今週、数年振りに、同友会会合で同友会の後輩とバッタリ会ったので、

晩飯行こうやと誘いました。
久しぶりに、その彼と晩メシに行きました。

数年前までは同友会の会合の後、月に二回は必ずと言っていい程、晩飯行ってた仲です。

彼が同友会のある役職を退いた時に、他団体の役職を受けることになったので、この数年間、同友会は音沙汰なしの状況だったので、懐かしくメシ誘いました。

で、彼が「実は香川さん、18で入社した子が最近家庭の事情で辞めたんですよぉ。
5年間真面目に勤務していて、いい社員だったんですけど、こうこうこういう事情があって、、、」

てな、言葉を発したので、ワシはすぐに、こういう言葉を発しました。

「その子に、想いを馳せてやってる?来たる人には、やさしさを。去りゆく人には、しあわせを。やで!」

そしたら、彼は「うっ・ん・んっ!」と、

ワシの言葉を聞いて、一瞬にして胸が詰まって「あぁっ、想いなんて馳せてないなぁ。」という感じで頷いてました。

「なんで、喧嘩別れした訳やないのに、想いを馳せてやらんのよ、○○君。」とワシは声が出ていました。

皆さんも、皆さんの所から離れて行った人へ想いを馳せてあげませんか。

銭要らんのやから(笑)

想いを馳せる。大事に想う。相手のしあわせを想って、やらんですか。

何かの縁があって来たれし者には、やさしさで迎えてやらなぁ。

また何かの縁があって去ってゆくんだから、その人のしあわせを想ってやらなぁ。

そう感じませんかね?

で、その○○君。

「やっぱり香川さん、同友会は、会社の中身の心配事を聞いてくれたり、話したり、いいっすねぇ。
他団体では、中々そんな事まで話ししませんもんねぇ。」って言うから、

「それはそうかも知れんけど、自分から裸になって、
お前んとこの会社どんなん?
お前んとこの社員どんなん?
ちゃんと人間としてのコミュニケーション取れとん?
業務のことしか、コミュニケーションしてないんとちゃう?
商売の損得ばかり考えてない?
社員の心の収支バランスや社業の筋道を説きながら、仕事してる?
仕事は、上手い事行っきょん?
うちは、こんな感じでやってるで。って、
自分から本音で本氣で接したら、ええだけのことやん。」って話したんですね。

○○君、ワシから見たら、ええ男やのに、

(そりゃそうですよ、彼は高松、ワシは宇多津で、先ず距離があるけど、数年間毎月二回は晩飯行ってた仲やから)

自分とこの社員に本音が語れないみたいなんですね。わずか数人の社員やのに。
皆さんは、どうですかねぇ?自分とこの社員やで。

なんで、本音で話が出来へんの?と言いたいですね。(笑)

そこの勇氣を出さな、実のある人生は動きませんよ、と投げ掛けますから、

自分の胸に手を当て、心を向けてみんですか。

ハッキリさせないかん事にはトコトン、ハッキリ明確に。

ハッキリさせんでもええ事には、それなりにしたらええと思うんです。

だから、目に見えない縁がハッキリ現れて来るんだと思います。

霧が晴れて来るんですよ。

霧、晴らさな、時間だけが無意味に過ぎて行くだけやと思うけど。

物質財産を失っても、心の痛手は少なくて済む。

身体の健康を失ったら心の痛手は深い。

でも勇氣を失ったら、もう取り返しがつかない。

なんよね。

全ては己れの心に存在するちょっとした勇氣が、運命を左右してるような氣がするけどねぇ~。

何事も『ちょっとした勇氣』の積み重ねなんだと、ワシは言い切って来ました。

こういう生き方をしたい!人間は、こういう生き方をするのが、充実するんだ、という人生観の確立。

こんな世の中でなかったら、いかんやろう。という社会観の確立。

人生の価値基準の確立が、出来てないから、勇氣が湧いて来ないんだと思うんです。

何が本当に価値あるものなのか、を自分なりに深めてゆく、会話や交流をして行くと、
深みが出て来ると思うんだけどねぇ。

あなたの何気ない言動に、深みがある言葉を発したり、

ちょっとした行動に深みが感じられたら、それが威厳なんですね。

威厳とは、威張ることではありません。

相手が自ずと頭が下がってしまう深みがある人間のことだと思うんです。

お互い、深めて行きたいもんです。

今週、中小企業家同友会の岐阜県多治見市の東濃地区の例会に報告者で呼ばれてエモーションの経営を語って来ました。

90分話ましたが、開口一番こう言いました。

皆さん方、自分とこの社員と取引してないやろうなぁ!って。

取引してる間は、真の信頼関係は、結べへんでぇっ!って。

縁あって自分(社長)が選んだ社員やろぅ。人事部長が採用した訳やないやろぅ(笑)

中小零細で、社長の知らないところで採用してた、なんてある訳ないやろぅ。

経営者が、人間としての本質を、自分の本音を本氣で、語らん限り信頼関係は、結べんと思うなぁ、と。

そして縁について話ました。

縁には、助縁と逆縁があるんです。どっちも大事なんやと。

助縁は、自分を助けてくれる縁や。

逆縁は、自分のやる事に逆らったり、裏切った人の縁。

この逆縁が、自分の欠けている能力を身に付けさせてくれる有り難い存在なんよ。

自分を裏切ったり迷惑掛けられたりした人がやねぇ、

ひょっとしたら将来、その人が自分の助けに成る存在になるか分からんというのが縁ですよ、皆さん。

どちらも大事やと捉えること。

こういうことを自覚することを『縁を貴ぶ』と言うんです。

というような事を前提に話しました。

あと、ランダムに話した事を列記しますね。

社員は使うものでなく生かすもの。

生かすには、一人一人の特性を見抜くこと。子育ても一緒じゃないかなぁ。

ヤル氣を起こさせるんじゃなく、ヤル氣が起こってしまう環境を作る努力が、本質やなぁ。

ピンチとチャンスは、同時進行している。

ピンチが続いているなら、水面下でチャンスも進んでいると考えてみること。

だから、心澄まして、内観せよ。ピンチが続いているからと言って、

落ち込むなかれ!

また、順調が続いているなら、水面下でピンチも進んでいるんでいるんだと

捉えること。
油断大敵や。無理なく、無駄なく、油断のない生活態度が大事やで。

ピンチの後にチャンスが来るんじゃないんだよね。

何にもしなかったら、チャンスなんて来ません!

ピンチをチャンスに変えるには、責任者の、決断と根性やと思います。

根性とは、1:方針の一貫性。2:行動の持続性。3:自主独歩性。

この三つを合わせて、根性と言いますから。

経営者と社員に於ける人間関係で大切な心構えは、

『衣食足りて礼節を知る』と、『武士は食わねど高楊枝』の関係。

経営者は、社員に対して、衣食足りて礼節を知る。を心すること。

社員は権利ばかり主張せず、武士は食わねど高楊枝の心境を。

つまり、権利と義務の関係でなく、本質的な人間関係は責任と感恩の関係なんよ。

自分の責任感ある行動を周囲が見て、感謝の念が湧いて来るもんです。

そして恩に感じる気持ちが大切なんよ。それが人間です。

責任感も感謝も恩も、感じんようなら、あなたは、人間じゃないんです!

人生のグランドデザインを描くこと。

理想像を描いて、理想像に向かってチャレンジすることが人生を生かすことにつながる。

だから、経営理念は、全社員の将来像でなければ充実には至らないんよね。

うちで言うなら『志高く、らしく生きる』ことが全社員の、将来像なんです。

また全社員の将来像でなければ、躍動なんてしないのよ。

年間の粗利益計画は、まず社員の待遇面を考える事から始めるから信憑性が

湧き、希望が湧くんです。

気持ちがあるなら、してやりなさい。

社員一人一人の意見を聞くな。聴くべきは、一人一人の理想像である。

『お前は、将来どう成りたいんや?!』

銀行には、決算書でなく、経営を語ることで融資を受けよ。

経営とは、人格を磨きながら、経済活動をすること。

経営者は社員の『主・師・親』でなければならない。

主とは中心。何の中心か?それは、教養と判断の中心でなければ、ならない。

教養と判断の中心だから、社員の人生を導けるのである。

社員の人間性と能力に於ける師匠的存在であり、無情の愛を注ぐ親である。

零細企業は、言い値が通る商売をするから、気分が良いんです。

同業者が見て、これだけは、あそこには及ばない。と感じさせるだけの、

すば抜けたものを持て。
それがプロやと思う。だから、言い値が通る商売が出来るんです。

社員は、厳しいから、付いて来ないのではなく、信頼が置けないから付いて来んのやで。
共通基盤を持たないと理想像は実現しない。

将棋や武道や芸術や音楽やスポーツ等に、定石がある。基本がある。

先ずは基本からやと思います。

経営にも定石や基本がある。

経営の第一の基本は、社員の志の一致です。心の統一です。

心がバラバラでまともな仕事は出来ません。

タイミングを図って、一度は、トコトン向き合うこと。

向き合ったら、横に並んで一緒に星を見よ。

向き合うばかりは、お互いの粗(あら)が見えるだけ。

夫婦も同じ。

一度は、トコトン向き合うこと。

向き合ったら、横に並んで一緒に星を見なさい。

人間は、誕生から20年で成人。

成人になって、何かに10年くらい、一所懸命取り組んでやっと一人前という考え方。

会社は、信念に裏打ちされた、経営の指針を打ち立て明文化した時が誕生という捉え方。

だから、真の誕生から20年で成人式。それから10年くらい、指針に則って全社員で力を合わせるから、

やっと一人前という考え方。

つまり、真の誕生から30年は掛かって一人前と心せよ。

会社設立して30年経ちましたは、一人前じゃないんです。

信念に裏打ちされた、経営の指針を明文化した時が真の誕生だという考えです。

それから30年一所懸命実践せな真の一人前には成れないと心しているんです。

真の誕生すらしていない会社や個人、ようけ(沢山)おるんちゃうかい。

何の為に経営するのか。如何なる方法で、維持発展させて行くのかを、

自分自身は勿論のこと、社員や得意先をも納得させられるだけの哲学を持つこと。

それすら持たずに事業してるなら、バクチと一緒や。

先の見えないトップに就いている部下ほど、哀れな者はないんだと自覚せな、いかん。

無能な、そして非人間的な上司に就いている部下ほど、哀れな者はないんだと自覚すること。

と、まぁこんな事を、エモーションでの実話を交えて語りました。 

 

『要は、こういうことやで。』と、あらゆる日常業務の意味合い、

目的を教えていないんじゃないか?

と思う場面(電話応対や対面応対)に、遭遇するんよねぇ。

部下に、要は、こういうこと。と、理解納得出来るまで教えることを怠っているんじゃないかと感じる事がままあるんよね。

これを『教えざるの罪』と言います。

通常業務は、ちゃんと出来ていても、イレギュラーな対応が、ピンぼけ感多々あり。
いや、通常業務でも、ピント外れな対応も目立つなぁ。

商売は順調であっても社員教育が行き届いていない会社、

ホンマにようけ(沢山)あるように感じます。

そういう会社の商売の数値が良いのも、ずっうっとは続かんような気がするなぁ。

仮に、数値が良いのが続いていても、社員の退社と入社が頻繁で、

職場の人間関係とか、社長に対する思いとかが、希薄なものになっている感ありですね。

そういう場面に遭遇する度に、うちの社員達には

「うちは、そういう事は無いようにな。(笑)」と言うてます。

これも社員教育の一環です。

他人(ひと)の振りみて我が振り直せ。の示唆の一環です。

一つ一つの些細な業務の意味合いを説明し、理解納得してもらう為の努力をしているんです。

この日々の業務の『要は、こういうことやで。』を習慣にしていると、

社員自身の人生に於いて、本質を追求する(要は何が目的か)心の習慣が、

徐々に身に付いて行くんですよ。

そういう観点が、世の社長達に無いから、単に業務指導しか、出来んのだと思いますね。

で、社員も一つ一つの些細な業務の意味合いを理解納得せずに業務に当たるから、
やり甲斐や働き甲斐が、業務でなく、お金に傾いてしまうんだと感じますね。

要は、こういうことが本質であり、目的やからな、と全ての業務のその会社に於ける意味合いの説明を、

社員に理解納得出来るまで、教える手間を省くから、言われた事しか出来ない、指示待ち社員に陥るんですね。

そういう社員も、仕事という意識が無いのか知らんけど、

指示された事柄に、何故これをするのか、の理解納得をしていないのに、

何の疑問も抱かずに、

「これは、どういう意味合いでするんですか?」の質問もしないで、

言われた事しか出来なくなっている。

だから、応用力が身に付かないんやと感じますね。

つまり何事も目的意識が無いから、躍動感が生じないんですよ。

イレギュラーな事に、瞬時に対応できる応用力が、身に付いてないから、

通常業務以外の事態が起こったり質問を受けたり、した時にあたふたするんです。
こういう事を生産性が無い。と言うんです。

だから業務の理解納得や目的意識が無い社員は、

経営者の考えを理解しようと努力することは考えたこともないから人間関係のトラブルが生じるんですよ。

そして仕事が、ただ単に、労働と給料の交換所に、職場が、会社が、なってしまっているんですよ。

日々の業務を通じて、社員自身の人間の幅や奥深さや見識の高さを養おうとしよう、

なんて、思ったことも無いんちゃうかなぁ?と感じてしまいます。

自分の人間性と可能性を引き出す場所が、職場なんですよ。会社なんですよ。

仕事をしながら、給料をもらいながら、自身の人間性と可能性を引き出せるという、意識が、

充実を生むんじゃないかなぁと。

だから会社というのは『自身の人格を磨きながら、経済活動をする所』なんです。

人格磨きには、多様なる価値観(自分とは違う考え方)を理解する心の許容量が必要になりますから、

性格は変わらないけど考え方や捉え方や見方は変えることが出来ますからね。

そういう意識を社長が全社員に、真剣に伝え続けるから、

社長から経営者に成れるというのがワシの考えです。

日々の業務を教える時に、人の道が説かれているか、が大事なんです。

あらゆる業務(電話応対・帳簿記入の仕方・商品梱包・システム等々)に、

人の道を説きながら、合意と納得を得れるように、意識して事に当たるんですよ皆さん。

『要は、こういう事』と理解納得できていれば、応用力が身に付いて来るんです。

人生は、応用力。とも言えます。

数々の想定外の問題事も、応用力さえあれば克服出来て来るんですね。

応用力を身に付ける為にも、要は、こういう事やな、という思考習慣を身に付けてほしいと願うものです。

業務には、人の道を。教育には、涙を。

涙の無い指導は、教育に成らないんですね。この『涙』深いでぇ。

行動は好奇心でなく『発心(ほっしん)』でするもの。

発心は、目的が明確であるから、それを目指して行動をするものやからです。

行動するキッカケは、好奇心であって良いんだけど、

そこに目的意識を持たないと行き当たりばったりの人生に成り兼ねない。

遊びでも、仕事でも、何でもいいんだけど、

『何の為にやるのか』

という目的意識が大事やと思います。

ちょっと日頃から、この『何の為に』を、考える心の習慣を身に付けると、

生活が整って来るようになると感じます。

この「ちょっとした差」が天地の差に成るような気がします。

中々、意識した事を、持続させて行くのが、出来ないのが、殆どだと感じますね。

ちょっとした簡単な、毎日の体操や、これを飲むだけなのに、とか続かない。

せっかく買った健康用具も、毎日続かない。

やっぱり、この「何の為にするのか」の意識が、軽いんだろうね。

世間でよくある誰でもがやってる様々な事の続かない習慣というかクセというか。

ワシも、ようありますよ。続かないクセ。

でも振り返ったら、何十年と、毎日続けている事も、あるんですね。

振り返ったら、好きだから、かもね。続いているのは。

続いていない数々の事は、芯から好きじゃないんかもねぇ。

成功する、しないは、この「ちょっとした差」なんだろうね。

仕事でも、そう。

一気に、お客を増やしたい。販売してくれる会社を増やしたい。

いわゆる代理店とか、特約店とか、フランチャイズとか、

一気に増やしたいという気持ちは、分からんでもないですが、

一気に出来てしまうとツケが来るように感じますね。

やっぱり考え方を発信し、理解納得してもらい、

着実にシステムのルールを守ってもらえるよう地道な努力が、

長い目でみて、お互いが気分良く歩めると思う訳です。

『考え方の共有』が先ですよ。

その合意と納得があって初めてビジネスの話を進めるのが、

順序、道、じゃないかと思う訳です。

今、中々自社の顧客が拡大しない。と悩んでいる人も、多いでしょう。

自社の仕事をトコトン深堀りするんです。

お客の潜在ニーズを探るんです。そして、その潜在的なニーズにプレゼンするんです。

そしたら、新たな販路が見えて来ますから。

先ず想像しましょう。イマジネーションですよ。

そして、創造しましょう。クリエイティブです。

想像し、創造するんです。

それしか『手応えのある道』を、拓く方法はないんちゃうかなぁ、と思う訳です。

これからは特に、今までの常識が通用しない時代に成って来ると強く思います。
激変の時代に成って行くんだろうと思う訳です。

だからこそ、自分の生き方にブレが無いよう歩まないと、

いかんと思いますよ、と皆さんに発信します。

『ブレない生き方』のお手本は、天皇陛下の生き方です。

天皇の歩む道つまり、皇道(こうどう)に学ぶ生き方を考えてみてはどうですか、と言いたいと思った次第です。

皇道とは何か、くらい自分で調べてみて下さいね。

分かりやすく言うと、自分が天皇陛下なら、毎日どのような想い、

どのような考えで人生歩むのかを考えてみることで、

視野が変わって来るんじゃないかと感じますね。

自分が天皇陛下だったら、という観点で会社を見る。家庭を見る。

そんなこと思ったことも無かったんじゃないですか?

天皇陛下は、公正無私を貫いているお方で、

365日、国民の幸福のことを願い、祈ってくれている人間なんですね。

あなたはあなたの会社で公正を貫いてますかねぇ?

私欲が強く出ていませんかねぇ?

経営者は、社員の幸福を365日願い、祈っていますかねぇ?

社員の人達は、経営者や他の社員の幸福を、365日願い、祈っていますかねぇ?

先ず意識し続けるからやがて、無意識に身に付いて来るんですよ。

無意識に、こういう事を願い、祈っているのが『まともな親』が、

子を思う気持ちと同じですね。

ということなんです。

人生の、あらゆる問題解決のヒントが、そこに存在するような気がします。

そもそも、人間の問題の大多数には、利害が出て来るところに発生して来るんです。

利害を考え、そして、利害を超える器量があるかどうか、なんですね。

ここ最近のニュースを見ていると、権力金力地位のある、

その組織のトップの、醜い立ち居振舞い。

正に、天皇道の真反対の立ち居振舞いやなぁと感じてしまう。

無様、不様。としか言い様がない。

讃岐(香川県)が生んだ哲人であり覚者であり達人であり、

愛と情を備えた、空海こと弘法大師が、こう言うているんです。

1000人中、998人が、地獄に堕ちる。と。

欲望に生きた人達が、1000人中、998人。

この998人を『凡夫』と言う、と。

我々人間のほとんどが凡夫です。

唯一、凡夫が地獄から抜け出せるのは、こう言うています。

神の願いを自分の願いとして実践したら、心底そういう気持ちに成ったら救われると。
弘法大師は言うているんです。

ということは、我々凡夫でも、神の願いは何なのか、を模索しながら、

実践したら地獄に堕ちずに済むかも知れんということです。

また、この弘法大師に多大な影響を与えた、聖徳太子は、こう言うています。

凡夫ばかりであっても『和』を成せば、そこは『浄土』と成ると。

つまり、現代に置き換えると、凡人ばかりの経営者や社員でも皆で『和』を

作れば、浄土に成るんだと。

和とは、仲良しのことを言うのではありません。

日本古来の本当の意味の和とは、

所属する組織の全体の発展の為に、

一人一人が、自分は何を以て、お役に立つのかを自覚して、

その自覚した事を、自分の特性(長所)を生かして、果たしている状態。

役割分担が為されている状態を、和と言うんですよ。

こういう状態を日本語では『らしく』とも言います。

つまり、和とは、自分らしく生きている状態のことなんです。

決して『自分らしい』と、何でも勝手に出来る『自分勝手』とは、

全く異なるものですから、勘違いせんようにね。

最後に、ワシの好きな武将である楠木正成公の言葉に、こういう言葉を遺しています。

『非理法権天』と。

非道な事は理つまり、道理には勝てない。勝てないとは、世間は認めないということ。

また、道理が通っていても、法には勝てないということです。

いくら道理が通っていても、法が全てに社会正義とは言えないからです。

そして法を守っていても、権力には勝てないというのも、

世間ではよく見られる光景ですね。

最近ニュースの各団体のトップ達の権力。理不尽極まりない感じですが、

しかし、楠木正成公は言うてます!

如何なる権力も、天には勝てない。と。

だから、聖徳太子も、弘法大師も、神=天の願いを学べ。と我々、

凡夫に諭してくれているんです。

我々が地獄に堕ちる事を防ぐ為に。これを愛情と言わず、何と言おうか。

日本人の先哲の教えは有り難いなぁと感じた今週でした。