先週は、誠実さというのは「伝えること」ということをメッセージしました。
 
その「伝える」ということで自分が心掛けて来たこと。
今も心掛けていることを今週のメッセージに。
 
 
それは、物事の「本質」を追求し探究しながら、これが「本質」じゃないか、ということを縁ある人達に「伝えて」いるんです。
 
何が「本物」なのか、を探究し続けるのが人生の醍醐味だと感じているんです。
 
人には様々な性格があり、価値観がありますが、
 
こと人間の幸福についての「本質」には性格が違えども、価値観が違えども、共通のものがあるんじゃないかと。
 
 
だからワシは、
物事の本質とは何ぞや。
 
本物とは何ぞや。を探究しつつ、縁ある人達に発信し続けるという、伝える行為をしております。
 
そういう姿勢が大事だと思うとるんです。
 
 
姿勢とは、姿に勢いがあることを言うんです。
 
勢いとは、責任感と信念が満ちている状態のことです。
 
信念とは「何が為の人生ぞ。」という信念です。
 
 
皆さん、責任感と信念が満ちていますか?
 
 
その「勢い」に神が感応するんだと感じてなりません。
 
その昔、
 
名参謀「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」が準備万端整えて、いざ、決戦の日、沛然(はいぜん)と雨が降って、計画が台無しに。
 
その時、諸葛亮孔明は天に向かって、こうつぶやいた。
 
「事を為す(考え・行動)は人にあり。
事が成る(成就)は天にあり。」と。
 
つまり、努力するのは人だが、それが報われるかどうかは、天(神)が決める。と。
 
だから、言いたいんです。
先ず我々人間が責任感と何が為の人生ぞ、を探究する信念に満ちている状態で努力すること。
 
そういう姿勢で日々歩むこと。
 
それを天は見てるんですね。
 
天(神)が応援してくれそうな生き方は、素直で感謝と反省心を備えている立ち居振舞いかと思うのです。
 
 
そして、天が成就させてくれなかったとしても、まだその時期じゃないんだと、捉える考え方をするんです。
 
また、じっと、つべこべ言わず、淡々と目の前のやるべき事を一所懸命やることで、天が身に付いていない能力を身に付けさせてくれているんだ。と捉えることなんよ。
 
前を向いて工夫して行く姿勢が、味わい深い人生に成るんじゃないかと思う訳です。
 
「古事記」を読んでいて、そう感じたんです。
 
神は、後ろを向かない。と書いとるんです。
 
神は前しか向かないんですよ、皆さん!
 
 
だから、こういう姿勢も心掛けています。
 
「人生、攻め以外に勝利なし。
攻めるとは、思う一点に全力投球すること。」
 
という姿勢で歩んでおるんですね。
 
あれも攻め、これも攻め。では力が分散してしまうもの。
 
一点集中で切り拓いて行くんです。
 
上手く行ってないからと言って、あれこれ手を出すな!っちゅうことです。
 
今何に集中すべきか、というのは本物とは何ぞや。を探究しとったら、見えて来るはずなんです。
 
 
見えへんのは、あなたが、本物や本質を蔑(ないがし)ろにしとるからじゃ、ないでしょうか。
 
工夫、工夫、工夫の連続をせんかい!と、
天が愛情豊に教えてくれとるんだと捉えな、天に申し訳ないわなぁ。
 
ご一考あれ。
 
「誠実さ」とは、深い意味では、こうじゃないかと思うのです。
 
自分が立っている場で自分が今まで学んで来たことを伝えられているか。
 
ということに心を向けている姿勢を誠実と言うのだと。
また、人は理想というのは、中々見えないものですが、でもそこ(理想)に向き合っている姿が誠実な生き方と思うのです。
 
 
皆さん、どうですか?
 
そういう意味で誠実に生きてますか?
 
誰しも今まで生きて来ている以上、何かしらの学びをして来たはず。
 
今、自分が立っている場で今まで学んで来たことを、周囲の人達に伝えようと、
努力している、
 
心を向けている姿勢が誠実な人だと思うのです。
 
伝えないというのは、
 
自分だけが良ければ、それでいいということと同じと思うのです。
 
一人一人が「伝える」という姿勢になった時、世の中が少しずつ良い方向に動くんじゃないかと思うのです。
 
「あなたは何をしますか?」
と、もう一人の自分があなたに問い掛けているでしょうか?
 
あなたは何をしますか?
 
つまり、お前は生涯掛けて何をするんですか!?と、もう一人の自分が問い掛けて来たことはありますか?
と皆さんに問いたいのです。
 
そこに誠実に向き合うことが、とても大事。
 
なぜなら、そうすることで、自分の一生を通しての役割が見えて来ると思うのです。
 
自分が生涯掛けて、
その自覚した自分の役割を果たそうと誠実に行動することが、本当の人生だと感じるのです。
 
 
自分の理想像が中々見えない人が多いんじゃないでしょうか?
 
でも、自分が描く理想像に向き合っている姿が誠実な生き方だと感じるのです。
理想像すら描かないとしたら、
 
「起きて食べて、出して寝て。」の繰り返しで何十年。
 
これを「生きている」と言えるんだろうか?
と、たまに感じてしまうのです。
 
理想像を描いたら、理想を実現する為の具体策を考えることが大事。
 
なぜなら、具体策の無い理想像は躍動しないからなんです。
 
理想像さえ確固たる軸になれば、どんな困難も躍動しながら、乗り越えられると思うのです。
 
つまり、如何なる状況に置かれても、自分次第ということやと思うんだけどなぁ。
それで状況変わらなかっても、また死んだとしても、
それも運命と受け止めたらええのです。
 
お釈迦様の最後の言葉に、
「同じ価値観を持ち、同じ方向を向ける友人を作ることが人生の生きる目的です。」
というのがあります。
 
突き詰めたら、そうやなぁ!と感じるんです。
 
世の中は多様なる価値観が存在しているけど、全員が価値観が合うことなんて有り得ない。
 
わずか数人でええのじゃないでしょうか。
 
生きる価値観が同じく出来る人達と共に仕事が出来、人生を歩めたら。
 
お釈迦さんも、そう言うとることやし、、、
経営者の皆さん、経営戦略についてどのような考えを持ってるでしょうか?
 
経営者じゃない人に、あなたは、人生をより良く歩む為の人生戦略を持ってるでしょうか?
 
戦略も持たず行き当たりバッタリでは、やっぱりイカンのとちゃうかなぁ。
 
およそ経営戦略というのは、経営者の性格の反映なんですね。
 
個人の場合も、自分の性格の反映なんです。
 
つまり、どんな会社も突き詰めてみれば経営者の性格が、かなり影響したものになってしまうものです。
 
だから、そこに繁栄の要素があり、また落とし穴が潜んでいるんです。
 
 
ちなみに、エモーションの経営戦略をいくつか書き出すと、
 
経営基本方針(生き方の基本姿勢)が
 
「シンプルに、独自性を生み出し、深みが感じられるように」なんですね。
 
だから全ての取り組みが、シンプルであるか、独自性があるか、それが深みが感じられているだろうか。
 
とチェックするんです。
 
それを受けての、
営業の基本戦略は、
 
「信頼関係の輪を拡げながら愛用者を積み重ねる『額』の経営」なんですね。
(金額の金じゃなく、額です)
 
つまり、信頼関係というキーワードは、分かりやすく言うと、基本的に不特定多数にはアプローチしない。ということ。
(個人で例えるなら、不特定多数と群れない)
 
何がしかの「信頼関係」を通してのアプローチを基本としています。
 
そして、うちのお客さんにアフターフォローをし続けることで新たなお客をご親切で紹介してくれます。
 
「個客」を積み重ねてゆく。
 
額とは、お客を頁(ページ)に綴るという意味。客と頁を合わせると額になります。
(額の経営は着実性の手応えを感じるから安心感につながるんです。希望が湧いて来るんです。)
 
そして「高利適売」
(これもエモーション独自の言葉)
 
粗利益(付加価値)が高く、適正な販売数量という意味。
 
薄利多売は大手の役目と捉えている。
 
高利で多売なら、すごく儲かるが、適正のバランスが崩れるから、しない。
(シンプルにならないから)
適正数量とは、社員全員が「心地好い疲れ」を感じるくらいの量と捉えている。
 
商品別の年間販売適正数量。
販売代理店の適正数量。
社員の適正人数。
年間勤務時間の適正時間。
これ、全ての「適正」を観察すると、独自性と奥深さが存在する。
 
そしてこれも、
 
「いつも、おいしいルイボス茶を、喜んでお求め頂く。」
いつも、おいしいとは、
品質管理の徹底のこと。
 
喜んでお求め頂くとは、
お客さんから、ありがとうと言ってもらえる対応のこと。
 
 
戦略・方針には、まあ大体経営者であるワシの性格が出ています。
 
めんどくさがりで、ごちゃごちゃが嫌い。
 
スカッとエネルギッシュに潔く、尾を引かない。
グジグジが嫌いやから。
 
誰しも長所と短所があり、この長所と短所を常に自己チェックしてるんです。
 
皆さん自身の悪いクセを是正し指導してくれる唯一のモノは、皆さん自身の良心なんだと思いませんか?
 
自分の中にある「良いモノ」でしか、自分の悪いクセは治療出来ないようになっとると思うんです。
 
これを「維新」と言うんです。
 
会社も同じだと思います。
 
商売やってると、アァ~ッ!銭がほしいぃっっ!って思ったことあるよねぇ。
 
描いている理想像を実現させるには、やっぱり銭が要る。
 
くっそぉ~ッどうやったら銭儲けが出来るか、いっつも考えている人、多いと思うのです。
 
ワシも大多数の人達と同じで、考えとります。
 
ただ、理想を実現する為の銭儲けです。
 
この世は経済社会だから、銭が要るんですねぇ。
 
でも人間いつか寿命を迎える。
 
死んで、あの世とやらへ持って行けるものは、人格と教養だけなんよね。
 
人格と教養だけは、泥棒も詐欺師も盗めない。
 
商売人は、この世で銭儲けして、その金を周囲の人達の幸福の為に使うのが役目だと思うのです。
 
だから、自分で考え抜いて工夫し尽くさないと、いかんのです。
 
 
でも商売人以外は、銭儲けが役目じゃないと思うんですね。
 
商売人は、稼いだお金を、どう使い切ってあの世に行くか。が、大切なような気がします。
 
何の為に使うのか。
 
誰の為に使うのか。
 
こういうことに心注ぐから、成長もするんだと思うのです。
 
稼ぎ方より使い方。
 
使い方は生かし方だと思うのです。
 
そう考えると、よっしゃ~ッ!とワクワクして来るし、脳がフル回転して来るんです。
 
だから忍耐出来るんです。
我慢と忍耐は違います。
 
どちらも「辛抱」することには変わり無いんだけど、
 
我慢の先には、何も無いから、いつか爆発して過ちを犯すか、身体を壊すかしてしまうもの。
 
忍耐出来るのは、その先に希望や理想があるから、
辛抱出来るんですね。
 
だから、皆さん。
 
忍耐の時期だと感じたら、覚悟決めて、忍耐しましょう。
 
でも只じっとしてるんじゃあ、いかんのです。
 
集中とリラックスの繰り返しの中で、誰もが考え付かないような「目には見えない、創造的なシステムの開発」に、
 
商売人は全身全霊傾けることが大切だと思うのです。
 
だから、忍耐出来、ワクワク感が湧くんじゃないでしょうか。
 
そして、その忍耐を自分の周囲の人達の幸福に生かすには、人間洞察力を磨くしか生かしようがないと思うのです。
 
人間洞察力を身に付けるには、自分の様々な実体険、特にめちゃくちゃ大変な出来事に遭遇し体験して来たことに、
 
自分がどう立ち向かったか。どう乗り越えて来たか。
 
それをどう捉えて、自分の理想に向けて来たかで洞察力というのは付くんだと思えてならないのです。
 
洞察力を磨くから、社員の特性も把握でき、
 
社員が自主的に伸び伸びと働ける居場所を作ってあげれるし、適材適所の実現に近付けるのです。
理解出来ないから信じることが出来ない。と思ってる人が多いんじゃないでしょうか?
 
ワシは、こう考えます。
 
信じるから理解出来るんだと。
 
賛同出来ないことに賛同する必要はありません。
 
価値観が根本的に違うなら、賛同する必要はないのですが、
価値観の違う人の言うことを信じようと思わない限り、理解には至らないんです。
 
そう思いませんか。
 
あなたが信じることが出来ない限り、相手を理解出来ることは有り得ない。
 
何事も『信じる』ことが出来れば、理解に向かえます。
 
信じる、信じないは自由。
何でも信じよ。と言うてるのじゃなく、
 
理解しようとするなら、
まず、信じなかったら、
始まりませんよ。ということを言いたいのです。
 
また、自分の先(将来)が中々見えない。
だから何をやれば良いかを決めることが出来ないと思ってる人も多いんじゃないでしょうか?
 
ワシは違います。
 
自分の将来像を決めるから、徐々に『見えて』来るんです。
 
何をやって行けば良いかが。
 
だから、まともな「トライ&エラー」が出来て、手応えを感じながら体験を積み重ねられるんです。
 
確固たる理想に向かってチャレンジしているから、
 
深く成れるんです。
 
強く成れるんです。
 
優しく成れるんです。
 
人は誰しも、自分の信じる、その人なりの思想哲学に無意識に従って生活していると思うのですが、自分の根底に流れている思考は自分をより良くしてくれる思想哲学なんだろうか?
 
と自問自答してみることをお勧めしたいのです。
 
『自浄作用』(自分で自分を浄化してゆく生活習慣)
しか、自分を生き生きさせる薬はありません。
 
ココに、
「ツキ」が付くか、
「運」が来るか、の分かれ目じゃないかと思えてならないのです。
 
自分の内面に存在する「良いもの」で、自分の「悪いもの」を直(治)してゆくしか浄化は出来ないと思うのです。
 
これを『維新』と言うのです。改良でも変革でも革命でもありません。
 
改良は基盤となるルールは変えずに能率を上げることであり、
変革はルール自体の変更をすることであり、
 
革命は基盤自体の変革であり過去の全否定です。
 
過去の文化、歴史を否定して新たな文化基盤を作ることが革命です。
 
維新は、自分の良さで自分の悪さを直してゆくことを言います。
 
相手を理解しようと思うなら、信じることです。
 
そして相手に理解してもらいたいなら、あなたの表現力を豊かにすることです。
あなたの表現力が乏しいから、理解を得られない。と、捉える素直さ反省心が大切。
 
これホンマなんです。
 
自分のことを分かってくれないと悔しいなら、あなたの表現力を、もっと豊かに磨かな、
いかんのちゃぁん!と言いたいのです。