味が好きで、月に一度くらい行く○○料理の店があるんやけどね。

ビールもサーバーの手入れをちゃんとしてるんでしょう、クリーミーな旨いビールだし、
日本酒も毎月、そこのオーナーが自分の料理に合う銘柄を冷や、燗と分けてちゃんと用意してるし、

メインの○○の味も、つまみの味もグッドなんやけど、最近はあんまり行きたい気持ちが薄れています。

それは、そこのオーナー(たぶん30代前半)無愛想は、まだいいにせよ、
経営の勉強や人生の勉強を敬遠するタイプだからということを感じたからです。

従業員教育なんて、たぶんしたことは無いだろうし、単に「使い手」としか扱ってないなぁと感じてしまうことがままあるんですね。

ワシとは人生の価値観が合わない感じなので、好きな味でも、行かなくてもええわっ、ってなってしまいますね。

やっぱり、経営者は勉強熱心な人が、ええですね。

ハード(味だけとか店構えだけとか)だけじゃ、ファンにはならないんです。

やっぱり、心意気とか、自分自身の自己成長に、取り組んでいる経営者は何かしら応援したくなるんよね。

自分の商売のハードだけに熱心な社長や、個人オーナーは、ワシは好きじゃないんだよね。

ファンにならないと、徐々に足は遠退いて行くもんです。

同じ○○料理の美味しい他の店を、探そうかというようになってしまうもんですね、お客っていうのは。少なくとも自分(ワシ)は、ね。

このメッセージを読んでくれている、お店経営者の方々、要注意ですよ。

あなた自身の自己の内面の変革を見られていると心した方がええですよ。

あの人は、やり手やなぁようけ儲けてるなあ、と言われる人、おりますが、尊敬には至らないんよね。ファンにはならないんよね。

やっぱり、あの人は立派やわ!と言われる人、見られる人が、ええよねぇ。

そんな人には、ファンが付くような感じがしますね。

大きくなくても、すごくなくても、優秀じゃなくても、ファンの沢山いるお店、会社であり続けたいと思うとるんです。

お客さんと得意先と社員と、その家族から愛され続ける会社であり続けたいと思うとるんです。

皆さん、自分らしい会社像になっていますかぁ?

自分らしく生きている人は、やっぱり、皆人間性を深める勉強をしよるでえ、たぶん。 

人間性を深める勉強しよる人を他人が見たら、あの人は、立派やなぁ!と思うてくれると感じます。

自分らしくないことを、追い駆けても、内面の充実には至らないと感じますよ。

自分らしく、自社らしくあり続けませんか!  
工夫する生活は生き甲斐と快適さを増す。

朝起きて食事をする、道を歩く、人と会う。

もしこれを、つまらないと思えば、毎日はつまらないの連続となる。

工夫の連続となれば一生は、意義を持つ。

会社や役所で、つまらなさそうに業務をしている光景を見かける。

そのような人は、業務が乱雑で手順も悪く、事務ははかどらす応対も横柄で不親切である。

これに反して、生き生きとした顔で手順良く能率的に処理していく人は、
はた目にも気持ち良くて用事も早く片付き、笑顔で応対する。

自由意思を持たぬ機械的に同じやり方で物事を処理する生活態度は意義を失う。

世の中のことは、どんなことでも研究的に味わうと何かしら教えられ、
悟るところがあって興味が湧いて来るものです。

自分の宿命を与えられたまま歩む。それが恵まれた人生ならば有頂天となり、
反対に恵まれない人生なれば、嘆き悲しむ。

これは受動的、消極的な人生観です。

能動的積極的な人生観は宿命を出発点として、工夫と努力によって価値ある人生を築き、
意義あらしめることです。

人生の意義目的は初めから定まっているものではなく、己れで人生を意義付け、目的付けるものです。

商売するのに金が無いと言うか、極めて乏しいと言うか、売上金で何とか賄う状態を、
起業した時は、多くの人が体験すると思うんですが、

最初に金に余裕が無いから工夫する能力が身に付いたように思うのです。

如何にお金を使わずに、仕事を進めて行くか、を考え抜いて来ましたワシは。

これ最初に金に余裕が有ったら、たぶん工夫する能力、考え抜く能力は身に付かなかったと振り返ってみて感じます。

だが、振り返るだけではもう一つ意味を成さないんです。

他人の生き方・考え方を一旦受け入れて、自分の心の中で、自分の仕事の取り組み方や人生を歩む心構えに照らしてみることが大切です。

これも自分の中に「核」を持っていないと、中々身に付かないんですね。

「核」とは、自分がどんな生き方をしたいのか、どういう人生を歩むことが充実する人生だと言えるのか、という自分が納得出来る考え方を持つことを言います。

つまり「人間はどうあるべきか」に明確な考えを持って、それを自問自答し続けて行く中で、
次第に心の芯の部分に「核」が出来て来るんです。

よくワシに、会社経営の課題を相談に来られますが、開口一番こう言うてます。

あなたの会社は人間関係が整っていますか?!って。

およそ人間関係の整っていない環境で、何を施策しても上手くいかんでって。どう自分が行動したら、人間関係が整うのか、を考えなはれ!って。

そこに、工夫する能力、考え抜く能力が身に付くんやでっ!って。人間性というものは、
生活の維持発展と生き甲斐の両輪が揃ったところに存在するんです。

ただ単に、待遇改善のみが、人間尊重ではないと思うんです。それだけなら、言い方悪いですが、
家畜の賃金と同じです。

自主性と自己責任が無くなる。ここには生き甲斐が生じる筈がない。

先ずトップが、本来、人としてあるべき真の姿を説いて行くことから全ては始まるんちゃうかい!って話している次第です。  
悠久の大義、永遠の大道に生きる。

人間は、やがて死ぬのです。いくらお金が儲かっても、
人間の食い扶持、人が一生に食べられる量は大体決まっているものです。

酒の量も決まっていると思います。だから上手に案分して飲むことです。
若い内に沢山飲んでいると、胃潰瘍になったりして、飲めなくなってしまいます。

自分の器以上の物は備わらないのです。やはり、己れの器を如何に大きくするかが大切です。

長い人生と思っていてもやがてすぐに死はやって来るのです。わずかな人生なのです。

永遠の大道に生きるということは、人の道の上に立って生きることです。

人の道、この悠久の大義永遠の道の上に立って生きるところにこそ、生き甲斐はあるのです。

人事を尽くして天命を待つんではないんです。人事を尽くすことが天命だと自覚して日々歩むこと。

更に進んで、天命に従って人事を尽くすのみ。

この心境になれることが永遠の大道を生きれることにつながります。
トコトン「人間とは何ぞや?」を勉強することです。

自分は、この世に何をする為に生まれて来たのかを勉強することです。

それには、自らの精神を高め、且つ深める以外に方法はないと思います。

先哲(先人の哲人達)つまりお釈迦様然(しか)り、聖徳太子然り、弘法大師や、
道元禅師や親鸞聖人、幾百年、幾千年を経て生誕された祖師方と同じ高さと同じ深さを持つ魂に近付こうと、その志を学び、継がんとすることこそ大切だと思う訳です。

「己が血の雄叫びに耳を傾けよ」と先哲達は言うてます。

つまり、あなたの心の中に在る良心の声に、あなたの魂の声に、耳を傾けよ!と言われているんです。

そうしていると、段々、少しでも自分のそばに居る人、少しでも共に共同運命を誓い合う人達が幸福になってくれれば良いと願うようになります。

如何に多くの人達の幸福を考えたか、自分の事だけを考えず、如何に多くの人に愛と情を注いだかと言うことが、その人の人柄の深さ、人格の高さに成って来るんです。

自分の事しか考えぬ人は所詮は幸福にはなれず、所詮はそれだけの人なのです。

自分の事を後にして他人(ヒト)の幸福を願い、共同の運命を共に自覚して、喜び悲しみを同じうして行こうという思いやりの深い人こそが、真に充実した人生を歩めるんではないでしょうか。

喜び悲しみを同じうする他人(ヒト)の事を第一に考え得る人でない限り、これまた、仕事に徹し得る事は出来ないのです。

それでこそ初めて、生き甲斐ある人生をそこに歩むことが出来るんじゃないかと思う訳です。

愛とは自他の一如なり。です。(自分も他人も一つだと心底思える心情が愛です)

自分の幸せを求めて歩む人生は愚かなり。道を見出だし、唯ひたすらに道を歩むのみ。
その一歩一歩の中にこそ喜びがあるんですよ。

人生には二つの誕生があります。一つは肉体の誕生。もう一つは心の誕生。

あなたは、心を誕生させているでしょうか?

肉体は、もうええ歳しとるでしょ?(笑)心を誕生させてから今、何歳ですか?心とは、人柄の深さであり、人格の高さです。

一日も欠かしてはならんのが、この心を磨く努力です。

誰に言われなくても腹が減ればメシ食うくせに、人間に最も大切であろう心に、メシ食わせて下さい。

日々自分の心にメシ食わせてたら、気付いていない恩を感じるようになります。

皆さんが分かりやすい例えをするならば、一人でも雇用(血縁者であろうと他人であろうと)しているなら、こう考えてみたことがありますか?と言いたい。

誰が、あなたの仕事の手伝いをしてくれますか?しかも安月給で(笑)

そんなにあなたの会社、お店は、人も羨むような待遇の所ですか?

よぉ~に自分の良心に耳を傾けてみて下さい。有り難いなぁ~って感じませんか?
無意識に恩を受けているんだと。

なのに、あなたは、あなたの社員と、どこか取り引きしていませんか?

自分の行為(心の内と実際の状況)に対して、恥ずかしいと言う気持ちがもし無ければ、
あなたは人間じゃありません。

これ、雇用されている人も同じですよ。誰が、あなたを雇ってくれますか?よぉ~に自分の良心に聴いてみんとね。

自分の受けている恩を感じるところに、人の人らしさがあるんですよ。

これが「らしく生きる」につながるんです。と皆さんの良心に訴えたいと思います。
ワシは恩に感じた人に対して、恩に報い続けたいという心境から、
自分なりに出来得る「恩に報い続ける」ことを、ずっとやっているんですね。

恩に感じる。っていうのは、究極は「命の恩人」というものから「あぁ、ほんまに有り難い!

助かったぁ!あの人のお蔭で、この出来事があって、ほんまに有り難いわぁ!」っていう感じのものを、ここでは言います、ね。

助かったわぁ、有り難うねぇ。っていうことは、皆さん沢山あるでしょう。

でも、ほんまに!あなたのお蔭です!っていうようなことをしてもらった人に対して、あなたは、
どんな報い方をしてますでしょうか?

また、ずっとその想いは消えてないでしょうか?

対個別対応になると思いますよ、その人の喜んでくれることは。

有り難迷惑になってもいかんしね。

ワシは性格からか、恩に感じる人や、意氣に感じて所属する組織に対しては、
自分の良心を行動で示しておるんですね。

ずっと継続しています。気持ちやから。

例えば、年に一度、近況を報告することを数十年続けていることとか、たまに、食事に誘ってあげるとか、その人の心の琴線に触れる事柄に誠実に接しているとか、黙って、その人が喜ぶことに尽力するとか、

最近ふと思ったんですが、人生をより充実させてゆく運を呼ぶ行動が実は恩に報い続ける行動なんやないかなぁ、と。

これはある意味深いんですね。

相手の一番喜ぶあなたの良心を行動に現すということやから、です。

これを哲学的に言うと「らしく生きる」ということなんですよ。

「らしく」とは自分勝手ではなく、時と場所と立場に「瞬時に相応しい行動」が自然体で出来ていることを言うんです。

だから、人間の永遠のテーマだと思うんです。

エモーションの人生目的である「志高く、らしく生きる」は、
生涯懸けて身に付けてゆく、懸けるに値する目的です。

中々、出来んですよ。

全ての出来事に一番相応しいであろう言動を現すことは。仕事、人間関係、全部です。


かなりの人間洞察力や、愛情溢れる精神性や、物事の道理、情理を身に付ける日々の努力をしていないと、ね。

皆さん、あなたの記憶を振り返ってもし、恩に感じた人が居るなら、今からあなたなりの、恩の報い方にチャレンジしてみては。

「らしく」とは「相応しい行為」とも言えますから、中々難しいでぇ。

でも素直さから来るあなたなりの報い方は必ずありますから。

こう考えてみて下さい。

目に見えない世界の何者かが、あなたに、恩に感じる出来事を、その人を介して、してくれたんだと。

昔の出来た武将は、こう言っていました。

「何者が、おわしますかは知らねども、ただ忝(かたじけ)なさに、涙こぼるる。」と。 

すごいなぁと感じましたね。

物事が上手く行った。勿論、あなたの努力はあるでしょう。でも出来た人物は、このように捉えて来たんでしょう。

何者が、おわしますかは(居るのかは)知らねども(知らないけれども)
ただ、忝なさに(有り難さに)涙こぼるる。(涙が溢れて来る)

と言うとるんですよ。

如何に、誠実で、芯が強くて、礼儀正しいかが窺い知れますね。

あっ!と浮かんだ人が居たら、あなたの良心を現して、続けてほしいと願います。