2013/08/21

「香川湧慈の今週のメッセージ」平成25年8月21日

何の為に学問をするのか?
それは、自分の精神性を高め、澄んだ心を手に入れる為にするのです。

学問は、謙虚で素直な姿勢でなければ、いつまでも、目の曇りは取れず、

鏡には濁りしか映らないんです。

澄んだ心でなくては、澄んだ鏡を見ることは出来ないんですよ。

澄んだ心の人の『心』を感じ取れないんです。

誰しも、澄んだ心と濁った心の両方持ち合わせているものです。

出来るだけ多くの時間を、『澄んだ心』で居られる方がいいと思うのです。

だから、毎日『学問』した方がええでしょ、と言うとるのよ。

鏡は何の為にあるのか分かりますか?

自分の良心を規範として、過去の自分の経験と知識に照らし合わせて、

自分は何を為すべきかを今一度正す為の『反省』をする為に存在するんだと思う訳です。

毎日、自分の顔を見てるやろ?
『ええ顔』してますか?
見た目だけちゃうよ。

そうしながら、常に自己チェックをすること。

無意識に本道から外れていないかを、自己チェックせないかんのです。

自らを省みる。

他人の誰もが見ていないから、自己チェックせないかんのです。

欲の赴(おもむ)くまま、思い付きのまま行動してはいかんのです。

欲による揺らぎがなく、

常に自己チェック、反省を以て事に当たらないかんのです。

精神性を高めることから、逃げてはいかんのです。

遊ぶことばっかり考えて日々過ごしてないですか?

自分の日々の行動に、
高みが、大きさが、深みが、身に付かなくなるんです。

義務になってもいかん。
遊びになってもいかん。
自然と襟を正す感じが大切です。

『精神性を高めようと日々努力している人』の言葉が、気持ちが、理解出来なくなってしまうんですよ。

そういう悪習慣(学問を日々しない、避ける。)を続けていると、精神性を高めようと努力している人との『縁』が徐々に離れてゆくようになって、不平・不満・愚痴・泣き言・文句の世界を巡る羽目になるんですよ。

表面的な事も大切やけど、
黙って周囲の役立ちに行動し続けるのです。

これを健気な努力と言うんです。
健気な努力している人は美しいと感じます。
(表面的なものは求めず、唯してあげる。
表面的なものを求めてはいけません。求めると、相手を疲れさせてしまい、本末転倒になるんです。)

誰に評価されなくても。

評価されたいから、行動するのは、カッコ悪いと思うのです。

昔のヒットCMに『男は黙ってサッポロビール!』というのがあったけど、男も女も一緒です。

見返りを求めず『黙ってしてあげるだけ。』がカッコイイと思うんだけど。