「本当の指導、親切、愛情」というのは、
 
会社に於いては、社員が学ぼうとする雰囲気を創ってさえいれば、基本的には、教えない方が良いんです。
何事も本人が心底学びたい、身に付けたい。と思わない限り、身に付かないからです。
 
教えな、いかんようじゃ、身に付かないし、モノに成らんもんです。
 
しかし、仕事は業務を順調に実践する為、お客さんに喜んでもらう為に、
業績(他の社員の給料に関わる)に関係するから、ピントがズレてるなぁと感じたら、
教えないと、いかんのです。

経営理念というのは社員全員の将来像なんですよ、皆さん。これが分かってない社長や社員が余りにも多いから、ダメなんよ。
 
社員皆の幸福実現の為に、経営方針があり、その実践の具体的業務があるんです。
だから、そういう事を教えないと合意と納得につながらないんですね。
 
が、教えてる内は本人の身には、付かないものなんですね。これが。
本人自身が仕事を身に付ける為に社長のセンス(ちょっとしたことを感じ取る能力)を、盗み取らないと、身に付かないものなんです。

執念深く、毎日訓練、訓練、訓練の連続でしか、本物の仕事は身に付かないんですよ。
 
例えば勤務中は「仕事だけ」に専念するだけでええのに、ほんまに多くの人が集中専念しない人が多いんですね。
 
皆さん勤務中、他事(ホカゴト)にちょいちょい気が取られていませんか?と言うとるのです。
 
仕事中は「仕事だけ」に集中していなければ、ツキが逃げてしまうのに、皆分かってないんですね。
 
どこか「まぁいいか」が当たり前になってませんか!?
「クレームの生まれる元は、まぁいいか。品質は人質(じんしつ)」なんです。
 
職種によっては他事に気を取られる間が無いものはあります。
 
工場勤務等、勤務中は一切外部との連絡が取れない、携帯に触れない職場とか、です。
 
事務職とか営業職に就いている人は、他事に気を取られるということに陥りやすいんですね。
 
事務職や営業職の心得なならんことは、自分に個人的な連絡のありそうな人達へ勤務時間には連絡しないようにと、周知を徹底することが誠実に仕事に向かうということなんです。
 
あなたが仕事に集中していない行為が、他事(ホカゴト)に気を取られている行為が目に見えない所で、周囲の人達の努力に穴を空けてるとは、誰も気付いてないんですね。
 
また、ワシはこういう考えをしてるんです。
 
自分に本当に合った切れの良い道具を持つこと。
 
それが先決なんです。
 
何故なら、その自分の道具に恥ずかしくない仕事をしたいと思うはずなんです。本当の職人なら。
 
技術職も営業職も事務職も皆その道の職人という意味で言うとるのです。
 
技術職でない事務職や営業職の道具は、道具=信念とも言えます。
 
本当に納得ゆく信念さえ持てれば、その自分の信念に恥ずかしくない仕事をしたいと思うはずなんです!!
煎じ詰め、煎じ詰め、煎じ詰めた先には「勘」が備わるんです。
 
技術職で言う匠の技術は、訓練、訓練、訓練の末、
ちょっとした微妙な感覚を感じ取れる能力が身に付くものです。
 
営業職でいう匠の技術は、理念から滲み出て来る信念に基づく訓練、訓練、訓練の末、
コミュニケーション能力(間合い)が身に付くものです。
 
これが「勘」なのです。
 
これが「センス」なのです。

頭の器用な人は、モノになりません。
 
訓練により器用さを身に付けた人は、モノに成るんです。
 
頭の器用な人は具体的な
試作をめんどくさがって、やろうとしないんですね。頭で想像するだけで、実験もしないで面倒なことを省こうとするから。
 
ワシのように不器用な人は、具体的表現をしてから、考えたり、プレゼンテーションしたり、するんです。
例えば、画面上だけで判断しないんです。
 
必ずプリントアウトして、観察するんです。
 
例えば、模型を作ってもらうんです。
 
よりイメージが具体化されて、判断を誤らないようにしてるんです。
 
相手が、より理解出来るように、誤解が起こらないよいに。という配慮なんです。
 
何気ない毎日の自分の立ち居振舞いを振り返る謙虚さを大事にしてほしいのです。
 
自覚したら行動してほしいと思う今日この頃です。
 
あなたが貢献出来る、皆なの幸福の鍵は、他事(ほかごと)に気を取られない行動だけでええのです。
 
社長という人種は、他事をも全部、自分の商売につなげる努力をする人種だから、周りから他事をしているように見えても、それも仕事の内なんですが、社長じゃない人達の多くは、他事は他事になってしまっているものなんですね。

だから、勤務時間というのがあるんです。

社長には勤務時間はありません。
睡眠時間以外は全部仕事への関心しかないものなんです。
 
社長の職にある者が、他事に気を取られていると、
始末に終えない人生になってしまうんです。
 
ほんまやでぇ!
 
 
以前イエローハットの創業者であり、掃除で日本を美しくする会の創設者である鍵山秀三郎さんと話した時の話。
 
自分が起業して社長の自分がトイレ掃除してるのに、社員は誰も手伝わない。
 
掃除は強制してやらせるものではないので、強制しなかった。
 
何と掃除を始めて10年目に何人かの社員が手伝うようになった、との話しである。
 
ある町長も、役所の職員に挨拶しても誰も挨拶しなかった。
 
職員皆が挨拶するようになるまで、三年掛かったそうである。
 
この二つの例から思うことは、掃除や挨拶が難しい訳ではないはず。
 
皆に「その氣」が無い!だけや。
 
皆、そんなこと「どうでもいい」と思ってるんでしょう。
 
掃除や挨拶が「そんなこと」と思う、その性格が自分の運勢をダメにしているんだと気付いてほしいのです。
 
人間は誰しも、何事にも、「その氣」になり、取り組むことが実は、個人と全体の幸福なんだということが気付いてないから「他人事(ヒトゴト)」になってしまうのです。
 
もし、掃除や挨拶が人格を持っている「あなた」だと考えてみ。
他人事にされて悲しいやろ。あなたの人生で「悲しい」めに遭(ア)うで。
 
うち(エモーション)は、
経営指針書にハッキリ明記してるんです。
 
「給料について」の項目に、こう明記しています。
 
利益が上がっていても、
自己啓発と健康管理に身銭投資し続けない社員は、
給料は上げないのがエモーション流。と。
 
自分の財布から、自己を磨く勉強や交流をしようと思う人間であってほしいという願いがあるからです。
 
自分の財布から、体調管理をし続けようと実践している人間であってほしいという願いがあるからです。
 
口で言い続けても実践しないなら、給料は上げない。何故なら、人間の幸福感として自主的な「自己啓発」と「健康管理」を大事に大切にする社員であってほしいからなんですね。
 
そういうことを大切に思う価値観で居てほしいからです。
 
最初は、やらされ感でもええと思うのです。
 
単なる思いから発信してるだけでは、社長のエゴにつながるんです。
 
人間哲学として、人の幸福という価値観から発信しているんです。
 
その価値観が合わないなら、その立場から去れば良いのです。
 
人生お互い「真剣勝負」なんですよ。そういうのが人間の幸福だと思うのです。
 
堀場製作所の堀場会長の本に「いやなら辞めろ!」がありますが、面白い内容です。共感がありますね。
 
自分が仕えるトップの幸福感に共感が無ければ、それこそ「不幸」というものです。
 
これは夫婦も同じと思うのです。
 
性格や趣味が違って当たり前。
 
でも、人間の幸福感に違いがあるようなら、不幸ですね。
 
会社は、経営者の考えに共感して、皆で役割分担して理念を実現して歩むものと思うのです。
 
自己啓発と健康管理への、自分の時間と多少のお金を自分に投資し続ける社員であり続けてほしいワシの願いが根底に存在するから、経営指針書の給料の項目に明記しているのです。
社内規定として。
 
本氣で皆の幸福を追求しとるからです!
 
だから、自己啓発と健康管理の社内環境を作って来ましたし、これからも創り続けます。
 
エモーションでは「社内学校」というのを長年実施し続けています。
 
社内学校には女房も参加してもらってるんです。
 
社員の人格と教養を磨いてもらう為に時間とお金と心を注いでいるんです。
 
 
中小企業家同友会への年に数回ピックアップしての参加討論も自分の苦手な部分へのチャレンジとして取り組んでもらってます。
 
こういう社長の「熱い想い」が汲める人間性が自分を幸福にして行くんですよ。
 
人間皆、いつか死にます。
死んで「あの世」に持って行けるものは「人格」と「教養」だけやからね。
 
人格と教養を磨いて、何千年過ごすであろう「あの世」に行かせたいからです。
 
その為に、人間幸福感を共感あるものにしたいのです。
『人生の取捨選択』
 
皆さんは自分の人生を歩んでいる訳ですが、時間の使い方、お金の使い方など、自分の生涯を通しての目的を果たす為の取捨選択を考えているんでしょうか?
 
ひょっとして、自分が一生をどういうような生き方がしたいか、という目的も立てずに過ごしているんでしょうかねぇ?
 
そういうのを「有氣の死人」(ウキノシビト)と昔から言われています。
 
人間、欲を持つことはエネルギーになります。が、
その欲は「我欲」に止まってないか?自分の心に耳を傾けてみ。
 
例えば、家が欲しい。
車が欲しい。旅行に行きたい。週二回は、美味しいもの食べに行きたい。
毎月、服を買いたい。
 
あれもこれもやってると、それこそ「安物買いの銭失い」に陥ってしまいますよ。
 
ワシの価値観の結論を言うと、人生で起こる全ては、因縁から起こるのです。
 
まぁ、一般的に分かりやすく言うと、運命ですよ。という価値観です。
 
ワシ的には、ほんまは運命じゃなく、因縁なんだけどね。
似てるけど、ちょっと違うんやけど。
まぁ、皆さんには運命という表現の方がイメージしやすいと思うので。
 
因縁とは、過去に自分が思ったこと、やったことが、原因となってるから、その原因で出逢う「縁」に触れて結果になる。ということなんよ。
 
まぁ、数字で例えると、
あなたの原因が2だとして、3の人と交わると結果は2×3は6になるし、4の人と交わると8の結果になるように、人生どんな縁と交わるかで変わってゆくんです。
 
つまり、マイホームも車も希望する旅行も、手に入る運命なら、手に入るだろうし、いくらお金をケチって貯めていても、手に入らない運命なら、手に入りません!!
そういう「明(アキラ)認(メ)る」(明らかに認める。の意味)
ことが覚悟につながります。そして運命が善くなってゆくのです。
 
先々週メッセージしたやろ。事が成るは天にあり。と。
 
例えば、縁ある人にご飯行って二、三千円奢ってあげる。
或いは五千円、一万円プレゼントしてあげる。
 
そういう事を、もったいない。と感じる人は、あなたの心に貧乏神が宿って来るとホンマに思って下さい。
何と卑しい気持ちなんだろう。と感じて下さい。
 
人生の幸福は、ギブ&テイクでは決して無い!と思うんです。
 
ギブ&ギブ&ギブが生涯を通して幸福を感じられ、実は天から自分に幸福をギブされるんだと思うのです。
 
決して、
天からのギブを期待して、見返りを求めて誰かにギブするんじゃないのよ。
 
ギブをしていると結果、
自分の我欲の欲しいものじゃなく、自分にとって大切なものが手に入るようになっとるとしか思えないんですね。
 
それが善因縁となり、運命を創るんですね。
 
また因縁・運命が無ければ、何ぼ欲しいと思っても手に入らないと思うし、縁ある人達にギブ&ギブ&ギブしてても、手入る因縁、運命なら、手に入るもんやと思うのです。
 
「せないかんから、する。」んじゃなく「してあげたいから、してあげる。」のが気持ちいいじゃないですか。
何でもギブしなさいと言うとるんじゃないのよ。
 
してあげたいなぁと思ったら、してあげなさいと言うとるんです。
 
したくないなら、するな!って言うとるんです。
社交辞令ばっかりしてたら、ホントの自分、らしい自分を生きれませんよと言うとるのです。
 
自分の一年間の取捨選択を振り返ってみ。
 
あれもする。これもする。それじゃ、いかんわな。
 
例えば、月に二回はご馳走を食べに行くなら他は辛抱せな。
 
年に二回旅行したいなら他は辛抱せな。
 
あなたは、限られた財布の中身を、何に使うの?
 
縁ある人達に、二、三千円又は五千円、一万円使ってあげる。月に百回もせえへんでしょ。
ケチってはいけません。
 
それより、自分が月に自分の小欲の為に何ぼ使いよりますか?
 
そっちの方が高く付いてないですか?
 
人生に於ける取捨選択を誤らないように考えな、一生を通しての幸福感は味わえないようになるでぇ。
 
いくら金貯めて、いざ自分の欲を手に入れようとした時、ひょっとしたら、あなたの因縁が、身体が動けないようにしてしまう悲劇が起こるかもよ。
 
どうか、心の貧困にだけは陥らないでほしいのです。
 
だから、毎週メッセージしとんのよ!
 
その気持ちを察っしてほしいわなぁ。
 
ケチってると、一番大事で大切な自分の人生がケチ臭いものになると信じてるから皆さんに言うとるのです。
 
うちは昔から、社員に口酸っぱく言い続けて来ました。
 
ケチ気にするなよ!
 
自分の人生がケチ臭くなるぞ!って。
 
皆さんは、この一週間、誰かに何かギブしましたか?
勇氣を与えましたか?
 
感動を与えましたか?
 
たった一人でもええのです。誰かに勇氣や感動を与えな。
 
あなたの人生がケチ臭くなりまっせ!
 
 
 
最近よく友人から「待ち合わせ時間や、出勤時間に、遅刻をよくする人がおるんやぁ」と話を聞きます。
 
結論から言うと、
 
もし、思い当たる人へ。
 
自分の「生き甲斐」を削いでいるのと同じになるのです。
 
何故ならば、
 
「責任感は、愛国心と社会的任務の自覚より生じ、
生き甲斐は、自覚ある行為から生まれる。」からなんです。
 
その自覚が足らないから、遅刻するんです。
 
分かりやすく例えると、
 
愛国心は、会社で例えると愛社心であり、個人に例えると、相手を愛する気持ちなんですね。
 
社会的任務とは、会社で例えると、自分の与えられた職責の全うです。
個人で例えると、親としての役割とか、様々な会合で受けている任務の全うなんですね。
 
 
責任感があれば自分の段取りを工夫するはずなんです。
段取りに気配りしないのは責任感の欠如であり、
誠実さの欠如なんですね。
 
また、昔から「段取り八分」って先人達が言うとるやないですか。
 
段取りがちゃんと出来れば、物事だいたい上手く行くという先人の教えですね。
 
誰が悪いんちゃう。
お前の段取りが悪いんちゃうかい?と自分に問い質す心の習慣をお願いします。
 
また、ついつい小さい約束を「まぁ、いいか。」で破るクセのある人や、約束してて、前日に「用事が出来たからキャンセル」って言う人へ。
 
昔からワシは、こう例えて来ました。
 
「うん、分かった。けど、こう考えてみ。
宝くじ3億円当たりました。約束のその日時に、その場所に交換に行かなければ、無効になる。と。」
 
「それでも、用事が出来たので私は行きません。」と言うてや。ってね。
 
行きたいんやけど、行けんわ。と言うのは、まあ、
「不可抗力」の時だけやと思うのです。
 
不可抗力とは、
行ってる途中で事故に遇うとか、当日、身体が動けないくらいの支障が出たとか。です。
 
もっぺん言います。
 
言い訳する人、好きですか?
 
好かんでしょ?
 
好かんまででもなくても、心地好いもんではないでしょ?
 
相手に対する愛情と自分のやるべき仕事の自覚が足らんから、遅刻するんやと自覚して、ちゃんとしようや。キチンとしようや。
 
「ちゃんと」という飲食店に昔行ったことあるけど、
ひょっとしたら、経営理念と店名を同じにしてるんやろうかねぇ?
 
一言で言い表しているよねぇ。
 
社員の「あるべき姿」を。
 
ちゃんとしてない人は、
ひょっとしたら、愛情の少ない人、心淋しい人かも。
または自分に内在する愛情や優しさを自分で無意識に捨ててることになるかも。
それこそ、もったいない!
どうか大人なので、
 
責任感ある立ち居振舞いを少なくとも、ワシの周囲の人達には、してほしいものです。
 
朝は、おはよう。
 
飯の時は、頂きます。
 
寝る時は、おやすみ。
 
紹介してもらったら、事の正否に関わらず、すぐに、行って来ました。の連絡。
当たり前のことやのに。
 
約束の時間は守る。
 
あやふやなかったら、
時間の幅を伝える。
 
何時から何時の間に行きます。と。
 
言われなくても工夫せないかんわなぁ。
 
業務も一緒。
 
お客さんに勘違いが起こらせない工夫。伝え方。
 
大事やでぇ。
 
あ、それと何か物が突然届いても、知ってる人からのお届け物なら「届きました。」の連絡するのが社会人やのに「なしのつぶて」がほんま多いのよ。
 
返事は、ちゃんとする。
 
ほんとに多いですよ。
年に約400人と名刺交換するけど、そのほぼ全員に手書きでお便りを、この25年毎日のように出してるけど、返事あるのは1割居ないんじゃないかなぁ?
 
留守番電話にしてるのに、留守番に、誰々です。くらい言うたらええのに、名を名乗らない人も多いのよ。
まるでリアルに訪問して、インターホン鳴らしておいて、どなたですか?って言ってるのに、無言と同じなのにねぇ。
そういうことを自分がしてるって、気付かないんやろうねぇ。
 
これじゃ、自分で自分の努力に穴空けてる行為なのにね。
 
ちゃんとしてたら、
 
結局、それら全部、自分の身に付き、生き甲斐ある人生に成るんやから、、、ね。
 
人間は誰しもウッカリする。
 
けど「ちゃんとする」心配りが、誠実な自分を創ると思うのです。
 
こと「仕事」に関しては、
同じミスを何度もしてしまうのは、もはや、プロではありません!!
 
耳の痛い皆さん、プロじゃないんなら、あなたがもらってる給料、アマチュアの給料に減額せな、いかんのと違いますか?!