この「メッセージ」当初うちの社員だけに発信していたので、
自分のことを社員にいつも言っている愛情を持って「ワシ」という表現を使っています。
 
なので以後「ワシという表現」は、このメッセージのキャラクターとして使っているのです。
漫画家の小林としのりさんが自分のことを「ワシ」と、
キャラクターとして使っているのを真似させてもらったのが始まりなんです。
 
だから、読者(皆さん)の「内容」に対する捉え方ですから、香川湧慈の持論を勝手に発信してるだけなので「ワシが」という表現はキャラクターとして捉えて下さいね。
 
例えば「ワシが」という表現が、上から目線と捉えられても「それもまた良しホトトギス」なんですよ。
キャラクターとして使っていますからね。
 
信長は、鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。
秀吉は、鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス。
家康は、鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス。
ですがワシは「それもまた良しホトトギス」なんです。
 
だから、ワシがあなたに言ってるんじゃなく「内容だけ」をどう捉えるかに傾注してくれるといいと思うのです。
 
で、今週はこれです。
最近ふと気付いたことなんやんけど、多くの経営者が何気なく『戦略』という言葉を使ってるが、
どう思ってるというか、考えているのやろうか?と思うのです。
 
経営者じゃない人も関係あるから読んでね。
 
漢字をよく考える習慣を持つと、意味が見えて来るから、そういう観点で何事も考えてみればええと思うのです。
 
たぶん多くの経営者が勘違いしてると思うのです。
 
『戦略』の意味を。
 
戦いを略する。と書いているんだから、あなたの会社で、何を略するのかを考えるのです。
あなたの目的にそぐわないものを考えて略してみるといいと思うのです。
それが理念に則っているもので、将来に亘り、充実するのか。を自問自答し、
立てるものだと思う訳です。
 
つまり、何をするのか、でなく、理念が確りと決まれば「何をやらないのか」を決めて継続することが、戦略だと思いませんか?
 
それも、数年先ではいかんと思うのです。
 
戦略は、少なくとも二十年くらい先まで守り通す、
貫く方針なんです。
 
ワシが立てた戦略は、二十年くらい前に立てたんだけど、
今の時代は平均寿命も二十年前からすると延びてるから、
三十年先くらいまでの方針を戦略と言うのです。
 
四、五年先とは違うんです。それは、中期の方針に過ぎないんです。
戦術(具体的な当面の行動)のことだと思うんですよ。
 
個人で例えるなら、自分の三十年先までの生きる方針を決めるのが「人生戦略」なんです。
 
人生目的に対して、何を略して、何に傾注するのか。
ワシは今まで二十年スパンで考えて、人生戦略を立てて来たように思います。
こんな生き方をしよう。
こんな生き方はすまい。
と。
 
二十代では、こういう生き方。三十代では、四十代では、五十代では、六十代では、七十代以降は。
 
というように、ね。
 
本当に戦略を考えてみて下さい。
目的に対して、如何に無駄なことをやってるか、が見えて来るから。
これが見えて来ると、人生に無駄は無くなると思うのです。
 
会社経営も人生経営も。
 
戦(いくさ)を略(簡潔=シンプル)するのが戦略なんです。
 
二十年~三十年くらい先を自分なりに(自分の充実した生き方=理念のこと)考えて戦略を立てるのです。
 
立てたら、ほんまにこれでええのか、これでええのか、と深めてみるんです。
 
そしたら、覚悟が出来て来るから。
 
本当に充実した経営、人生を歩みたいなら、経営戦略、人生戦略を、
よぉ~に考えな、いかんのと違いますかねぇ。
 
ちなみに、ワシの場合は、創業の時に経営戦略を立てました。生涯の戦略を。
 
やり方はトライ&エラー(チャレンジしては失敗し、工夫する)を積み重ねながら、
徐々に理想に対しての納得性を高めて来ました。
 
エモーションの戦略「規模を大きくしない。10人までの規模で行く。」という戦略でした。
 
理由は、それが理想を達成する為に必要なものだからです。
逆に規模を大きくしてしまうと、理想(理念)に成らないからなんです。
 
そして顧客作りについての戦略は、
 
「信頼関係の輪を拡げながら、愛用者を積み重ねる経営。」が戦略なんです。
 
つまり、一気にお客を作らない。が戦略なんです。
これも、理想の実現の為なんです。
 
この二つを貫きながら会社運営して来たし、その戦略に則ったやり方を工夫しているのです。
 
戦略というのは、上手く行かなかったから、変更するものじゃないと思うのです。
 
それは戦術(具体的当面の行動)だと思う訳です。
 
芯に成る戦略があるから、戦術が上手く行かなかくっても、ブレない生き方が出来るんです。
 
個人の生き方も同じなんです。ブレない生き方が、
納得性を高めると思うのです。
 
創意工夫の連続が、徐々に理想像に近付けて行くのです。
創意工夫の連続しか、
理想像に近付かないのだと思うのです。
 
 
会社も個人も。
 
 
 

2013/11/29

「100%しあわせな1%の人々」という言葉に以前出逢ったことがある。
 
なるほど、そうかも知れんなぁと思ったのを思い出した。
 
日本人一億三千万人なら、130万人や。
ワシは、その130万人の中でおりたいなぁと感じた。
よくよく考えてみれば、
100%近く心が「しあわせな状態」の人という意味やと思うのです。
 
うちの社員達も1%の人々にしたいなぁと思ったものです。当たり前の心情です。
この心境というのは、何事も自分の「ものの捉え方」に尽きる。と思う訳です。
だから、ワシは縁深い大切な人に「ものの捉え方」を、身を持って示して来たし、示しているんです。
それが諭してゆくことにつながると信じて。
 
必ずや縁深い人達やから、理解納得して皆が自分の心と戦って見事ものの捉え方が100%しあわせな1%の人に成れると信じてるんです。
 
何故なら、この香川湧慈と縁が深く関わってるんやからね。
ワシは、その1%の人やと思ってるので、経営指針書の「給料について」の項目にもハッキリとこう書いてるんです。
 
50%は社長の考えを理解する努力をすること。
 
50%は与えられた職責を果たすこと。と。
 
これだけ自信を持って明言出来るのは、トコトン哲学を深めているからなんです。
「キチンとする」「ちゃんとする」一事が万事、これが身に付けば、ものの捉え方が成長すると信じてほしいのです。
 
その為に先ず解消せな前へ進めないことが、これです。
 
人はそれぞれ、その時点での「一大事」を抱えているものやと思う訳です。
 
だから、皆の心がスッキリしないと、皆で同じ方向を進もうと努力していても、
一人一人の、その時点での「一大事」を解消出来る環境を作ることが出来なければその全体としての努力は実を結ばないと感じるのです。
 
その環境を作ってあげたいという気持ちが常々あるんです。
 
人それぞれの、その時の「一大事」というのは、その人の人間関係であったり、身内であったり、
身体(病)であったり、お金であったり、だと思う訳です。
 
会社は本来、人の道を実践しながら経済活動する組織だと思うのです。
 
経済活動の中に「人の道」が実践されていないなら、
経営ではないと思う訳です。
外してはならん「道」を中心に据え、柔軟に対処してゆくのです。
 
どうでもええ事は、どうでもええのです。
 
外してはならんものが存在するんです。
 
そこを、ちゃんと見詰めて振り返ってほしいのです。
皆さん考えたら分かるから皆さん方自身の「外してはならん道」が。
毎日何気なくやっている、自分の行動が、人間の良き習慣を身に付ける為に、
キチンとせないかん事と、どうでもええ事の違いを、よくよく振り返ってみてほしいのです。
 
そしたら、アホやバカでない限り、誰だって分かるもんです。
 
ほんまに、普段のあなた方の朝起きてから寝るまでの自分が、どんな言い方をしたか、どんな立ち振舞いをしたか、振り返らんと何年経っても、進歩成長せえへんよ。そこの「あなた!」。
腑抜けのまんま、
くそじじい、くそばばあになってしまうでぇ。
 
ワシは、そんなん絶対嫌やから、毎日自分の何気ない言動を振り返ってます。
何べんも言うけど、
 
細かい事に氣を配る。
細かい事に氣が配れる。というのは、あなたが誠実だからなんですよ。
 
心の根底に誠実さが染み付いているから、一つ一つの細々したことに、丁寧に成れるんです。
逆を言うと、細々した事を疎かにしない訓練をしていると、あなたの心に丁寧さが染み付いて来るから。
雑にやってはいけません!徐々にあなたの心が雑になり、人生そのものが雑に成ってしまうんですよ。
 
だから、大事に思っている人ほど、出来てなければ、何べんでも注意してあげたいのです。
 
亡き師匠の格言の中に、
「繰り返し言う勇氣を持て」という文言があります。
ワシは、ほんまやなぁと、二十年前にこの言葉と出逢い、自覚したんです。
 
その勇氣が出ないのは、
自分が相手のことを、そこまで大事に思っていないからなんです。
そこまで大切に思っていないからなんです。
繰り返し言えないのは、
自分勝手なだけなんですよ。卑怯もんに陥りますよ。
 
そりゃそうでしょ。
どうでもええ人に、言わんでしょ、誰だって。
また、相手が「ちゃんと出来てたら」同じこと言わんでしょ。
意地悪してるんじゃないんだから。
お互い、磨き合わないかんのです。
磨くことを物理的には、
摩擦と言います。
 
お互いがより良く人生を歩んでゆく為に、大いに摩擦を恐れてはいかんのです。
揚げ足を取る、反発するんじゃないんです。
 
愛があるから、
情が流れているから、
細々した事を疎かにしないし、疎かにしたくないんです。
 
皆さん、
普段の「ものの捉え方」だけでええから、訓練して下さい。
しあわせを感じる原点は、あなたが、どう捉えるかだけやと思う訳です。
もっぺん言うで!
あんたの捉え方に責任があって、相手責めても治らへんのやから。
 
人間は自覚に至らない限り、な・お・り・ま・せ・ん!から。
自覚に至るには、道を学び、道に沿って自分の言動を修めてゆくことです。
 
つまり、相手を思いやる心を育むことなんです。
 
 
 
 
『気は配るもの』
 
これがワシの昔からの心情であり、信条です。
 
特に仕事では、あらゆる面に、
「これでいいのか?
これでいいのか?」と、
自問自答を何回もすることで、下書きを何回もすることでミスが無いよう、
よりクオリティーを上げているんです。
 
皆さんにも、確認、確認、確認の、習慣を身に付けてほしいと願います。
 
それが皆さんのクオリティーを上げてミスを防ぎ、
周囲に迷惑を掛けない努力と思ってほしいのです。
 
『気を使う』と『気を配る』は香川湧慈的には似て非なるもの。としています。
 
気を使われると、こちらも無意識に気を使うようになって心に疲れを感じてしまうのです。
 
 
気を配られるのは、心に疲れを感じないんです。
 
例えば、ワシはいつも昔からなんですが、自分が誰かに何かしてあげたかったら、
してあげる習慣があるんです。
 
世間一般の多くの人のように、してあげたから、何かしてくれるかな、というような見返りなんて、
これっぽっちも無いんです。
 
だから、自分の氣を配ってるんです。
 
充実してるから、福を分けるお裾分けならぬ『お福分け』をしてるだけなんです。
 
だから自分も相手も疲れを感じないんだと思うのです。
 
ちょっとでも見返りを求めたい人は、気を使うんだと思うのです。
 
だから自分も相手も疲れを感じるんじゃないかと思う次第です。
 
 
ワシは世間体とか見栄とかが好かんのよ。
 
自然体じゃないから。
 
世間体を否定はしないけど、余りにも世間体を気にし過ぎる人が多いと感じて仕方ないのです。
 
礼儀とは、世間体を氣にするお返しでなく、
 
自分が何を以て相手にお役に立てるかを考えて、
誠実に、その思った事をしてあげることだと思うのです。
 
何々してあげた「のに」。
と思うくらいなら、せんでええのとちゃいますかねぇ。
ワシは、こういう感情が、、、好かんのです。
 
また色々してあげた「のに」と思っている相手が居ても、自身の「生きる哲学」を深めながら、
実践していると、やがて「覚悟」が具わって来ます。
 
すると、その「のに」の相手が居てくれたから「こそ」、自分が強く、深く、
広くおおらかになるキッカケになったと、ある種、感謝に似た感情が湧いて来ますから。
どうぞ精進あれ!
 
もっと自然体にみんなが成ってほしいのです。
 
せないかん事と、せんでもええ事の判断が瞬時に出来る自分の『モノサシ』を持って毎日歩む為に、自分のものの考え方を深く深く掘り下げる習慣を持つこと。その為に古典を読むことが、哲学を深めることにつながるんです。
 
ほんまに。
 
本を読みゃあ、良いってもんじゃないと思うのです。
どのような人物が言うているのかが大事だと思うのです。
 
まぁ何百年、何千年も残っている考え、哲学は普遍性(真理性)があるんじゃないかと思うのです。
 
日本人の先哲達の哲学を学ぶのは、自分の哲学を深めることにつながるんです。
道元禅師、親鸞上人、弘法大師、聖徳太子、名だたる武将達、等々。
 
そして、
相手に気を使わさない配慮を自然体で立ち居振舞いできるよう心懸けたいものです。
 
そのコツは「してあげたのに」の感情が起こらない心の学びを訓練するしかないと感じます。
 
 
すべては、自分の「ものの考え方、捉え方」なんです。幸福というのは。
 
 
どんな仕打ちを受けようと、如何なる状況下に置かれようとも、自分を見失わない強い心を養ってほしいと思うのです。
 
人生は問題解決能力を身に付ける為に存在する。と言っても過言ではないと思うのです。
 
仕事が思わしく行かないのは銭が無いからではなく、アイデアが無いからだと思うのです。
 
ワシは寝てる時と「姿勢堂」という脳と頸椎一番二番の気功調整のお手入れをしてくれる所へ、
週一ペースで通ってますが、この二つの時以外は、
 
四六時中、経営のことを考えています。
風呂入ってる時も、酒飲んでる時も。それが経営者ですよ、誰だって。
 
長い目で見ると、人生にはムダがないように思えてなりません。
 
何が起こっても、大変な目に遭遇しても、
 
これも運命と覚悟して、、
「ハイ分かりました!」と、
つべこべ言わず、淡々とこなして行くようにワシはしております。
 
皆さんも、つべこべ思わず、言わずに、しんどいけど、前世で自分が蒔いた種。
 
その因縁が今来てるんだと覚悟して、アイデア出して淡々とこなして行く習慣が実は自分を強くするんだと、学習能力を付けてくれているんだと思うことですね。
 
最後に、こういうことを身に付けるコツというか、
習慣は、体調コンディションを定期的に、まぁ週一ペースで体調のコンディションを整える身銭投資の継続だと自分を振り返り確信します。
 
 
 
 
 

たまに、友人経営者の幹部から相談を受けることがあります。

一般的には、幹部は部下の心を掴む努力をせよ。
なんて、言われてますが、ワシは違う。

幹部は自分の部下の心を知る前に、自分の仕える経営者の心を知ること。

下を見る前に、上を向くこと。

幹部は、トップの心を噛み砕いて部下に食べさす役割があるんです。

そうしないと末端社員まで、トップの理念を理解納得してもらって社業に取り組んでもらえないと感じるのです。

但し、前提があります。

自分のトップが、

心から仕えるだけの、

人生を懸けるに値するだけの人間性を具えているか、

が世の中を『しあわせ』にして行く要素であると思うから、トップは人格を磨き続ける、

経営センスを磨き続けることを怠ってはいかんのです。

ワシが心掛けていることをいくつか。

『適温』の人間関係が心地よい。

相手が、自身の志を立てるキッカケになる気付きを与えるメッセージ。(無言のメッセージもある)

周囲の人達の生活が、希望ある丁寧な生活であるよう願っている。

自然体の生活習慣。

自分の体調コンディションをいつも『感じいい』状態に保つ日常習慣。

自分の体調コンディションが良い状態で人と会うのが礼儀。
しんどい顔、疲れた身体で会うのは失礼。

心は、いつもベストコンディション。

物事や人間の本質的な美しさを観る習慣。

相手の心の琴線に触れる事柄に、そっと誠実に向かい合う心配り。

どうにもならない事に思えることには、焼け石に水を打ち続けてもいい、という心境で接する。
一瞬でも相手が心地よいと感じてくれれば、何かのキッカケになると思って。

大した事が出来なくても、存在として恰好(かっこう)が良ければ、背伸びする必要なし。

自分のダメなところも、
ありのままに見せる、
隠さない姿勢が恰好良い。

手は放しても、目は放さない。
目は放しても、心は放さない。

誉めて育てるの落とし穴。『また誉めてもらおう』と評価されるためだけに行動するのは、ニンジンをぶら下げて走らされる馬に、
陥り兼ねない。

結果、報酬を期待して働くだけ、という人間の卑しさがくっ付いて来る懸念あり。

(物事に対して純粋な気持ちで取り組むという姿勢が育たなくなる)

努力でなく、工夫を自ら見せることで示唆する。

如何に工夫して愉しく出来るかの思考回路。

『綺麗事で飯を食う』という生き方。

『綺麗事では飯は食えない』というのは、言い換えれば、正しいことをしたら食えない。

と言っていることに他ならない。

自分の得にならないと
『ありがとう』と言うと何か損する。って人がいるが、ワシは違う。

ありがたいと感じたら、
『ありがとう』と気軽に言ってしまう。
習慣になっている。

絶対と言っていいほど、
尾を引かない!

後腐れ悪いのは嫌いやし、尾を引く人は自分で自分の運を下げてることを身体が知っているから。

だから、ワシの周囲の人達よ。

気持ちの切り替えをスグする訓練を!

自分の幸福の為に、そして自分の周囲に毒を振り撒かない為に。