今週TV見てて感動した番組「ぶっこみジャパニーズ」で、日本の寿司、讃岐うどん、忍者の達人たちが、
 
南米大陸のニセ日本寿司、ニセ日本うどん、ニセ忍者道場の店に潜入して弟子入りする番組でした。
 
で最後に正体をバラす内容でした。
 
何に感動したか?!
 
それは、現地のオーナーや店長の「超・上から目線」の指導に支持する日本の達人達に、
 
最後に正体バラされた時の彼らの、純粋な姿勢と感情に、ワシは感激しました。
 
特に、忍者道場を経営している夫婦の最後の、達人(伝統的忍者の末裔である、蒼志さん)に対する反応に、ワシも涙しました。
 
いやぁ、まだまだ発展途上国の人達は、素直で純粋さを備えているなぁと感動しました。
 
プロの世界を「知らないだけ」で、勿論日本に来たこともない青年達が日本かぶれの、寿司屋や、うどん屋、忍者塾を売りにして商売をしている。
 
やっている事は偽者(ニセモノ)であっても、正体バラされて、本物を目の前で見た時の彼らの驚きと素直さと、感動の心情を感じました。
 
誰しも「本物」を目の当たりにした時は、素直な感情が湧き出るんだなぁと感じた次第です。
 
だから、何が言いたいか!上に立つ立場の人達に言いたい。
 
あなたは「教えざるの罪」をやっていませんか?って。
 
人間は皆、心のどこかに、素直さ、純粋さを備えているはずなんです。
 
キチンと、ちゃんと、教えていれば、彼ら彼女らは、皆自身の素直さ、純粋さを発露すると思うんです。
 
人間としての充実した人生の歩み方、技術、考え方、プロ意識を教えるんです。
教え続けるんです。
 
斯(カ)く言うワシは、毎日のように、うちの社員に教え続けていますよ。
 
だから、少しずつ徐々に、社員が自身の素直さ、純粋さを発露したいという感情に成って来たんだと感じます。
 
だから業務を安心して任せられるんです。
 
「任す」とは、手は放して、目も放すけど、決して心は放さない。ことを言うんです。
 
常に心配してあげているから、社員も中間報告をするようになってくれるんです。
 
皆さん、自分の社員や部下や後輩を常に心配してあげていますか?
 
心を配るから、心配と書くんですね。
 
「任した」と言って中間報告もさせない、ほったらかしになっていませんか?
 
それは任しているんじゃなく、放棄しているんです。
 
心を配っていないんですよ。
 
そして、社員に対して、子供に対して、後輩に対して、
 
あなたは、教えざるの罪を犯していませんか?!
 
よぉ~に、自分の胸に手を当てて振り返ってみて下さいね。
 
教えるから、発見があるんです。
 
だから教えている「あなた」が、教えられるんですよ。
 
この状態を「共育」と言い、共に育つことに成るんだと思うんです。
 
先月うちのルイボスティーを愛飲してくれているお客さんの娘さんが中学生だということが分かり、
 
ワシが5年7ヶ月前に地元の宇多津中学一年生に講演した内容を冊子にしているんですが、
 
それを「お子様のお役に立てれば甲斐があります。」というお手紙を添えて送っておりました。
 
そしたら、今週その中学生の娘さんから、感想を書いたお手紙が届きました。
 
「私は文章があまり好きではないので、この冊子をもらった時、早く読みたいとは思いませんでした。
 
けど、いざ読み始めたら、あっという間に読み終わっていました。自分でもびっくりしました。
 
私は、そんな文章が書ける香川さんが、すごいと思いました。
 
どうしたら、あんなにおもしろく、読みやすい文を書けるのだろう、と思いました。
 
これだけの出来事ですが、香川さんが私の目標の人となりました。
 
これから私は、生きていく上で、香川さんを目標におき、がんばりたいと思います。」
 
という内容でした。
 
文面から読み取れるのは、おそらく、読書は苦手な子供さんなんでしょう。
 
その子が、読み始めたら、一気に読み入ってしまった、と。
 
どんな人に対しても、教えざるの罪を作ってはいかんのです。
 
キチンと教える、ちゃんと教える。
 
その人が、分かりやすい、興味を持ってくれるような、読んでいて何かしら勇氣が湧いて来るような教え方をせな、いかんと思うんです。
 
ワシはお手紙を読んで感動しました。
 
うちの社員にも回覧しました。
 
「縁ある人に、勇氣と感動を与えるキッカケを与え続ける人生を歩むこと。」がエモーションの経営目的であると経営指針書に明記していますが、
 
このエピソードも、目的の実践になったと感じました。
 
他人(ヒト)に勇氣と感動を与えるキッカケを与え続けるには、自分の人生哲学を深めていないと、与えられないと思います。
 
人生を有意義に歩むには、どんな考え、どんな行動、どんな捉え方が充実を生むのか?!
 
を自分なりに考えんといかんと思います。
 
物を動かすには「道具」が必要ですが、人を動かすには「哲学」が必要ですからね。
 
その「哲学」は、あなたの発する言葉から現されます。
 
皆さんの社業、仕事を通して、縁ある人達に、言葉の贈り物をして行きませんか!
 
と言いたい今週でした。


「儲けの根元・五原則」と題して昔、講演したことがありました。
 
一、時流に乗ること。
 
一、儲かるよう会社のシステムを作り変えること。
 
一、付加価値(粗利率)を高める創意工夫に徹底的に挑戦すること。
 
一、社員のヤル氣が起こってしまう社風創りに全身全霊を懸け、社員を時間で使うのでなく、
    社員の能力を生かすこと。
 
一、社長の器を大きくし「ツキ」を付けること。
 
この五つで一番大事なのは「社長のツキ」である。
 
というものでした。
 
この「ツキ」を付けるのに、最も重要な要素は社長自身の人生哲学を深め、覚悟を決め、

素直に吸収することやと思うのです。
 
社長じゃない人も、自分の人生の経営者は自分なんやから、自分の人生を深く考えることは、

一度や二度はした方がええと思うよ。
 
そういう自分の人生曲線を描く、自分の日頃の言動を、無意識の行動のクセを深く考えてみる。
 
実は、これが充実する人生のスタートやないかと思う訳です。
 
まぁ、理想を打ち立てるというか、理想を描かない人が、よぉ~け、おる。
 
理想に向かって、飽く無きチャレンジをして歩むことを「生活」と、ワシは呼んでいます。
 
理想に向かっていない人は、生活しているんじゃなく「生存」しているだけやと思いませんか?
 
生存だけなら、人間以外の動物は皆しとる。
 
生きることに活力が湧いている状態を生活と言うんと違うかなぁと思うのです。

これは商売人もサラリーマンも主婦も、同じです。
 
今「あぁ生存しとるだけやなぁ」と感じたそこのあなた。
 
今日から生活しませんか!

「人生は今日が始まり!」と思って。
 
理想を描かない限り、理想には近付かない。と思うんだけどなぁ。
 
理想を描いても、理想には中々行かないのが、これまた人生です。
 
が、死ぬまで生きる訳やから、この世に於いては一生いっぺんなんやから、

理想を描いたらどうなん!?
 
と言いたい。
 
そして、理想に向かって飽く無きチャレンジをしていて、大変なことに陥ったとしても、
 
つまり、如何なる状況に置かれようとも自分を見失わないことを自由な心と言うんです。
 
そうでしょう、どんな状況に置かれようとも、自分の心を確りさせんと、いかんやろぅ。
 
西洋で言う自由は「選択の自由」です。
 
好きか嫌いか、どっちにするか、を自分が決めるということを「自由」と呼んでいます。
 
が、東洋で言う自由は「如何なる状況に置かれようとも自分を見失わないこと」を自由と呼ぶんです。
 
この意味、深いです。
 
そうでしょう、どんな状況にあっても、自分の心は、自分が決めることが出来るでしょう。
 
これを本来、自由と先哲(先人の哲人達)は、言うて来たんだと感じます。
 
最近のテレビで下世話な事ですが、芸能人のW不倫とか、浮気とか、騒がれていますが、
 
これも聞いていると、目の前に魅力的な人が現れたから、ついつい心が動いてしまった。って。
 
これって「自由」でしょうか?
 
出逢いは「巡り合わせ」です。つまり運ですが、
 
別れは「努力」やと感じます。
 
昔から、変な男の屁理屈で「据え膳食わねば男の恥」と言う言葉を自分勝手に言う輩(やから)がおりますが、
 
ワシは敢えて言うなら、
 
「据え膳食わぬが、男の誇り」やな。
 
据え膳が用意されても食わない。
 
こういう男が増えてゆくと、女も自身の内面の良心が発露されてゆくのに、と感じます。
 
男がちゃんとすると、女もちゃんと成るんですね。
 
それが秩序です。
 
社長がちゃんとすると、社員も、ちゃんと成るんです。
 
上に立つ立場の者が、ちゃんとするから、
 
部下もちゃんと成ってゆくんだと思って「生存」じゃなく「生活」をしてほしいものです。
 
世の中には「分からんやつ」も、ようけおると思いますが「話せば分かる!」と思うてやらん限り、

通じては行かんでしょう。
 
忍耐強く、思うてやらんとね。
 
忍耐と我慢は全く違いますよ。
 
同じ「辛抱する」という意味ですが、忍耐の先には希望があるんです。
 
理想があるんです。
 
だから辛抱できるんです。
 
理想の為に、希望の為に、耐えることが出来るんです。
 
がしかし、我慢は、その先に希望も、理想も無いんですよ。
 
だから、我慢するなっ!
 
と言うとるんです。
 
希望も理想も無いのに辛抱しとったら、いつかあなたの身体に来るよ。
 
うつ病、ノイローゼ、内蔵疾患、などなど。
 
ええですか!
 
忍耐はせないかんけど、我慢はしたらいかんと思いますよ。
 
だから、理想を描いたら、どうなん?!と投げ掛けているんです。
 
人間なんやから。
 
志があるなぁと感じる人と、たまには晩めし食べたらええのに。
 
志があるなぁと感じる人と、たまには一緒に勉強したらええのに。
 
志があるなぁと感じる本を、たまには読んだらええのに。
 
心に「いい刺激」受けますよ。
 
自分の心の栄養になりますよ、と伝えたい今週でした。


人は、それぞれ感動する点、感点が違う。
 
同じものを見て同じものを読んで、同じような体験をしていても、感じる点が違うなぁと感じます。
 
「感点」に、次元の高い低いがあるのかどうか知らないが、

ワシは、より高い次元での感点の一致する人達と関わりたいというのが本音です。
 
そういう関わりが、愉快だし、鳥肌が立つ感動があります。
 
人間はやっぱり、純粋さが一番やと思うのです。
 
誰しも心のどこかには純粋さが存在しているのに、
その純粋さを発露することなく、日々を過ごしているなぁと感じてしまう人達を見ると、

何か虚(ムナ)しさを感じるんです。
 
何とか生活は出来ているのに、もっと物質的贅沢をしたいばっかりに、自分の心の純粋さと引き換えにしている人の多いこと。
 
虚しいねぇ。
 
少なくとも、毎週このメッセージを楽しみにして読んでくれている人は、純粋さを発露してほしいと願います。
 
純粋さの反対は、卑しさだと思いますね。
 
社長自身が多額の給料取っているのに、そこの社員の待遇の悪いこと。
 
何かその社長の心の貧困さ、卑しさを感じてしまいます。
 
ワシの知っている年配社長ですが、人柄は良いのに、また贅沢している感じじゃないのに、
 
しかも、会社の利益もほぼ毎年9000万近くも出ているのに、そこで働く社員の、長時間勤務で、安い給料。
 
そりゃ辞めるわなぁ社員達。
 
貧乏性なのか?欲なのか?卑しさを感じてしまうのが虚しいなぁと感じます。
 
自分が少しでも得しようとする行為は、見苦しいもんです。
 
「粗(ソ)にして野(ヤ)だが、卑(ヒ)ではない」生き方を貫く人が増えてほしいものです。
 
見た目は、粗っぽい感じがする人であっても、話し方が粗っぽくても正論を言い続けている。
 
けれど、人間性は決して卑しくない生き方です。
 
心が豊かな人は、決して卑しさを感じないものです。
 
言うことは、歯に衣着せぬもの言いをするけど、見栄は張らない。
 
コソコソしない。
 
こういう人も、希に居るねぇ、いわゆる家柄でなく、人間としての毛並みの良い家庭で育った人は、
 
粗にして野「ではないが」、卑しくない人が多いように感じるもの。
 
まぁ、中には家柄が良いのに、卑しい人もおるけどね。(笑)
 
ワシは「粗にして野だが、卑ではない。」生き方をしたいと思うとります。
 
卑しいなぁと感じる人が多いと、ほんま思います。
 
世間並より、お金を持っている人に、卑しいなぁと感じる人が多いわぁ、ほんまに。
 
また、お金に余裕が無い人には特に、卑しくなってほしくないなぁと思います。
 
一寸の虫にも五分の魂です。
 
ボロは着てても心は錦であってもらいたい。
 
卑しさを捨て去り、美しく生きたいものやなぁと思った今週でした。
 
 

今、やるべき事をやる。
 
これに尽きるんです。
 
あなたが、あなたの「今やるべき事」を全力でやるんです!
 
極端に言うと、自分がやるべき事さえ全力でやっていると、他はある意味、少々出来が悪くても、
とろくさくても「可愛いげ」に映るものです。
 
親は親としての「やるべき事」
 
子は子としての「やるべき事」
 
夫は夫としての「やるべき事」
 
妻は妻としての「やるべき事」
 
社長は社長としての「やるべき事」
 
社員は社員としての「やるべき事」
 
を皆さんに切に訴えているんです!
 
あなたの今やるべき事は、何なのか、自分の中に流れる血を呼び覚ましてほしいのです。
 
自分の中に流れているものを知ることが智恵であり、血恵(血が恵まれる)に成るんです。
 
今やるべき事は何かを考えることが、自分と自分の周囲の人達の将来を明るくします。
 
但し、ヒマが無いくらいに考えるんです。
 
他事を考えるヒマはないですよ。
 
正社員の人は、仕事に於いて、今やるべき事を、他事を考えるヒマが無いくらいに考えるんです。
 
また、正社員は、それ(他事を考えるヒマが無いくらい)が出来る心の状態だと思うのです。
 
例えば、家庭の事情でパートタイム社員になっている人は、自分の一番の心の関心事は、
子供だったりするんですね。
 
そういう心の状態では会社の仕事に中々、全身全霊に成れないもんです。
 
だから、少なくとも正社員の立場にある人は、仕事で自分が「今やるべき事」を、
ヒマが無いくらいに考えることをしてほしいのです。

そういうことでしか、あなたの中に流れている血は呼び覚まされないように感じるんです。
 
そうしないと、中々「智恵」が身に付かないんだと思うのです。
 
智恵は血恵なんです。
 
あなたが、全体の発展の為に自分が何を今やるべきか考え抜いて、
自覚してやっている状態を「らしく」と言います。
 
つまり、自分らしい生き方に成るんです。
 
誰しも自分らしく生きたいはずでしょ。
 
自分らしくと、自分勝手とは違います。
 
「今やるべき事」を考え抜いていると、人生観が養えます。
 
そして、人生を生きる哲学が深まります。
 
そうすると、あなたの人生で起こる様々な問題事を、自分で解決出来る能力が身に付くんです!
 
ええ(良い)でしょう!
 
だから、あなたが、皆んなの発展、幸福の為に、今やるべき事を、
他事を考えるヒマが無いくらいに考えるんですよ。
 
仕事をトコトン突き詰めて行くんですよ。
 
そうすることが実は、自分の人生観を養い、教養を深め、
あらゆる問題解決能力が身に付いて行くんですよ。
 
また読書は、自分が腑に落ちる言葉だけを選ぼうとしてしまい勝ちですね。
 
自分の価値観に合う言葉が、心地好く解釈してしまい勝ちですが、
それじゃあ「智恵」に成らないんです。

読書を智恵にしようと思えば「丸飲み」するのが一番身に付くんですね。
 
丸飲みとは、自分の考えは横に置いといて、その本に書いている事全てをデータとして捉えると、
智恵が付くようになっているんだと思って下さい。
 
価値観の幅、洞察力の幅が、器が拡がり、あらゆる「問題解決能力」が向上する智恵が身に付きます。
 
人生で最も大事なことは、自分と自分の周囲の人達に起こる問題事を、
自分が解決出来る人間に成る為の、智恵を身に付けることだと思うのです。
 
智恵や、人間洞察力です。
偏った人生哲学じゃ、ないんです。
 
日本のルーツと言われる、古事記や日本書紀は千三百年も前から存在する日本人としての生き方を説いていますから、丸飲みして読んでほしいと願います。
 
今あなたの周囲に起こっている、諸問題を解決できる智恵が身に付くと思うのです。
 
但し、丸飲みして読むことです。
 
自分の将来を知りたいなら、過去を遡り、ルーツを知ることからしか、見えて来ませんよ。
 
と言いたいのです。
 
ワシの縁ある人達に、心自由に、あらゆる問題解決を自分で出来る人間に成ってほしいからです。
 
新しい本でなく、日本人のルーツを教えてくれる本を丸飲みで読んでほしいと願います。
 
それが、あなたの将来に、生きる勇氣と、問題解決能力を与えてくれますから。