最近、つくづく感じること。
人は誰しも自分の「悪いクセ」があると思うんですが、それを何とか克服しようと努力していない人は「運」が悪くなっているような気がするんです。
 
自分のことですよ!
何で本氣にならんのかなぁ?
本音で本氣で何事も取り組む姿勢が「うわべ」な人生を脱却できる唯一のものなのに。
本音で接しない人というのは自分勝手な、自分だけがいい目でけたらええわ。っていう心貧しい人なんよなぁ。
 
あなたは、うわべな人生でええんですかっ!
 
そんなん嫌やろう。
 
だったら、今日から今から本音で取り組んで下さい。
なんちゃ恥ずかしいことやないんやで。
 
本音で取り組まない人が、カッコ悪い人なんです。
 
まぁ「悪いクセ」には色々あります。
 
身近なもので言うなら、
食べ物や美容や健康や自己啓発への「好き嫌い」が多い人は、自分の考えが凝り固まっている人が多いように感じます。
 
そういう人達は、どうしてか、良運を身近な人が持って来てくれていても、キャッチ出来ない人が多いなぁと思う訳です。
 
つまり「素直さ」が欠如してるんです。
 
臆病になってしまってるのかもしれません。
 
偏見で見てしまってるんですね。
 
以前のメッセージで言うたことですが「勇氣を失ったら、人生取り返しがつかない!」って。
 
自分の考えを見直すことをしない頑固さがブレーキになっているんですね。
 
特に人格病理学から言うと、皮膚つまり肌に影響が出るようです。ほんまに。
 
イライラや頑固さが肌に悪影響を及ぼすんですね。
 
気持ちが分からん訳でもないんですが、自分の体調に影響が出てしまうんです。好き嫌いが多い人は、往々にしてどうしても凝り固まってしまう思考の習性があるように感じます。
 
だから、食べ物の好き嫌いをするな!
 
健康管理や自己啓発の好き嫌いをするな!
 
と投げ掛けてるんです。
 
気付いてくれたら、ええのに。という情から投げ掛けてるんです。
ワシの縁ある人達には。
 
自分でも感じてるはずでしょ?
 
「これじゃ、いかんなぁ。」と。
 
自分の「見る目=視点」を変える勇氣。
 
もう少し、より高い見地から自分を考えてみることを習慣化する努力しか、体調は良くなって行かないと感じてしまいます。
※体調とは、あなたを取り巻く環境のことも当然含まれますからね。
 
せっかくの良運をキャッチしてほしいと願うものです。
 
運の強い人の共通してるんじゃないかなぁと思うことをいくつか言いますね。
 
自分が上手く行っていても、自分が勝ってるんじゃなく、ほとんど(百%に近い確率で)が、相手が自滅してるという感覚を持っているんですよ。
 
どんな状況に置かれても、明るい。
 
こねくり回しても、皆の発展につながることを思考している。
 
何か役を与えられたら、
「自分で良ければ精一杯やらせて頂きます。」という姿勢で挑戦しています。
 
ちなみに、
エモーションの存在意義は「可能性への挑戦」と経営指針書に明記していますが、皆さん!あなた方一人一人も同じやと思うんです。
 
自分を「より快適」にする為に可能性へ挑戦してほしいと心底から思うとるんです。
苦労というのは何の為にするのか分かってますか?
 
もっと快適な環境を創る為にするもんやとワシは思うとるんです。
 
そう思いませんか?
 
いっぺんに変えんでええのです。
 
来たものを拒まず、来たものが好き嫌いの「嫌い」の方に入るものなら、挑戦する勇氣を持たな、いかんと思うのです。
 
「存在意義」ですからね。
 
自分がこの世に存在する意義だと自覚して、可能性へ挑戦し続けてほしいのです。
 
一番注意せないかんのは、自分の偏見です!
 
この偏見が自分の可能性を邪魔するんだと思ってみてほしいのです。
 
だから、自滅してゆくんです。上手く行かない人達は。
 
他人のせいじゃないのよ。
自分の偏見で、自分の可能性を邪魔して自滅してゆくんじゃないかと感じます。
あなたの「判断」はどのようにしてますか?
 
「資料を基に判断する」は、客観的行為。
 
「決心」は自らの経験による主観的行為。
 
だから、決心したからと言って、主観的なものやから、あなたの経験の範疇を越えない可能性が高いんです。
 
だから客観性を身に付ける努力が大切やと思うんだけど、この客観性に関心の行かない人が多いから、自己チューの決心に陥りやすいんです。そして自己チューの判断をしてしまうんです。
 
判断力とは、客観的資料の基に調査し、目的を果たす為に、今の時点で「より良い」決心をする力だと思うんです。
 
「より良い判断」とは、いわゆる「三方良し」になると思える判断です。
(皆の将来に納得ゆくものを三方良しと言います。)
三方良しの判断をする為には客観的資料(情報)に基づくことが必要やと思うのです。
 
何かの調べものなら、資料を探せばいいけど、対人間の将来への判断やからねぇ。
さぁ、あなたはあなた自身の将来に対する様々な判断をするに当たり、どんな資料に基づきますか?
 
自分の経験だけによる判断は普遍性が無いから、将来に渡る納得ゆく方向が見通せてるかどうかねぇ?
 
人間関係に於ける客観性は「一旦自分のことを外に置いといて」考えてみると、三方良しのアイデアが浮かんで来やすいんです。
 
仕事も家庭のことも、様々な「会」の運営も同じです。
「三方良し」の判断を家庭に於ける子育てに、家族の将来に、仕事に於ける仕組み作りに、社員の真の幸福に、会運営に於ける仕組み作りに、発展に、
あらゆる生活に取り入れるんです。
 
この「将来に渡っての三方良し」の仕組み作りを考え実践する。
 
これが政治やと思うのです。
 
家庭に於ける政治。
 
会社に於ける政治。
 
会組織に於ける政治。
 
つまり政治とは、将来に渡って客観的な捉え方の習慣を持つことで三方良しの仕組み作りをし、実践することだとも言えますね。
 
いわゆる政治家だけが政治をしてるんじゃないんですよ。
 
分かりやすく言うと、家庭や会社や会運営に於ける、「あらゆる決定事項」に今だけじゃなく将来に渡っての三方良しを考え実践することなんです。
 
だから、皆の意見を聞くだけでは中々まとまりません。
 
何故か?客観的に将来に渡っての三方良しを考えられる人が、余りにも少ないと思うからです。
 
自己チューの意見が多く出るに決まってるんですよ。
じゃあ何を聞くのか?
 
それは、皆の「理想像」を聞き出すんです。
 
人間としての幸福感は、
共通なものが多いからです。
 
始めは、自己チューの理想像が出て来ます。
 
それを掘り下げるよう促すんです。
それをせんと、三方良しの意見は出ませんよ中々。
 
掘り下げるとは、意見が出たら、何故?そういう意見なん?と相手が掘り下げられるよう問い掛けるんです。
 
理想像を述べさせて行くと、必ず共通なものが出て来ますから。
 
その共通する事を周知し、徹底させて行くのがリーダーシップだと思うのです。
皆の共感があるから、ヤル氣が湧き、心は通じ合って行くんです。
 
自分の意見がワガママから出てるのか、将来に渡っての三方良しから出てるのか、一人一人が判断出来るようになって来るんです。
 
だから、一人一人が自分の考えを掘り下げ、納得し、他人に対して、将来に渡って三方良しの提案だと感じさせる哲学を身に付けてほしい!と願うものです。
 
「皆の意見は聞くな!」
 
「皆の一生を通しての理想像を聞け!」なんです。
 
「お前の意見は、将来に渡って三方良しに成るんやな?」と意見を掘り下げさせて行くんです。
 
 
 
ワシの「深く付き合う人」は、どんな人か今週は発信しますね。
 
生涯を通して、目に見えない「縁深い」人達と本氣の付き合いが、結論から言うと、したいんですね。
 
他人に迎合したくないんです。
 
他人(ひと)の人生じゃないんだから。
 
自分の納得行く人生が歩みたいのです。
 
トータルバランスですね。
好きな仕事、体調コンディション、人間関係、自由な時間、経済、これらのバランスが「いい感じ」で居れるのも、こういう状態を望んで自分なりに努力して来た結果だと思うので、これからも、昨年よりも今年。
今年よりも来年。大まかでいいんです。「トータルで、よりいい感じ」にして歩みたいと思うとるんです。
誰しも、自分なりに努力してるはず。
なのに不平を言うてるとしたら、寂しさを感じてるとしたら、理想像を具体的に描いてないからじゃないかなぁ?
 
目に見えない深い縁は、
頭では分かりません。
 
だから、出会う人達にワシは本音で裸で接するんです。
たぶん多くの人達は、
いわゆる社交辞令で接して来ます。
 
これを悪いとは言いません。
誰しも自分が(表面的なことを気にしてるから)大事ですからね。
 
でもワシは違う!!
 
身近い人生、高々80年、90年。まぁ100年の人生や。
ボッーとしとったら、
あっと言う間に20年、
30年経ってしまう。
だから、出会う人は何か縁があるから、出会うんだと思うとるんです。
 
でも、その縁が深いものか浅いものかは、裸で接した時に相手も裸で接してくれているかどうかで感じるんですね。
だから、ワシにお上手する人は分かるから。見抜いてますから。
 
そして「恩を感じ合う仲」かどうか。
あなたは、お互いに恩を感じ合う間柄の人達が何人いますか?!
特に一番長い時間を共に過ごす職場の人達(身内よりも長い時間過ごしてる訳やからね)と「恩を感じ合う関係」が構築されてないとしたら、本当に幸福(しあわせ=仕合わせ)なんだろうか?
 
縁深い人達と歩む人生は、愉しいものです。
 
人数じゃないんです。
 
目には見えない「縁」の深い人と共に歩む人生が、真の幸福、充実だと感じます。
だから今、そう感じる人達と生活(仕事)出来ているなら、そういう状態、そういう相手に感謝しなきゃ。
 
生存じゃなく生活になっていますかね?あなた。
 
生存だけなら犬や猫でもしてます。
生活とは、志を立て(野心じゃないで!)その志に、不撓不屈の精神でチャレンジしている状態を言うんです。
 
不撓不屈の精神で歩んでいるなら、自律と自立が出来てるんです。
 
如何なる状況下に於いても困っても心は腐らないんです。
 
そして心が温かい状態なんですね。
 
心温かきは万能なり!です。
万能ですよ。何よりも強いと言うことなんです。
 
「何か」に偏(かたよ)ってないんです。
 
あなたは「何か」に偏ってないですか?!
 
いくら金があっても死んだら持って行けないと思うんだけど。
 
あ、勘違いしないで下さいよ。「儲けることは美しい」んです。
 
神の御心を感じたとしたら「人」に「言」い続ける「者」は結果「儲かる」んです。
 
また、自分の「信者」を沢山持ってる人は儲かる人なんです。
 
漢字って面白いね。
 
理屈じゃないんです。
 
偏って、金の亡者(もうじゃ)に陥らないようにね。
見苦しいからね。
 
何か誰かに損をさせて自分が得した財産は、本来の儲けじゃないんですよ。
 
漢字から読み取るとね。
 
だからワシは株や投機は嫌いなんです。
 
あなたが株で儲ければ、
知らない誰かを損させてるという事実が発生するんです。
人間としての温かみの哲学の無い金儲けは、投機つまり博打(ばくち)です!
 
ワシは死ぬまで自分の真心で提供するものを買い続けてもらえる「お客」と言う名の「友」が居れば充実した人生を歩む財務力に成ると思うとります。
 
決して世間で言うWIN-WINと言うような薄っぺらいもんやないんですね。
Happy-Happyなんです。
香川湧慈流は。
 
「勝ち組」じゃなく「価値組」がええと思うんです。
 
一人一人の価値を創り出すんです!
 
みんながHappyやと思うからね。
 
また「差別化」じゃないんですね。
 
ワシは「独自化」なんです。
自分の哲学も深めてない人に軽々しくWIN-WINとか差別化とか言うてほしくないなぁと感じてます。
あなたもHappy私もHappy。が負ける人が居なくていいんじゃないかと思うとります。
 
差別って表現誰しも「いい感じ」にはならないと思うんです。
 
一人一人生まれ持った役割使命があると思うから、
ワシは独自化と表現して来ました。
 
身近な人達から「あんたは、ええ男や!あんたは、ええ女や!」と感じてもらえているかどうかが、その人の価値じゃないでしょうか。
あなたが深く付き合ってもない人を、軽々しく、評価してはならん!と思うのです。
 
お前は何様や!と言う「声なき声」が聞こえて来ませんか?
 
自問自答されたし!
 
もっぺん言います。
 
あなたは、恩を感じ合う間柄の人達が何人居ますか?恩を感じ合う関係が本来の人間だと思うんだけどね。
良かれと思ってあなたが、何かをしてあげたり、人を紹介したりすることがあると思うんやけどね。

そのことが原因で、相手が大変な事態になることがあったことってありませんかねぇ?

それは相手も非があるから大変な事態になってしまうんだけど、そういう事態になった時、あなたが最初の原因を作った事実には変わりないんだと自覚する心の習慣が大事なんです。

悪気なかったは、通らんのです。

それだけあなたが軽いと言うか、深い哲学を備えていないということなんです。
神道は、悪気なくやってしまった不始末と悪気があってやった不始末は、実は、悪気なくやってしまった不始末が罪深いと説きます。

道徳的問題ではないんです。

「無知は最大の罪」という言葉がありますが、正にその通りやと思います。

歳を重ねるごとに智恵を重ねないとね。

智恵とは、自分が体験して人体実験したことを振り返って、今後どう生きるのか!ということに照らし合わせて考えを深めて行きながら、積み重ねて行くことで身に付くんじゃないかと思うのです。

この「今後どう生きるのか!」という自分への問い掛けが大事なんです。

経営者は「何の為に生きるのか!」をトコトン自分の胸をえぐり抜く思いで突き詰めて行くものです。

そして、生きる目的である経営理念が生まれて来るんですね。

では社員の立場のあなたは「何の為に働いていますか?」の問い掛けに、どう答えますか?

生活の為に働いている。
そりゃそうでしょ。

でもワシは問う。

それだけですか!?と。

社員の立場の人達が「何の為に働いていますか?」を自分に問い掛けることを、あなたの人生を「より良く生きる為に」してほしいと思うんです。

こういう自分への問い掛けをしない人を「不幸な人」とワシは言いたいのです。

銭も大事やけど、それが第一だと侘しい人生やと思えてなりません。

魂の向上になるとは思えないんです。

魂の向上になる日頃のコツは「何の為に働いていますか?」の問いに、誇りに思える自分の納得行く「答え」を模索、探究してほしいと願うものです。