『本当の贅沢』
たぶん多くの人達が、贅沢とはお金を使い、物欲を満たすこと。と感じて実行していると思う。

否定はしません。

それもまた良し。

ですが、そういうことで本当にあなたの心は満たされますか!?

今週は、これだけです。

これだけ問いたいとインスピレーションが浮かびました。

『本当の贅沢』この問いに即答出来る人は『人生指針』を深く考え、

自分なりの指針を打ち立てている人です。
これについては、ハッキリ言い切れます!

人生指針を打ち立てていない人は、せっかくの苦労が身に付かず徒労に終わってしまうのです。
※徒労=しなくてもいい苦労のこと。

『人生指針』とは、自分は何の為に生きるのか。どういう人生を描いているのか。ということ。
これを、長い人生の中の数年間くらい、考え抜いてみませんか!

どんな状況下に置かれても、動揺しない自分に成れます。
あらゆる人生の問題事を、自分で解決納得ゆく歩みが出来きます。

ちなみにワシの人生テーマは『シンプルに、独自性を生み出し、深みが感じられるように。』です。

シンプル=簡素明瞭な人生でありたい。

独自性=大衆に迎合しない独自に生み出した工夫ある人生でありたい。

深みが感じられるように=思想哲学の確りした思慮深い生き方をしたい。

皆さん、
『本当の贅沢』とは?を、想像してほしいと思う訳です。
以前、友人経営者から社員の悩み相談受けた。

その人は本心から社員の人間的成長と能力的成長を願って真剣に取り組んでいる人物だから
(こういう経営者はホンマに少ないのよ)『身、真っ直ぐにして、未(いま)だ影曲がったこと無し!!』と話した。

ワシも自分でそう発信しながら、ホンマにそうやなぁと自分の心にも響きました。
つまり、身を真っ直ぐ立っている物に光が当たって、その影が曲がるはずはないのです。
社長が心真っ直ぐに取り組んでいたら、社員は曲がることはない。と信じて歩めという意味です。
世の親にも同じことが言えますね。

本当に『真っ直ぐな心』とはどういう状態なのか。を我々は学び続け、且つ『実際の困難』の捉え方受け止め方が前向きでないと、身に付かないと思うのであります。

『出来事』は、ものの見方、捉え方の訓練と心底思える人は、心豊かになってゆくと思うのです。
腹立たしいことから、学ぶのです。
腹立たしくないことからは勉強にはなるが、自分をもっとより良く磨く学びには中々ならないものです。

この訓練を自ら実践するか、お座なりにするか。ここが運勢の境目と思うのです。

腹が立つ、イライラする。その気持ちは分かるけど、『ものの見方、捉え方』を視点を変えれば、腹が立つイライラさせる他人が居るのでなく、そう思う自分がいるだけだと捉えてみる訓練。

毎日自分の『心の鏡』は曇ります。その曇りを自分で磨くというものの見方、捉え方を訓練するしか、納得ゆく人生は歩めないと思うのです。

誰だって自分の納得のゆく人生を歩みたいはず。

そうしたかったら、
あの人は、こうじゃないか?ああじゃないか?と捉えてしまう自分が居ても、
心の訓練と捉え、相手を見ている自分の『眼』は間違いないのか?と先ず自分の捉え方を疑うことが大切なのです。

中々これが出来ないのが人間だけど、心の底から愉(楽)しい人生を歩んでいる人は、先ず自分の眼を疑うことを内心で必ずやっていると思えてならない。

これが客観性を養う訓練になるのです。

他人を疑う前に、自分の眼(ものの見方、捉え方のこと)を疑わないといけないと思うのです。

常に『もう一人の自分』を側に置くこと。

誰も見ていなくても、自分の心が見ています。

例えば、お金。
会社は、お金と労働の交換所ではない!
それだけなら、何のやり甲斐があろうか?なのに、こう心の中で思って会社に行っている人達が多いのだろうと思われる。
だから、経営者が確りせないかんのです。

そこに気付いた社員が確りせないかんのです。役目と思って。
お手本にならないかんのです。十年二十年いや死ぬまで言い訳せず、出来てる事も出来てない事も経営者自身の生き様を発信し続け、良いと感じるものは社員のお手本にしてもらい、出来てないと感じるものは社員が反面教師にしてもらえる題材になるんだという覚悟が大事だと信じて歩んでいるのです。

お金は、人生を有意義に『納得のゆく歩み』をしたい為の『道具』という捉え方をワシはしています。

お金の為に働いている間は、不平不満の人生に自らしていることに気づかないのです。

人生の理念を実現する為に『お金』は道具として必要だと捉えてほしいのです。本当に人生理念実現の為に働いている人は、不平不満は心に沸き起こって来ないものです。
世の中の悪に対して憤りは持っても。

自分の人生理念が縁あって働いている会社の経営理念と同じ線上にあるなら、こんな幸福なことはありません。本当に。

こういうことは、トコトン自分の内面に向き合ったことのない人達には、味わえることは出来ないだろうと思うのです。

だからと言って、縁深い人達には、放っておく訳にはいかんのです。

何度も何度も繰り返し言うてあげる勇氣が大切と思って、相手からどう思われようが、発信し続けているのです。
一般的な『他人』じゃないからです。世界人口何十億人の中で、自分と掛け替えの無い深い縁で結ばれているわずかな『同胞』だと思っているから、ワシはトコトン発信したいのです。

感謝。
『生き様の美学』を皆さんは持って人生を歩んでいますか!?

香川湧慈の美学は『潔さ』です。ほんまに。

グジグシ、グズグズしてる人や往生際の悪い人は、
ワシは好かん!のです。

自分が信用信頼している人との間柄なら、理由なんて聞くなよ!

相手が頼むわ。って言えば、よっしゃ分かった。と即答してあげたらええのと違うん?

そういう間柄で駆け引きやしたらいかん!と思うとります。

『ギブ・ギブ・ギブ』でええのとちゃうの。

『ギブ&テイク』っていうのは、ワシは好かんなぁ。

二十年前31歳の時、名古屋の創業120年になる会社の
四代目オーナー会長(売上50億利益3億の会社)が、ワシにこう言うてくれたのを思い出しました。


「香川よ、ギブ・ギブ・ギブで進んだらええだがよ。
 そうしてたら『&ギブ』になるだがよ。
『ギブ・ギブ・ギブ&ギブ』だ。どういうことかと言うと、与えて与えて与え抜いていると、与えた相手からギブされるように世の中なってるように思うんだがね。」

って。

別に相手からギブされるのを期待して、ギブしてるんじゃ決してないんだけど、
まぁ、人生は、そうなってるように思えてなりません。

自分の生き様の美学を持って人生歩んでいたら、グズグズ、グジグシな人に陥らないと思うのです。

また『悪口を言うな。』と世間一般では言ってるが、もしだらしない人が居て、
その人が自分の大事な仲間に仕事で接触があるようなら、
事前に『あの人は、こういうだらしないところがあるから、留意するように。』と進言してあげることは果たして悪口なのか?

まぁ、皆さんいっぺん考えてみて。

多くの人が安易に『悪口言ってはいけないよ。』って善人ぶってないだろうか?
評論家やワイドショーのコメンテーターに陥ってないだろうか?

こういう人は、全く潔さが無いと感じます。

例えば会社に於いて『身内意識』が一人一人の個々の社員達にあるだろうか?

身内の秘密を軽々しく、評論家やワイドショーのコメンテーター如く無意識に他言していないのかを
反省せないかんわなぁ。

そういう無意識の言動に、自分の生き様がポツリポツリ出るもんです。

完璧な人間はおらんでしょう。

だから、無意識に出てしまう言動が、その人の生き方の現れなのです。

お互いに気を付けたいね。

そして、どうか自分の『生き様の美学』を持って下さい。
持ったなら、その美学に従って人生を歩もうじゃないですか!

他人に従うのでなく、

自分の内面から出る美学に従って人生歩んでいるのは、
心スッキリ達観した生き方が出来ると思うんだよね。

まぁ、こういうことです。
『人事を尽くして天命を待つ。』に非(あら)ず。

これは、ついつい人事を尽くしている『つもり』になって、自分の甘さの渦に埋もれてしまいますよ。

『人事を尽くすことが天命なり。』

この姿勢を貫きませんか。

さらに進んで、

天命(自分の美学)に従って、人事を尽くすのみ!です。
毎週のメッセージを楽しみにしてくれている人が居れば(実際そういうコメントくれる人も多いから)、
そうでもない人も居ると思う。

いずれにせよ、
『現象はメッセージ』と捉えれば、すべての受け取る皆さんの『どう捉えるか』次第で、
心の栄養にも成れば、全くのゴミと化す人もいる。

ええですか!

どうでもいい人にメッセージなんてしてないんやで。
インスピレーションで浮かんだメッセージを携帯にメモして、木曜にメッセージの体裁を考えているのです。だから、今週何をメッセージしようかなんて考えてメッセージしてるのではないんです。

いつも何がしか問題意識を持っているので、ピンッ!とインスピレーションが浮かぶのだと思うのです。

まぁこう考えてみて。
皆さんを産んだ『魂の親』(神道用語で主護霊と言うんだけどね。例えば同じ親から生まれた兄弟姉妹でも皆性格が違うでしょ。肉体の親はDNAが同じやから顔は似てても、魂の親が違うから、性格が異なるのです。)が、縁あって出会った香川湧慈というフィルターを通して(魂の親と我々三次元に住む人間とは居住する次元が違うから、三次元のものを通してでしか意念を伝えようがないのよ)
皆さん自身を導くメッセージだと捉えてみたらいいと思います。

香川湧慈のフィルターを利用して、縁ある皆さんに、皆さん自身の『しあわせの神(主護霊)』が
メッセージしてくれていると捉えてくれるといいんじゃないかなぁ。


せっかくの目に見えない縁だから、どうか自分の生活に活かしてくれると甲斐がありますから。

そこで今週浮かんだ一言。

今までの人生で『苦労』が足りない人は、『心配り』が、
たぶん出来得ないのではと感じてしまうのです。

仮に苦労が足りない人は、それは仕方ないことだと思います。
ですが、だからと言って、常に心配りを『意識』してなければ、たぶん一生心配りの乏しい、
淋しい人生に成り下がってしまうと思うのです。

常に『心配り』の出来ている人、思いやりの出来ている人は、共通していることは、
体験した『苦労』を、それを前向きに捉え、今に活かしている人やと思う。

人間誰しも悪い心の癖がある。自分が自分の心の悪い癖を常に意識するしか、
訓練するしかありません。

一に意識。二に意識。
この常に『意識』するしか、あなたの不幸を防御する方法は無いと思えてなりません。

だから、周囲の人達への心配りを常に意識して下さい。
ケチ気にしないで『出来ることなら、してあげなさい。』です。

それがあなたの心を豊かにする栄養になると思うのです。