2012/06/01

「香川湧慈の今週のメッセージ」平成24年6月1日

人間は苦労せないかんのやけど、二種類おるのよ。

一つは苦労した為に、他人の苦しみに対して洞察ができ、同情心も持ち、
柔らかな思いやりのある人柄に成る人と、

もう一つは、反対に苦労した為に、人間がえぐくなって、他人に対する思いやりが、さっぱり無くなる人とがあるんよな。

この差は反省心によるもんなんやけど、またこの
『反省』がめんどいもので、 
方や反省するのに、方や反省せんのは何故か。

反省せないかんと思います。は、言葉の上での一応の解決は付くんだけど、事実としては何ら解決とはならんもんなのです。

生まれつき素直な人と、
生まれつき頑なで灰汁(アク)の強い人は中々自分を反省するに至り難いもんやから。

生まれつきのことを言うても仕様の無い問題やしね。
真に反省する人間性を身に付けるには、先ず道を知ること、次に苦労することやな。

『道』すなわち『教え』に出合わないことには、自分を反省するようにはならんもんなのです。併せて人生の行き詰まりに突き当たらなければ、人生の苦労を舐めなければ、身には付かんのや、これが。

だから、単に本を読んだり、勉強したりするだけでは未だ真に自分の姿に照らして、その心の悩みを消し去るほどの力を持つに至らない訳です。

ところが、大事な点が一つあるんや。

以前に道を求めたことのない人が、苦労に出合うと、その後『教え』を素直に聴くことは、かなり稀れです。苦労によって、人間がひねくれたり、冷たくなっている危険が潜んでいるからなんやなぁ。

つまり、一方は苦労した為に人間の甘さは少なくなったが、同時に冷たい、えぐい人間になる場合と、一方は、苦労した為に、他人の不幸に対しても、心から同情の出来る心の柔らかさや思いやりの出る人間になる場合の二種類あるのです。
それは、結局、日頃からの真の教え、人の道を学んでいるか否かによって、分かれるもんなんです。