事業の目的は
「適正規模の確立」
 
経営の目的は
「経営理念の実現」
 
という人生観でずっと挑戦しとります。
 
事業の目的は金儲けであり、お客さん作りである。と思って仕事をしている人達多いと思います。
 
その実現の為に、やってる事業の「あらゆる適正」を考えて来ました。
 
自分の理想形態を描いて来たからそれに向かって邁進出来てるんです。
 
皆さんは、自分の生き方の理想形態を描いてますか?
夜寝て、朝起きたら理想になっとった、って有り得んでしょ。
 
自分の人生の理想形態は、自分の人生、どんな生き方だったらカッコええなぁ!ということを想像することで、徐々に描かれて来るもんです。
 
だからワシは、生きる基盤となる事業の「適正規模」を確立したいと思うたんです。
 
年間どれくらいの粗利益があれば理想なのか。
 
商品数は?
 
社員の人数は?
 
勤務時間は?
 
得意先の数は?
 
どんなお客さんだったら、気持ちいいのか?
 
設備は?
 
社員の給料及び待遇は?
 
何十年の間に、どんな事業が心地好いのか?
 
そういう風に自問自答していく時間を持ち続けると、ワクワクして来ますよ。
 
人生の「核」を自ら作らな、おもろないと思うんです。ほんまに。
 
核つまり、芯、理念、志、信念やね。
 
こういう人生を歩みたい。こういう人生が納得ゆく。という「人生の核」です。
 
核が形成されない限り、
あなたの理想は「砂上の楼閣」になってしまうと感じます。
 
砂上の楼閣=基礎がもろく、長続きしない。と言うことや。
 
あと話は変わりますが、
つい先日、仲の良い経営者仲間と、岩手県から帰りの新幹線で話したことなんですが。
 
「なぁ、見てる人は見とるっちゅうことやなぁ。」って。
 
ワシの知人の昔の話をしました。
 
60過ぎて商売も羽振り良く、調子に乗ってました。
 
アホなことしたから、
奥さんに愛想尽かされ離婚。
営業は彼がやってたけと、技術の商売やから、それを奥さんが仕切ってたので、本人仕事が出来ず、廃業。
あげくに、お母が90歳で入院。
 
ワシに半べそで電話があり、自宅は取られ、店も無くなり、ドン底状態。
 
その一報聞いてワシは新幹線で大阪へ。
 
彼いわく、香川君だけや!来てくれたんわ。
あんだけ仲良う付き合っとった他の人、しかも地元の連中誰も来うへん。
 
まぁ俺が悪いんやけど。って泣きよりました。
 
本人、生活の為に焼肉屋にパート。時給800円。
 
60過ぎの身体には、体力続かずヘトヘト。
 
毎日病院へ、お母の看病。
それを見てたんですね。
そこの大きい病院の院長が。
 
突然、院長、彼を呼び、お仕事何されてるんですか?って。
 
事情説明したら、その院長、うちの病院の正社員になりませんか。でお年寄りのバスの送迎してくれませんか。
 
あなたのような毎日、見舞いにお母さんの為に来てる優しい方は今時中々おりません。
 
うちのお年寄りにとっても、あなたの人柄が相応しい。良ければ採用したいんです。もちろん正職員として。
 
お給料は月20万しか出せませんが。
 
って。泣きがらワシに電話くれました。香川君、こんなことあったんや!って。
 
ワシも電話口で泣きました。
 
見とる人は、見とるでぇって、先日新幹線の中で経営者仲間に話したという話です。
 
天は、必ず見てくれてる!
あなたは、天から見られて恥ずかしくない生き方してますか?!
 
過去は済んだ事。
 
今、あなたが、どう生きてるか。どう反省してるか。
反省とは、二度と同じ過ちを起こさないことで尚且つ、どう改善したかの証拠を見せて初めて、反省した事になるんですよ、皆さん!
そんなことを見られてるんちゃうかなぁ。と感じたということです。
 
 
政治は、国民に働きやすい舞台を提供するだけでええと思うんです。
 
後は国民が自分の力で稼げばええのです。
 
民主主義の欠点は、とかく働かぬ者に与えるだけの、政治に陥りやすい点にあるのよ。
 
何かと言えば社会保障と言ってばかり。
 
それは選挙に落ちると困るからやなぁ。
 
国民を甘やかすだけです。
為すべきを為せ。とは言わないから、ダメなんです。
また貰うことばかり考えている国民は、自らの運命を開拓することに意欲を失い、家畜になります。
 
家畜は主人から食べさせて貰うだけで、自分で餌を取る力がありません。
 
政治も会社経営も同じです。
 
皆「努力次第で成れる」という、働きやすい舞台を提供するだけでええと思うんです。
 
後は自分の力で稼げばええのです。また自力を付けないと「生き甲斐」が生じないということを自覚してほしいんです。
 
社会保障でもそうです。
 
恩恵的に利益を与えるということは、とかく押し売りになりやすいのです。
 
殊に人の世は、皆の価値観が違います。
 
例えば、酒を飲まない人が酒をもらっても喜びません。
何が言いたいかと言えば、それぞれ喜びが違うということ。
 
こちらが好意を持ってした事でも、相手にとって大変な不満の種になったりします。
 
或いは、もっと面倒をみてあげていれば、というように後悔していたことが、逆に感謝される場合もあります。
 
相手は「自分のことをよく氣に掛けてくれてた、感謝してます。」と。
 
まぁワシが長年色んな社長を観て来て感じるのは、
 
ワンマンで強引な社長の下で育った社員の中に、中々の手腕を持つことになり、他社に於いても非常に有能な幹部となった人は案外多いんです。
 
激流の中で揉まれた人間は、根性も出来ます。
 
あまりにも、常識的な社長の下で育てられた社員は、中々モノに成らん人も多いのも事実やと感じます。
 
やはり、非常識とも思えるような所で、理屈をへし折られ、その中で叩き込まれて努力した者が、大成するもんやなぁと思えるんです。
 
大事なことは、部下の欲するものを部下の努力によって、与えられるように取り計らってあげることやと思うんです。
 
その為に、常識を解っていて、常識を越える愛情で以て、激流を与える社長が、必要なんじゃないかと思うて来ました。
 
大体、歴史に学んでいたら、無茶苦茶やなぁと思える師匠の下で修行した弟子の中に、傑物が出とるもんなぁ。
 
どんな時代に於いても、
危機感は持たな、モノには成りません。
 
恐怖による危機感を持たそうとするのは良くありません。
 
しかしながら、世間というのは危機感が無ければ、
中々反省しない事も事実です。
 
追い詰められなくても反省する。
 
将来を慮って、手を打つという人間であって欲しいのです。
 
その為に、上に立つ者は、より高い見識と深い愛情で、部下指導して欲しいのです。
 
殊に叱ることは難しいもんです。
 
部下が過ちを犯しているのが分かっていても、放っておきたくなるのが人情ですが、それが大事に至らない前に、処罰する親切と勇氣が、本人の為に欲しいものです。
 
叱ってやる親切が欲しいのです。
 
自分の責任感情から叱らないかんのです。
 
その為に、部下より優れてなければ叱れません。
 
愛情と責任感情から叱るんです。
 
憤りを混じえないこと。
 
情があること。
 
涙があること。
 
自分の主張に信念があり、独善的でないこと。
 
自分が正しいと思っていることに独善性がないか反省すること。
自分だけの屁理屈で正しいと思ってないか。と反省すること。
 
部下に、その過ちを自覚させる説得力を持つこと。
 
説得の難しさは、その過ちを悪かったと思わせなければ説得力にはならんのです。
これらの条件に当てはまった人に叱られると、不思議なもんで、叱られた人は、快感に似た感情になるんよね。
 
叱られて、胸がスッとするから不思議なもんです。
 
だから、部下を叱ってやれる「資格」と「勇氣」を持って欲しいと思うんです。
 
まぁ、その前提が部下から好かれていないと功を奏さないと思う訳です。
 
「好かれる」ということは、テクニックでは好かれんですよ。
 
部下が、自分のことを本氣で想ってくれている。と感じない限り。
 
さぁ、あなたは
 
「人間の幸福とは何ぞや!」
「充実とは何ぞや!」を語れますか。と切に希います。
目を瞑って、人間の一生を想像したら、徐々に見えて来るはずやから。
 
早よ、今すぐ目を瞑りなさい(笑)
商売上手な人達は、ようけおると思う。
 
けど「経営」が維持出来てる人達は、少ないんじゃないかと思う。
 
その見分け方は、簡単です。
 
如何に商売上手で儲けて、社屋や店を建てても、
そこで働く社員達の給料や待遇が安月給で長時間労働だとしたらそれは社長に、社員を大切にしてあげたい、大事にしてあげたい、という想いが無いんです。
 
縁あって自分の会社に働きに来てくれてる人達の人生設計を考えてあげていない証拠なんよ、ね。
 
経営の経とは、
「縦」という意味です。
 
縦の糸は秩序であり、人の道とか、筋道の意味です。
縦の糸が確り筋が通っているから、横糸が自由に動けるんですね。
 
そして経営の営とは、営み、つまり生活です。
 
だから、経営とは人の道を実践しながら、生活を維持し続けること。
 
単に損得じゃないんです。
あなたは、単なる商売をしてるんですか?
 
それとも経営をしてるんですか?
 
儲かったら、社員にしてあげる。では「取引」ですよ。
社員は会社という同じ釜の飯を食う「家族」ですよ。
 
その「家族」と取引していて人間としての心の信頼関係が結べるとは思えないんです。
 
自分の子供と取引しますか?
 
取引は理屈です。
 
儲かってなかっても、気持ちがあるなら、してあげなさい。
 
出来る範囲でええのやけど、文化的生活が維持できるくらいわ、ね。
 
「出来ることなら、してあげなさい。」がワシの昔からの人生方針です。
 
これは、うちの社員にも昔から言うて来ました。
 
「友達とメシ行ったら三回に二回は、奢ってあげえよぉ。
奢られる人生より、奢ってあげる人生の方が愉しいもんやからなぁ。
 
けど全部奢るなよ、相手が気ぃ遣うけん。
 
ワシも、それが出来る給料出せるように努力するけん。ケチ気(ゲ)になるなよ!ケチ臭い人生になるぞぉ。」と。
 
長生きしても90か100です。
 
70過ぎて、自分の築いて来た物的財産の後始末に困惑している人達を見て来ました。
 
で、そこで働く人達が文化的生活(食べれるだけの生存ではないんです)が、
出来ていれば何も言いませんが、そうでない人達を見ると、虚しさを感じたこともあります。
 
人間なんやから、生存でなく生活せな、いかんのです。
会社の利益というのは何もお金だけじゃないんですね。
魅力感じる職場環境も利益。
 
社員同志が、意志疎通良好なのも利益。
 
社員が主導権を握って仕事をやって行くのも利益。
 
また、人に依っては、出世、肩書きも利益。
 
気軽に休暇が取れるのも利益。
 
歳を重ねると、将来の保障も、安心という利益です。
人間が先ず望むのは、生活の安定です。
 
そして更に求めるのは安定の永続性です。
 
だから、能力に応じて職を与え、働きに応じて扶持を与えるんです。
 
長年会社に仕えて来ても、能率悪く人を使えない社員に地位を与えてはいかんのです。
 
能力の乏しい上司に付いている社員ほど、哀れなものは無いと思う訳です。
 
だから、そういう人には、地位以外のもので、その労を報いてあげてほしいんです。
 
また、社員は毎日同じ仕事を繰り返すんですよ。
 
その中で生き甲斐を持つことは難しいことです。
 
その心中を察してやらんといかんと思うとります。
 
社員に利益を与えられない上司には、部下は付いて来ないもんです。
 
が、また努力をしない者に、利益を無闇に与えると甘やかすことになります。
 
だから、上に立つ者は高い見識と教養と品性が要求されるんです。
 
生涯懸けて身に付けていかんならんですね。
充実した人生を歩むこと。
これが自分の全ての行動の判断基準です。
 
自分の行動の優先順位が、これだ。と言うとるんです。
そう言うと皆さんは、そんなん誰でも、そうやん。
 
って言うでしょう。
 
じゃあ、言わしてもらいます。
 
皆さんは「充実した人生」ということを10代の学生にも、20代の青年にも、
40、50代のバリバリの社会人や、奥さん方にも、そして60代70代80代の人達にも、
皆が「なるほど!」と納得行く持論がぶてて、理解納得、そして、感動させることが出来ますか?!
 
それが、確固たる人生観であり、社会観であり、人間哲学だと思うとるんです。
ワシこと香川湧慈は、充実した人生とは何ぞや!というものがハッキリと確立して、歩んで来ました。
 
自分の言動の、全ての判断基準は、自分の「充実した人生を歩む」というものから優先順位が出るようにして来たつもりです。
 
22歳から今まで、ずっと「充実した人生とは何ぞや!」を探究して来ました。約32年にもなります。
 
そうやねぇ、15年くらい前、30代後半で人生観、社会観を確立したように感じます。
 
それからですよ。
全ての判断基準、行動基準は「人生目的に従って人事を尽くすのみ!」になったのは、ね。
 
いわゆるブレなくなるんですよ大本(おおもと)に於いては。
 
これは、うちの社員が社長のワシを長年見てて感じてるでしょう。
 
どんな不安な状況に置かれても、不安な顔見たことないと思います。
 
動じないし、常にどうやったら打開出来るんや!という姿勢を見て来てると思います。
 
ブレる人を見てて感じるのは、あれもこれも、気が向いたら手を出す人の多いこと。
 
自分が決めた「一つ事」を、徹底して努力、工夫、継続せずに、あれもこれもに、手を出す人の多いこと。
 
モノには成らんと思います。
信頼も得られないと思います。
 
がむしゃらに人事を尽くすんじゃあ、時間を無意に過ごし兼ねません。
 
先決なのは、
つまり、先に決めないかん事は、自分の充実した人生とは何ぞや。を探究することやと思います。
 
人生の目的は何なんですか?ということや。
 
心の中で「もう一人の自分」に質問を繰り返す中で納得度合いが高まって来ますから。
 
これはホンマ皆んなにやってほしい行為です。
 
お金がほしい。
 
何ぼ?
 
いくらくらいです。
 
何で?
 
その理由を明らかに出来ないから、ブレるんですよ。
金額は何ぼでもええのです。理由を明らかにして、
「もう一人の自分」と対話して、より納得性を高めなぁ、飽くなき満足を求めてしまうんだろうねぇ。
 
人間の、あらゆる営みに、
「充実させてゆくには?」と
人生を、
歩きながら、考えながら、他人の生き方を学びながら、歴史上の人物の生き方、考え方を勉強してゆくんです。
 
あれもほしい、これもほしい。って時間とお金を使うな!と忠告したいですね。
「日本人らしく」仕事を坦々(右往左往しない、動じない)としたいと思って来ました。
 
だから、日本人とは本来、どんなものの考え方や、
生き方をする人種なのかを探究して来ましたよ。
 
古事記、日本書紀に日本人の生き方が説かれているように感じて学んで来ました。
 
日本人らしく自分の正しさを貫きながら、相手の正しさも尊重出来る心の姿勢を持ちたいと思うとるんですが、ちょくちょく「我」が邪魔するんよねぇ。
 
修行やねぇ。
 
皆さん「日本人らしく」を、考えてみませんか。
 
そしたら、自分の正しさを貫きながら、相手の正しさも尊重出来るような心を持てるような気がします。
 
今週、また一つ学んだ事は「よろこび」って漢字で書くと「慶び」と書こうと思いました。
 
慶びは慶事というように、相手の「よろこび事」と自分の「よろこび事」という意味なんです。
 
「喜び」や悦に入る「悦び」は、自分だけの「よろこび」という意味なんですよ。
 
日本人である我々の「充実した人生」は、どうやら、日本人らしくを探究してゆくと、答えを教えてくれるような感じがします。
 
そして、ブレない生き生きとした人生がスタート出来るような気がしますよ、皆さん。