ワシは24年前に経営に対する「あらゆる概念」を整理する取り組みを始めました。

この取り組みのことを「経営指針」と言い、その内容を成文化したものを「経営指針書」と言います。

その中で、事業目的を「適正規模の確立」と明記しました。

適正規模の確立??

って一般的には耳慣れない言葉なので、何で事業の目的が適正規模を確立することなん?って
疑問に感じられて来ました。

そういう疑問に感じる人って、たぶんトコトン自分の心をえぐって、えぐって、

考え抜いて、考え抜いて究極の理想像を描いたことが無いんとちゃうかなぁ、
と感じることがあります。

そもそも、経営の目的は何ですか?経営の目的とは、生きる目的のことです。
単に商売ということじゃないんです。

経営を、人生経営と捉えると、しっくり来るかも知れませんね。

経営の目的それは、経営理念の実現でしょ!

それ以外あり得ないでしょ。

理由は「何の為に経営するのか」を表した言葉が経営理念なんだから、
経営者にとっては、人生の目的そのものでしょ。

また、何かしらの商売つまり事業をやってる訳なんやから、事業をする目的は、

自ずと経営目的である経営理念を実現する為のものに成るはずです。

個人レベルで言うと「何の為に生きるんですか?」という問いの答えが人生理念です。


こんなこと考える会社員は極わずかだと思いますが、そう居ないんじゃないでしょうか。


あなたの生涯を懸けて、どんな人生を歩みたいのか?

それを実現する為の日々の想いと行動が、個人で言うところの「生活という事業」になりますね。

だから、ワシは経営理念を実現する為には、やっている事業の「あらゆる適正」を深堀りしながら
明らかにしていかんと、いかんよなぁ、と思った次第です、昔。

個人も同じです。生活に於ける「あらゆる適正な規模」つまり生活全般に関わるスタイルのことです。

勿論、やりたいビジョンに対して、自分達の業容が見えて来ると思うんです。

例えば業種業態と好みによって心地好さの規模が違って来ると思うんですね。

こういうビジネスモデルを、どうしても世の中に広めたいから、
数百人の社員で挑戦しないと出来得ない!んなら、

数百人の所帯が持続可能で全員が心理面物質面共に充実して行くビジネスモデルを構築し続けないとね。

心通じ合う社員だけで、世の中に良い影響を与え続けながら、幸福度の高い会社を続けたいなら、10名以下で納得の行く、ビジネスモデルの構築を模索するとか。

自分の心の中の「もう一人の自分」に素直に聴いてみることです。

「ほんまに、どれくらいの規模が、生涯を通して心地好く、納得が行き、社員全員の充実感が生まれるのか?」

「社員の数は?お客さんの数は?商品の数は?勤務時間は?年間の稼ぎ(粗利額)は?
業務内容は?社員のキャリアプランは?・・・・・・・・・」

経営は、人間としての「温かさ」が存在し行き渡っていないと、意味が無いんです。

ワシの知っている創業経営者で数百億企業にして来た人ですが、社長を50代で退き、株を売却し、

悠々自適な生活ができる余りあるくらいのお金を手にした後、一人で若手経営者の勉強会を主催したりして人生を歩んでいる人も居ます。

心のどこかで、規模を大きくして来た自社企業の経営に、満足というか、疲れて来たんだと言う人が多い感があります。

「お金には不自由なく、時間的自由が出来るのは個人事業者やなぁ、香川君。」って言われたものです。

ワシは、疲れるのは嫌やなぁ。

だから昔から「あらゆる適正」を考えながら、体調のコンディションを一番に優先しながら、

社員達の心地好さ(人間性に立脚した科学性の追求)を考えながら経営を実践して来ましたし、
実践しています。

皆さん、「心地好い」の概念整理が大事やと思うんです。

一生を通しての「心地好い状態」の想像をしてみたらええのです。

思いつきの心地好いではなく、人生を深く想像してみるんです。

あんまり、あれもこれも欲しいという欲求は、心を貧困にして行くと思うのです。

物欲が増すと反比例して心が貧困になりますから。心が貧しくなりたくないなら、
人生を深く想像してみると、段々、物欲が少なくなって行きますから。

まさに、シンプルイズベストに心が向いて行くと思います。

また人間性とは、人間的成長のことです。

この人間的成長を外して科学性=金儲けの仕組みは考えられません。

このメッセージを読んでくれている皆さん。

あなたの適正規模の確立つまり、あらゆる心地好さの概念整理を、始めてみませんか。


それには、どんな生き方が究極したいのか!を描くことです。

会社のグランドデザインを描く。

自分のグランドデザインを描く。

グランドデザインつまり最終到達系のことです。

最終的に、どうしたいのかを描かないから、覚悟が決まらず、迷いの世界に入ってしまうんです。

悩みと迷いは全く違うものです。

人生、成長している人には悩みが生じます。でも、迷いは生じないと思うんです。

皆さん!本物は少ない。いいものは、少ないんです。

いいものには、自ずから限界があり、もし広まってしまったら、それは、いいものではなくなるんです。

いいものは、広めましょうと、無知な世間の人は言いますけど、違うんですよ。

本物、いいものは少ないのです。

少ないからこそ、大事にしましょう。なんですよ

社員の数も少ない方が、全員が本物に成れる可能性が高いんです。

何百人にも社員数増やしたら、それこそその所帯を維持し続ける為に次々と新商品(サービス)開発を余儀なくされて来るんです。

「いいもの」はそんなに存在するものじゃないと思います。

やがて息切れして、社員の心も疲弊して来ますから。

人間の心も、だいたい20%が「いいもの」で、残り80%くらいは「いいものではない」のが
世の中の多くだと感じます。

だから、20%くらいしか存在しない「いいもの」を大事にしたいというのがワシの価値観です。

息切れしない、心が疲弊しない会社経営でありたいから、社員達の一生を見据えた経営を実践しているつもりですワシは。

だから、理想の零細企業を目指しているんです。

縁深い人達にはその姿勢が必ず伝わるものですから。

人生、お金持ちになることが真の目的なのではなく、物事の善悪を見極め、悪い芽を捨て去り、
良い芽を育てる人間になることこそが内容のある人間と言えます。

それを目指さな、つまらんでしょう。

また良い芽を育てる人間がこそが、良い実を実らせることが出来るのです。

だから、あなたが成長する為に、あなたの「適正規模の確立」を模索してほしいと思った今週でした。 
「相手の立場になる」

これは究極、出来ないと思います。何故なら、本人じゃないからです。

しかし、相手の立場を慮(おもんばか)ることは出来ます。

慮るとは、深い思いやりの心、気持ちのことです

これが、中々出来る人が少ない。

特に相手が弱い立場の人や、介護を受けている人や、ホンマにどうしようもないような人間に見える人に対しての「慮り」が出来ないのが多くの人やと思います。

相手にも、人それぞれの事情があるということを慮ってあげる配慮が実は自分の心を高め成長させる心の行為だと思います。

介護している人のイライラ感は、察しますが、介護されている人の心中や、どうしようもない、
落ちこぼれのような人の心中も察してあげる。

トコトン本人の心理状態を洞察してあげる優しさが必要やと思うんです。

自分は、相手本人じゃないから「何であの人は、こんなことも出来へんのか!」とか
「自分だったらこうするけど。」とか批判し勝ちですが、その気持ちは分からんでもないんだけど、
人それぞれ心境に違いがあり、能力に違いがあり、物事の捉え方に違いがあるということを考えてあげることが大切やと思う訳です。

責め心の無い、あなたの優しさを養成してほしいと願います。

厳しさと責め心は違いますから。

自分の憤りをぶつけてはいかんと思うのです。

憤りに見えて、厳しさで言っているとは思わない人も多くいますが、
まぁ致し方ないところもありますね。

その人の、相手に対する洞察が浅いからです。

基本憤りは、義憤に限り認められるんですね。

義憤とは社会悪に対する憤りのことです。

これは持ってほしいと願います。

厳しさというのは、優しい思いやりの心が同居しているもんです。

厳しいから人が付いて来ないんじゃなく、あなたに信頼が置けないから、
付いて来ないんだと自問自答せな、いかんのと違うかなぁ。と思うんですね。

そういう慮りの心を備える生き方をするには、理想の美学に従う生き方が、
一番「しあわせ」な状態である。と思うんです。

神道では、今の時代を「松の世」と説いています。

「松の世」とは、今まで自分がやって来た全て(良い事も悪い事も、都合の良い事も都合の悪い事も)が出て来る時代のことを言います。

だから、自分の生き方の美学を持ち、美学を深め、根を張り、バランスを取って、
淡々と仕事をこなすことが大切なんですね。

そうすることで、結果として時が来れば、相応しい時に花が咲き、やがて実を成らすんだと思うんです。

確りとした考え方、時代は何を求めているか、自分は何を為すべきかを考えて行動するから花が咲くのであり、継続していると、実が成るんですね。

だから学んだことを実践していないと、学んだことにならんのです。

特に生活の基本となっている仕事で学んだことを実践することで、学びが身に付くんですね。

会社でも家庭でも、自分の立場でどうすれば他人に考えてもらうことが出来るのか、
何を以て周囲に良い影響を与えられるかを考え合うこと。

自分の立っている位置に於いて、何が出来るのかを考えること。

これが「しあわせ」であり「国」を考えるということなんです。

会社に置き換えると社員は、常に、社長は何を考えているのか、何をしようとしているのか、
を観ていることが大事。

常に社長を見よ!なんですね。

これには前提がある。

社長や親は、社員や子供の「北斗七星」でなければならないんですね。

人生の目的が「北」と表現するならば「北」を知るのは、北極星でなく、
それを示す北斗七星を見るから、目的が知れるんです。

北斗七星なら誰でも見えますから。

人生の目的に向かって、ひたすらに進むことで、社員や子供の北斗七星に成るんです。


周囲の人を充実した人生を歩んでもらう為に自分が北斗七星に成るんだと強く思い、
軸を確り進むことなんです。

今の自分の立場で何が出来るのか、を考え行動することなんです。

話しは変わりますが、躾の行き届いた犬は、飼い主の前には出ない。
時々、飼い主を見ていて歩いている。

そして、イザ!という時飼い主の前に出て防御している。

犬でさえ、これが出来ているのに、人間なら出来ないはずはないんです。

淡々とした状態で自分の仕事をキチンとこなす。

これが「和」の原泉です。仲良しチームが「和」ではありません。

縁あって集っている会社のメンバーで、何の目的の為に仕事をするのか、
の共感と共通認識がなければ、しあわせの反対、不幸なんです。

いくら給料が高くても。

縁あって一緒に暮らしている夫婦や家族も同じです。お互いがお互いを慮る。

そうすると、自ずと自分の役割が分かって来るんです。気付いて来ます。

これに尽きるような気がした今週でした。  
エネルギーや情熱では、覚悟は出来ない。

つまりヤル氣や情熱だけでは、覚悟に至らないんです。

もっと冷静なものが覚悟なんですね。

また情熱ある人に、人は付いて来るんだけど、「真の目的」に付いて来てくれるかは、疑問ですよ。

人は真に覚悟のある人に付いて来るもんなんです本当は。

これには共に歩んでいても年数が掛かりますし、深いところでは、お互いどうしの縁が深いかどうかになって来ます。

人間の考える範疇を超えるところに存在するもんやと感じます。

理想とは、理(ことわり)を持つことであり、外れがないということ。

覚悟に至っていない人は理想を語りながら、実は夢想していることが多いもんです。

理を持って、語ることが出来ないと、覚悟に至らないんです。

つまり、私の夢を思うんじゃなく、理を思え。なんです。

逆に言えば、理(ことわり)つまり、人生哲学(人生観や社会観)の乏しい人には理想は抱けないんだと思います。

理は、神道や仏教哲学を学び続けながら、実践する以外に、具(そな)わらないと感じます。

机上の勉強だけでは具わらないんですよ。

学問は実践して初めて、学問に成るんです。

そして理の無い人には、他人を指導することは出来ないと確信しますね。

皆さん、惑わされないように、自身が確り

「人生とは何ぞや?!」「人間とは何ぞや?!」

を自問自答していると、その想念が波長となって真理が感じ取れる学びが出来て来るように思うんです。

これなら、皆さん出来るでしょ!

人生とは何ぞや?!人間とは何ぞや?!

を自問自答することくらいわ。

世の中、まともな指導者が増えない限り、良くはなって行かないんです。

やっぱり指導者に尽きるんです。

まともな指導者に付いた部下、社員はしあわせ者に成れると思うんです。

部下や社員自身の良心が発芽するからです。

指導者が、皆んなの充実した人生を本氣で願い、行動、苦悩する姿を部下や社員は見ているもんです。

ただ、指導者が部下に話しをする際、部下が興味を引く内容から導いて行く話しをしないと、一般的には、聞き流されることが多いもんです。

会社に対して、安心感や希望が社員の心にあれば、他人事でなく自分事として、スッーと心に入って来るもんです。

その為にも、理(ことわり)つまり、人生を充実させる哲学を、上に立つ者が持つことが皆を導いて行くのに必要なんだと思った今週でした。  
人は自分の好きな人から認められたい、褒められたい、と思っているものです。

そう思いませんかねぇ?

だから自分の好きな人の為に役に立ちたいと努力するし、褒められたいという一途さを感じます。

褒められたいと、一途に努力する人は、しあわせ感があります。

またそれを受ける人も、しあわせ感を味わえるもんです。

そういう観点から考えると中小零細会社で言うなら、社長は社員から好かれていることが、
全社員の充実感につながると言えます。

相思相愛の関係というのが、人間関係の幸福感の原点じゃないでしょうか。ワシはそう思います。

自分(あなた)に認められよう、褒められようと一途に努力している人と接したら、やっぱり、嬉しいもんでしょう。

保身の心(ゴマすり)からでなく、純心な一途さから湧き出て来るものは健気さを感じますね。

その人なりの「健気な努力」というのは美しいもんです。

あなたの社員は、社長の考えを理解しようと健気に努力してくれているでしょうか?

与えられた職責を果たす努力をしてくれているでしょうか?

社長の考えを理解しようと努力するというのは、社長の「言うことを聞け」では、ないんです。

勘違いせんように。

社長の考えとは、経営の目的である理念と理念を実現させる為の経営方針のことです。


だから社長の考えを理解しようと努力してくれ!と発信していますか?と言いたいのです。

社員の、経営理念と経営方針に対しての習熟度が高まっているなぁと社長自身が感じたら、

与えられた職責を、経営方針に従って、一所懸命果たそうと健気に努力している姿を見たら、

社員が「自分が社長だったら、自分の仕事振りをどう思うだろうか。」と自問自答している心中が分かったら、

そんな社員のことを可愛く思えるもんです。一生面倒見てやるぞぉって思えるもんです。


違いますかぁ?

だから経営者が先ず、理念や方針を、何百回も何千回も発信し続けることが大事なんです。

何故繰り返し訴えないといかんのか?

それは納得していても、人間はついついウッカリ忘れるからです。

具体的に諭すように語らないと相手は分からんのです。

発信している考えが、「まとも」なら、社員の共感を呼ぶはずです。

まともな人間なら、そういうあなたに付いて行きたいと感じるものです。

あなたは、あなたに対して健気な努力をしてくれている人に、心を傾けていますか?と言いたいのです。

あなたは周囲の人から好かれていますかねぇ?

特に経営者の人。あなたの社員から好かれていますか?!

あなたに認められたい、好かれたいと純心な心、一途な心で努力してくれている社員が何人いますか?

社員が自分の役割を自覚して自主的に取り組んでいますか?

また、その行為に報いていますでしょうか?

まるで小さい子供が親に認められたい、好かれたいと一途になっている行為いに、心を傾けているよ

うに、社員に心を傾けなぁ、いかんのとちぁいますかぁ。

こういう行為は、保身でやっているんじゃないんですよ。

純心さ、一途さが行為の基になっているんだと感じます。

人間は、健気な努力をしている人を、美しいと感じるものやし、愛しいと感じるものです。

健気さの逆に、ゴマすり的な保身で接して来る人には、嫌悪を感じるものです。

同じ、褒められたい、認められたいという行為でも、その行為をしている人の心根と、

あなたに対する好感によって、違って来るもんですね。

健気な努力をしている社員であっても、能力が、何べん言うても、向上せん人も居るでしょう。

そういう社員のことを、まともな経営者なら洞察していますよ。

だからその社員のキャパの中で精一杯努力させてあげる器量を持って指導してやるんですよ。

それが「守ってやる」ということです。

正しく愛と情の経営ですよ。

一人一人の特性を、洞察することが、一人一人を活かすことにつながるんです。

経営者と社員一人一人が共通の目的の下、各人の個性を発揮しながら、

各人の任務(やるべき事)を果たしている状態、心を注いでいる状態を「和」と言うんです。

そこに、責任感と感謝が生まれるんです。芽生えるんです。

経営者も社員も純心さ、一途さ、健気さが、あなたの心の大部分を占めてほしいなぁと思った今週でした。