身体の汚れは毎日風呂に入って無意識に落としているのに、心の汚れに関しては、
毎日落とそうという気持ちすら起きてない人が大多数じゃないでしょうか?

心を洗浄しないまま知識を得ると、世の中悪くなるんです。

現在の政治や経済の権力者が、心の洗浄をしないまま知識を得た人達じゃないでしょうか。
そう感じませんか?

心の洗浄をしないまま、知識を得た人達が世の中を牛耳っていて、
情報を流している事実を認識せないかんですよ。

個人レベルで例えると、あなたが特定の「誰か」に対して、あなたの友人が、その「誰か」のことを、
良く言っていない噂を聞いた時、鵜呑みにしてはいませんか?

心の洗浄をしないまま知識を得た人達の情報に、振り回されてしまいますよ!と言いたいのです。

ちゃんと自分で確かめんかい!と言いたいわ。但し、あなたの心が適温状態で。ですよ。

あなたの心の温度が適温なら、平常心で判断出来ますから。

「心の温度」=「心温」という表現をワシは大切にしているんです。

熱すぎても、冷た過ぎても、正常な機能を果たせないと思うんです。

心も事業も「適正」を、いつも留意しとんですよワシは。

ワシの大好きな大浴場での風呂。(毎日入ってます)

適度な温度でないと、入った瞬間「あぁ~気持ちい~い!」っていうリラックス感はないわなぁ。

心が適温の時、一番気分が乗ります。「気分が良い」時がベストタイミングじゃないかと感じるんです。

また、心温が適温の時が一番能力が発揮出来て、他人の心の温度が感じ取れるんですよホンマに。

他人の心の温かさも、冷たさも的確にキャッチ出来てしまうんです。

だから、自分の心の温度を適温に維持できていると、心の洗浄も出来やすくなり、
他人があなたに対して「温かさ」を感じてくれるんです。

自分の心を、毎日洗浄していますか?

そのコツを言いますね。

何をやるにしても動機なんですよ。

動機が純粋か?どうかなんです。

動機が不純だと不純物が溜まって来るのよ。

不純物が溜まって来ると自我が取り除きにくくなるんです。

不純物が溜まった状態で知識を入れるから、善からぬ発想が浮かび、
せっかくの知識も浄化されなくなり、心の汚ない身体になるんです。

心の洗浄をしていないなら、下手に勉強やしたらいかんのです。

汚れて来るからです。

純粋じゃなくなって来るからです。

純粋な人が、知識を得て行くから、心が温かくなって行くんです。

ワシの昔からの持論は、「商売はセンス。経営は温かさ。」です。

心温かいことが潜在能力を発揮させるんだと感じます。

あなたの、会社経営は、そして人生経営は、温かさが存在していますか?

毎日心の洗浄、せないかんのとちゃいますか?

そうしないと時間とお金と心を費やして得ようとしている知識が、汚れたものになりますよ。

心の洗浄をしないまま知識を得ようとすることを、ワシは「ナンセンス」と言うてるんですけどね(笑)

ナンセンスなことしないように、という今週のメッセージでした。 
世間を見ていると先代、先先代から引き継いで会社経営している人達で割りと多いのが、

大体、財務的優良会社の下請業社が多いもんです。

だからかも知れんのですが、営業は一切しなくても業務は忙しく元請会社が儲かっていて

長年の付き合いもあるので割りに合う単価と言うか工賃をくれているから、

ある意味営業の苦労をしないで金回りが良い会社は多いんですね。

なのに、そこで働く社員の給料の安いことや待遇の良くない会社も多いように感じるんです。

第一、経営者が自分本意の人が、まぁ多いこと。情けないわぁ。

そういうことをずっと続けとったら、やがて行き詰まると思うんやけどなぁ。

人間は、自分のことしか考えられなくなると、人生が行き詰まるようになって行くんです。

儲かっているのに、いや自分は「ええ目」しているのに社員に安月給している会社の、

ホンマ多いこと。

それは経営とは言えないと思います。

経営の経の意味は、地球儀で言うなら経緯、つまり縦横の縦です。縦とは秩序であり、人の道です。

経営の営の意味は、営み、つまり生活であり経済活動です。

だから、人の道を実践しながら経済活動している商売が「経営」です。

この「経営」を多くの会社に実践してほしいと願うものです。

また、ワシが言いたいのは、下請業であっても、メーカー機能を持つ何かを構築してほしいと思うとるんです。

そうしないと、元請企業が窮して来たら、下請は危うくなる可能性大やと思うんです。 

また安定受注のない営業会社は、売り上げを追い続ける傾向性が強く、

息切れしてしんどいと思うんです。

いつか心が疲弊してしまうんです。

そんな営業をしている人達を見るにつけ、大変やなぁと感じてしまいます。

営業とは「相手の潜在ニーズにプレゼンすること。」とワシは捉えています。

相手の潜在的(未だ気付いていない)要望にプレゼンテーションするのが愉しいし、

割りと「言い値」が通るんです。

まぁ、形はどうれあれ、主導権を執ることが結果充実に向かいます。

あなたが、どんな立場であれ、主導権を執ることを工夫してほしいんです。

ストレスは溜まりませんよ。主導権を執っていれば。

信念に裏打ちされた生き方、仕事の仕方が出来ていると、気分良く人生歩めます。

だから、自分の信念を深める勉強をし続けんと、いつまで経っても、スッキリ歩めんと思うけどなぁ。

スッキリしていない人に言いたいのは勉強を一日も欠かしたらいかんよぉということです。

胸に手を当てて、見詰め直さないかんのとちゃいますか?  
店や会社や、また一家を治めて行くにしても、親子のような親しみ方をすることは、
理想的な形ですが、ここに危険も潜んでいるんです。

親しみ過ぎて礼を欠くことに陥る可能性があるからです。

ケジメが付かなくなり、秩序も規律も無くなるとダメになって来ます。

「一悪生ずれば、百悪集う。」です。

だから、経営者は社員の些細な「まぁいいやん」には厳重注意せないかんのです。
ここホンマに大事なんですよ、皆さん。

わがまま放題に育ててしまった部下は、もはや用いることは出来ません。
世間を見てて、新入社員の、人間としてのレベルが下がっている感あり、です。

上に立つ者が部下の私的な生活面に対して、それとなく心配りすることは大切なことですが、
公私の区別を明確にしておかなければ、ただの甘やかしでしか無くなるのです。

昔、ある大名がこう嘆きました。

「今日(こんにち)の世に、弁慶や佐藤兄弟(佐藤継信・忠信兄弟)がいない」
(源義経に忠誠心豊かに仕えた家臣が弁慶であり佐藤兄弟です。)

と言った時、家臣の一人がこう言いました。

「否、弁慶や継信、忠信等の無きには候(そうら)はず。義経の無きにてこそ候(そうら)へ。

もし、今も義経如きの主(あるじ)あらば、弁慶も継信、忠信等も、目を突く程に、
出で来たり候(そうら)うべし。」と答えたと歴史は語ります。

どういうことかと解説すると、
社長が幹部達に「最近の社員は、社長に忠誠心豊かに働く者がいない。」と嘆くと、

有能な幹部は社長にこう答えた、ということです。

「いや、社長そうではありません。忠誠心豊かな社員がいないのではなく、
源義経公のような人情溢れ、仕事の出来る経営者がいないからです。

もし今も義経公のような経営者ばかりなら、忠誠心豊かな社員も、目を突く程に出て来ると思います。」

どうですか?

あなたは上に立つ者として、人情溢れ仕事の出来る人物ですか?!と己を省みましょう。


自分は「これ」をしていないと自分では無い!というものを見つめ直して立てて行くこと。
これが「らしく」ということ。

「これ」は、今まで生きて来た歩みの中にしか、存在しません。

一つ一つ教えている事に「慣れ」が生じていないか。を振り返ること。

その一つ一つ教えている事を、もっと丁寧に理解納得するまで、教えること。

才能の無い者にも、丁寧に教えているか。

才能の無い者が理解納得するまで、教えているか。

自分達は、これをしなければ生きて行けないという念(おも)いで、最後まで責任を持って取り組んでいるか。

それが志を貫くということです。自分がやった事を整理して、報告をする。

これが次に起こる事の準備となるんです。

究極の危機管理は、ちゃんと毎日丁寧にチェックして報告を受けること。また自分からも報告すること。

腕一本足一本失っても、自分は「これ」で役に立つ。というものを持つことが危機管理に成るんです。

社員一人一人に、仕事をさせる役割を作っているか。

社員一人一人が、納得できる仕事をさせているか。

犬ですら、エサをくれる人でなく、散歩(犬の仕事)をさせてくれる人に付くのである。 

ましてや、人間をや。です。人間は苦しい時ほど、身の周りのものを握り締める。

でも一旦、手のひらを開いて行くことが、苦からの脱却になる。

まさに「放てば、満てり。」である。

理想を時折り「理想はここに在る!」と振り返るしか、理想と現実のギャップを埋めることは出来ない。

「ものさし」は、自分の背中に刺すこと。
その「ものさし」=「判断基準」が、自分の背筋をピン!とさせるんです。  
ワシの生き方は「スモール・イズ・ビューティフル」です。

この意味は深いので限られた文字数でのメッセージでは書けません。

経営も個人の人生も理念に則った歩みでないと、充実には至らないよ。と言うて来ました。

例えば、経営に於いて、自社の商品やサービスをより多くの人に食べてもらいたい、
飲んでもらいたい、使ってもらいたいという想いが理念に則ったものだとするならば、

業態によって、やり方は異なって来ます。

例えば、飲食店や美容室なら、一店舗でも多く出店する必要があると思います。
でも、粗製濫造では理念の実現にはなりません。

美味しくない物や下手な技術をお客さんに提供する訳にはいかないからです。

うちのように「メーカー通販」という業態なら、少人数で、高品質の商品を、
徹底した品質管理をしていれば、全国に供給出来ますが、

店舗展開している会社は、高品質の多店舗展開を可能にしてゆくスキーム(あらゆる仕組み・構造)が要求されます。

店長が理念に敵う人物でないのに、店舗を出すと品質に劣化が生じて来ます。
人が育っていないのに、店を出すのは、信用崩壊に成り兼ねません。

店長と、そこに従事する社員達が揃ったところで出店するというのが王道だと思うのです。

売上や利益は、それに付いて来るものという考え方が大切やと思うのです。
人を育て上げようとしない会社に未来は無い!とつくづく思います。

だから、自社に於いての適正をトコトン考え抜かないといかんのと違いますか?と常々言うているんです。

人生に100点は無いと思うから、あなたは、あなたの会社は、どうチャレンジするのか、よぉ~に考えんとね。

中途半端が一番不幸に向かうと思います。熟慮断行です。熟慮つまり、よぉ~に考え抜く。
そして決めたら、一気にやる!

これが充実に向かうんちゃうかなぁ、と思うのです。

あ、そうそう飲食店や美容室などのいわゆるサービス業界で「人手不足」が叫ばれていますが、
ワシに言わせると、その会社に「温かさ」が足りないんじゃないか、と。

待遇(あらゆる)が良ければパートさんやアルバイトさんも、ぜひ雇って下さいと行列になるはずなんやけど、ね。

給料、休み、風通し、笑い、ユーモア、将来への安心感、人間成長、スキルアップ、和気あいあい等、この総合が待遇です。

経営は人間学です。人間とは何ぞや!を探究したらええのに、と思うのです。

愛情で社員・スタッフを鍛え上げる。熱血指導する。大きい規模、数十店舗になっても、
社長と数人の幹部で、

各店の社員達に息吹きを吹き掛けないと伝わるものも、伝わりません!と言いたいのです。

理屈でなく情と涙と熱意やと思うのです。

社員達の人生の充実に、一所懸命に行動している経営者の姿勢が人の心に火を点けるんです。

それしか、火は点かないと思います。衣食足りて礼節を知る。これが普通の人間です。


先ずは、衣食足らしてあげる環境を作り、理念を社員の脳ミソに身体に、叩き込むんです。

日本民族は、衣食足らずとも礼節を知れる民族やと思いますが、
普通の人には先ず、衣食足りて礼節を知るを実践せないかんでしょう。

この実践の結果、衣食足らずとも礼節を知る社員に成ってゆくんですよ。

苦楽共有が、人生に充実をもたらすんですね。

規模を大きくするというのも、自社のお客さんを多くしてゆくという観点で捉えると、
あなたの会社の適正が見えて来るかも知れませんね。

経営者の性格のような会社に成ってゆくもんですよ。

経営戦略は経営者の性格の反映です。良い悪いでなく、経営者の性格が反映されて来るんです。

だから大いなる自業自得なんですね。会社経営は。
だから、縁あって雇っている社員達(パート社員やアルバイトさんにも)に、

経営者の人生観を社会観を熱く語り、伝える義務があるんです。また伝えないと、
相手も選ぶ権利があるからね。

お互いの「合意と納得」の経営が、すこぶる大事で大切なんですね。

自分の人生観、社会観を伝えてますか?