人間の知恵というものは、自分で自分の問題に気付いて、自らこれを解決するところにある。
人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形作る支柱となる。
単に受身的に聞いたことは、何の価値も無い。
商売は、突き詰めれば、
お客さんから『捨てられるか、拾われるか。』
拾ってもらえてることに、感謝を忘れてはないか。
拾ってもらえるよう日々の業務に『心を注いで』いるか。
心を込めるのではなく、
心を注ぐのである。
込めるには『力み』が感じられるが注ぐには『丁寧さ』が感じられるから、
エモーションでは『心を注ぐ』ことを言葉にしている。
お客さんから、捨てられるか、拾われるか、二つに一つだということを自分自身はもちろんのこと、社員全員の胸に留(とど)めさせねばならないと思う。
そういうことを毎朝、胸に呼び起こすことが、
『今を生きる』ということなのかもしれない。
枝葉末節に囚われては、いけないが、枝葉末節に至るまでを大事にしないものは、部下の心を治めることは出来ない。
勉強でなく、学問をせよ。
勉強は「強いられる」の意味が混在している。
学びは本来、強いられてやるものではない。
自主的に学んだことを、
問い合うのが『学問』。
だから、身に付くのとちゃうかなぁ。と閃き〓ました。