に成って来ると強く思います。
激変の時代に成って行くんだろうと思う訳です。

だからこそ、自分の生き方にブレが無いよう歩まないと、

いかんと思いますよ、と皆さんに発信します。

『ブレない生き方』のお手本は、天皇陛下の生き方です。

天皇の歩む道つまり、皇道(こうどう)に学ぶ生き方を考えてみてはどうですか、と言いたいと思った次第です。

皇道とは何か、くらい自分で調べてみて下さいね。

分かりやすく言うと、自分が天皇陛下なら、毎日どのような想い、

どのような考えで人生歩むのかを考えてみることで、

視野が変わって来るんじゃないかと感じますね。

自分が天皇陛下だったら、という観点で会社を見る。家庭を見る。

そんなこと思ったことも無かったんじゃないですか?

天皇陛下は、公正無私を貫いているお方で、

365日、国民の幸福のことを願い、祈ってくれている人間なんですね。

あなたはあなたの会社で公正を貫いてますかねぇ?

私欲が強く出ていませんかねぇ?

経営者は、社員の幸福を365日願い、祈っていますかねぇ?

社員の人達は、経営者や他の社員の幸福を、365日願い、祈っていますかねぇ?

先ず意識し続けるからやがて、無意識に身に付いて来るんですよ。

無意識に、こういう事を願い、祈っているのが『まともな親』が、

子を思う気持ちと同じですね。

ということなんです。

人生の、あらゆる問題解決のヒントが、そこに存在するような気がします。

そもそも、人間の問題の大多数には、利害が出て来るところに発生して来るんです。

利害を考え、そして、利害を超える器量があるかどうか、なんですね。

ここ最近のニュースを見ていると、権力金力地位のある、

その組織のトップの、醜い立ち居振舞い。

正に、天皇道の真反対の立ち居振舞いやなぁと感じてしまう。

無様、不様。としか言い様がない。

讃岐(香川県)が生んだ哲人であり覚者であり達人であり、

愛と情を備えた、空海こと弘法大師が、こう言うているんです。

1000人中、998人が、地獄に堕ちる。と。

欲望に生きた人達が、1000人中、998人。

この998人を『凡夫』と言う、と。

我々人間のほとんどが凡夫です。

唯一、凡夫が地獄から抜け出せるのは、こう言うています。

神の願いを自分の願いとして実践したら、心底そういう気持ちに成ったら救われると。
弘法大師は言うているんです。

ということは、我々凡夫でも、神の願いは何なのか、を模索しながら、

実践したら地獄に堕ちずに済むかも知れんということです。

また、この弘法大師に多大な影響を与えた、聖徳太子は、こう言うています。

凡夫ばかりであっても『和』を成せば、そこは『浄土』と成ると。

つまり、現代に置き換えると、凡人ばかりの経営者や社員でも皆で『和』を

作れば、浄土に成るんだと。

和とは、仲良しのことを言うのではありません。

日本古来の本当の意味の和とは、

所属する組織の全体の発展の為に、

一人一人が、自分は何を以て、お役に立つのかを自覚して、

その自覚した事を、自分の特性(長所)を生かして、果たしている状態。

役割分担が為されている状態を、和と言うんですよ。

こういう状態を日本語では『らしく』とも言います。

つまり、和とは、自分らしく生きている状態のことなんです。

決して『自分らしい』と、何でも勝手に出来る『自分勝手』とは、

全く異なるものですから、勘違いせんようにね。

最後に、ワシの好きな武将である楠木正成公の言葉に、こういう言葉を遺しています。

『非理法権天』と。

非道な事は理つまり、道理には勝てない。勝てないとは、世間は認めないということ。

また、道理が通っていても、法には勝てないということです。

いくら道理が通っていても、法が全てに社会正義とは言えないからです。

そして法を守っていても、権力には勝てないというのも、

世間ではよく見られる光景ですね。

最近ニュースの各団体のトップ達の権力。理不尽極まりない感じですが、

しかし、楠木正成公は言うてます!

如何なる権力も、天には勝てない。と。

だから、聖徳太子も、弘法大師も、神=天の願いを学べ。と我々、

凡夫に諭してくれているんです。

我々が地獄に堕ちる事を防ぐ為に。これを愛情と言わず、何と言おうか。

日本人の先哲の教えは有り難いなぁと感じた今週でした。  

あぁ~消してしもうたぁ。

今週のインスピレーションをメモってたのにぃ、

九割方メッセージ書いてたのにぃ。

ウッカリ削除してしもうたぁ。

読み直していて中々、ええメッセージやと思うとったのにぃ。😱

思い出しながら、メッセージ書きます。

それでは今週のを。

経済的成功者が人生の最大のメリットを得る的な風潮が昔からあるけど、

本当にそうやろうかねぇ?

その人の晩年、魂は歓喜するんやろうかねぇ?

人生の成功って、何なんやろう?って、考えたことありますか?

人生のメリットって、何なんやろう?って、考えたことありますか?

たまには、トコトン、自分にとっての成功は何なんやろう。って、

突き詰めてみることをしてみたら、ええのにと思うんだけどね。

資産が何億、何十億、何百億、何千億って、テレビや週刊紙で見るけど、

経済的な成功者という観点で言うと、99%くらいの人達は、

不成功者だと感じます。

そう感じませんか?

事業で上場し個人資産何百億とか何千億っていいんだけど、

そこの社員の給料は?待遇は?どうなん?

その事業体は、30年、40年と高収益で社員の待遇も良好に維持されるんだろうか?って、思ってしまうんよね。

そもそも人間の成功の価値観は、自分なりの『成功』の定義によるんですよ。

人間にとっての成功とは、いったい何なんやろう。って、

人間にとってのメリットって、いったい何なんやろう。って、

一度くらい、トコトン考え抜いてみてはどうでしょうか?

そしたら、結局のところ、自分の夢や志、人生目的に向かって、

どれだけ挑戦したか、努力したか、じゃないかなぁ。

という心境に成って来ると思うんだけどね。

挑戦した不成功者には再挑戦としての新しい輝きが待っているんです。

挑戦を避けたままで、降りてしまった人には新しい人生なんて来ない、

ただ成り行き任せの、虚しい生涯を送ってしまい兼ねないだろうねぇ。

『友達』って言うのも同じ感覚です。

本当に友達って言える人は、自分の心を解放出来る間柄を言うんだと思うんだけどね。

だから自然体で生きてると、縁があれば友達が出来るんです。

無理に友達を作ろうなんて、せんでええと思うんやけどねぇ。

自分の考え、意見を、発信していれば、

それに共感する人も居れば、反発する人も出て来るんです。

縁がハッキリして来るから、自然体で、人間らしく歩んだらええんです。

作為が加わると、ろくなこと無いと思うんだけどね。

自分の心の純粋さを、貫きませんか!

まぁ、ワシは興味ないんだけど、経営者の集まるセミナーが、

巷で沢山開催されているようだけど、

皆、同じように見えてしまったり、感じてしまったり、するのは、ビジネス、利潤追求のみに、専念している感満載であり、

その外の人生はゴルフかマージャンだけ。みたいな。

皆、同じ顔つき、同じ服装。

魂が歓喜する生き方がワシは好きです。

だから、トコトン人間の本質と感じることに一直線です。

自分がやってることが物事の本質かどうかは分からんもんですが、

一度きりの人生、自分に純粋に生き切る。

生き切るんです!

純粋さに、中途半端は無いと感じます。

だから逆に言うと、中途半端な人に、純粋な人は、おらんのちゃうかなぁ。😱

自分が生き方を発信していれば、それに共感するか、反発をされるか、なんですよ。

反発を恐れていては、魂の歓喜は、無いと思うんだけどね。

だから、自分の魂が歓喜する生き方しませんか!

それが、その人にとっての『成功』『メリット』じゃないでしょうかねぇ。

今週は、友人経営者の一人が再婚しました。

開口一番ワシは、こう言いました。

『女房の心一つ、解放させてやれんようじゃいかんでぇ。

社員の心も解放させてやれんでぇ。

心の解放が幸福の原点でもあるからねぇ。』って(笑)。

結婚という漢字は好きじゃないんよね。婚は、女が黄昏(たそがれ)る、

と書く。

女と昏(たそがれ)を合わせた文字です。黄昏って、日没直後って意味やろぅ。つまり、黄昏時です。

今から、夫婦の人生を始めるのに、たそがれたら、いかんやろぅ。

『夫婦の為の生活か、生活の為の夫婦か。』

明らかに、夫婦の為の生活でなかったら、『つまらん』ものに陥ると思うんだけど。

でも世の中は、生活の為の夫婦が多いのか?皆さんは、どう感じますかねぇ?

古来の日本語では、結魂と書くんです。結ぶ魂を結魂と言うんです。

つまり、魂の結び付きの生活を歩むことを、意味してるんやとワシは昔から、思うて来ました。

会社での充実も同じです。

魂の結び付いた者同士で、共に歩むから充実が生まれるんです。

その為に経営者が全員が幸福感じるであろう理念、

つまり何の為に生きるのか、何の為に経営するのか、

を明らかに言葉にしたものを経営理念と言うんですよ。

それを明らかにして、そこに共感してくれる人達だから、魂の結び付きに成って行くんですね。

結ぶ魂でないと、権利と義務の関係、労働と賃金の関係にしか、ならないんです。

つまり、人生が早くも黄昏時になってしまうと思うのです。

黄昏は、日没直後ですよ。

黄昏(たそがれ)たら、いかんのちゃうかなぁ新婚さんが。

そして一緒に働く仲間達が、黄昏たら、情熱なんて湧いて来んでしょう。

人生の輝かしい時期を情熱、元氣、勇氣で、歩むのが健康な職場、会社と言うもんです。

魂の結び付きの関係を考え抜くんですよ。

そしたら、人生の全ての問題事を、解決するヒントが浮かんで来ますから。

ワシは昔から、社員の心が解放出来る職場を創って来たと言っても過言じゃないと言えます。

『心の解放』

ええ言葉やなぁ、と、つくづく思うねぇ。自分の心を解放してますか!?

周囲の人の心を解放させる努力をしていますか!?

職場で例えると、社員一人一人の居場所を作ってやることやと思います。

居場所を作ってやるには、一人一人の特性を見抜く眼が必要です。

これは親が子供に対しても、同じことが言えます。

社長であるあなたは、社員一人一人の居場所を作っていますか?

そもそも、居場所を作ってやりたいと思ったことがあるんでしょうかねぇ、

社長さん?


社員が生き生き働いてくれないと嘆く社長が相談に、たまに来ますが、

ワシは決まって、そう言ってますよ。

社員一人一人の、心の奥底に潜む『光』を見出だす社長自身の人間力が、

居場所作りに必要なんです。

そうしないと社員一人一人の『特性』を発揮させてあげることが、難しいんです。

特性を発揮し、居場所があるから、生き生きと自然体で働けるんですね。

夫婦関係も、社長と社員の関係も、今年開催されたサッカーワールドカップの各々のチームの関係も、です。

特性を発揮させる環境が居場所を作ります。この状態が『健康体』と言うんです。

家庭環境も職場環境もスポーツチームも。

健康体を目指して、先ずは立場が上の者が『あるべき姿』を学んでほしいと

願うものです。

ちなみに、うち(エモーション)は、次回の『社内学校』から、

佐藤一斎の考え方を学ぶ(上に立つ者のあるべき姿)を、付け加えます。

佐藤一斎の解説本は買いません。その解説者の意見に傾く恐れがあるから、

原本を揃えて、先ずは読む。

そして自分なりに考えて、社員皆で、考え方を考えるんです。考え方を考えることを哲学と言うんです。

今大河ドラマで『西郷どん』をやっていますが、西郷隆盛の『南州翁遺訓』の内容は、 佐藤一斎の思想哲学を学んだ事が書かれていますしね。

上に立つ者の、あるべき姿を学ぶから、

本当の『自分らしい』生き方が出来るんじゃないかというのがワシの昔から

無意識に感じて来たものです。

ここ、よく考えてほしいと思っています。

人としての、あるべき姿を学ぶから、本当の自分らしい生き方が出来て来るんだと。

逆に言うと、『自分らしく』生きれてないなぁと感じるんなら、

それは、『人としてのあるべき姿』を、学ぶことをして来なかったからじゃないでしょうか?

そういうことをせんから、いつまで経ってもあなたの心がスッキリせんのちゃうかなぁ。

心は、いつもベストコンディション。

これに尽きます!

自分らしく生きる為の『人としてのあるべき姿』の学びです。

『商道徳』を実践していないと感じてしまう会社や個人商売の実際の話を耳にすると、 情けなくなってしまいます。

やっぱり筋を通す商売を貫くことが、結局は自身の心を豊かにして行くのに

なぁと感じるのはワシだけでしょうか、、、。

ちょっとでも多くの金を自分のものにしたいと思う気持ちは、

誰しもあるとは思うんだけど、人の道っちゅうもんがあるんやけど、

それを無視して銭に走る。

どこかでツケが来るように感じます。

自浄作用を起こすしか助かりようは無いと思う訳です。

そう言やぁ、20数年前こういうことを年上の経営者に言うたことを思い出しました。

20数年前やからワシの年齢は今、満56やから30代前半ですよ。

で、その社長は50くらいやったかなぁ。

人間は、ええ人やったし、うちのルイボスティー買ってくれてたお客さんでもあったんですよ。

皆さんなら、よう言いますかねぇ?

こう言うたんです。

「そんなことしよったら、ツケが孫娘に来るでぇっ!」って。

そしたら、一代でブイブイ言わして来た人やけど、

心のどこかに、信仰心があったのか、やっぱり孫娘は可愛いから、

ピタッ!と止まりましたね(笑)。

自浄作用が起こったという訳です。

天は自ら助くる者を、助く。ですね。

やっぱり、王道とは?を勉強せな。

王道を歩みながら、商売を貫かな、ねぇ。

あなたの今日の仕事は、たった一人でもいい、

あなたに、心から、ありがとうと言ってくれる、

お客という名の、友を作ることです。

一人のお客の為に、誠を尽くし、

一人のお客の生活を守る為に、利害を超える。

その人間としての心を我が商人の姿としたいですね。

また、いくら持論が、正論だと感じて発信しても、

発信が過ぎると敵を創ることもあるのが世の中。

過ぎたるは、及ばざるが如し、ですね。

ワシの言う敵とは、反感の想念を抱かすと言う意味です。

十分の勝利は下。

七分の勝利は中。

五分の勝利が上。

中々、五分の勝利は難しい。達人の域ですね。

十分の勝利だと恨まれるのよ。十分=100%やからね。

相手を、こてんぱんにするんやから、恨まれるっちゅうことです。

七分の勝利でも相手は気分悪いもんです。

五分の勝利なら、相手のプライドを保ちながら、勝てるという訳です。

皆さん、五分の勝利を目指すなら、商道徳の実践を。

と言いたいなぁと思った今週でした。  

社員の安月給の上に成り立つ会社の利益は、本当の利益じゃないんです。

こんな会社、ほんまによおけ(多く)ありますよぉ~。

そこで働く社員の、大多数がやねぇ、個人の生活に於いて、世帯主じゃない人達なら、 給料は時給で、仕事柄高収入を得にくい業種業態(価格決定権の無い下請け業)なら、

社員に高い時給は出してあげれなくても、社員が自分の能力を伸ばせられて、経営者の愛情を感じていれば、

自分の特性に相応しい業務に特化した、役割分担で、その社員は、

自身の人間性と可能性を引き出せるからいいんです。

つまり、合意と納得の経営が出来るので、そういう会社に対して上記のことは言うつもりはありませんが、

そこで働く社員の個人生活で、世帯主だとしたら、文化的な生活が出来得る給料を払えっ!
と訴えるものです。

また、利益の業績だけが良い会社が、優秀な会社だと持て囃されていますが、

業績とは何ぞや?

あなたの定義を明らかにせよ。と言いたい。

言葉は、その人なりの定義により、異なるからです。

人間性に立脚した戦略を実践し、業績を上げて行くことが、全社員の充実につながる。
という考えですワシはね。

人間性と科学性(戦略に則った儲けのこと)と、

社会性のバランスとその高さの追求が会社のあるべき姿です。

なのに、こんな社長、多いんですよ。

自分は、ごっつ高給を取り、豪華な家を建てて贅沢していながら、

そこの社員の収入の、ごっつ低いこと。

社員も、文化的生活の出来得る給料や待遇を与えての、社長の高給なら、

何も言いませんよ、ワシは。

不様、風(ふ)が悪い、恥ずかしい、と感じないんかなぁ、と感じてしまいます。自分だけ「ええ目」して。

カッコ悪いなぁとワシは昔から思って来ましたね、そういう社長達を見て来て。

そういう人は、経営者とは言わないんです。単なる「社長」です。

世の中に社長は巨万(ごまん)と居ますが、果たして経営者は?と、

よく言うてますよワシはね。

経営の経は、人の道という意味です。経営の営は、経済活動という意味です。

だから、人の道を実践しながら、経済活動をすることを『経営』と言い、

そのトップ責任者を、経営者と言うんですよ、皆さん。

だから経営者に成る為に終わりの無い、『人間とは何ぞや!』の、学びを、

勉強を、せないかんのです。

社員数が多い会社には自分の業務にヤル氣があり、

その社員なりの会社の発展を真剣に考えている社員も、何人か出て来ますが、

おんぶに抱っこの社員も多くなってしまうもんです。

だから『経営者』は、己れの哲学で社員一人一人の哲学を切って歩むことが

必要不可欠なんです。

どういうことかと言うと、社員の考えを聴いた上で、自分の考えと社員の考えと、自身の中で検討し、より将来の発展、充実に至るであろうと思う方を、

選ぶのが経営者です。

もし、経営者自身の考えの方が、より将来の充実につながると判断したらなら、己れの哲学で以て、部下に、理解納得を得られるように導いて行く、

諭して行くことを、己れの哲学で相手の哲学を切る。
と言うんです。

『理解納得を得られるように諭して行く』これが大事なんです。

これを実践するには、己れの人生観、社会観、価値基準を確り持って、

深めてゆくことを欠かしては出来ないんですよ。

経営者は、会社の中心人格です。

社員に対しての教養と判断の中心でなければ導いて行くことは出来ません。

そして経営者は、社員の師匠という存在に成らねばならんと思うのです。

仕事に於ける師匠であり、人間としての、ものの考え方、

将来を指し示す存在。

最後に、経営者は、社員の親でなければなりません。

無情の愛を注ぐ親という存在。

この三つを兼ね備えてこそ、初めて社員は、自己の能力をより発揮し、

充実感を得るんだという考えで、貫いているんですよワシは。

主・師・親(しゅ・し・しん)

主とは、教養と判断の中心。師とは、師匠的存在。

親とは、無情の愛を注ぐ存在です。

社員も家に帰れば、家族の『主・師・親』なんですよ。

だから、会社の経営者だけのことを言うとるんじゃないんです。

誰しも、自分の人生の経営者なんやからね。

家族が居るなら、家族の人生の経営者という認識を持ってほしいもんです。  

備えあれば憂いなし。という言葉。

最近は、地震に備えての備蓄品とかを一般的に言うけど、

あなたの備えって何ですか?

人生、一寸先はハプニング。って15年前に、アントニオ猪木と六本木で飲んだ時に言ってましたがホンマやなぁと思います。

何が起こるか分からんのが人生であり世の中やと思います。

だからワシはこう思うんですね。

『備え』で重要なのは『教養と判断』なんですよ。

『教養と判断』を日頃から深める努力をしているから、

イザという時に工夫が湧き、叡智が出て来るんです。

だから教養と判断は、大事な『備え』じゃないかなぁと思います。

勿論、毎月お金の備蓄することも将来の備えに成りますから、

決めた金額を積み立てて行くことは大事です。

でも、誰もが何億も、備えられないんだから誰もが日頃から出来る備えを、

せないかんわなぁ。

誰もが日頃から出来る備えとは『学び』を深める努力です。

自分の考えを、掘り下げて考え抜いてみる。

考え方を考えることを哲学を深める、と言うんです。

『人の道』を考えて、考え抜いてみるんですよ。

人間とは何ぞや。を深めてゆく勉強です。

人生をどう歩むのかを決める、人生観を確立して行くこと。

どういう社会にして行かないと、いかんのか、を考える社会観を確立すること。

自分の判断の価値基準を確立すること。

つまり、哲学とは、人生観、社会観、価値基準の確立を言うんです。

自分の生き方くらい、ハッキリ自分で決めて歩む。

その歩みが、つまり、自分の生き様が、もう一人の自分が観て、

カッコイイのかどうか。

不様な生き方は、したくないなぁと思いますね。

お金の損や得やとか、どうでもええ事です。

自分の生き方が、カッコイイか、カッコ悪いかなんです。

それがワシの判断基準ですね。

皆さん、自分の胸に手を当てて、自分の生き方は、カッコイイですか?

今の時期、目に入って来るのが、紫陽花の花です。

何気なく紫陽花を見ていて、こんな言葉が、浮かびましたので、

皆さんに贈ります。

『雨に打たれて尚、鮮やかに咲く紫陽花の花。我も、斯くありたし。』

五七五七七の句では、ありませんが。(笑)

紫陽花は、雨に打たれて、より鮮やかに咲いているんですよ。

人間に例えると、雨は苦難と捉えると、

『人間は苦しい時こそ、普通のことが出来なければならない。』

その為に、

『決意が責任感を生み、責任感が方法を生む。』

今週はこの言葉を、メッセージします。

人間誰だって、苦しい時はあるもんです。

苦しい時に、苦しいって思うとったらいかんと思うけどねぇ。

そもそも本当に苦しい時って、苦しいなんて気持ちや、湧かんような気がするけど。

ワシの体験からもそう感じるし、そういう感覚分かる人、おるでしょ。

ワシの好きな、悟りの僧・良寛さんは

『苦しみから逃るる道は、苦しみ切るが宜しく候。』と言うてますね。

昔、この言葉を知った時に、唸りましたね。

良寛さんは、こう言うとるのかぁ、って。

「苦しいかぁ、それは苦しみ切ってないから苦しいのやぁ。もっと苦しめっ!」と捉えましたね。

苦しみ切った境地に到っていないから、苦しいと感じるのか、と。

苦しい時に、どう行動するかで、分かれるんです、運命が。

だからワシは日頃から発信してるんです。

自分の理想像を描け、と。

明確な将来の理想像を描けている人は苦しい状況になっても、苦しいって、

思わないと思うんです。ワシも体験あるけど。

ただ精神は大丈夫でも、どこか身体には無意識に来ると思います。

ワシは、盲腸が腐った状態で、数週間かそれ以上経ってたようでしたね。

盲腸手術で14日間も、入院経験あるしね。

普通は破裂して死んでたんだって、執刀医が言ってましたね。

皆さん、

現状、どんな環境に居たとしても、常に理想的な状態をイメージしておくことは重要なんじゃないかと。

今は難しくても、いつか、どこかの段階で、心に思い描いていた、

理想的な状況を作ろうとする心持ち。それが何より大切なんです。

諦めたり、あるいは、それ以前の問題として始めから理想のイメージを持っていないのなら、

現状を打破して、変わりたいと、どれほど願っていたとしても、

目指す世界を明確化していないんだから永遠に変われるはずは、ないんじゃないかなぁ。

明確な将来の理想像を持っている人は、苦しい時にこそ、

普通の事が出来てるはずなんです!

だから人生を歩む決意が、出来ているんですよ。

大いなる決意をしている人は、自ずと責任感が生じるんです。

その責任感が現状打破の方法を浮かばすもんです。

もしあなたが現状打破の方法や工夫が浮かんで来ないとしたら、

責任感の欠如です。

もっと言えば、最終的な決意を持ってないんですよ。

様々な決意を、多くの人はしているんですが、その決意のもっと高い次元の決意をせんからやと思います。

将来の理想像と人生の決意は、同じものですから。

何で、理想像を描かんのかなぁ?何で、人生の決意をせんのかなぁ?

したら、ええのに。

苦しい状況なんて誰だってあるんやし、現状打破をしたいって誰だって思ってるだろうし。

昔から言うでしょ。

女は弱し、されど母は強し。って。同じ女性なのに、母に成った途端、

責任感が根付くんですよ。

その責任感が、強さを増し、子供をより良くして行くぞ!という、

工夫、方法が湧いて来るんです。

会社経営も、人生経営も同じと思うけど。

 

『理想像』『決意』この二つがキーワードちゃうかなぁ。  

百の力のある者には、九十九の敵が出来る。

仕事が進む事は、それだけの敵が出来るもんです。

敵とは、邪魔が入るという事です。

まぁ、だから磨かれて叡知が湧いて来るとも言えるわなぁ。

より大きい仕事を果たそうとすれば、自分の生まれて来た役割は何なのか、を自問自答しながら、自分の役割を自覚して行く。

その自覚した役割が、神の眼から見たとしたら、神の意(心)に沿っているか?を自問自答することをしないと、より大きい仕事は出来ないと思います。

仕事とは、広い意味で自分の人生を謳歌する業であり、他人に好影響を与える言動であり役割だと思います。

また『大きさ』とは、規模のことも言いますが、むしろ規模より、

人間の器の大きさ、人格の高さ、心の深さをワシは言いたい。

99の努力をした者にのみ、天は1を加えてくれるんだと捉えてみることが大事という心構え。

会社に例えると、社長が99。社員合計で1。比率で言うとこの割合ですよ。

会社の責任は100%社長ですが、業務推進会社経営に於いては、社長の任務が99の重要度、責任度で、社員が1の比率だと言う考え方です、ワシはね。

しかも社員同士が相互に心を通わせていないと1に成らんのです。

こう考えたら、何十人何百人も社員が居たらやねぇ、全員が相互に心を通わすなんて無理じゃないかと。

だから、大いなる仕組みで運営するしか進まないんですよ。

自分の役割を果たして行く時に、同時に神の御用を務めて行くという感覚が

大事なんだと思いながら生きて来たし、

この生き方は生涯変わらないと思うんですワシは。

99の努力を自分はしているのか!?

今一度皆さん、自身の行動を省みてはどうでしょうか。

自分は物質的財産を、そこそこ貯めた。

事業も、そこそこ拡大した。

そういう事で、ほんまに納得のレベルは上がるんでしょうか?

自分は、そこそこやった、と思っている内はつまらんのじゃないかとワシは思うんです。


そういう価値観の人達とは、ワシは違うんだよねぇ。

一つ一つ、丁寧に事を進める。

この習慣が、自身に、心の丁寧さを醸成されるんですよ。

人生で言うなら、一つ一つオセロの黒石を、白石に返して行くんです。

その結果、死ぬ間際にオール白石に、したらええんちゃあ~ん!

焦らず、急がず。一つ一つ丁寧に。

人生、勝負は後半にあり!

これを本当に信じられる人は、充実を味わえるんだと思えてなりませんね、

ワシは。

 

いませんか?? こんな人。

『人柄はいい』のに、端から見てて、不遇だと感じてしまう人達。

勘違いしないで下さいバカにしてるんじゃないんです。

ただ残念に感じてしまうんです。

収入が安月給だからかどうかは知らんけど、文化的な生活などほど遠いなぁと感じてしまう人で、ギャンブルばかり。

競艇やパチンコしか、プライベートではしていなくて。

しかも、負けてばかりなのに、勝ち続けているなら、まだしも。

その上健康管理も敢えてしない人達。

まぁ自分のやって来た思考習慣や行動習慣の結果なんだけど。

やっぱり視野が狭いというか、視野を拡げようという意識がないからなのか。

こう思うんです。

視野の狭い人に、高い志は、中々芽生えにくいんじゃないかと。

例え、安月給でも、視野を拡げようとする思考習慣や行動習慣を実践し続けていると、

その人なりの文化的な生活が出来るように成ると思って、

奮起してほしいと願っているんですよ、ワシは。

『生きる目的』をいっぺんくらい考えてみてほしいと思うとるんですよ。

生きる目的で、大切なポイントは、

一、良い習慣を身に付けること。

一、生涯ずっと自分の能力を磨き続けること。

一、死ぬまで懸命に働くこと。

と思います。

だから、良書と言われる本を読書する習慣を身に付けてほしいと感じています。

また読書は、読書しても記憶に残らず、人にも語れないようなら、

読書は意味が無いんです。

内容を要約出来ないなら「学びを役立てることは出来ない。」んですね。

必要な時、必要な内容を思い出させてこそ、学びなんですね。

故に、心に響く書籍は繰り返し読むことが大切です。

人間みんな、忘れるんよ。だから、繰り返しが大事なんです自分の将来の姿の為に。

現代の社会環境や政治環境や職場環境や学校環境が『人間の真の幸福』という観点をないがしろにしているとしか、

思えない面はあるにせよ、各個人に於いてはやっぱり、

自己の思考習慣と行動習慣が今の『その人の姿』なんですよ。

国会議員はじめ、地方議員、お役所に勤める人達や、

会社の経営者達や学校関係者達は、

『人間の真の幸福』を考えてはいるんだろうけど『浅はかさ』が故に、

善循環には到っていない感があります。

『人間とは何ぞや!』

まさに、禅の世界ですが、このことを基点に『あらゆる施策』を

立案、発信、実施せな人間の幸福に向かわないように感じてしまうのはワシだけでしょうかねぇ?

例えば政府の中小企業支援策として『時間外労働等改善助成金』とやらが打ち出されましたが、

うちなんか設立時から残業なんてしていないし、昔から残業ゼロの会社に支援策してくれよ。って言いたくなるわなぁ(笑)

そもそも過重労働をやっている会社自体が人間性を重視していない会社やと

感じるけどなぁ。

社員の幸福より会社の銭を優先している姿勢じゃないですかねぇ。

あ、こういうのもあったよねぇ。

安部総理が平成24年に二回目の総理大臣になった時、企業が社員の給料を

一定金額現状より上げたら法人税を減額するっていう施策があったけど、

一見、素晴らしい社員思いの施策と感じましたが、既に、その会社なりに大幅に賃金アップしている会社は、

中々それ以上、上げようがないんだけど、どないすんねん?!って、思ったもんです。(笑)

不公平やん、てね。

政治を業としている、議員さんや、お役所で働く人達は、何か政策を立案し、やたらと実施している感がありますが、パフォーマンスに映ってしまうんよね。

もっと、本質的に追求して、もっと多面的に観てやねぇ、もっと、人間の幸福を遠くから考えた施策を立案し、発信、実施してほしいとホンマに感じます。

銀行も議員も、表面的体裁の施策ばっかり、が多いと感じてしまいますね。

これらの人達は決して安月給じゃないはず。

なのに、視野の狭い、思考習慣と行動習慣に見えてしまう。

収入の多い人ほど、社会環境、政治環境、職場環境、学校環境を人間性に立脚した施策の立案、発信、実施を率先してやってほしいもんだ、と感じています。