ビジネスは、ごく少数の共感、共鳴してくれる人達だけの方がいいと思います。
だから、自分の主張を伝え切るんです。
その上で、相手から断られたり、拒絶されたりする方が、

ストレスの無いビジネスが出来るんです。

何故なら、坦々とやるべきことをやり、

後は受動的に切られるのを待つだけやから、楽チンになるのよ。
これストレスなく商売するキモ、ストレスなく人間関係を形勢するキモなんよね。

人畜無害なことを発していては、いつまで経っても、

共感、共鳴してくれる人達は現れないと思うんだよね。

ハッキリとした価値基準を持って、発信する方が、有意義に成ると思います。

例えば、無闇に宣伝や広告をしていると、好まざる人まで、

お客にしてしまい、それがクレームの元に成り兼ねないと思うんだよね。

そもそも自社のお客は誰なのかを、決めていない会社が、ストレスなく仕事を出来るとは思えないんですね。

まるで、魚がめちゃくちゃ少ない大きな釣り堀で、高い入場料払って、

釣りに行っているようなもんじゃないでしょうか?

あなたが今、営業している場所に、あなたの狙う魚は居ますか?っちゅうことを言いたいんです。

自社のお客、お客とは長年に亘り自社の商品サービスを利用してくれるであろうと思える人のことですよ。

が誰なのか、決めたら一念無想に業務が出来ると思うんだよね。

それを「仕事」と言うとワシは思ってます。

まぁ、何事も決めていない、概念整理していない会社がワシの言う仕事を出来ているとは思えません。

皆さん「仕事」をしましょうや!

あなたの、お客は誰ですか?!

魚の沢山居るであろう釣り堀で、釣りしてますか?!

そうしないと、社員達が働いて稼いでくれている会社のお金を無駄にしてしまいまっせ。

ハッキリ発信せな、変な気ばっかり遣って息切れしますよ。

何で、誰にでも好かれようとするのかねぇ?

本心から共感、共鳴してくれる人は、わずかやと思うんです。

嫌われたくないと思うから、人畜無害な発信しか出来てへんのよ、あなたは。

自分の生き方をハッキリせえよっ!って、渇を入れさせてもらいます。

誰だって、ストレスは嫌やろぅ。なら、ハッキリしなさい。

ハッキリしたら、共感共鳴してくれる人が、現れますから。

顔晴(がんば)って🙋  

TVで「このハゲー」の議員のインタビューを見ましたが、

その中で地元の祭りや集会に一日30ヵ所も自ら廻っている。

と言っていたが、

国政を担う国会議員がすることじゃないと思うんやけどね。

香川湧慈の考えは、国会議員は国防(軍備と国家を守り発展させる為の経済政策・民度の高まる教育政策)と、
外交や年金の国政にのみ従事するのが仕事やと思うとるんです。

県会議員は、第一義は県政です。県民の生活向上策を考え、

自ら率先して行動するのが仕事。

市会議員や町会議員が市町村民の身近な声を聴きながら、

公の幸福につながるもののみ、
実行するのが仕事じゃないかと思うとるんです。

国会議員が市議会議員や町会議員のやるようなことに、

国費を費やしては、いかんと思うんですね。

役割という認識が無いんじゃないと思いますが、

次の選挙の票が欲しいが故だと感じてしまいますね。

日頃の行動が、次の選挙の票の為になっている感があります。

国会議員は、自分が考える国政を国民に理解出来る表現で具体的説明をし続けて理解者を増やして行ってほしいもんです。

具体策の無い理念は、躍動せんのですよ。

会社経営者も同じ。

社長は社長しか出来ないことに行動の重きを置かないかんし、

社員は全体の発展の為に、
自分は何を為すべきかを考えて、役割分担で任務を果たす姿が躍動に成るんですね。

17日の台風で、うちの社員の一人が念のため避難所に避難していました。

そこへ県会議員や市会議員がカッパ着てやって来て、自己紹介するわ、

今点検して来ましたって言うわ、だったそうです。

週明け出社して、そんなことを言ってたのを社員皆が聞いて一斉に

「名前、言うなっ!」「黙って、誰か分からんようにやれよ。」って声が出ました(笑)

自分は如何にも町民の為に、こんな台風の中お役立ちに来ましたって、、、

言うなっ!

価値が下がるっちゅうの。

ゴミ拾いも、誰にも分からんようにするもんなんですね。

況(ま)してや、他人に「私はゴミ拾いしてますよ」って見せるなって。

国会議員は国政の役割を果たす。県会議員は県政の役割を果たす。

市町村会議員は市町村政の役割を果たす。

自分の果たすべき役割とは何ぞや?をたまには考えたら、どうなん?って思うのです。

人間は、自分が自分の果たすべき役割を自分で決めて実践している人が、

心の底からの充実感を味わえるんじゃないかと思うのです。

ワシが歴代のNHK大河ドラマで一番好きになったのが「篤姫」でした。

大いに、学びある大河ドラマでしたね。

篤姫の実母役を樋口可南子が演じていましたが、篤姫を徳川家に嫁がす時に、我が娘に伝えた言葉が残っています。

一、己れの役割をはたせ。

一、一方を聞いて沙汰(判断)するな。

一、考えて、考えて、答えの出ぬ時は、感じたままに生きよ。

この三つです。

この三つを篤姫は実践した人物やったと感じます。

現代の人達にも、この三つを実践してほしいと願うものです。

自分の役割を考えたこと、ありますか?!

役割を果たそうと一所懸命になっていますか?!

一方の話だけ聞いて、判断してませんか?!思い込みで判断してませんか?!

考えて、考えて、答えが出ない時に、変な気を遣っていませんか?

己れの魂に、素直に従っていますか?感じたままに生きよ!

これ、深いですよ。

人間とは何ぞや!

人間の幸福とは何ぞやを探究したことの無い人には、感じたままに生きよ!は出来ないんじゃないかと思ってしまいますね。

本業で評価される程の実績と社内環境の整備が出来た会社が、

その実績を基に、社外に向かって「社員教育」なる事業を有料、

しかも高額で始めている事例を見たり、聞いたりしますが、

長年そういうことを実施している会社の本業の業績が、ずっと好調なのか?

分かりませんが、ひょっとしたら社員教育事業で稼いでいるものが案外本業を支えている場合もあるんじゃないか、と思う訳です。

あんまり、社員教育と称する営利事業は好みじゃないんだよね。

自社の中で、社員全員の人格を高めてゆく、心を豊かにしてゆくことを続けてゆくことが本筋じゃないかと思うとるんですね。

会社の儲けは、本業で儲けてゆくことに模索せな、

いかんのと違うかなぁと感じることがあります。

これが本来の仕事やと思うんやけどね。

自社の社員教育で自社の社員の人格が高まり心が豊かになってゆく取り組みは大いに歓迎なんですが、

それを対外的な営利事業にせん方がええと思うんだけど、

慈善事業なら称賛しますが、
銭にしたら何か、称賛出来ないんだよねワシは。

会社の「主人」は社長です。

主とは中心という意味です。

では何の中心なのか?

それは「教養と判断」の中心を言います。

つまり、社長はその会社、社員の教養と判断の中心でなければならんのですよ。

だから「中心人格」と呼ぶんですね。

つまり、人生に於いての良き相談相手に成れる人物という訳です。

社員教育は、先ず中心人格である社長自らが教養と判断基準を教えるべきなんです。

家庭では、先ず父親が教養と判断基準を教えることをせないかんわなぁ。

父親は、奥さんや子供の人生の良き相談相手に成っているでしょうか?

良き相談相手とは、その人がその人らしく生きられるように導く言動が為されているかということなんよね。

子供を産めば、そりゃ親にはなるでしょうが、それだけでは本当の親には成れんと思うんです。

教養と判断基準を教えながら「特定な勉強」を洞察力があるなぁ、

人間力があるなぁ、と感じられる外部講師に社員教育をお願いするのが筋、

王道というもんです。

任せるというのは、手は放しても、目を放さないこと。

目を放しても、心を放さないこと。を言います。

任せていると言いながら、ほったらかしにしてませんか?

それは、社員教育から逃げているだけやと思います。

逃げているから、他人に社員教育を依存してしまい、要らん費用を支払い、

モノにならない社員を助長しているんだと、思い当たりませんか?!

逃げたらいかんぜよ!

負けたらいかんぜよ!

経営者は、雪を恐れず、霜を恐れないかんと思うとるんです。

雪とは、目に見える困難の例えです。霜とは、目に見えない、

悪根の例えです。

つまり霜はじわりじわり音も立てずに忍び寄って来て、根を腐らすからです。

会社で例えるなら霜とは「マンネリ化」のことだと捉えているんです。

つい、ウッカリが生じてしまうのは、

マンネリ化が社員の心に進行している証拠です。

このマンネリ化は、規模の大小問わず、生じてしまっている霜やと思います。

だから、特に少人数規模の会社では、社長が手綱を絞めな、いかんと思うとるんです。
「おい、おい!ちゃんとせえよっ!」って。

気付いたらスグ注意を促さな、いかんのよ。

そういうことに神経を使い、しょっちゅう社員に口酸っぱく言うてるうちの

会社でも、年に数回「ウッカリミス」が発生しとるんです。

だいたいウッカリするっちゅうのは責任感の欠如やと思うんです。

でも、そのウッカリミスがあった時に、ウッカリミスが起こっても、

すぐにそれが発見出来、二度と起こらない工夫の仕組みを作っています。

つまり、ウッカリミスが新たな工夫の仕組みを生み出すとも言えますね。

人間やからウッカリもするよ、って気安げに言う人おるけど、

仕事というのは、一所懸命でなかったら、いかんと思うんです。

たまにワシが言うのは、難病患者に薬を調合する仕事をしていると想定せえ、0.何g間違えても、命に関わるんやから、

ウッカリは絶対許されへんのやぞぉって。

それくらいの感覚で自分の業務を見詰め直す心が実は、

自分がプロに成って行くことにつながるんですね。

決意が責任感を生み、責任感が工夫を生むんです!

女は弱し、されど母は強し。なんです。

同じ人間なのに、母になったら、強くなっているんです。

それは、責任感の違いですよ。

子供に対する責任感の強さが、同じ女性を母になった途端、強くなっているんですね。

決意も、単に業務をちゃんとやろう、というだけでは信念に裏打ちされた決意には成らんのよね。

人生を懸けるに値する、決意が芽生えてほしいと願っているんです。

それを「志」と呼ぶんだよね。

信念に裏打ちされた志が芽生えた人は人生が充実して行く基礎になると思うとるんです。

志が芽生えるキッカケになるのが、日々の業務に「行き届く配慮」が徹底されていると、いつしかふと芽生えるんじゃないかなぁと感じているんです。

だから、決めた事を徹底する。行き届く配慮を心掛けて行きたいよね。  

「貫くことは美しい。」

なのに、貫こうとしない人達の多いこと。

だから美しいの反対は?

になってるんじゃないのかなぁ。(笑)

例えば、何か約束していて急にドタキャンしてる人よくおるやろぅ。

で、こう言うてませんかねぇ?

「いや、行きたかったんやけど、行けんなったんよぉ。」って。

ワシは、昔からそう言う人には、こう言うて来ました。

「行けなかったというのは不可抗力の時だけやでえ普通。

行ってる途中で交通事故に遭って行けなくなった、とか。

突然、高熱が出て身体が動けなくなった、とか。なら、行けんなったんよぉ。は通用するけど、

行けなかったんじゃなく行かないことを選んだんやろぅ。

人間は、自分の心の天秤に掛けて、重たい方(その時の自分の都合)を選ぶもんや。

じゃあ宝くじ3億円当たって、その約束の日と時間に、

そこに交換に行かなかったら無効になるとせんか、

そんでも行きたかったんやけど、行けんなったんよぉ。って言うんやのぉ?!」って。よく言うてましたよ。(笑)

言い訳しない!

自分は、こっちを選びます。と言うたらええのにねぇ。

経営者なら、自分が最初選んで参加すると決めた勉強会に、

しかも予め、日程が分かっている会なら、なぜ貫こうとしないのか?

参加したり、しなかったり、している人おるやろう。

その、いわゆる中途半端な心の姿勢が、その内容をモノに出来ないんちゃうかなぁ?

決めたら、続ける。

これ、コツのような気がするけどなぁ。

ワシの所属する中小企業家同友会、入会以来28年目、ずっと休まず続けています。

同友会活動は、幸福社会建設運動だというところに「意氣に感じている」から続けているんです。

ワシが主催して始めた、経営は人間学を説いた、和の経営の勉強会、

16年目、毎月続けています。

社内学校、始めてずっと続けています。

素直な心で何事も勉強していると、好むと好まざるに関わらず、

あなたの脳に刻み込まれるんだと信じてほしいのです。

脳に刻み込まれていると何か困難に遭遇した時にインプットされている、

過去の学びが湧き出て来るように脳のメカニズムはなっとんとちゃうかなぁと実感するんです。

アイデアが湧き、工夫が生み出て来るんですよ。

だから、決めたんなら、続けて勉強せえ!と言うとるんですよ。

あなたの脳に刻み込まれるから。

それが、将来のあなたに起こる、想定外の数々の困難を、自分で克服してゆくアイデアが浮かんで来るから。

と信じてほしいのです。

続けてなかったら、せっかくの今までの時間とお金と労力が、

無駄になり兼ねないんやから。

だいたい、決めて続けようとしたはずなのに続けられていない人は、

人間が軽いんと違うかなぁと感じてしまいます。

お互い、ええ歳してるんなら、日々のものの考え方、捉え方、教養、

視野や業務能力、コミュニケーション能力を磨き続ける人間性の豊かさを身に付ける努力を、し続けませんか。

それが、人それぞれの、人間的魅力に成るんやと思うんだけどねぇ。