人は、自分が比較的順調に日々を送っている間は、
とかく調子に乗って、他人の情とか苦しみなどというようなことには、気付きにくいもんなんです。

順調ということは、表面上からは結構なことやけど、表面のプラスに対して、
裏面には、ちゃんとマイナスがくっついとるから。

そこんとこ忘れずに。

同時にまた表面がマイナスであれば、裏面には必ず、プラスが付いとるんです。
悲しいことに、自分では中々そうとは気付かんのです。

そして、裏面に秘められたプラスの意味が分からんままに、自暴自棄になってしまう人がおるんです。

この背後には、いかに本を読んでも、金を積んでも、その他如何なる外部要因によっても得られず、その道を自ら身を以て体験した者のみが、知ることの出来る、人生の深い教訓のあることに気付かな、いかんのです。

それが気付けば、回り道も決して無駄でないばかりか、誰も持ち得ない人生の貴重な収穫を得られるもんです。
皆さんは『求めてやまない心』を持っていますか!

僕の言う『求めて』は『深めて』という意味を重ねています。

『求めてやまない心』がある限り、人生に勇氣と希望が湧いてくるもんです。

まるで真の教師なら、
教え子が卒業後どのように伸びてゆくかというところに、その最大の楽しみを見出だすように、、、、、
『※ちなみに、在校中からすでに生徒の信頼のない教師は下であり、『教師』とは言えん。
在校中は、生徒の信用がある教師は中や。

上の教師というのは、在学中は、生徒の信用はあるが、その真価は、生徒には十分には分からんもので、卒業後現実の人生にぶつかるようになって初めて、その真価が分かり出し、年と共に次第にその値打ちが分かって来るという教師を言うのです。

これが、真の教育者、教師と言うべきやろう。』
また、
親なら、我が子がどのように人間性と自分の備わった能力を伸ばしてゆくかというところに、最大の楽しみを見出だすものやし、
(親も「上の教師」に成らんといかんわなぁ)

真の社長というのも同じや。
社員達の人間性と社員自身の備わった能力をどう伸ばして自己実現してゆくかというところに、
最大の楽しみ、喜びがあるものです。
まるで、
庭師が自分の手入れしている植木が、次第に育ってゆくのを眺めて毎日楽しんでいるようなものかもしれんなぁ。

しかし、庭師はただ放って置いて眺めているだけではないんやな、これが。

水もやれば肥料もやる。時々植え替えもし、不用の枝は切り払う。(不用の枝=社風を乱す治りようの無い社員は、切り払う勇氣が社長や幹部になけりゃいかんで)

そのように『常に手入れ』をせんことには、立派な植木はでけんもんです。

会社も一緒やわな。

真の教育というのは、常にそれぞれ『手入れ』せないかんのよ。ほんまに。

そういうことを
『求めてやまない心』で
あってほしいんや、みんなに!
『深めてゆく探求心』を。

これ、せんかったら人間と違うなあ。犬や猫の単なる『動物』やわ。求め深める心が在るのが人間やから。

分かっとんのかなぁ、ワシの言うとること。

実行出来とったら分かっとるということですから、
そこんとこヨロシク。
弱者救済をするには、弱者に足並みを揃えるのではなく、強者が弱者を背負えるような腰の強い会社・国家にならなければならない。

目先の算盤勘定ではなく、大いなる算盤勘定を。
『具体策の無い理念は躍動しない!』

経営者でなくても誰しも、自分の理想があるなら、

それを実現するための
『具体策』を見出ださないと、理想に近付けないし、魂が躍動しない。

『具体策』を見出だした時心がワクワクし、
魂が躍動し出す。そして、勇氣と希望が湧いて来る。
自分が描いた理想を実現する為に『考え方・捉え方・ものの見方・言動』が、
ポイントになるんだよなぁ・・・