世間に耳を傾けたら、相続税対策だとか、資産運用だとか、物質財産のことを、どうしたら有益かという事に、関心や話題が氾濫している感がある今日この頃ですが。

申し訳ないですがワシから言わしたら、
ナンセンスなんよね。

たった一度しかない人生なのに、頭と心の使い方が物欲過多なのはどうなん?ということなんです。

あなたは、そういう事しか頭にないの?と思ってしまいます。

そういう事より、

自分の『究極の幸福像』に、如何なる思考と行動が近づくのか、

考えてみたらええのにと思いますね。

人間に平等に与えられている共通のものは、時間しかないはず。

金持ちも、そうでない人も時間だけは、どんな人にも平等なのに、

なぜその時間の大多数を、物欲に費やすのかね?

まぁ先祖代々、多額の物質財産を引き継いでいる方々の心中は慮(おもんばか)れます。心中お察し申します、なんですが、

いやはや、お金が人生の第一の価値のような生き方には、批判はしませんが、

人生観、死生感を考えてみたらええのでは?と感じるんだけどね。

『時は金なり』ではないのに。時は、文字通り時間。

いくらお金用意しても過ぎた時間は戻って来んのにね。

一日経過するごとに、死に近付いているんだから、時間は命とも言えます。

だから、『時は命なり』なんです。

言うときますが、

あなたに『甲斐性』がある間だけ『所有権』というものが付くだけのことなんですよ、そう思いませんか。

いや、そう考えてみて下さい。

そんな『所有権』という権利を手にするから相続やら、更に増やす為の運用やら、いつか無くなる物なのに囚われてしまうんですよ。

執着してしまうんですよ。命である時間と引き換えに。

いずれ人間、死ぬのは明らかなのに、銭、銭、銭、金、金、金、物、物、物と、
それが第一義のように飽くなき物欲に、心の中の大部分を占めている人達。

お金や物的財産は、自分の理想を実現させる為の道具やという認識ですワシは、ね。

だから『これだけ稼ぎ続けたい』という目標数値はありますよ当然に。

実現の為の道具は揃えないかんからね。

でも、それ以上欲しいとは思わんのよ。

『ちょうどいい』が、どんな人にも、良いんじゃないかなぁと思うとるんですが、ね。

収入はいくら欲しいのか?

その理由を明らかにせよ!なんよね(笑)

なぜ、自分はその希望する収入が得たいのかを、周囲の人達が理由を聞いた時「なるほど!」と、思ってくれるものですか?

なぜ、これが欲しいのか?

安いから買っとこ的な事、よくやってませんか?

安物買いの銭失い。に陥らないようにね。

なぜ、自分はいくらの収入が欲しいのか?

その理由が第三者から見て『あんたは立派やなぁ』と思ってもらえるものなら、ええんですけどね。

自分で自分の心に問い続けてみるのは、良いことと思います。

自分の究極の幸福像を描いて、逆算して行くと、何が第一義かが、見えて来るように思います。

沢山お金を稼ぐのは、ワシも賛成ですよ。経営者だから当たり前です。

社員が居ますからね。

理想の零細企業(輝業)を目指すという皆の心一つに、

今の給料の3倍は支給してやりたいと思うとりますから。
本業で稼ぎ続けたいんです。

だからワシは、本業での儲けることには大いに関心ありですが、

本業以外の儲け話には関心が無いんだよね。

会社に営業の電話が掛かって来るでしょ。

「資産運用のご提案なんですが、、」って。

決まってこう言うてます。

「本業以外の投資には全く興味ないし、何で知りもせん、飛び込み営業の人に金預けんならんのかねぇ?
するんだったら自分の知り合いの中から信頼置ける人にするもんでしょ。」って(笑)

商人つまり経営者は、儲けに関しては、本業以外の他事(ホカゴト)を考えん方がええと思いますがねぇ。

大事なのは、そのお金を何に使うのかを、ほんまに考え抜いていますか?ということを皆さんに投げ掛けてるんですよ。

お釈迦様の言葉に、

『全てが、あなたにちょうどいい』

という言葉があるんですが、

今のあなたに、

ちょうどいい誰々が居るんです。

ちょうどいい環境になっているんです。

今のあなたに、ちょうどいい配偶者、

今のあなたに、ちょうどいい子供、

今のあなたに、ちょうどいい親、

今のあなたに、ちょうどいい社長、

今のあなたに、ちょうどいい部下、

今のあなたに、ちょうどいい友人知人

今のあなたに、ちょうどいい何々。

ちょうどいい収入になってるんです。

だから、今何かしらの不満要因があるんならやねぇ、

あなたが、成長するしか無いんだよね。

自分と、自分の大事な人達の『人間性と可能性を成長』させて行く思考と行動に、今の自分を変化させて行かんとね。

自己変革って、そういうことやと思うんだけどね。

いや、変革やなくって維新やね。

維新とは、自分の内面の良い特性を発揮して自分の内面の悪いクセを克服して行くことを言いますから。

自己維新というワシの造語をプレゼントしますよ。

自己維新することは、決して自分だけの為やないような気がするけどね。

あなたが、成長して行くと、

『全てがあなたにちょうどいい』んだから、

ちょうどいい何々を、周囲に持つことが出来るんだと思うんだけどね。

どう思いますか?ワシの考えをあなたは?

別に賛同せんでええんですよ。

あなたが、成長する為の考えるキッカケになれば、と閃いたので、

メッセージしました。

本当に相手の心配をしているんなら、注意や文句を言うんじゃなく、

やってあげればいいんです。黙って。

言ってあげたい事があるなら、何百回でも、何千回でも言ってあげたら、

いいんです。

何故なら、
何がキッカケでスイッチが入るかも知れんからです。

相手の為です。

でも相手が言った通りにしなかったから、といって腹を立てたり、苛立ったり、文句を言ったりしてはいけない。ということなんです。

ここが、人間難しいんですよ。

ワシも昔からチャレンジしとりますよ。

こう考えてみて。

あなたを成長させてくれる為に、

言っても、言う通りにしない身近な人を天が配剤してくれているんだと。

捉え方で自分の生き方が変わって来ると思うんだけどねぇ。

イライラ😒💢💢させる人は、ひょっとしたら居ないのかも?って。

イライラ😒💢💢している自分が居るだけ。なんだと。

こじつけでもええのでいっぺん、そう捉えてみてよ、ほんまに。✨

人は、人それぞれ。

だから、

『自分の持っているカードで戦うしかない。』んですよ。

何で、持ってもない、カードで戦いを挑むのかねぇ?

あなたの『持ちカードは何?』って、内面に問うてみるといいかもね。

世の中に、イライラ😡⚡させる人は、居ないんだ❗と、いっぺん、
言い聞かせてみてよ。

イライラ😡⚡する自分が居るだけなんだ❗と言い聞かせるのよ。

ここに成長のヒントがあるように思うなぁ、ワシは。

対人関係は、%なんよな。

つまり、あなたを賞賛する人50%。

あなたを批難する人50%。

人数じゃないんです。

あなたを賞賛する人が50人で、あなたを批難する人が50人じゃないんですよ。

ひょっとしたら、
あなたを賞賛する人が98人で、
あなたを批難する人が2人かも知れんのですね。

でも%は賞賛する98人が50%の力で、批難する2人が50%の力かも知れんのですね。

その批難する2人が、配偶者だったり、親や子供だったり、部下だったり、

するかもね。😱😱

だから、有り難いんだと捉えてみて下さい。

批難されなたくなかったら、周囲の人の話を『聴く』ことから始めなくては始まらんのですが、

人の話を聴くのは、
相手に対しての尊重の気持ちがないと聴けるものではありませんからね。

訓練して『聴ける』ようにはならないと思うんです。

相手に対する尊重の気持ちが、無いと中々聴く耳持てないやろう。

振り返ってみて下さいよ、思い当たる節があるでしょう。

自分は一所懸命やっている。なのに周囲は、全然分かってくれない。

と思っている人へ、

無意識に、あなたが、ドアをバーンと閉めたり、ツン気(け)な態度をしたり、

してませんか?

そういう人を見て、誰も好意的には、してくれんもんですよ。

人間、感情が溢れているから、カチン❗と来る事、一杯あるでしょうが、

カチン❗と来てええのです。人間なんやからね。

でもその後のあなたの行動は『あなたが決めることが出来る。』という

『自由』があるんですよ。

如何なる状況に置かれても、自分を見失わないことを本来『自由』と言うんです。
哲学的には。

どっちを選ぶとか、
好き嫌いとかの選択の自由のような薄ぺらいもんじゃないような気がするなぁ。 

考え方、捉え方、見方を考えて、本来の自由な生き方をしたいもんです。

あの人からも、
この人からも、
あっちの人からも、
そっちの人からも、

賞賛されたい。って?

贅沢言うなっ!と言うときますね(笑)

仕事も、そう。

『いいとこ取り』しようって?

ケチ臭いなぁ。

いいとこ取りは、モノに成らんと思います。

一生涯に於いて、
長ぁ~い目でみたらという意味です。

『徹美』と言う言葉があるんです。

徹することは美しい!

と。

人生アッと言う間ですよ。20年、30年アッと言う間やで。

徹しましょう。

徹することは美しいです。美しく生きましょう。

先が見えないから不安だって?

バカを言っちゃいけません。

あなたが、あなたの、生き方を『決める』から、徐々に『見えて』来るんですよ。

こんな生き方をすると『決めて』もないのに見えて来るはずないのとちゃうかなぁ。

決めたら、徹っしましょう。

それだけ、やでぇ。

やっぱり人の心に響き人を行動に駆り立てるキッカケは、

『言葉や文章』やね。

だから表現力を磨く事は、大事で大切やね。

胸にグッと来てしまう言葉を発信し続けたいしね。

言葉は出して贈る贈り物なんです。

思っていても言葉に出さないと、贈り物にならないんです。

有っても無いのと同じなんですよ。

温かい言葉を発すると人に勇氣を与えるし、感動を与えるし、生き方を考えるキッカケを作ってあげれるしね。

これは、何に於いても共通しているんじゃないかなぁ。

子育てにも言葉の掛け方一つで違いが出るだろうし、生徒指導もしかり。部下指導もしかり。

同僚、先輩、後輩、お客さん、関係先、家族。全ての人間関係に言えると思います。

言葉の表現力は磨かないかんのじゃないかと思う訳です。

箱根駅伝の優勝チーム東海大学の両角監督の選手に発した言葉も、彼等の心理を捉えてるしね。

表現力というのは自身の知識と体験から会得するもんだと思うんです。

知識は、教えることも出来るし、習うことも出来ますが、

智恵は、教えることは出来んですし、習うことも出来んのです。

自身で学び、そして、体得するしかないんですね。

また、経営学も教えることは出来るし、習うことも出来ますが、

経営は、教えられないし、習うことも出来んですね。

自身の苦労を学びに変えて行くことで体得するしかないんですね。

表現力を身に付けるのも同じ。

自身の苦労を学びに変えた者に『しか』表現力は磨かれないと思うんです。

深みのある言葉は、そういうもんだと思います。

10年くらい前だったかなぁ、

故小野田寛郎元少尉の講演を聴きに大阪まで行ったことがありました。

終戦後、終戦を全く知る由もない小野田さんはジャングルで29年間も過ごす訳ですが(戦争中だと思っているから)

昭和49年に日本に帰還されたのをTV ニュースで見たのを覚えています。

帰還された第一声に、当時中学一年生だった自分にも響いたのを、思い出します。

『恥ずかしながら、生きて帰って参りました。』だったかな。

こんな理不尽な体験を4年間の戦争と29年間たった一人で、しかもジャングルの中で、

いつ敵が襲って来るか分からない状況の心理の中を29年間も過ごした人の心境を聴きたいと思いましたから、

ご縁があったので聴きに行きました。

小野田さんはその後、40年生活され、四年前に91歳でお亡くなりになりましたが、

以前の講演会後の質問で、ワシは『うぅっ!ほんまに、そうやわなぁ!』と唸りましたね。

質問は

『今まで生きて来られた中で、嬉しかったことは何ですか?』

に、瞬時に即答されました。

『無いっ!!』と。

一瞬皆、シ~ンとなりましたね。

で次の質問が

『今までで一番辛かったことは何ですか?』

に、これも即答でした。

『戦友が皆、戦死したことです。』と。

この二つの返答は、深く、重かったです。

同じ言葉でも、誰が発するか、どんな体験をして来た人が発するかで、

受ける方の胸に来るものが違いますね。

なにがしか、ワシの心に響くものがありましたし、影響されるものがありました。

人の心に深みを与える言葉を自然体で発せられる人間でありたいですね。

それが自然体で出来ている人は、心に温かさと責任感が備わっているんだと思います。

だから、ワシの経営者としての昔からの永遠のテーマは

『商売はセンス。経営は温かさ。』なんですよ。

皆さんは『温っかい』人間ですか?  

今年最初のメッセージです。

今年は元号が変わります。

歴史を振り返ってみたら、慶応(江戸時代)から明治に変わった時は動乱、維新。

明治から大正に変わって二年後に第一次世界大戦勃発。

大正から昭和に変わって翌年は世界金融恐慌発生。

昭和から平成に変わって翌年はバブル崩壊。

平成から新元号に変わる翌年が大規模な何か起こるんじゃないかと思う訳です。

ちなみにですが、
新元号は『仁徳』になったら、自分の予感は凄いなぁと(笑)

浩宮皇太子殿下の名前は『徳仁』親王だからということと、 

十六代天皇の仁徳天皇に似てる感じがするんです。

まぁ、歴史は繰り返すと言われていますが、

何が起こっても、大きな変化の中で、 
己れの『立てるべきもの』を見極める。

そういう年だと自覚しています。

断つべきものを断ち、立つべきものを立てる。

ワシは経営者として、今年も『着実性と収益性と持続性と発展性』を包括した事業を坦々とやって行きます。

坦々とは、平坦な道を歩くという意味です。

他所(よそ)の会社を見ていて感じる、少なからずある点は、
お金の使い方が坦々とは言い難い感ありですね。

『見栄』
『しょうもないプライド』『思慮浅才』で、大切なお金を使っとるなぁと感じる会社、

まぁまぁあるんちゃうかなぁ?

特にちょっとした儲けが出た時のお金の使い方が、問題になる事が多い感ありやね。

ワシは、経営者は一種の芸術家やと思うんです。

経営という行為が傑作を残すか、はたまた、駄作を作ることになってしまうか、

経営者の哲学、手腕、覚悟に掛かっているんやと思う訳です。

白紙の上に価値を創造するのが本来の経営やと思う訳ですが、

まぁ、それぞれの経営者の価値の定義によるわなぁ、
どんな作品を描くかは。

単なる金儲けや合理的な経営という観点だけで見たらいかんと思いますね。

結局、人生とは何か、人間とは何か、というところから出発し実践せないかんと思うんです。

経営者は、総合芸術を創る芸術家やと思うからです。

そういう観点から言うと、

着実に顧客を積み重ねることも、
利益を上げることも、

社員の人間性と可能性を引き出すことも、

お客さんから必要とされることも、

社員と社員の家族や、お客さんから愛されることも、

数々のピンチを勝機に変えて行く思慮深い行動力も、

四方八方から質を上げて行く総合芸術家でないといかんと思う訳です。

そう思いませんか?

単に事業の業績を伸ばすことだけに心が充満している社長も、これまた多い気がするんよねぇ。

そういう会社の社員の人間的成長が伴っているのか?と考えてしまいます。

仕事を通して人の道を説きながら、それが、業績に反映されていることが本来なんやと思うのです。

経営者は、総合芸術家だから、その評価に値するだけの苦心なり、悩みが生じて来るんですね。

これが本来の経営者の姿やと思うんです。

苦しさを味わうことが楽しみになっているのが経営者というもんです。

現状に満足感のあるという人は、本当の芸術家に成っていないと思うなぁ。

駄作を作っとると思わな、いかんでしょうねぇ。

経営者をやる以上、傑作を作らないかんと思う訳です。

それが、周囲の幸福、充実につながるからです。

だから、社長の考えを社員全員の共感を得られるような人間力が必要やと思う訳です。

社長業は心配業と言われるように、心配するのが嫌な人は、
経営者は出来んですね。

あらゆる事を心配している。
心を配っている。
会社で一番心配する役が社長です。

社長は心配せな、いかんですよ、それが仕事なんやから。
心配があるから社長やっとる意義があるんです。

そして、常に四方八方から見た発展を考えているのが経営者です。規模に関わらず。

そして、会社では
『親父』になれていないといかんと思いますね。

ものを言いやすい親父ですよ。

ものが言いにくい親父ではダメですね。

叱り方にも苦労があるんです。

叱るという苦労もせないかんわな。

叱りもせず何もせずして部下が本当の仕事が出来ることはないんです。

叱られて有り難いと部下に感じてもらえる。
そういう社長でいるかどうか、も大切です。

毎日毎日が真剣に仕事しとる訳やから、
叱るのも誉めるのも、真剣ですよ。

心根は伝わりますからね。

あなたは社長として、

社長じゃない人は自分の周囲の人達に対して考えてみて。

社員に対して深い感謝と慰労の気持ちを根底に持っていますかね?

何百人、何千人と社員を抱えて何百億という売上を上げて、
経営者は人も羨(うらや)むような高収入を得ている人もいますが、

社員やパート・アルバイト・派遣という人達の『安月給』の上に成り立っているなら、

ちょっとおかしいと思うんですね。

白紙に価値を描く芸術じゃないなぁ。

社員が百人までなら、
社長が人格的に、能力的に尊敬と仰慕されているならば、
命令口調(これ、こうしてくれ)

で采配出来ると思いますが、百人超えて来たら、
采配はお願い口調にならんと上手く行かんと思います。

またその規模になると、

報酬と地位の与え方を区別が出来ないかんと思いますねぇ。

その規模の社長さん、区別出来てますか?

社員が、その地位に見合うだけの見識、適性があるか、それを見極め、采配して行くことが経営者に課せられた責任だと思っているでしょうか?

会社に長年功労してくれた社員には報酬で報い、部下指導に適している社員には地位で報いる。

これを間違ってはいかんのよ。

長年功労してくれていても、部下指導が適しているとは限りませんからね。

人の値打ちというものは、任せてみんと分からんもんです。

任せてみて、初めて分かるというもんです。

任すとは、手は放しても目は放さない。

人数規模が大きくなったら、目は放しても、心は放さない。

これが『任す』ということなんです。

だから部下は中間報告をせないかんのです。

「今、こうなっています。」と聞かれなくても、中間報告をしてくれよ、と社長は社員に頼んどかないかんですよ。

そういう判断を身に付けるには、朝に発意して活動し、
晩に反省する。この連続でないといけません。

経営という行為は、経営者の指揮の下、総合芸術作品を創って行く。

そして傑作を世に残さな意味がないんだと、新年に当たり決意した次第です。

社長じゃない人達も、自分の人生を駄作にすることなく

『傑作』にして行く気持ちは毎日持たないかんと思いますよ。

あなたの白紙のキャンパスに価値を描いて行くんだ!(昨日まではリハーサル。今日から本番。という気持ち)

と新年に決意してほしいなぁ。