『生活』するとは、
読んで字の如く、生きることが活性化していることです。だから生活なんです。生存ではないんです。
なのに、世の中「生存」してる人が多いように感じます。
 
皆さん、毎日が活性化していますか?
自問自答してみて下さい。
世の中の多くの人が、たぶん、いわゆる生存する為に働いている。
 
生存=食べる為だけに働いている状態。
 
まぁまぁ、そこそこでいいわ。と思って生存してるんです。
 
そういう人は、本物じゃない。
そこそこ止まりか、そこそこの位置にも到達しないんです。
 
自分の気持ちがその域を脱して、越えない限り、心の充実は生じない。
 
年月だけが無為に経過し、生活の為に働いているのに、生活は好転しない。
 
何の為に生きるのか、生活するのか、という理念が、人間一人一人に自覚が確りしていないと、
いつまで経っても、生活にならないんです。
 
常に理念(どういう生き方をしたいか)を心に置いて一所懸命になっている間だけ、
生活が好転してゆく。
 
これが法則じゃないかと思えてなりません。
 
仕事も同じ。
 
自分の、職場での立ち居振舞いが、自分が見てカッコイイと思える言動が出来ているか、
たまには自己チェックせないかんのと違うかなぁ。
 
自分が自分の言動にカッコイイと感じるくらいの立ち居振舞いをした方がええのと違うかなぁ。
 
「あぁ、自分カッコ悪。」にはなってはいかんのです。
頼むけん、それぞれが自分が自分を見てカッコイイと思える自分で居続けて下さい!
 
本当の品性とか、マナーというのは、表面上だけじゃないと思うのです。
 
一、相手を決して馬鹿にしない。侮辱しない。
 
二、相手に気を遣わせない配慮。
 
一言で言えば、この二点だと思うのです。
 
だから、マナーというのは一律じゃないんです。
 
その時、その場、その相手の心理状態によって臨機応変に立ち居振舞いが出来ないかんから、
難しいんです。
 
但し、相手が「まともな人」の場合ですよ。
「わがまま」な人に対して、マナーもへったくれもありませんから。
 
一般的にマナーとされてる作法であっても、相手(まともな人)に気を遣わせたなら、
本当はマナー違反になるんだという考えが香川湧慈流なんです。
 
「らしく生きる」とは、そういうことだと思うのです。
永遠のテーマです。
自然体で身に付いているということは。
 
皆さん、他人を気にしないくらいが、実は自分の本性が出てええのと違うかなぁ。
裸で生きる。すごい毎日がスッキリ歩めますよ。
 
本当の「生活」が出来ますよ。
 
自分の、しょうもない殻を脱皮する勇氣を出して下さい。
 
人生目的がハッキリしていれば、他人の眼なんか気にならないのに。
 
自分らしく生活出来るのに。
 
もう一人の自分が、こう言うてませんか?
 
「そんな生き方でええの?」って。
 
そういう自問自答の繰り返しが自分を徐々に脱皮させてくれるんです。
 
勇氣を湧かせてくれるんです。
 
他人があなたに言うとるんじゃないんです。
もう一人の自分が言うとるんです。
 
だから素直になれるんじゃないですかねぇ。
 
 
 
「真の自立こそ幸福の原点」
なのに、真の自立が出来てない人が、ものすごく多いんじゃないかと感じる。
 
だから、世の中乱れ、欺瞞、嫉妬、詐欺、イライラ事が絶えないのです。
 
何故自立が出来てない人達が多いと感じるかは、自分に迷いや不安があるから、
(迷いでなく悩みならOK。不安でなく危機感ならOK。)
 
占い師とか、ヒーリングでアドバイスするヒーラーとか霊能力があるとされる、
いわゆる霊能者と呼んでる人なんかに、視てもらいに行っている人が多いからです。
そういう「依頼心」を克服せないかんと思います。
 
霊能者という人達は、自分が好むと好まざるに関わらず、
生まれ持った体質的に、そういう能力が備わった人だと思うのです。
 
ワシの考えは、
人間の様々な煩悩(人間関係や病気や貧困や性格など)に対するアドバイスをしている人が多いようですが、その時にお金を取ってはいかんという考えです。
 
そういう能力は、陰で使うことに意義があるんです。
お金を取った時から、その霊能力の備わっている人達は、垢が着き、汚れるということを、
思いもしないと思うし、気付いてもいないと思うのです。
 
だから自分の生活を維持する経済活動は、普通の仕事をして欲しいのです。
 
そして、そういう能力があることを決して言わないことが、
その人(霊能体質のある人)自身のためだと感じます。
 
悩んでいる人達のお役に立ちたいと言うのなら、お金に替えてはいかんのです。
そこに気付いて欲しいのです。
 
縁ある人に、そっと陰で願ってあげることが大事なんです。特にそういう能力のある人には。
 
よくよく考えてみて下さい。ホームページまで出して、不特定多数の人達に呼び掛けている訳ですよ。
 
実縁もない人達に、霊能を無闇に発信してはいかんと思うのです。
 
良かれと思いやってるとしても、それは霊能に対して無知なんです。
無知が罪を作るということを知らないんです。
 
自立した人間は、どんな事が起ころうと、自分で悩み、考え抜き、答を見出だし、志を貫くんですよ。
常に意欲に燃えているんですよ。
 
またそうでないと、自立に至らないんですよ。
 
読書や仕事に打ち込むことや、人間関係での摩擦の中から、そして何気ない他人の言動から、
今直面している自分の問題事の、解決のヒントを掴み取っています。
 
自分の仕事に一所懸命打ち込んだり、何事も「自分事」と捉える習慣を身に付けていると、
徐々に依頼心が消えて行きますから。
 
他人に良く思われたいという気持ちが、自分を裸に出来ないんです。
 
他人(ひと)の「興味の眼」を気にしてはいけません。
 
自分らしく生きるとは、
まず志を立てること。
そして裸になること。
 
そしたら、他人の「興味の眼」は気にならなくなります。
 
悟りの人と言われる良寛さんの至言に、
 
「苦しみから逃れる道は、苦しみ切るが宜しく候(そうろ)う。」というのがあります。
 
ワシは昔、この言葉に出逢った時、唸りました!
「なるほど!!」と。
 
苦しみ切っていないから、苦しいんだ。と良寛さんは言うとるんです。
 
良寛さんの詩は、観念して生き生きと生きる勇氣をもらえますね。
 
「表を見せ、裏をも見せて、散る紅葉」
(この裸になるという心境は清々しい覚悟。)
 
「散る桜、残る桜も、散る桜」
(まさに、観念の境地。)
 
まさに、悟りの句という感じです。
 
つまり、悩んでいるから、誰か、霊能力のある人柄の良さそうな人に相談したい。
アドバイスをしてほしい。(本来アドバイスというのは、その人が自立する方向に導くキッカケを与えることと思うのです。決して病・貧・争つまり病気や貧困や争い事の解決案じゃない。)
 
と思う気持ちは分からんでもないですが、それで心スッキリするのも分からなくもないですが、
そういう気持ち、つまり依頼心が消えない限り、いつまで経っても、自立した心は備わらないのです。
 
自立せん限り、自分の心は自由にならんし、真の充実は訪れないと思うのです。
 
大事なことは「霊能」には、関心を持たないこと。=自立への道。とも言えます。
(霊は本当に恐ろしいのです。興味半分が一番危ういんです。霊能者自身ではなく、その霊能者に※視せている霊本体の喰い物になってしまうのです。)
 
霊能以外の心理学であるとかコーチングであるとかは、いいのですが、霊能に対する軽い気持ちが、恐ろしいということを気付かないんです。
 
また霊能体質の備わっている人は、その能力を決してお金に替えないことが大事なんです。
 
人の役に立ちたいなら、
その気持ちが本心なら、
 
そっと陰で願ってあげて下さい。
 
自分の生活は、普通の仕事に打ち込んで、お金を稼いで欲しいのです。
 
それが、生まれ持って霊能体質を備わった人達の為すべき使命だと思うのです。
 
ワシの友人にも何人か霊能体質の備わっている人がいますが、決して言わないし、
自分の仕事に誠心誠意打ち込んで生活しています。
 
そういう人達は、神社参拝を続けることで自身の魂の浄化をしていると感じるのです。
 
 
 
 
皆さん、イライラする事ようけあるでしょ?
 
ワシは、こう考えるようにしてるんです。参考までに。
世の中に、イライラさせる人は、おらん。イライラする自分がおるだけ。と。
 
これは自分の心を穏やかに、強く、そして優しくする為の訓練で、少しずつ出来るようになりますよ。
 
実は、この訓練が、様々な自分に起こる「不都合と感じる事」を遠退ける秘訣に感じてます。
 
この心の訓練が出来るようになるには、毎日の決め事をきちんと、ちゃんと徹底しているか、
していないかが実は大いに関係して来るんです。
 
多くの人が、仕事をしてると思うのですが、例えば、毎朝の朝礼。
何かの都合で、社長不在で社員が二人だけしか出社してなかったと仮定して、
あなたがその当事者だったら、きちんと、ちゃんと二人だけで朝礼をいつも通りしますか?
 
掃除をいつも通りしますか?
決められた事を、イレギュラーな時ほど、多くの人はしないんですね。
 
皆が居る時は、ちゃんとするけど、イレギュラーな時は、しない。
 
該当してる、あなた!
そこなんです。秘訣は。
 
そういうのを「他人事(ひとごと)」と言うのです。
 
他人事の習慣がある人には、そのツケがその人の不都合な出来事として出て来るようになっとるんです。
 
自分の事には神経遣うのに自分以外の人へは心を配れない。自分の損得を無意識に考えてしまう。
 
自分以外の人達への無関心が、自分にとって不都合な出来事として襲って来るんです。
イライラ事として。
 
だから、相手の所意(せい)じゃなくて、自分が引き起こす目に見えない原因を作っとんのよ。
 
少なくとも縁深いであろう自分以外の人達へは、自分のことと同様に心を配ったらええのに。と
時々感じるのです。
 
ケチ気(げ)にしている、
関心が薄くなっている自分の心を打ち消して、自分のことのように行動したらええのに。
 
例えばプレゼントなんかも相手に対するあなたの心理(想い)の現れなんです。
 
今、その人が喜んでくれるだろうと思える物を選ぶ心。
その人に関心が薄ければ、浮かびませんよね。
 
常日頃から他人事(ひとごと)だからです。
 
こう考えて下さい。他人事は、あなたの真心を食い尽くすし、わがまま心を増長させる。と。
 
もっぺん言いますね。
身近な毎日の決め事をちゃんと、きちんと続ける。
 
イレギュラーな時こそ
「まぁいいか」でなく、また「まぁいいか」を、そこに居る人に勧めるんじゃなく、
「ちゃんとやろう!」と声かけする自分に成りましょう。
 
それが他人事だった自分を「自分事の自分」に変身させて行き不都合な事が、激減して行くと思うのです。
 
勤務中のある程度の私語はコミュニケーションの潤滑油で大切なんですが、
それで決め事をついウッカリになっとんでは、本末転倒。
 
私語が多くても、ミスが無いんならOKや。けど私語の所意(せい)でウッカリになるんやったら、
確りと慎む心構えと行動をせな、いつまでもウッカリは治りません。
満性病やから。
 
まるで子供に何べん言うても、直そうとする気持ちが薄いのと、
心のどこかに、「まぁいいか」が蔓延してる証拠。性根に入ってない証拠。
 
悪いなぁと思うクセがあるなら、気付いたらキッパリ止める。ココだけなんです。コツは。
 
何ちゃめんどい事じゃないんです。
 
気付いたらスグする。
気付いたらスグ止める。
 
ひょっとしたら全てに於いて人生のコツは、この二つじゃないかと感じる今日この頃です。
 
タバコ、酒、ダイエット、運動、女ぐせ、男ぐせ、
勤務中の私語の多さ、小さい約束の自分都合のキャンセル、、、
 
何でもええのです。自分にとって「いかんなぁ」と、もう一人の自分(真心の自分)が感じてるものだけ、止めるんです。
 
人生、真剣勝負ですよ!
この「真剣勝負」意識が薄い人は、あなたの全ての努力や優しさが、報われません。
ハッキリ断言出来ます。
 
そうせんと、あなたは信用されても、信頼に値する人物に成れんから、
当てにされなくなり、孤独感を味わいますよ。と言いたいのです。
 
我々は限りある世界の中に生きている訳ですが、限りある世界の中に、
限りなき世界を求めることを「理想」と言うのだと思うのです。
有限の世界に形あるものは必ず滅するもの。
 
この世の形あるものの世界は、限りある世界、一時的世界。
 
永遠の世界につながれるものは「真心」だけやと思うのです。
 
だから、今から「わがまま心=自分が得しようとする心」を出来るだけ取り去る訓練をして、
「まごころ=自分以外の人達への気持ちが出来るだけ自分事になってる心」で行動出来るあなたに成りましょう。
 
ほんまに、、、、、、、、頼むぜよ!!
 
 
 
学業も経営も、根本は同じやと思うのです。
 
それは
『何の為に学ぶのか』
『何の為に経営するのか』
このことに自問自答し続けることだけで、ええのです。
極端に言えば、結論を言えば、他は「なんとかなる」スタートが切れると思うのです。
ココさえ、ちゃんとしとればね。
 
ここに根本の答えがあるのです。
とことん納得するまで問い質(ただ)すんです。
 
一つ一つの事柄を、一切の妥協をせずに、問い質すんです。
「何故?何故ならば」を明確に整理するんです。
 
その答えを見つけたら、
その答えを中心(核)に、
諸問題を片付けて歩めばええのです。
 
個人の人生も同じやで。
 
なのに、自分の見つけた答えから、ついつい離れた事をやるから、いかんのよ。
何の為に学ぶのか。
何の為に経営するのか。
を自問自答し続けていれば心配ありません。
 
自制心が働き、自身の生まれつき備わった徳が出て来ます。
 
気質と徳の戦いです。
 
そして、徳が勝ったら、
あなたの中の悪い気質が変化して行きます。
 
ちゃんと成るようになって行くと思うのです。
 
ついつい、この自問自答を忘れるから、納得行く日々が歩めないんだと思うのです。
 
せっかくの今までの努力が、また振り出しや。
 
不安を抱いている人に一言。
 
根本である「何の為に学ぶのか」「何の為に経営するのか」をもっぺん考え抜いてみて下さい。
 
個人の人生も同じやで。
 
まぁ、考え抜くっちゅうても、土台になるような勉強をせな、考えようがないかもねぇ。
 
だからワシは言うとんのよ。「考え方を考える」勉強をせえ!と、ね。
 
安心感が湧き、希望が湧いて来るから。
 
自問自答し続けていると、自分の人間的成長の度合いに比例して、
『何の為に学ぶのか』
『何の為に経営するのか』の内容と納得性が、より高いものに変化して来ますから、
そしたら、あなたの、その目的もバージョンアップ(より高みに変更)したらええのです。
 
死ぬまで、より「高み」を目指して、いや死んだ後も、より「高み」を目指すくらいの気持ちがあれば、
今やってる事より少しでも「いい事」を発見したら、変更(気付いたスグ変える)して、変化し続けることが、人生の充実度を上げると感じます。
 
あなたは、
『何の為に学びますか?』『何の為に経営(自分の人生経営)するのですか?』
自問自答し続けることが、変化し続けることなんです。
自分がやってる学業が、
仕事が、意味が無いように見える時もあるかもしれない。しかし、何の為にしているかを知れば、自覚出来れば、自分の立つべき位置が見えて来るんです。
 
毎日ボーッとした日々は、錆びてゆきますよ。
 
とにかく「愛する案」は叩かないといかんのです。
 
「愛する案」とは、みんなが丸(まる)になるアイデアのこと。
たから「これでいいのか」と叩く(自問自答や何回も考え抜く)ことなんです。
 
人生の「ものづくり」と「デザイン」を同時に、しかもスグ提案できる能力(どっちか片一方だけでは、役に立たない時代ですから)が、自分の将来を拓いてゆく気がするのです。
世の中には、有名になりたい!と思って努力してる人が多いと思うが、
有名無力の人が多いように思う。
ワシは『無名有力』でありたいんです。
 
自分の人生の履歴は、年齢や職種や住んでいる地域で様々な人との出会いをどう蓄積してゆくかが、実は、じわじわと自分の人生に効いて来ると思う訳です。
 
あなたは自分の人生の履歴を思い起こしたことはありますか?
 
人間は死ぬまで生きる訳やけど、何人の人と「個人的」にメシ食べますかねぇ?
 
どんな人でも、数えられる程度じゃないですか。
 
そういう風に思えば、初めての出逢いを感慨深く思い直すことが出来る。
 
まさに、一期一会の心境。
 
ワシは、47都道府県全て行ったことがありますが、
その中で出逢った「人」「もの」が、自分の人生の履歴を作って来たことも事実です。
 
自分の体験から言うと、
もっと「人」「もの」と積極的に出会って行く行動が更なる希望をもたらすと思う次第です。
 
そこで、ちょっとした不平や不満を思っているであろう皆さんに言いたいのは、
 
経営者の皆さんには、
誰が好き好んで、あなたの社員になってくれてると思ってますか?
 
社員の皆さんには、
誰が好き好んで、あなたを社員にしてくれてると思ってますか?
 
相対する何に対しても同じように、そういうことを、たまには考えてみてほしいわなぁ。
 
最初出逢った人と、また出会える保証がありますか?
人との出逢いを、そんな風に感じながら捉えることはないですか?
 
一生一度やで。
 
出逢いが続く人が、縁深い人。
そういう縁を大事にせん人は神様が見たら、もう出逢いをさせてくれへんと思うのです。
 
死ぬまでに個人的に一緒にメシ食べれる人、何人いますかねぇ。
 
昨日まではリハーサル。
今日から本番。という気持ちで、あなたの縁ある人達を見つめ直してみませんか。
 
これからの自分の人生の履歴が、今からの自分の人生に効いて来ますから。
 
人生は、自分で切り拓くと同時に縁ある人達のお陰で切り拓かれてゆくと思えてならない。
 
そう思わへんですか。
 
新年に当たり、皆さんに、全ての幸福のキーワードに値する「人の縁」を振り返りながらスタートしてほしいとインスピレーションが浮かんだ次第です。
 
変化の中に、不変の世界を生きる信念。
 
変わらないといけない。と世間は無責任に言うが、
 
他人に言われて変わるんじゃなく、常に自分の心の中に変化を見い出すんです。
 
「これでいいのか、これでいいのか。独り善(よ)がりになっていないか。自分が絶対正しいと思い込んでいないか。」と常に自分に問うことが、
内面からの変化を為し、何が遭(あ)っても挫けない不変の世界を生きれるように成ると思うのです。
 
全ての「出逢い」が「砥石」なんやと思う訳です。
 
砥石というのは、毎日自分の腕で研くことをしない限り、研かれないんです。
 
自分という包丁を、いつも準備万端にしておくには、砥石で毎日研くことしか、役に立たないんです。
 
他人任せじゃいかんのです。自分の人生なんやから。
自分の腕で毎日、砥石で自分という包丁を研くしか、人間としての成長はない!んですね。