業種業態規模に関係なく

「人間性に立脚した科学性の追求」が会社に充実感をもたらす。

それには業種業態規模に関係なく、社長自身が、社員の心の統一が出来る環境づくりに全身全霊を懸ける以外に道は無い!

ということを、ほとんどの社長が気付いていないというか、実践していないように感じます。

人間性に立脚した科学性の追求を全身全霊でやっている会社を社会が認めてくれるのです。

だから「人間性・科学性・社会性」の高い会社になって行くのです。

これは小さい規模の会社の方が実践しやすいと思います。

何千人、何万人の規模の大手では実績のある社員は報いられる仕組みや、風土がありますが、
表立った実績が無い社員は取り残されていく風潮があります。

ひどい所になると切り捨てられます。

しかし、中小零細規模の会社では、愛情を持って鍛え上げる風土が養えます。

経営者の考えを理解してもらう努力が出来ます。

理解の輪を拡げることが出来ます。

理解の輪、つまり衆知を集める為には、経営者の状況を広く社内に周知徹底することなんです。

経営者に、人間性に立脚した科学性の追求をしている姿勢があれば、
社員の「経営者の考えを理解しようとする」心が醸成されるんですよ。

そういう会社を、社会は認めてくれるんだと思います。

だから、全社員の充実感につながるんです。

また、世の上司の皆さんに言いたい。

部下に感謝を表してますか?

世の中、部下は褒めて育てよ。的な、風潮がありますが、
何かテクニック臭いのでワシは嫌なんです。

本当に部下の心根や行動が「良い!」と感じたなら、すかさず素直に褒めたらええのです。

それに加えてほしいのは、部下に「ありがとな」でも「助かるわぁ」でもええから、思ったら言うとりますか?

メッセージしてますか?と言いたいのです。

社長が社長で居れるのは社員が居るから社長ですよ。

また社員も社員で居れるのは社長が居るから社員で居れるんです。

世の中「お互い様」なんです。

このことを日本古来の難しい言葉で言うと、「相対即相待」と言います。

相対している相手は、実は、相待ち合っている相手なんです。

敵対ではないんです。取引関係ではないんです。

今、あなたが対立しているかな?と感じている相手は、ひょっとしたら、
待ち合っている関係かも知れんのです。

相対は即、相待なんよね。だから、あぁありがとなぁ、助かるわぁ。と言いましょう。


その勇氣を出してほしいと感じた今週でした。 
日本人は「維新」が出来るDNAを備えている民族やと思うのです。

皆さん維新の本当の意味を知っていますか?

革命でもなく、改革でもなく、革新でもありません。

維新とは分かりやすく言うと、自分の中の悪い部分つまり悪い考えのクセや悪い行動を自分の中の良心で克服して行くことを言うんです。

この「維新」を、このメッセージを読んでくれている皆さんに、今から実施してほしいんです。

だいたいの多くの人の、自分の心の悪いクセに「ケチ臭い」気持ちがありますよね。

皆さんケチ臭い人、好きですか?

好きなことはないでしょう。

あなたがケチ臭い感情を抱いたら、あなたの将来がケチ臭い人生になってしまいますよ、
と言いたいのです。

うち(エモーション)は設立以来実施して来たことがあります。

それは「出来ることなら差し上げなさい」という精神と行動です。

設立以来約30年、曲がりなりにも今の顧客を積み重ねて来たことも、
人間的信頼の評価を得られて来たのも、

ひょっとしたらこの「出来ることなら、差し上げなさい。」を実践し続けて来たからかと感じます。

天が応援してくれているかどうかは分かりませんが、天に向かって恥じない生き方をして来たつもりです。

「非理法権天」(ひりほうけんてん)と読みます。ワシの好きな武将・楠木正成公の言葉です。

意味は、非つまり非道なことより理つまり道理の方が勝つが、道理より法律が勝ち、
法律より権力が勝つ。

しかし、如何なる権力であっても、天には勝てない。ということを言うてるんですね。

何が言いたいか。

皆さんは、天が応援したろか、と思ってくれるような生き方していますか?!
考え方や行動をしていますか?!と投げ掛けたいのです。

あなたの心に潜む、いやらしい、ケチ臭いクセを自分の心の良心で克服してほしいんです。

維新に取り組んでほしいんです。誰でも出来ますから。誰しも良心は存在しているからです。

自分の悪いクセを自分の良心で克服する勇氣をもってほしいんです。

その要素は「素直さ」なんです。

素直さが全てを好転させると確信しているんですねワシは。

非理法権天ですよ。

必ず天が見てくれていると信じてほしいんです。自分の悪い感情を自分の良心で克服出来ますから。

維新が出来ますから。素直さがあれば。

自分の胸に手を当てて、素直さを呼び起こしてほしいと思います。  
商売はセンス。経営は温かさ。これが昔からワシの持論です。

まさしく、商売はセンス(ちょっとした事を感じ取る能力をセンスと言います)によるところが、

大半を占めますが、経営者自身に心の温かさが乏しければ、、、、、

ハッキリ言います。

商売する意味はありません!

商売は読んで字の如く、商いを売るんですね。
つまり、あなたの商いの姿勢を売るということなんです。

自分で自分の商いの姿勢を振り返ってみたらええのです。

いやらしくないですか?
(笑)
心貧しくないですか?

社員達に対して、温かい環境を作っていますか?(甘い環境ではありません)

社員が将来に対して、安心感を抱けていると思いますか?

安心感が抱ける施策を、実施していますか?

会社に「文化」が培われていますか?

経営者は「主・師・親」でなければ、社員が哀れになります。

会社の主人であり、仕事と人生より良く導いてゆく師匠的存在であり、

無上の愛情を自然体で注ぐ親である。

そういう人間が実は、経営者だという信念で歩んでおるんですね、ワシは。

でも、この感覚を抱いて実践している社長がほんまに少ないんよなぁ。(表面上だけが多い)

社員にしてやることが損や、って心のウェートが大きい人ばっかりやとしか思えない人達を見るにつけ、虚しくなるんですね。

社長をしている、そこの貴方。貴方の奥さんが、こんなこと言うてませんか?

「社員に、そんなにしてあげんでええのに、あんたがもっと給料取ってよ。」って。

実際に昔耳にしたんよねぇ、そんな光景を見聞きすると、あぁここの夫婦可哀想やな、って感じてしまうんよなぁ。

またこの奥さんアホとちゃうかと思うと同時に女房教育が出来ていない哲学の無い社長やぁ、って思ってしまうことがありました。

あんたの旦那つまり社長の給料は誰が稼いでくれているか、全く分かっていないんよね。


業務をちゃんと実施してくれている社員達が社長の給料を稼いでくれていると思えたら、
感謝こそすれ、損するって感覚にはならへんけどねぇ。

また自分の子供にしてやることを、損するって、思わんやろうに。

建前と本音。権利と義務っていうのは、心の充実には至りません。

ここが心で分かっていない社長が、まぁほんまに多いこと。情けない。

「情けない」って、あなたの心に「情けが無い」のよと言われているということです。


身近な人達に、あなたの心に情けが無いなぁと、見抜かれているんですよ。言わないだけで。

そんなことも気付きもしていないんやと思うわ。それを「見苦しい」と言うんですね。


🙏頼むけん、ワシの知り合いの社長達にだけは、見苦しくなってほしくないんよなぁ。ほんまに。

社長から経営者に成れてないんよなぁ。社長は成ろうと思えば誰でもなれるんです。
自分で商売始めたら社長やからね。

でも、どれだけの社長が経営者に成れるんやろぅか?

経営者を目指そうとしてるんやろぅか?

あなたの商いの姿勢が、全てです!

見苦しい心になってませんか?

建前と本音になってませんか?

権利と義務になってませんか?

理屈で子供の良心が育たないのと同じで、理屈で社員の良心は育ちませんから。

人間関係は、責任と感恩しかないのになぁ、と訴えたいんですね。

あなたの社長としての、責任感の強さ、
つまり、社員達を、人間としての成長と業務能力としての成長を導いて行く責任感の強さ。

社員達が将来に安心感を抱ける会社としての施策(福利更正と事業の着実性と収益性の構築と
人格教育の環境)や

心温かくなる風土創りを本心から、やりたいと思う社長自身の心を高めている人が、
経営者に成る資格があるんだと思うのです。

そういう気の無い人は、人を雇ってはいけません。自分一人で商売したらええのです。


心温かくない人に雇われる人ほど哀れなもんはないんとちゃうかなぁと、思うとるんです。

社長自身に人生哲学のない商売をしているとしたら、それは一種の投機です。

投機つまり、ギャンブルです。

「人生はギャンブル」というのはある意味達観した意見とは思いますがワシの言うギャンブルはいわゆるパチンコやボートレース、競馬、麻雀、先物相場取引等々です。

つまり、あなたの社員達をあなたのギャンブルの道具に使っていると思われても仕方ないような思いと行動をしていませんか?

経営者は人生哲学に則った商売を実践するものです。

あなたの社員達に対する潜在している心の様相をあなたの子供が覗いたとしたら、
あなたは自信を持って見せられますか?

余談ですが、人が見ていようが、見ていまいが、山奥に咲く桜のように、生き切りたいんですワシは。

「見む人の、ためには在らぬ、山奥の、己(オ)のが誠を、咲く桜花」

詩にしたら、こんな感じですね。

山奥の桜は、一生を通じて、誰かに見てもらおうとも、思っていないだろうし、
ただ己のれの自覚した一生を歩んでいるとしか思えません。

陽の目を見ようと、見まいと、己れの誠を咲き切りたいですね。

また果物もそうですね。山奥に実る果物は、寿命が来たら、枯れるんです。人の手に触れた果物は、枯れずに、腐るんです。

腐った人生は、嫌やなぁと思います。枯れて寿命を迎えたいですね。

商売は社長の商いの姿勢を見られているんです。

してあげることが損や。って思う心から、脱皮してほしいと、
ワシの知り合いの社長達の情けない言動を、ちょこっと見聞きするにつけ、

今週のメッセージは、これが言いたいと思った次第です。  
ニュースを見てても、県会議員の政務活動費の杜撰さや、豊洲市場の当時の関係者の言動、
責任感の無さ。

国会中継を見てても、「揚げ足取り」の発言ばかりが目立つ。

国家運営を担う国会議員なんだから、国民が誇りに思える、さすが!と思える言動をしてほしいもんやわ!ほんまに。

何年か前にワシの27年間休まず活動している中小企業家同友会
(中小企業家同友会は経営者と社員が充実した人生を歩む為の土台である会社を創って行く、
経営者同志の自己変革をして行く会なんやけどね)

の他支部の例会に、うちの女性社員二人連れて参加したことがありました。

他支部の例会だったので例会後の懇親会前の挨拶を頼まれました。

いつものように、ワシの持論をスピーチしました。その夜、社員からメールがありました。

こんなメッセージでした。

「今日の社長のスピーチ感動しました。エモーションの社員であることに誇りを感じました。

 私も他社の社員の人がエモーションの社員のように成りたい、と思われる社員に成ろうと思います。」っていうメールでした。

ワシは零細企業の経営者やでぇ、国家を運営する国会議員なんやから、国民が見て誇りに思える言動をしてくれっ!って叫んどりますよ、ワシは。

会社経営でも、国家経営でも、家庭の経営でも最も大事なことは、何か?

言うでぇ。

よぉ~に覚えといてね。

「何の為に経営するのか。如何なる方法で、維持発展させて行くのか、ということを、
自分自身はもちろんのこと、社員や得意先をも納得させられるだけの哲学を持つこと。」なんですよ。

結論から言うたら、これをトコトン追求して行くことだけでええのです。

これさえ確立出来れば、解決に向かうんですよ。充実に向かうんですよ。

もう他事(ほかごと)せんと「何の為に経営するのか。如何なる方法で、維持発展させて行くのか。」だけを、トコトン考え抜いてほしいわっ!

ほんまに。

揚げ足を考えずに、国民が充実するであろう理想に対して、大いに議論してほしいと願います。

揚げ足しか言えないのは、対案が無いんですよ。「批判するなら、対案を出せ。」なんですよ。

これが、ものの道理というもんです。

自分が、もし今批判している相手だったら?と考えもしていないだろうし、どういう案があるのか!を考えても、浮かばないんだろうねぇ。

国会議員自身が、県会議員自身が、市会議員自身が人生観、社会観、哲学を持ってないんやと感じますね。

ほんまは、公務に携わる人達の給料は、こうしたらええのに、と思います。それは、「給与国民所得連動制」に。

どういうことかと言うと各都道府県民の平均給与の5分の4にしたらええのに。と思うんよね。

つまり、自分達の給料を上げようとするには、所属している都道府県民の給料を上げる施策をやり、

実際に上がらない限り自分達の給料は上がらない。という仕組みです。

公務は倒産の可能性が極めて少ないんやから、5分の4くらいが丁度いい数値かと思うのです。

破綻した夕張市の市長や議員は立派ですよ。市長の月給20数万。議員の月給18万ですよ。

の市町村の市長や議員の方々、出来ますか?!

ほとんどの公務関係者は親方日の丸の安定した立場なんやから、腑抜けにならないことと、

やり甲斐を感じる為にも「都道府県民給与連動制」が、良いと思うんだけどねぇ。

有能な人達には賞与で報いてあげたらええのです。

それ実施したら、公務に携わる人達は真剣に国民県民の給料を上げる為の施策を考え、
実施して行くんちゃうかと思うんだけどね。(笑)

「人生は重荷を背負って歩むべし。」と徳川家康の家訓らしいけど、ワシの言う人生の重荷を背負うという意味は、いわゆる苦労のニュアンスではありません。

人生を有意義に歩む、皆を幸福にして行く為の、人生観、社会観、哲学、
そして、計画のことを「重荷を背負う」と言うのです。

それで初めて部下は付いて来るし、国民の支持が得れるんですよ。

家庭の親、会社の社長、地域の議員、国家運営を担う国会議員も、皆これの確立をしてほしいんです。

何の為に経営(家庭の経営、会社の経営、地域の経営、国家の経営)するのかを一言で表した言葉が「経営理念」と言いますが、

全ての解決策は理念の中に見出だすしかないんです。つまり、解決策は理念の中に存在するんですよ。

理想と手段が一致したもの。これが背骨に成るんです。ワシは、そのことを発信したいんです。

多くの人に、背骨を創ってほしいと願います。理想と手段が一致せな、意味が無いということを認識してほしいのです。