『剪定をしない限り、新芽は育たない。』

会社内部に於ける剪定とは何か。
一つ一つ考え抜くこと。

また剪定を行う者は、何も経営者だけではない。

社員一人一人が、
自分の内側の剪定作業に、意識する習慣を持つことが、
実は社員自身の心に『新芽』を育てることになり、
会社全体の『新芽』を育てることにつながって行くもんなんです。
真面目(まじめ)とは、
真の面目(めんぼく)のこと。と昔、教わった記憶がある。

人は、恥ずかしいことや、反省しなければならないことをした時に『面目(めんぼく)ない』と言う。

つまり面目とは、『恥ずかしいことや、反省しなければならないこと』の反対を意味することなんよな。

だから、面目ある人のことを『真面目(まじめ)』というのである。

なのに世間では、往々にして、おとなしい人・無口な人の総称のように捉えられている。

おかしいと思いませんか?平気で知らず知らずに、
そのような意味で、
『真面目(まじめ)』と表現していませんか?

『真面目(まじめ)』な人とは、自分の人生観を確り持って自分の意見を堂々と発信して歩み、自分の良心に恥じない生き方をしている人のことを言うのだと感じます。

そこの、真面目な振りをしている人!
『振り』じゃいかんで!

あなたは『面目(めんぼく)ある』日々を歩んでいますか?
ように考えてみて。
自分の内側を振り返ってみて。自分の意見を堂々と言えるように、ならなぁ!
いかんのとちゃいますか?
ほんまに、真に面目ある人『真面目な人』が増えてほしいと願う今日この頃です。
どんな立場の人であろうと、自らリーダーシップを発揮しようと努力している人だけが、実は人生の本当の喜び、充実感を味わえるのではないだろうか。

という閃きがありました。

職場で部下の居ない人でも家に帰れば、子供のリーダーだし、子供が居なくても友達の中でリーダーシップを発揮するとか、いくらでも考えれば、意識さえすれば、リーダーシップを発揮する場面はあるはず。

縁あって、出逢う人達を、人として導いて行く姿勢、導いて行く努力をしている人だけが、人生を愉しめるのだと感じます。

リーダーの『文化』を作ることがお互いを『しあわせ』に導くことになるのです。

文化の『文』とは、思想、哲学、意見の意味であり、『化』とは、人を導いて同化させること。

つまり、リーダーの思想、哲学で導いて、傘下の者を、その思想、哲学に同化させねば、『文化』と成り得ないのです。
毎週のインスピレーションメッセージは、過去に好むと好まざるに拘らずインプットしたもの(人との会話・本・TV・映画など、あらゆる出逢い)が、脳に刻み込まれていて、それが記憶に覚えているいないに拘らず、リラックスしてる時に、フッとインスピレーションで浮かんで来るんです。
そこで今週は、こんなのが浮かんで来ました。
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人の道が説けないといけない立場が三種あり。

一つは、教師。
教師は生徒に対して、
人の道が説けないといけない。

一つは、経営者。
経営者は社員に対して、
人の道が説けないといけない。

もう一つは、親。
親は子供に対して、
人の道が説けないといけない。

そして、説かれている
生徒、社員、子供から、
『尊敬の念と親しみの情』が寄せられていること。

この双方の関係が成り立つ時、真(まこと)の充実感が生まれるんだというインスピレーションが浮かびました。
人間は苦労せないかんのやけど、二種類おるのよ。

一つは苦労した為に、他人の苦しみに対して洞察ができ、同情心も持ち、
柔らかな思いやりのある人柄に成る人と、

もう一つは、反対に苦労した為に、人間がえぐくなって、他人に対する思いやりが、さっぱり無くなる人とがあるんよな。

この差は反省心によるもんなんやけど、またこの
『反省』がめんどいもので、 
方や反省するのに、方や反省せんのは何故か。

反省せないかんと思います。は、言葉の上での一応の解決は付くんだけど、事実としては何ら解決とはならんもんなのです。

生まれつき素直な人と、
生まれつき頑なで灰汁(アク)の強い人は中々自分を反省するに至り難いもんやから。

生まれつきのことを言うても仕様の無い問題やしね。
真に反省する人間性を身に付けるには、先ず道を知ること、次に苦労することやな。

『道』すなわち『教え』に出合わないことには、自分を反省するようにはならんもんなのです。併せて人生の行き詰まりに突き当たらなければ、人生の苦労を舐めなければ、身には付かんのや、これが。

だから、単に本を読んだり、勉強したりするだけでは未だ真に自分の姿に照らして、その心の悩みを消し去るほどの力を持つに至らない訳です。

ところが、大事な点が一つあるんや。

以前に道を求めたことのない人が、苦労に出合うと、その後『教え』を素直に聴くことは、かなり稀れです。苦労によって、人間がひねくれたり、冷たくなっている危険が潜んでいるからなんやなぁ。

つまり、一方は苦労した為に人間の甘さは少なくなったが、同時に冷たい、えぐい人間になる場合と、一方は、苦労した為に、他人の不幸に対しても、心から同情の出来る心の柔らかさや思いやりの出る人間になる場合の二種類あるのです。
それは、結局、日頃からの真の教え、人の道を学んでいるか否かによって、分かれるもんなんです。