真の自己実現とは、個人の夢を達成する程度のものを言うのではなく、天から与えられた役割を自覚して、それを仕事を通じて、果たして行くことを言う。

この『天から与えられた役割』を自覚するために深い人間探究、自己探究が必要なのだ。

これが自覚出来た人に、『迷い』は無くなり、『使命感』が湧く。

『迷い』と『悩み』は違う。悩みは器が大きくなる程、大きくなるもの。
人生は『問題解決』をするために歩むもの。だから迷ってはならない!
法律とは本来、
皆の理想・斯(か)くあるべし。というものを決めることなのに、
いつの間にか、罰則規定になってしまっている。

ほんまに、、、つまらん!
おまけに、つまらん!ことがもう一つある。

自立心と公共心の乏しい人間が多い。こういう人間に幸福感は味わえない。

公共心とは、この『皆の理想・斯くあるべき』という思いのウェートが大きい心のことを指す。

つまり、自分の周りの縁ある人たちの『人生の充実とは何ぞや!』を考え、援助することが公共心でもある。
そのために自分が、自分の理想を確り持ち、確固たる哲学を持って、高い理想に向かって努力することが『自立』することである。

だから、自立心と公共心が幸福を生むのである。
中小零細企業経営者にとって最も『大切な資源』は、『健康』である。(社員も同じ)

『心』と『身体』の健康が、やがて『経済』の健康も、『人』も整うよう招き寄せるのである。

だから、『健康管理・体調管理』は仕事だという認識が重要なのである。

自分の思考回路(性格)を『永い眼で観て』何に優先を置くか、もう一人の『自分』に聴いてみるべし。
つまり、
知識技能の面では、長所を伸ばすのが良いが、精神・性格面では、短所を除く努力が実は長所を伸ばすことになるのである。

人間の性格上の問題としては、自分の欠点を反省して、これを除く努力が、そのまま長所を伸ばすことにつながるのである。

『伸びる』というのには二つある。
つまり自己反省という『浄化作用』を通るか否かで、『真に伸びる』か『自惚れ』に陥るかの分かれ道なのだ。
真剣に愉しく働いている会社しか、残れなくなる。

肚を決めて、出来ることを丁寧に徹底する!!
これが充実のコツ。

あなたの生き方が、
『出逢う人と、すれ違う姿勢』だったのが、
『真正面から向き合う姿勢』に変わった時から、人生を充実させるスタート地点に立てるのだ。

2011/09/05

つづき。

利他の精神を発揮できないのよ。
例えば、神道では、こう教えます。『悪気があってやる罪』と『悪気がなくやる罪』は、道徳的には前者が悪としていますが、人間の本質から言うと、宗教的には、後者が悪なのです。
これが理解出来ないと、本当の意味で、相手のためにはなりません。
『無知こそ罪』という自覚が大切です。
つまり、悪気がなくやる罪は、本人に『反省心』が起こってないからです。
人間は突き詰めれば『反省と感謝』しかありません。
己の哲学を深め続けるしか、真に利他の精神を具現化することは難しいのです。
また、自分の意識が徐々に『国家意識』につながらないと、息切れしますし、真に『充実』に向かわないのよ。
讃岐が生んだ哲人、弘法大師は『鎮護国家』を説き、最も厳しい禅の臨済宗開祖、栄西禅師は『興禅護国』を説き、日蓮聖人は『立正安国』を説いてます。
つまり、国家意識に通じているのです。
残念ながら、親鸞聖人は、国家を説いていません。

我々の日常に置き換えると、自分の日々の仕事、立ち居振る舞いが、どう世の中(国家)に役立っているか、縁ある人たちに勇気と感動を与えているか。が香川湧慈の『充実』です。
まぁ、香川湧慈の『充実』とは、エモーションを日本の零細企業の雛型(見本・モデル)をめざすことで、縁ある人たちに自分の生き様を通して、勇気と感動を与え続ける人生を歩むこと。が一言で言えば、これに尽きます。
お釈迦様の最後のメッセージは『自灯明』です。また常に言われてた言葉は『世の中すべて縁で動いている。縁なき衆生は度し難し。』です。つまり、全ての責任は自分にあり、自立して生きることが充実であり、出逢う出来事は縁があるから。原因が在って縁に触れて結果が在る。縁の無い人たちは度し難し。(どうしようもない)ということ。
縁ある社員を自立させる環境を作ることに全身全霊注ぐのが真の充実ではないでしょうか。僕は、そう思って歩んでいますよ。
愛情とは、相手が自立することを心から援助すること。と捉えているので、哲学を深め人の道を極めてゆく学びを生涯やり続けることが『充実』なのです。そういうことを社員や友人に発信しています。言行一致に努力です。以上。
有り難う。
数学でない限り、答えというのはありませんが、それぞれの価値観です。
あなたの言う『利他の精神』は素晴らしいことと思います。
僕の考える『人生の充実』とは、エモーションの経営理念である『志高く、らしく生きる』ことです。
これについては、また会った時にでも。
経営者としての充実は、社員一人一人の『居場所作りと光を当ててやること』と思ってるので、そこに心を注いで来ました。
『居場所と光(スポットライト)を当ててやる』と、皆、イキイキします。
一般的に言う『相手のため』というのは、真実は難しいですよ。おおよそ自分の浅はかな思慮で、相手のためと思っても、真実は相手のためになってないかも、です。
つまり、善悪と皆、簡単に口にするけど、真実の善悪とは何ぞや。を明らかにしないと難しいですよ。
世界中の人々の善悪の基準というのを勉強したことありますか?
自分のちっぽけな価値判断で多くの人は善悪の基準を勝手に決めているのが現状でしょう。
人間の善悪の基準は、その民族の根底に存在する『宗教』にあります。
キリスト教徒はエホバの神の教えが善悪の基準。イスラム教徒はアラーの神の教えが善悪の基準。我々日本人は、神道ですから、神の道=人の道が善悪の基準です。だから、人の道とは何ぞや。を深く求め続けない限り、
おはようございます!

昨日メール頂いた人生の充実のお話ですが、私が考え社員にも伝えている人生の充実は、「誰かの役に立っている時に、人間は充実感、幸せを感じる」と言うことです。自分のためだけに行動しても、決して人間は幸せを感じない。感じたとしても一瞬のことであり、充実感は感じられない。人間の一番大切なことは「利他の精神」であり、それが人生を幸せにする最幸の道であると、常々伝えています。
ピント外れでしたらすみません。

香川さんが考える「人生の充実」を教えて頂ければありがたく思います。

よろしくお願いいたします
自分が興味を持って、知りたい一心で味わいながら読む文章は、読んだこと、読んで考えたことが、そのまま身に付くものである。

だから『人間の充実とは何か。』について書かれているものに興味が感じられないようなら、薄っぺらい浅い人生を過ごすことに成りかねない。

経営者は特に、社員皆に『充実した人生とは何ぞや。』を説きながら経済活動をし続けてゆく立場であるから、人生哲学を確立してゆく使命がある。

社員一人一人に、働き甲斐、生き甲斐を与える環境を整えてゆくから、自分自身が働き甲斐、生き甲斐を感じるのである。

つまり、社員に働き甲斐を与えられていない経営者には、、、、、
自身の働き甲斐が感じられる道理が、あるはずが無いのである!!