『人間は苦しい時こそ普通の事ができなければならない。』

今週は、このメッセージを、と何となく浮かびましたので。

まぁ、だいたいの人は苦しい時は、普通の事ができてないんじゃないかと思う訳です。

ほんでも思うんよね。

苦しい時の、あなたの行動と考え方、捉え方と、もう一つ、

出会いが将来の運を左右するような気がします。

『ネバーギブアップ』の精神というのは人生の究極目的、

つまり『志』を諦めない。

このことに於いてのみネバーギブアップですが、

志の域に達していない事柄は、潔く諦める事も大事かと。

エネルギッシュに潔く行動している人は、

苦しい時こそ普通の事を淡々とやっている人が多いような気がするけどねぇ。

あなたはどうですか?

志があれば、ブレない生き方が出来るような気がしますね。

野心と志は違いますからね。

野心は、自分の目的が自分だけのハッピーに成るものと言いましょうか、

志は自分の目的が自分と自分の周囲の人達のハッピーに成るものを言います。

分かりやすく例えるとね。

苦しい時に、普通の事が出来ない人というのは、野心で生きているのかも?

です。

あなたの日々の生活の歩みの中の、些細な事への行動を、

他人が見て『あんたは、立派や!』と、感じてくれる人間であってほしいとワシは思う訳です。

性格に百点は無いし、能力も皆が皆、優れている訳じゃないし、

たった一つでいいのです。

あなたを知っている人から『あんたは立派や!』と思ってもらえる人間であったらええのではないでしょうか。

そこに焦点を当てませんか!

うちの社員にも昔から願って来ましたよ。

『あんたは立派や!』と感じてもらえる人間であり続けてほしいだけだと。

一言で言うならね。

志って、そういうもんやと思います。

何も大壮なものだけが志ではないと思うんです。

死ぬまでに出逢う人が『縁ある人』と言いますが、好むと好まざるに関わらず、

付き合いが長い人達は『縁深い人』とかも知れませんね。

付き合いの長い人で且つ、本心で付き合っていないと、

あなたの、良い面も、悪い面も肌で感じてくれない訳やから、

その人達から『あんたは立派や!』と感じてくれる生き様を遺しませんか。

こう成りたい、ああ成りたい。

その為に、

苦しい時こそ普通の事ができなければならない。んですね。

これからの時代、人数規模の大きい会社は、

戦略的に縮小して行く方が充実度が増して行くような気がします。

そうやって本当に自社に相応しい適正規模を考えてみてはどうですかね?

大人数の会社が望みなら10人以下の事業所で百ヵ所作れば同じ会社で、

1000人の社員という事になるしね。

組織とは、上意下達と下意上達が順調な状態を言いますから、

上の意思を部下に伝えられていて且つ部下の意思が上司に伝えられている状態のことで、
尚且つ、そのメンバー同士が、同志つまり、相互に心通じ合っていて、

相互に認め合っている状態だから、
目的の共感が出来ている状態のことです。

だから、10人以下じゃないと、中々成り立たないと思う訳です。

社員が全員相互に意思疏通が順調で、心通じ合っている状態は、

10人以下の社員数じゃないと、出来得ないんじゃないかと思っているんです。
この規模で、事業の『着実性と収益性とビジネスモデルの持続性と発展性』を包括している事業を営むなら世間で言われる、人手不足なんて、

関係無いと感じるんだけどね。

それを実現する、一番重要なポイントは、

組織の中心人物である経営者の人格なんですね。

また、各事業所の所長であり店長の人格になりますよ。

その職場の中心人物が所長や店長です。

『中心人格の信念なき行動は、花は咲いても実は成らない。』なんです。

『花は咲いても』とは外見的に、事業が拡大していて、社員数も増えていて、売上、利益上昇している、という例えです。

『実が成る』とは、そこで働く人達の収入と、心の通じ合いや、仕事の充実感等の例えです。

まともな人は、その人の『人柄』に付いて来るもんだと思うからです。

最終的には、人柄に付くんですよ。

人は、厳しいから付いて来ないのでなく、信頼できないから、付いて来ないんです。

そう感じませんか。

経営者は会社の親であり、社員は会社の子供です。

世の中の親にとって、一番幸福な事は、信じられる我が子を持つことではないでしょうか。

親にとって、一番幸福なことは『あぁ、ワシがいつくたばっても、あの子なら立派にやってくれる。』と、

親の目に適うて信じられる子を持つことではないでしょうか。

親が、安心して死ねる程信じられる事ではないでしょうか。

では、子供にとって、一番幸福な事は、親が尊敬できる事ではないでしょうか。

親が尊敬できないと言うこと程、子供にとって、不幸な事は無いと思います。

会社に置き換えると、経営者にとって、一番幸福な事は、信じられる社員を持つことではないでしょうか。

経営者にとって、一番幸福な事は『あぁ自分がいつくたばっても、うちの社員なら立派にやってくれる。』と、

経営者の目に適うて、信じられる社員を持つことではないでしょうか。

経営者が安心して死ねる程、信じられる事ではないでしょうか。

社員にとって一番幸福な事は経営者が尊敬できる事ではないでしょうか。

経営者が尊敬できないと言うこと程、社員にとって一番不幸な事は無いと思います。

ということが言いたいのです。

バブル崩壊後、デフレが30年近く続いています。

これからも、やや低成長はあっても、高成長は無いでしょう。

そもそも、急成長って漢字が国語的におかしいと思いませんか。

赤ちゃんだって生まれてから20年経って成人式ですよ。

2~3年で、いきなり、二十歳にならへんのやから(笑)。

急成長というのは膨張なんです。

ぷぅ~と、🎈風船を、一気に膨らます感じやね。

膨張企業に陥ってはなりません。針一本で、爆発してしまいます。

インフレは難病ですがデフレは死病です。

デフレより多少のインフレの方が活氣が出るもんです。

デフレ時代に、着実に幸福を感じながら歩む会社経営を実践継続するポイントが、

社員間の心の通じ合いであり、経営者と社員が尊敬、安心出来ている間柄であり、

事業の着実性と収益性とビジネスモデルの持続性と発展性を包括しているかを常にチェックすることかなぁ、と思う訳です。

規模が既に大きくなっている会社の経営者の皆さん。

将来の充実の為に、戦略的に『心通じ合い相互に安心感抱ける』組織に、

縮小を工夫されてみてはどうでしょうか。

小集団活動の集合体がベターだと感じます。

世の中にベストは無い有るのはベター。ベストつまり、100点は無い。

常に、よりベターを。

なぜ、こういうことを言うかと言うと、

その会社なりに努力を重ねて、人数規模を大きくして来た中小企業が数百人になった会社を、まぁまぁ知っていますが、

昔のような充実感を、端から見てて、何か、感じないんよねぇ。

その人数の社員を毎月毎月食べさせて行く為に、何か昔と違って、

信念を貫いた商品を、サービスを、提供でき得てない感あり、なんですね。

辛抱ができ得ないんだと感じます。

次々と新商品新サービスを出し続けないと、その所帯を維持できないんだと感じてしまいます。

息切れしながら社業をやっている感を否めないんですね。

外見的には、隆々さをアピールせざるを得ない感を否めないんですね。

(見栄)

この感覚分かりますかねぇ?

現在ビジネスモデルとして既に数十人、数百人規模でないと利益が成り立たない業態や、分割は出来ない業態でしたら、

トップである経営者が、凄い!と全員から感じられる人物に成るしかメンバー皆の心を統一は出来ないと思います。

個別の問題解決より、凄い人物に成るよう努力されたし。です。

そうなると、数百人の心が一つに成れる社風が形成されると思う訳です。

『良い社風』が、全ての社員の心を一つにさせて行く力があるように感じます。

如何なる状況に置かれても、ブレない社業。

これを継続的に出来ている状態を『自由な状態』と、本来は言うんです。

西洋の自由は、選択の自由です。

好きか嫌いか、どっちを選ぶか、という『選択の自由』と言う意味だから、

浅いんです。深さが無いんです。

日本の自由は『如何なる状況に置かれても、己れを見失わない』という心境を、自由と言うんですね。

この自由をずっと継続する為に、それが維持出来るであろう適正規模を確立しませんか!

と投げ掛けますね。



今週は『人生の深さを身に付ける自覚』について思うことを。

全ては『観念』することから始まるんだけど観念していない人が、

ものすごく多いと思いますねぇ。

この『観念』をせずに行動をしても、人生の意味に、味わいを感じないんじゃないかと思う訳です。

『観念する』とは、いわゆる甘いも酸いも体験しながら、

トコトン自身を内観し尽くした時に、

『あぁ~自分が生きる道は、役に立てる自分の生き方は、これしかないなぁ。』と、

神妙になる心境のことを『観念する』と言う。と思うんです。

だから、観念して生きている人は、芯が強いんですよ。

うちの社員全員に芯の強い人間になってほしいから、

また何が遭っても、動揺しない心を備わってほしいと願っているから、

あたふたせず、物事に対処することが自然体で出来る人間になってほしいから、
人生を歩む考え方や、物事の捉え方をしょっちゅう話しながら、

日々の業務に意味合いを必ず話し、丁寧にこなすよう訓練しているんですね。

先ず、知的理解を与え日々の業務で反復訓練させない限り、身には付かないと思うなぁ。

普通の人はワシのこういう言動を、うっとうしい、と思うと思うんですが、

うっとうしいと思っている内は、
観念なんて出来得ないと感じます。

あぁ、有り難いなぁと思える人は、観念出来得る人間やと感じますね。

人間として観念して、生きてほしいから、大事なことは口酸っぱく言わな、

いかんのよホンマに。

ワシの亡き師匠はこう言うてました。『繰り返し言う勇氣を持て』と。

社員に口酸っぱく言うのは『会社の親』としての願いやからです。

また、観念は、考えて出来るもんじゃないんです。

沸々と、湧き上がって来るもんやと、ワシは思うんです。

だから、教えたからと言って、沸々と、湧き上がって来るもんじゃないんですね。

絶対零度から沸々と、湧いて来るものです。

皆さんは、沸々と湧き上がって来る感覚になったことがありますかねぇ?

自分は、これしか生きる道がないなぁ、

これしか、自分が誰かの役に立つ生き方は、出来ないなぁ、って、

沸々と湧き上がって来た体験はないですか?

沸々と湧き上がって来るものが、理念なんです。

理念とは、人生の究極目的のことを言うんですよ、皆さん。

理念って、何も経営者だけに存在するもんじゃないんです。勘違いしないように。

人生の目的である人生理念、つまりあなたの人生経営の理念です。

考えて作るもんじゃないんです。

トコトン自分を追い詰めて、極端に言うと、血ヘドを吐くくらいのところまで追い詰められた心境や、

内観し尽くして、湧き起こって来るもんなんです。

だから、観念している人の言動は、観念していない人からは、

理解が出来にくいかも知れません。

でも、言っている事が『人として、まともな事』なら、

理解しようと心を傾けてみては、どうでしょうか。

観念して人生を歩むことで、自分の人生を、より味わい深いものにし、

より高みに導いてゆくものになってゆくと感じます。

だから昔から『本真者(ほんまもの)の師匠』

と言われた人は弟子に対して、

『観念せぇっ!!』と喝を入れて来たんだと感じますね。

そこには、愛が存在しているんですね。

情が存在しているんですね。

思いやりが存在しているんですね。

だから、観念して、今から、あなたの真の人生をスタートしませんか!と言いたいんです。

昨日までは、リハーサル。という考え方で、今日からスタートしてほしいなぁと思う訳です。

また、観念したら、死に対しても不安にならないと感じます。ワシが、そうやもん。

覚悟が備わっているから、いつか来るであろう寿命が来た時、

『あの世』とやらに行く訳ですが、怖さは無い心境ですワシはね。

人間は病気で死ぬのでなく、事故で死ぬのでなく、自殺や他殺で死ぬのでなく、

寿命で死ぬ。

これを観念の域で信じられるか、どうかなんですよ。信じる信じないは、

人それぞれですが。

寿命で死ぬんだと観念したら、死は怖くないという心境になると感じます。

あの世には六道が在ると仏教は説きます。

六道とは、地獄→餓鬼→修羅→畜生→人間→天という、

あの世で住む世界のこと。

どこに行くかは、閻魔さんが決めるんじゃなく、

自分の生きて来た言動や生き様で、自動的に振り分けられると考えてみては、どうですか。

まさに、大いなる自業自得で、行き先が決まるんですね。

ワシの好きな人物に、源義経がいます。

義経と家臣である弁慶の詩に、ワシの大好きな詩があります。

弁慶が言います。

『六道の辻の巷で待てよ君(殿=義経公)、遅れ先立つ習いありとも。』と、

今は戦の最中。

本来なら、家臣である自分が先に死ぬものですが(遅れ先立つ習いありとも。)

戦ですから、どっちが先に死ぬか分かりません。

もし、殿(君)が先に逝くことになりましたら六道の辻の巷で待っていて下さい。

という意味です。

そしたら、義経公は、こう返しました。

『いつの世も、またいつの世も、巡り逢わん染む紫の雲の上まで』と。

何度生まれ変わってもまた、巡り逢おうぞ。

染む紫の雲の上(天上界の最高の住む世界)
に行くまで。という意味です。

こういう人間関係が、現代社会の、経営者と社員、夫婦、友人等の間で、

心底感じられる心境に成れた人を、

『幸福な人』とワシは思うんだけどねぇ。

そういう観点で、あなたは今、幸福ですか??

観念してますか??内観されたし。



色々と、他人の反応を気にし過ぎる人が多いようですので、メッセージを。

最初のリアクションで大体分かるもんじゃないでしょうか。

というメッセージです。
つまり、あなたが何か話したり、行動をした時に、

相手が最初に、どんな反応だったかで、感じるでしょう。

あなたが、誰かに何かアクションを起こした時に、相手が全く反応を示さなかったり、お座なりな対応だったりすることって多々あるでしょう。

それは、その時点では相手のあなたに対する好意の度合いが、薄いんです。

関心が無いんですよ。

良い悪いを言ってるのでなく、その時点での相手の、あなたに対する、

心の傾向性が感じ取れるんじゃないでしょうか。と言いたいのです。

あ、もう一つありますね。

その人が、何かに集中している時は悪気なく、お座なりになってしまうかも知れませんが。

相手があなたに関心が無かっても自分の商売に関する事だったら、

上手いように応対するかも知れませんが、自分の損得に関係するから、

が多いかも。

でも往々にして、最初の相手のリアクション(反応)を見て、あなたに対する好意の度合いや関心の度合いを認識したらええのに、

何で『要らんでいい気』を遣うのかなぁ。しんどくなりますよ。

もちろん人間にはバイオリズムがあります。興味、関心の度合いのバイオリズムです。

一年前には、興味がなかったのに、今はすごく興味がある。とか。

自分の得にならないと感じている人に対しては、氣が向いてないとか。

多いと思います。

『行ないは、心』ですから、その人の行為、つまり反応が、その人の今の心の表れなんです。

瞬時に判断したらええのです。

あぁ、今は、この人は(相手)自分に関心が無いんだ、とか、好意は抱いていなんだとか、

又は、逆に丁寧に反応してくれる人は、関心を持ってくれているんだ、

好意を持ってくれているんだとか、

はたまた、かなり気を遣ってくれているんだとかの判断基準になるんです。

だから何が言いたいかというと、

最初の反応が、自分が思うような反応じゃなかったからと言って、心左右されるなかれ。と。

淡々と、あなたがやるべき事を、右往左往せずに、一喜一憂せずにやったらええのです。

自分の人生の責任者は自分なんやから、

淡々と、やるべき事をやっていると自然体で居られると思いますね。

やっぱり、自然体が、一番です。ひょうひょうと行きましょう。

自分が、関心の薄い人から何かアクションされたら、

丁寧に応対することを徹底出来たらええんですがね。

特に、人間として大事なことには。

どうでもいい他愛ないことは、どうでもいいんだけど、他愛ない事に対しても、変な気を遣わずに自然体で丁寧に対応している自分でありたいですね。