何でもかんでもテレビで放映するから、

人間の本質を考えようとしたことのない人達の『自分勝手』を増長させてしまっている感あり、です。

情報を公開して社会に役立つものと、そんなん公開するから、

社会が余計乱れると感じる情報もありますね。

全く放映する側の人間の、物事の判断基準、区別が出来ていないと思う訳です。

あなたは、何事も区別が出来ているでしょうか?

区別が出来るっちゅう事は、判断基準を確り持っているということです。

そうやろぅ。

自分が物事の善し悪しの判断基準を持っているから、区別が出来るんよね。

人間は、誰しも有意義に生きる為に、自分の『人生観』『社会観』

『価値基準』を確り持つ事が大事なんです。

また、それらを持つ為の勉強をせな、いつまで経っても、自分らしく歩めないと感じますよ。

誰やって、自分らしく歩みたいんと違う?

何で『自分らしく』をもっと内観せんのかなぁ?したら、ええのに。

まぁ『らしく』の定義も分かっていないと、内観の仕様がないわなねぇ。

『らしく』と『自分勝手』は、全く異なるものやからね、言うとくけど。

『全体の中の自分の位置を客観的に認識し、時と処と立場に相応しい判断と

行動が出来ている状態』なんよね。

『らしく』とは、誰かが決め付けるものではなく、自分が自問自答して行く中で自覚するもんやと思うのです。

人は、その人に相応しい『何か』を成し遂げる為に生まれて来ていると思うんだけど。

それを自覚出来たら、自分らしく歩めます。

一言で言うと

『自覚のある役割分担を、らしくと言う。』です。

あと、自分らしく歩んでいるなぁと思える人達に、自分から会いに行くことくらい、せななぁ。

何に於いても判断する基準が人生観や社会観から培われて行きますから、

スッキリと自分の人生を、尾を引かず歩めるんですね。

まぁ、ここ近年のテレビ報道を見てて感じるんですよ。

判断基準を確り持つ為には、そうやねぇ。

『苦労の中に居て苦労に支配されないこと』は大事やなぁと思います。

苦労があっても、気にせず、見事それを跳ね返す氣力は、

人生目的がキッチリ確立していれば、湧いて来るんですよ、ほんまに。

先日も、後輩経営者にこんなことを言いました。

『なぁ、苦労は何の為にするか、知っとるかい?』って。

考え込んで中々言わんから、ワシは言いました。

『今よりもっと快適に成る為に、もっと快適にする為に苦労っちゅうもんはするもんやと思うんよワシは。』
『苦労には、せないかん苦労と、せんでもええ苦労があるように感じるんよな。』って。

楽しみを共にする友人は沢山持っていても、哀しみ、苦しみを共にし、

共に心で泣いてくれる者が、どれだけ居るか、否かを振り返ってみよ!

なんですよ。

会社で言うなら、苦労を苦労と感じさせない社風を作る努力をせな、いかんのよ。

苦楽を共有し共に前進また前進の、前向きな姿勢で、生き甲斐ある人生を求めて歩み続けようとする社風。このムード作り。

『宇宙は前にだけ動いている』って何かに書いていたような気がするから、

故に人も前にだけ向いて動いていれば良いのです。

反省の振り返りはしても、過去に囚われてはなりません。

これが大切やと昔から思うて、情熱注いでやって来ましたワシはね。

雰囲気は社員皆の協力によって出来るもんです。

一人の不心得者を生じた時に、そのムードはいとも簡単に壊れてしまいますから、

絶対に、一人の不心得者を出さないよう全身全霊で取り組んで来ましたよワシは。

お互いがお互いに注意しながら、お互いのムードを壊さなぬ努力が大切なんよね。

組織、特に職場は。

だから、少ない人数で貫きたいという気持ちが湧いたのかも知れませんね、昔。

うちの社員達には『区別』が出来る人間に成ってほしいし、

『区別』が出来る人間で、あり続けてほしいもんです。

例えば、この30年くらいの母親は、やって良い事と悪い事をキチンと子供に教えていないような感あり、です。

当に、子供を叱る前に『教えざるの罪』を、自覚せよ!と言いたいわなぁ、

ほんまに。

会社で言うなら、幹部社員も同様です。

会社で言う幹部とは、家庭で言う母親ですから。

普通は社員達としょっちゅう接しているのは幹部社員やからね。

生物学的にも言えるんよ。

母親は赤ちゃんに乳を飲ませて(母乳の出ない人は粉ミルクを)育てるように、

乳=ちち=父なんです。

つまり、本物の母親は父親の意志を噛み砕いて子に飲ますものなんよね。

会社で言うなら幹部は社長の意志を噛み砕いて社員に飲まさないかんのよ。

これが本来です。

但し、社長の意志が、人間の成長、会社の発展に繋がっていることが当然、

前提ですけど。

心に曇りがあるだけ、真実は映らない。と思います。

背伸びせず、自分をさらけ出す勇氣を持てば新たな展望が開けるのよ、

ほんまに。

ちょっとした勇氣が、未来を変えますから。

あと、人は全力で挑戦している人を見たいと感じていると思うんです。

制約条件が厳しいから人は工夫をするんですね。

人生は、同じスピードで無くなって行くんですよ。

だから、一秒一秒表現力を工夫しないと、輝けないんだ!と皆さんに投げ掛けますね。

『世渡り上手に充実なんて無い。世渡り上手に心の安心無し。』

教育理念の無い教師が教師をしてはならないのと同じく、

経営理念の無い人が、経営者をしてはならないんですよ、皆さん!

会社を経営するって、白紙の上に価値を創造する仕事やと思うて、

ワシは取り組んで来ましたし、今も実践中です。

上手くやるより、全力でやらんとね。

どんな時も、すぐに、気持ちで恩返しをすることが、やっぱり誰にも出来ることなのに、

せん人、多い感じがするなぁ。

どんな立場の人でも、心あるんやから、気持ちで恩返ししましょうや。

と今週はメッセージしますね。  

今週は岐阜の飛騨高山と多治見の同友会仲間に「よし!遊びに行ってあげよう」と、
ふと約一ヶ月半くらい前にピン!と閃いたので、飛騨高山の友人と、多治見の友人に前以て連絡していました。

で、行って来ました。

思えば、一年前と一年半くらい前に飛騨高山のカ○君達や、多治見の、柴○君や磯○君や伊○君、木○君や高○君が、
ワシに会いたいと一泊でエモーションに訪問してくれました。

たぶん、ずんやり7時間は(笑)ワシの話(仕事の流儀や人生観、社会観、

価値基準)を聴いてくれたり、大いに経営談義に、語り合いました。

また昨年夏には多治見の同友会例会報告者に呼んでくれて交流が出来たし、

柴○君、磯○君、伊○君、木○君、三○さんが、うちのルイボスティーを大量に買ってくれたり、

飛騨高山のカ○君も、友人経営者の水○君にルイボスティー紹介してくれたら、これまた大量に使ってくれて。

岐阜は縁が深いなぁ、有り難いなぁ、という感情が湧いて来て、

『遊びに行ってあげよう。会社も見たいし、社員の人達にも会いたいし。』と思った次第でした。

で着くなり彼らの社員の人達にいきなり(笑)いつもの調子で気安く声掛けて、勉強会です(笑)

『社員の第一はやねぇ社長の考えを理解する努力をすることやでぇ~⤴。
社長の考えを理解しようと努力せん人が社員になっては、いけません❗❗
先ずはこの姿勢が無い人は、日本人やないんや。業務能力だけでええんちゃぁんて思ってる人はアメリカ行けえ、ちゅうの(笑)』

『だから、アメリカは学歴も人種も貧乏も、問わない。与えられた仕事の能力さえあれば高額報酬得れる国や。
しかし、契約社会や。イエスかノーか。ハッキリしとる。中間がない。

曖昧さがない。
社員の一生なんて考えない。終身雇用なんてアメリカ社会の始まりには、

無かったんやから。』

『成果とは何か?の、違いが日本人とアメリカ社会とは違うんよ』

てな感じで、あらゆる角度から持論を語りながら相手に質問もしながら、

皆ワシの話に前のめりでした。

後で各社長からお礼言われました。

わざわざ自費で岐阜まで来てもらって、社員教育してくれて、

僕も気付きが一杯出来て、目から鱗が何ぼもありました。って。

いやいや、これがワシの仕事なんやぁ。

うちの経営指針書見てみて、経営目的をように読んでみてん。

『自分の生き様を通して、縁ある人に勇氣と感動を与える為のキッカケを与え続ける人生を歩むこと。』

と書いとるやろ(笑)。って言うてます。

皆さん方は、自分の縁ある人に、自分の言動生き様を通して、勇氣や感動を与える為のキッカケを与えているでしょうか?

こういうのを、本当の贈り物と言うんじゃないかなぁと、思う訳です。

これは余談ですが、

多治見には飛騨高山から出て15時に着く予定だったので、18時から懇親会設定してくれていましたから、

時間がかなりあるから良かったら『歴史に学ぶ経営学』と題して、二時間くらい話しようか?って前以て言っていたんですよ。

源義経秘話、初代会津藩主保科正之秘話、楠木正成、堀秀政、上杉謙信、

武田信玄、日露戦争の大山元帥と児玉源太郎、明治天皇と乃木希典、

山本権兵衛が東郷平八郎を選んだ理由や、
伊藤博文の金子堅太郎への命令のやり方、出光佐三秘話や松下幸之助、

臨場感溢れんばかりに語れますから(笑)

二時間じゃ足りないけど、話しようか?となっていましたが、社員の人達との話になってしまったので、

歴史に学ぶ経営学は、改めて機会を作りますから、お願い出来ますか、ということになりました。

夜懇親会の時に、昨年うちに来てくれたメンバーの中に高○君が、遅れて駆け付けてくれました。

多治見の柴○君が高○君に同級生でもあり、すごく良い仲らしく
『香川さんこいつは、何言っても、ウンウンはいはい、って言って何もせん奴なんすよ』
って、散々な言われようで、周囲の高○君をよく知っている仲間は同じ感覚だったので、

突然ワシは、高○君にこう言いました。

『高○君、売上無かっても、メシ食えるんやろう!』って。

思わず彼、うぅぅっ!『はい。』って。

で、ワシ『それはそういう家庭に生まれて来た運命や。仕方ない。ご先祖に感謝せないかんなぁ。そういう境遇を。
けど、ご先祖に甘えたらいかんなぁ!甘えとんとちゃうかぁ?そやろっ!』って瞬時に言いました。

ものすごく胸に響いたらしく、一瞬で目に涙が溜まってましたね、高○君。

『高○君の誠を現さないかんでぇ。誠つまり真心や。真心を行動に現すから、先祖が喜んでくれるんやで。
「まこと」の漢字には四つあるんや。
真事(まこと)真理(まこと)信(まこと)誠(まこと)
真事は物理的事実、真理は宇宙の真理、信は自分が信じているという事実、

誠は真心つまり良心のことや。』
って言うたんですね。

皆さんもそうですよ。

有り難いことにメシ食える境遇であれば、あなたのご先祖に感謝せな。

でも先祖が築いてくれた境遇に甘えたら、いかんと思いますね。

どういう生き様をして行くのがご先祖が喜んでくれるのかを考えるキッカケになればと、今週のメッセージを投げ掛けますね。

『最大と成るより、最良と成れ。』を目指して歩んで来ましたし、現在進行形です。

だから常に自社にとって『最良とは何か?』を考えてチャレンジし続けて来たんですが、

皆さんは、自社の最良とは何か?にチャレンジしていますかねぇ?

最近特に言われている『働き方改革』?国が内政干渉するな!と言いたいねぇ。

勿論、ブラック企業と思われる所だけに干渉してくれ!と言うときます。

例えば、年次有給休暇についても、うちみたいに年間の公休日が、

128日ありますから、 大体皆、有給を取るのは年に数日という感じですから、130日は休みです。

で残業なんて一切ない会社にしていますから(経営者のワシが残業しない、と最初に決めたからね。)

それでも有給を、国が決めた日数取れって?

例えば、年間の公休日が110日以下の会社に適用せぇっ!っちゅうの。

ワシは社員に『対個別対応能力』を磨け。と昔から指導して来ました。

国も対個別対応能力を磨けっ!っちゅうの(笑)

ワーク・ライフ・バランスって何年も前から言われ出したけど、うちなんて、会社設立時から約30年間、

ワーク・ライフ・バランスの取れた会社やけどねぇ(笑)

社員の人格教育をしながら、経済活動を実践して来たし、

設立時から残業なし、完全週休二日、年次有給休暇自由に気兼ねなしに取得できる風通しの良い職場環境。

明るく、楽しく、生き生きとした職場環境でずっとやって来てるんだけどねぇ。

働き方に対して助成金という名で税金使っていますが、

『助成金を支給するから、職場環境整えて下さい。』というような環境に、

既にしている会社や職場環境にしている所は、どうせえって言うのよ。

ちゃんとしている所謂(いわゆる)ホワイト企業には、助成金の余地はないわねぇ(笑)。

何か助成金や補助金って、もらわなくても良い経済力がある会社がいっつも、もらっている感があるんだよね。

出来レースじゃないけど出来レース感あり。そう感じませんか皆さん!

要らんやろぅ助成金や補助金は、銭あるんやから(笑)。

債務超過で赤字決算の会社だけに、規定をクリアーしたら助成金や補助金を

支給します。
だから、何とか債務超過から脱却し、黒字に出来る原資にしてもらう為に助成金や補助金を出すからね。

っていうようにして、税金を有効活用したらええのに。

財務的に、黒字で債務超過でもない会社は、助成金や補助金は除外です。

自力で職場環境改善して下さい。ってしたらええのに!

そう思いませんか?

社員の年間給料を国が定める率を超えて昇給したら、税金減額という施策があるけど、
もう何年も前から大幅に給料アップして来た会社に対しては、何の税額控除もないんですよ皆さん。

うちなんか、昇給の時は、一人に数万単位で月給上げて来た実績(年間数十万アップ)がありますが、過去だから、ね。

過去に、政府が言う、ワーク・ライフ・バランスの取れた会社だとか、

昇給の基準クリアーして来た会社だとか、

そういうのを調べて、何年もホワイト企業を継続している所に、

何か特典表彰するくらい調査せえへんのかなぁ?と思ってしまいますね。

全く『本末転倒』の感あり、です。

各省庁の予算消化的なもんが横行してる感あるんだよね。

そんな非生産的なやり方でなく、中小零細企業の、モデル企業を調査して、

それを公表し、表彰しながら、なぜそのような会社、職場環境になって来たのか、して来たのか、

その経営者の考え方を披露することで、感化して行く施策が大事だと感じるのはワシだけでしょうか?

広い日本全体を見てみると「こういう所では一日も働けないなぁ、よく働いておるなぁ」と感じるような、所謂3K(きつい、汚い、危険)的な職場がありますが、しかし、そういう所で働いている人が、毎日不愉快にやっているかと言うと、そうでもないんです。皆それぞれに、そこに一つの希望を持って、

やっている例が、まぁまぁあるんですね。

そういうような場所では設備とか仕事の性質上、

様々な環境を快適にもって行くということは、中々できない感ありです。

そういう場合でも愉快に働くには、やはり、人間関係と言うか「この環境はなるほどある場合には悪いかもしれないけれども、このような仕事の性質上やむを得ない。しかもこの仕事は、社会全体に非常に必要なことである。
だから、自分達がここで働くことは、一面に大きな役割を果たしておるんだ。ある種の使命をも、果たしつつあるんだ。」

こういう考えを持つ、そういう考えを持っていなくても、そういう感じがするような雰囲気を作ってあげるということが大切やと思うのです。

職場の環境だけ見て、こんな所で働いてはいかん、こんな所は辞めよう、

ということになったら、日本は成り立たなくなってしまいます。

皆それぞれ辛抱すると言うか、その環境に自分を生かして、

そこに一つの仕事の醍醐味を味わう、というように社員が考え、
またそういう職場を持っておる所の経営者、その職場の指導者の立場の人達が、それに溶け込んでお互いに苦労を分かち合うというようにしておるところに、一見こんな所でよく働けるなぁと思うような雰囲気や、場所でも、立派にそれがやって行けるというようなことが現に行われつつある訳です。

どういう場所であろうとも、どういう仕事であろうとも、

皆それぞれの尊い使命というものが含まれている。

そういう使命と取り組んでやって行くところに、生き甲斐を感じるというような自覚を、お互いに持ち合う、
そういうものを持ってもらうように導くということが、非常に大事なことではないかと、思うのです。

それが出来ない会社はやはり、周囲から見て好ましい環境であり、

好ましい仕事であり、好ましい作業であるように考えられても、

やっている本人達は、中々喜ばない。そして不平をどんどん言うている。

これも実際世の中には沢山あります。

あの地位で、まだ不足を言うているというようようなことが実際ありますよ。

それに比べて、非常に地位的に恵まれないような人でも、歓喜に満ちて働いている人もあります。

そういうものを、その人自らの工夫によって見出だすということは非常に大事なことで、

また大いに努めるべきであるんですが、

しかし、やはりそうした人達を導いて行く者や、そうした仕事をしてもらっておる者、そういう人達を指導、監督している者が、

そういう自覚を与えるようなもって行き方をすることが、尊い使命の一つではないかと思うのです。

つまり、どんな職場でも『人間関係が良好』ということが問題解決に最良なんだ、と言いたいのです。

あなたの職場の人間関係は良好ですか?!

それが良好じゃないから、会社として利益が上がっていても、

社員が安月給だから、成り立っている会社の利益では、本末転倒なんですよ。

先ずは上の立場の人が率先して人間力を磨かないと、砂上の楼閣になりますよ。

人間力とは、人間的魅力の略語ですから。

上に立つ者の人間力によって、社員を諭して行く、導いて行くことが、

職場の良好な人間関係を構築して行くんですよ。ほんまに。

そこを蔑(ないがし)ろにして、いくら会社を運営しても、精神が疲れ果てるだけやと思うけどなぁ。  

今週ピ~ッン!と閃きました。

奥深くほんまやなぁ!言い得てるなぁということが浮かびました。

性格の違いや考え方の違いがあれど、人間の幸福というものを哲学的に一言で表すと、

人は、それぞれ様々な立場で生きている訳やから、

『己れの立場を自覚した上で、日本人らしい生き方で、己れの立場の結果を出すことに尽きる!!』

これが出来ていなければ、自分は幸福なんだと思っていても、個人の自己満足にしか成らない気がするんです。

人間としての『幸福』という意味が閃いたんです。

この意味、深いものがあるんです。

先ほどの言葉、何回も読み返してみて下さいね。

要は、

自分の立場を自覚せないかんで。

日本人らしい生き方をせないかんで。

日本人らしい生き方であなたの立場の結果を出さな、いかんで。

ということなんです。

つまり、あなたが、あなたの立場を自覚してやねぇ、

如何にして、日本人らしい生き方で、具現化するのか、結果として現すのか。ということやなぁと、つくづく思う訳です。

つまり、いくら思っていても、結果を見せないと、世間は信用してくれんもんです。

いや世間より自分自身の納得というか、真の幸福という観点で言うと、

日本人らしい生き方で結果を出すことが、

実は『天が認めてくれる唯一の道』なんじゃないか、とさえ思えるんです。

『日本人らしい生き方で』が、肝であり要であり、基礎なんです。

結果だけ出しゃあ、良いってもんじゃないんですよ。

多くの会社、職場での社員間と社員と社長とのコミュニケーションに、

何と情のないことか。

『日本人らしい』が、身に付いていれば、情の乏しい間柄には、ならないんだけど。

お互いの正論と正論のぶつかり合いを聞く度に『あんた達ほんまに日本人なの?』って、感じてしまうのはワシだけでしょうか?

理屈は大事やけど理屈を超えた『思いやり』にこそ情が通い合い、

心も業務もスッキリと、ほんわかして行くのにと思うのです。

よく耳にする例は、「それは業務命令ですか?」とか、

「残業代付くんですよね。」とか、

様々な、冷たい言動。

ワシに言わせたら、社長の人間力、指導力が、まだまだ不十分なんよ、ね。

どんな組織でも、語弊を恐れず言うならば、

『親分子分の関係』『阿吽の人間関係』が幸福の源やと考えておるんですよ

ワシは。

そこには、根底に情が流れているんですよ。

お互いが、お互いを、尊重出来ているんですよ。

尊敬と仰慕が存在しているんですよ。

だから10人未満の零細企業の方が、社員全員が相互に、

心通じ合う間柄が可能になって来るんですよ。

この『相互に心通じ合う』が、人数が多くなると、不可能だと思うのです。

相互やからね、相互。

だからワシは、理想の零細企業を生涯懸けて目指しているんです。

まぁ、相手によって、自分の立場が上の時もあれば下の時もあるでしょうし、横の時もありますが、

親と子、夫婦や兄弟姉妹、上司と部下、先輩後輩や、経営者と社員や、

監督と選手や、
地域の集まりの立場上、上の時、下の時。

様々です。

例えば、職場では社員で家に帰ると親や妻、夫、という感じだとすると、

それぞれの立場を自覚して日本人らしい生き方で、

その立場の結果を出すんだ!と言いたいのよ。

皆さん!

自分の立場をよくよく考えてみて下さい。

そして、その立場の、結果を出しているでしょうか?!

しかも、日本人らしい生き方で、具現化しているでしょうか?

ここが大事なんですよ本当に。

日本人とは、どういうものなのかを勉強せな日本人らしい生き方で結果を出そうにも出す術(すべ)が分からんわねぇ。

こういうことは、信心深さがあるか、ないかで、理解出来るか出来ないか、

だと感じますね。

この『信心深さ』というのは、ハッキリ二つに分かれます。

たぶん、多くの信心深いと思われる人達は、

ご利益(りやく)の為の信心深さになっている感、大有りなんよね。

それはワシに言わせたら、信心(神に祈る心や感謝する心)じゃないんです。

使命を感じての信心深さじゃないと、神々には通じないと、思えてなりません。

ワシは、25年くらい前から、自分なりの生まれて来た役割というか使命を感じてしまったんですね。

だから神社参拝に行っても、ご利益は頼んだ事はありません。

一般的に皆さんが思っているご利益とは、

病気を治してほしい、とか、お金を儲けさせてほしい、とか、

人間関係の争い事を解決してほしい、とかです。
✳病・貧・争の解決

そういう事は、神社で神々に頼むもんじゃないんです。

自分の考え方、捉え方を自分で『日本人らしい生き方』に変えて行かないと、改善はされないんです。

原因結果の法則、因縁を作るのは他でもない自分なんやから。

お釈迦様も言うています。

釈尊と言えども、因縁の法は曲げられない、と。

何の為に生まれて来たのか、何の為に生きるのか、をトコトン内観を繰り返す取り組みをした体験をすることで自分なりに生まれて来た役割とか使命が感じるようになると思います。

使命から行く神社参拝であり、使命から来る自分の日本人らしい生き方で、

結果を出すことが、幸福の源泉だと言いたいのです。  

『身に詰まされる』ことが自己変革の胆。

同じ話を聞いても、身に詰まされる人と、そうでない人が居る。

この差は何なのか?

同じような体験をして来た人か、そうでないかでも分かれると思うんだけど、

他人(ひと)の痛みや、心中を感じられる感性を持ち合わせている人は、

身に詰まされる感情が湧き出て来て、自己を振り返るキッカケになっているように感じますね。

同じような体験をしていなくても相手の心中を瞬時に察せられる人と、

そうでない人。

やっぱり、相手の心中を察せられる人間性を高めたいと思いませんかねぇ?

経営者の中ではこういう人を多々見掛けますね。

こういうことです。

商売が中々上手く行っていない状況の時は、

勉強熱心で他人(ひと)の話も聴く耳を持って心中を察しようという姿勢が

感じられる心持ちなのに、
まぁ飯が食えるようになって来て、ちょっとお金が回って来たり、

貯金が若干出来て来ると、
勉強熱心さが欠けて来たり、他人(ひと)の話も、自分のことのように聴く耳を持たない心の姿勢になっているなぁと感じる人達。

多いなぁと感じるんだよね。

どういう状況であろうとも、人生の生き方を学ぼうとする姿勢や、

他人(ひと)の心中を察しようという姿勢が備わっている人を謙虚な人じゃないかと、思う訳です。

何も表立った行動だけを見て、あの人は謙虚な人だと判断するのはどうかなぁと感じますね。

如何なる状況下でも、心中察しようとする心を備えている人。

他人の体験を自分のことのように感じられる感性を備えている人。

生き方の勉強への熱心さを備えている人。

こういう人間性を備えている人が、謙虚な人だとワシは思います。

外見の行動がガサツに見えても、内面は中々分からないもんです。

人間皆『自我』がありますし、自我は無くなることはないと思いますが、

何事も、手を抜かないこと。熱心さ。相手がどんな人であろうとも心中察しようとする心の姿勢。

そういう習慣を身に付けて行くと、自分の内面を振り返る習慣が身に付いて行きます。

自分の内面を振り返ることを『自省』と言いますが、自分を映す物に鏡がありますね。

鏡(カガミ)は、自分を映しますから、鏡を見る習慣を身に付けてほしいと思います。

自省していると、徐々に我欲が取れて来るように思います。

自分を映すものが、鏡(カガミ)なら、自省して我欲の我を取って行くことが出来れば、神に成るんだと感じます。

鏡(カガミ)から我(ガ)を除くと神(カミ)に成るんだよね。

つまり『身に詰まされる心境』は、真の謙虚さが身に付いて行くキッカケに成るんだ。と言いたいのです。