『人生は祭り』

昔から各地域でお祭りをしていると思うんですが、

祭りの真の意味を知っていますか?
祭り=まつり=祀(マツ)り 、と言うように神道では神事を「お祀り」と言います。
人間で言うと、真心と真心を釣り合わすことが

「真釣り=まつり=祭り=祀り」です。
つまり日々日常の人間どうしの行為が真心を釣り合わせているなら神事に成るんです。

人間関係は真心と真心を釣り合わす真釣りであることが、本来だと思う訳です。
なのに、何で真心で向き合わない人が多いんかなぁ、と感じます。
だから、人間関係が、ギクシャクするんだと感じます。
会社も同じ。
先ず、社長が社員達に真心で向き合わないから、登記簿上の社長にしか過ぎないんです。

社長から経営者に昇華出来んのです。

何百人、何千人の会社の社長だから、真の経営者だと言えますかねぇ?

規模じゃないと思いますし、利益額じゃないと思いますね。

中身です。

経営者の経は、人の道の意味です。

人の道の社風を創りながら業績を上げて行く人物が真の経営者だと思うんです。

そういう人物は真釣りを実践していると思います。

一般的なことで言えばやねぇ、あなたが誰かから、何かしてもらった時、

してくれた人の想いを察する、心中を慮る心で受けないと、真釣りに成らないんだと言いたいのです。

してもらって当然という感情では、余りにも品が無いんとちゃうかなぁ、と。

真心と真心を釣り合わす想いが真の人間関係だと思う訳です。

それを利害と利害で、釣り合わすから、心が通じ合わないんじゃないでしょうか。

してもらう側が、してくれる側の想いと同じ想いで受け取る。

このあなたの感性が、あなたの心を澄ませて行くんですよ。

あなたの精神性が高まって行くんじゃないでしょうか、ねえ。

日々何気ない生活全般に於いて、こういう事を、たまには意識して自身を振り返ってほしいと思います。

昔、うちの社員が新入社員で入社した初めての給料を渡した翌日、日報だったか、メールだったか、こんなメッセージを書いていましたね。

「お給料を頂いて、ありがとうなんて言われたのは初めてです。こちらこそ、有難うございます。・・・」とありました。

給料袋の中に、全員に一筆何か書いていましたからワシは。

真釣りを、仕事で言うなら、経営者と社員は当然のことながら、

会社と協力会社や、個人の協力スタッフとの間柄の心中も、真釣りに成っているかを、今一度振り返ってみては、どうですか!!

まぁ、相手が真心で接してくれていなければ真釣りには成らないんだけどね。

一般的な会社で言うと経営者は、プレイングマネージャーから脱却しないと(個人店のオーナーシェフは別)
全体をより良くバージョンアップして行くことが難しいんですが、会社にたまにしか顔を出さないで、社員に任せているからと、経営者気取りの社長を見掛けますが、たまに顔出して、金勘定しかチェックしない。
業務をちゃんとしているか監視的なことしかしない。

社員教育なんて頭に無い社長という人達居ませんかねぇ?

業務を通じて人の道を説きながら、業績を上げて行くのが、社長の仕事であり、経営なんです。

社業に人の道が説けないようじゃ単なる商売です。

いつまでも商売だけじゃつまらんのです。商売から経営に昇華せんとね。

規模が大きく、支店や店が多数あっても、そこの店の責任者には経営者として、人の道が説けないと、経営者じゃないんですよ。

人の道を説くには、経営者自身が人生観、社会観、価値基準を、

確立していないと他人に道を説くことは出来ないと思います。

エールを贈ることも、出来ないと思います。自分なりの価値基準くらい、

明確に発言出来な、いかんでしょう。

自分の身近な人達にもエール(応援)も贈ってあげれんですよ。

だから生涯、人間とは何ぞや、を学び続けないと、

人間の充実感や幸福論を自分なりに、確立は出来ないと思う訳です。

また社員の待遇(給料や福利厚生)を削って会社に利益金を沢山残しても、

それは本当の利益とは言えません。

こういう会社をブラックと言うんです。

人間関係でワシが言いたいのは、誰かが何かしてくれた時、相手と同じ想いで、それを受けましょう。ということです。

そしたら、真心と真心を釣り合わす真釣りに成り、

それが「祭り・祀り」つまり「神事」なんだということです。
人生は、お祭りなんですよ。

例えば、経済状態が窮しているであろう状況の相手が、どんな想いでしてくれているのかを慮る、あなたの真心が器量に成るんです。

他人(ヒト)の心が読める苦労人。

参ったと言わぬ器量人を目指したいとワシは思うとるんです。

道理(理屈)で他人(ヒト)に道を説き、情理でその人に納得してもらう道理と情理を兼ね備えた温かい人間でありたいですね。

道理と情理を以て相手に接するから、厳しく接しても、そこに情が流れているから、相手はむしろ、有り難いと感じてくれているようです。

うちの社員にも、知らん人が見たら、えらい香川さんキッツイこと言うなぁ、と感じている人多いようですが、
愛があるなら、情があるなら、そして目に見えない縁が深い相手なら、

受けた相手は心地好いもんだと言うてくれることが、あるんです。

また付き合いの薄い人からもよくワシは、こんなことを言われます。

たった一度しか話をしていない相手でも「胸に響きます。」「涙が出ます。」って、言われるんですよ。

そういう人とは、縁が深い感じがしますね。

相手の心の琴線に触れる事柄に、誠実に接することを真心と言います。

誠実とは、相手が真に自立できるよう祈る気持ちで接することと、ワシは思うてます。

人生一度きり。縁深い人達と、付き合いたいもんです。

その為には、自分が、人生観、社会観、価値基準をハッキリ発信することが、その相手と縁が深いか浅いか、を窺い知れると思う訳です。

縁深いであろう人達と仕事したり、飯食ったり、酒呑んだり、勉強し合ったりするのは、仕合わせ(幸福・充実)ですね。

行為(おこない)は心。

意図を持って、故意に行動するものを除いてですが、

その人が普段何気なく行動していることは、
その人の現在の心が現れているんだと考えてみてはどうでしょうか。

また、その時点での、その人の関心度が分かるんですよ。

皆さん、このことを胸に留め置いていると、ええですよ。

日頃、あなたに「いい顔」をして来る人達の行為を見てたら、

その人の、あなたに対しての関心度、本氣度が窺い知れますから。

人は自分の心の天秤の重たい方に行動してしまうもんやからね。

例えば、何かの勉強会に行きたいと言っておきながら来ないのは、

その日時に違う用事の方を優先した、ということです。

良いとか悪いということを言うているんじゃないんです。

そういう問題ではなくて、その時点でのその人の関心度、優先順位の問題なんだということです。

人は、人生で最も高い生産性(つまり自分の理想に近づく為のものを手に入れる為の効率)を手に入れたいと思っているなら、

本当に大切な少数のことに取り組む時間を、大切にすべき、とワシは思うんです。

無駄なく、無理なく、油断なく。を、自己チェックする心の習慣を持つとええのに、と言いたいのです。

例えばよくあることですが、議員という人達は、票が多く取れると思えば、

何やかやで近寄って行くくせに、

票が見込めないような人には社交辞令だけ。

商売も同じようなもんですから、それを悪いとは言いません。

でも、社交辞令ばかりの行為は、誠実さを感じないんよなぁ。

またワシは、しょっちゅう新しい出会いをしますが、数日後には自己紹介

(自分の考えや生き方を紹介することと定義しています)として、

自分の考えを綴ったものを、いくつかピックアップして、コピーして手紙を添えて送っていますが、

感想を言ってくれる人の少ないこと。

つまり、その時点での関心度が薄いんやなぁと捉えているんです。

また、人の多くが、行きたいんやけど、行けないわ。的な言葉をしょっちゅう言っていますよね。

ワシに言わしたら、行きたいんやけど、行かないことを選びます。と言えっちゅうの!(笑)

「行けない」というのは、不可抗力の時ですよ。行っている途中で交通事故に遭ってしまった、とか。
当日熱が40度くらい出て、動けない、とか。

なぜ、私は行きたい気持ちはあるけど、行かないことを選びますと言えないんやろぅねぇ。

行きたいんやけど、行けないわ。って言う人に、よくこんなことを言って来ました。

宝くじ数億円当たってやなぁ、その当日に換金に行かなければ無効になるとしたら、どうすん?えっ!

それでも行けんのやなぁ?(笑)って。

何で、自分の言動に、誠実に成れんのかなぁほんまに。と思いませんか?

「その氣」もないのに思わせ振りは、せん方が誠実やと思いますがねぇ。

社交辞令ばっかりの偽の人生に陥りますよ、と言いたいねぇ。

人生の優先順位をじっくり考えてみたらええのに。迷いが無くなるから。

悩みと迷いは違うからね。人生の理想を実現したいと芯から思ったら、

悩みは次々とやって来ると思います。
より高次元の悩みが来るんですよ。

でも、人生の優先順位を決めている人には、迷いは起こらないと感じます。

判断基準が、理想から考えたら、どうしたらええのかが自ずと分かるからです。

経営者で言うなら、人生の経営指針を打ち立てる経営指針書創りに全身全霊

取り組んだらええのです。

いや、取り組まな、いかんのです。

ハッキリと明文化せな中々、他人には伝わらない、理解を深めてもらえないんですよ。

指針書という明文化、成文化していないと、言うた、言わなかったに陥るんです。
自分の念(おも)いを、理解してもらおうと思うなら、共感してもらおうと思うなら、
経営指針書創りに全身全霊で挑むことです!

このメッセージを読んでくれている経営者の○○さんに、敢えて言うてるのよ、胸に響きました?

会社をちゃんとしたいんでしょ!

経営に関する「あらゆる事」を、自分が心底納得できるように成文化して、

熱い念(おも)いで社員に語らんと、

伝わりませんよ、と言うとるんです。

理想に対して自己変革をして行く努力が道を拓いて行くんです。

「窮すれば、通ず。」と言われますが、ありゃ、ウソやで。

窮してて、通じて行くはずがないでしょ。

窮すれば、変ず。変ずるが故に、通ず。です。

己れの中に変化を見出ださない限り、通じては、行かないんですよ皆さん。

己れの悪い部分を、己れの良心で克服して変化して行く者だけが通じて行くんです。 

 

人は、ちょっとした事でボロが出る。

あぁ~昔おったなぁ。という人をなぜか思い浮かびました。

ルックスもスタイルも美人の女性でしたが、

その女性が割りと仲良くしていたお店(ワシの知人ですが)で売っている商品を、しかもわずか数千円の商品だから当然その店で買うと思っていました。

で、ワシに言うんです。ネットで少し安く売ってたから、ネットで買ったって。

それを聞いた瞬間、えぇっ?って感じたのを思い浮かんだという話です。

外見が如何に美人でも心が美しくないなぁ。と感じたもんです。

仲良くしてた間柄なのに、ケチ臭いなぁ、と内心思ったもんです。

商売で、金銭の損得を計算するのは、大事ですが、人間としては、計算し、

計算を越えた行動に感動が生まれるんやけどねぇ。

感性が磨かれるのに、もったいないなぁと。

日本では昔から、男は度胸。女は愛嬌。という言葉がありますが、

まさに、言い得てると思いますね。


如何に外見が美人でも愛嬌が感じられないのは、内面の品性が乏しいんやねぇ、たぶん。

人間ちょっとした事でボロが出るんよね。

皆さん、ボロが出る。の語源は、何から来てるか知っていますかねぇ?

日本は昔から着物文化で、着物が汚れたら、洗い専門の所に、洗いに出しますが、

一般の人達には、この着物が高価な物か、お手頃価格の物か、はたまた、

安価な物なのかは分かりづらいもんですが、

専門の洗い屋さんに出した時に、安物は糸が解れて来るらしいのです。

そこから、如何に外見を豪華にしていても、人間の安物は、ボロが出るという見方をするんだということになったようです。

人間の安物。

つまり、外見は如何に上等そうに見えていても、専門家に係ると、上等か、

そうでないかは、一発で分かるということです。

常に本音、誠実、純粋な人から観ると、一発で感じてしまうんだと思います。

あなたの何気ない、ちょっとした言動からボロが出ているか、外見は上等でなくても内面の品性が滲み出ているか、

観る人が見たら、分かる!っちゅうことですね。

顔の作りは親の責任でしょうが、顔の表情は自分の責任ですよ、

と昔から知り合いの女性達に言うて来ました。

見た目美人はまあまあ見掛けますが、外見美人で愛嬌のある品性を感じる女性が増えてほしいもんです。

どんな最新ファッションよりも、言葉遣いと行儀の良さが、女性を美しく見せると思うんです。

美人と言われる女性の方達へ言いたいのは、心がいやらしくならないで、です。

自分の金銭的損得ばっかり優先する心の習慣は、止めませんか。

と言いたいねぇ。

まぁ、こういう人達がいわゆる「普通」なんですよ。

でもワシは昔から言うて来ましたよ。

世の中の「普通」というのは、まぁだいたい80%くらいの人達の、

思考習慣、行動習慣を言いますが、じゃあ問います。

その世間の「普通」と言われる思考習慣や、行動習慣は、人としての生き方が美しいか?本心から、立派や!と言えますか?

と言うて来ました。

あなたの言動に、周囲の人が、感動してますか?いっぺん振り返ってみると、ええのじゃないかなぁ。

そう言やぁ昔、うちの社員が入社した時に、こんなメールをくれました。

「社長の話を聴いていると、何だか涙が出ます。自分の心の中の悪玉が出て行く感じです。」って言う内容でした。

まぁ、皆さん、ワシは見た目も言動もガサツですよ、どちらかと言うと。

でも、常に本氣ですし本音ですし、甘いも酸いも体験している純粋人間やと感じます。

つまり世間の「普通」じゃないんですよ。

だから、約80%も居る世間の「普通」の人達からは、香川さんは変わりもんや、的な思われ方していると思いますがワシにしたら、

そういう言われ方は、嫌じゃないんですよ。(笑)

ワシが思っている本音人間の人達からは、すこぶる共感されるんですよ。

そういうのは嬉しいもんです。

人間の本質を追求したいしね。

美人の外見を備えた女性の普段の言動が、本音、誠実、純粋であったら、

本当に美しく成れると思うけどなぁ。

テレビで経済産業大臣が「働き方改革」の説明を簡単にしているのを、たまたま見ましたが定義が明らかになっていないんよなぁ。

個別の能力を評価してゆく。的な解説でしたが、能力とは?の定義や、

評価の定義が解説されていない。

何事も定義付けするところに、理解が深まるんだと思うんです。

誰が、どのように能力評価をするんかねぇ?

評価される側は、心を備えた人間ですよぉ。

心や真の特性を評価できるのは、愛情と洞察力のある指導者しか、いないと思います。
第三者が評価できるのは、数値に現れるものしか、出来んのじゃないかと思う訳です。

例えばやねぇ、スポーツがある意味教えてくれていると捉えると、

一番人数の多いスポーツは、ラグビーだと思うんですが、

15人までなら監督が全メンバーの特性を把握できるんだと教えてくれていると感じます。

但し、愛情があり人間を洞察する洞察力の優れた監督なら、ですよ。言うときますが。

素晴らしいラグビーチームが教えてくれているように、会社で例えるなら、15人までの社員なら、人間洞察力のある経営者なら、

一人一人の特性を洞察することが出来、能力評価は出来得ると思いますが、

そもそも人間洞察力の乏しい社長や管理職が、どうやって一人一人の真の能力を評価すると言えるんかねぇ?

甚だ疑問です。

第三者が公平に評価できるのは、目に見えて現れる数値的なものだけでしょうに。

よく、損得より善悪で考えます。的な言い方や書き方をしているのを見聞きしますが、あなたの善悪の定義を明らかにせよ。なんですよ。

善悪は、そもそも民族や宗教によって異なると思うんだけどねぇ。

だから、うちの会社で言う善とは、こういうことを言います。

悪とは、こういうことを言います。

というように、独自の定義を明らかにするから、社員は判断基準が出来るんですね。

そう考えて行くと、ものすごい数の、経営に関するあらゆる項目を、

自社としての定義付けすることをワシは昔から「概念整理」と言うて来ました。

つまり、己れの概念を整理せよ。

それが基礎であり土台なんです。

基礎や土台が整理できてなくて、社員が安心して働ける経営ができるはずないやろぅ!と言うて来たんですよ。

家庭生活も同じです。

大黒柱の家族皆を幸福にしてゆく概念整理が求められるんですよ。

しっかりせないかんのは、社長や家庭の大黒柱やでっ!って言いたいのです。

国家運営も、政府首脳陣の、国民を幸福にしてゆくであろう概念整理を提示してほしいもんです。

余りにも、哲学が浅いとしか感じられないんですよ、皆さん。

一般の多くの人達も、自分のやっている事の概念整理は、した方がええよ。と訴えていますよワシは。

何で、これするの?

何の為に?

何故ならば、こうやからです。

という自分なりの定義を持たな、いかんのとちゃいますか?

テレビ見ても、ネット見ても、他人事(ひとごと)にせず、

自分ならこうするなぁ、くらいは考えて自分の頭の整理をしてゆく習慣を身に付けましょうや。

一人一人の能力評価を出来る関係とは、人格的民心統一が出来るトップ及び管理職です。

分かりやすく言うと、部下がトップ及び管理職に対して、尊敬の念と親しみの情があり、 信頼を置いていることが前提として存在し、トップ及び管理職が、愛情と洞察力を兼ね備えている関係ですね。

これを人格的民心の統一が図れている状態と言えます。

少し哲学的になってしまいましたが、こうとしか言いようがないんですよ、ねぇ。

だから、政府がやるべき事は、世の中の指導的立場の人達が、愛情と洞察力を身に付けざるを得ない、

グランドデザインと仕組みを構築している取り組みを提示してほしいもんです。