今週は長くなりましたが、お付き合いを。

新聞に、こんな見出しが大々的に載った今週

『深刻さ増す人手不足・働き手過去最低』
ワシは昔から言うてますが『人手』という呼び方や書き方が好かんのです。

人手という言い方には人の道が感じられないし、

何かしら人を雇うオーナー自身の金儲けの道具のような感覚を受けるから、

好かんのです。

また『従業員』という言い方も好かんのよ。『業に従事る人』には変わりないんだけど、

『業務だけ』ちゃんとしてたら良い。というニュアンスが強く感じるんよね。

当然、業務は優先するのは当たり前です。

朝、起きたら「おはよう」昼、出会ったら「こんにちは」

夜、寝る前には「おやすみ」
等々、当たり前のことと同じ感覚やから。

ことさら『当たり前』のことをあんまり声高に言うのは好かんのです。

会社に働きに来ている人達は、雇用形態が、

フルタイムであろうとパートタイムであろうと、短期のアルバイトであろうと、その会社の一員なんやから『社員』という言い方、呼び方、書き方をしてほしいと昔から思うて来ましたワシはね。

少子高齢化と言われて何年?十年、二十年?これまたワシは対策案を発信して来ました。

まぁ、ワシの話を聞いたことある人しか、知らんけどね(笑)

10人未満の5~6人所帯の起業を、どんどんせえ!と。

理由は色々ですが、比較的多くの人達が、維持しやすい規模だからね5~6人なら。

10人未満の社員でやり甲斐があり心地好く儲けの継続性がある事業をしたら、ええのよ。

そうそう多くの起業した人達が数百人規模の会社経営には成らんでしょうに。

また、その規模だと心地好く維持発展出来る会社は比率的に激減じゃないかなぁとね。

比較的起業して維持しやすい5~6人規模の起業家が増えて、数百万社出来れば、

その5~6倍の雇用(数千万人)が図れるし、その規模なら、経営者が確り勉強し、

心温かい会社を創って行きながら、この規模で継続的に儲かる事業の構築をして行けば、

持続可能な社会が形成されて行くのに。と思うんですがね。

また、この規模なら、人手不足にはならんへんと思うんです。

あと、5~6人規模なら社長一人の営業力で、皆の給料は稼ぐ力がないといけませんよ。

そして高齢者と呼ばれる人達も、働いて所得税を払っている人達には年金満額支払いして
(働いて収入があると年金減額される政策がおかしいと思うんよ)

身体の都合で働きたくても働けない人達を除いてが原則ですが、

年金もらえる年齢になっても、働ける身体なのに、働かず所得税を納めない人達には、 財源がホンマに無いなら、年金減額したらええのよ、と。

終身現役の人生が人間の幸福やと思っているからです。

隠居なんてしてると、細胞が急激に老化するで、ってワシは昔から言うて来たんです。

数百万人?数千万人?と言われる、高齢者達が働いて所得税を納めていれば、

消費税2%もあれば、充分だと感じるし、

働いていれば、ボケの防止や医療費大幅削減(年金財源に成るしね)にも、

つながると思うんやけどねぇ。

一社で数十人、数百人の規模を追うから、

いつしか、業績のみに囚われて、起業した時の使命感を忘れてしまい、

社内環境が『人間性豊かなもの』には成って行かん会社も多いなぁと感じておるんです。

そして、経営者自身が全ての社員に使命感を感じさせることが出来なくなるんです。

経営者自身の息吹を感じさせられなくなると『会社の魂』が薄まって行くんですよ。

『会社の魂』が薄まって行くから社員のうつ病が出て来るんです。
(零細規模で職場環境が原因で社員がうつ病になってしまうって無いんちゃうかなぁ。)

ワシは、これ(会社の魂が薄まること)が、一番のネックだと思うとるんです。

また、多額の毎月毎月の経費や給料を稼ぎ続けないと成り立たないから、

数年は出来ていても、そのビジネスモデルに陰りが見えて来ると、やがて焦りの事業や、歪んだ社内環境を作ってしまうんだと感じておるんです。

息切れしているんじゃないかと感じてしまう大人数の会社も、ようけありますよ、ほんまに。

また、どんどん市場のパイが小さくなっても5~6人規模の仕事が、無くなることは無いと思うんだけどねぇ。

5~6人規模の勉強熱心で人間関係良好な会社なら、フルタイム社員一人当たりの粗利額が年間1000万円は、継続的に稼ぎ出そうと一致団結し、社内環境を整えて(残業なし、年間休日130日、給料と、福利厚生を時給に換算して2400円~3400円で人間関係良好)
行くことは可能やと思う訳です。

適材適所が継続できる業態だと思っているんです、零細規模は。

零細規模で、人間関係が上手く行っていないとか、適材適所になっていないとか、継続的に儲けて行ける事業構想を描いてチャレンジ出来ていないなら、

それはその会社の社長が、不勉強なんです。

だから社長にはなれても、経営者には成れないんですよ。

経営者は365日勉強し365日とは言わないまでも、常に社員の人生を考えてしまう人種なんやけどねぇ、ホンマは。

だから零細企業経営者こそ、365日人間学を勉強せえ!

労働集約型でないビジネスデザインを描け!と言うて来ました。

零細企業こそ言い値が通る商売をせな、おもろないやろ、って。

零細企業だから、上記に書いた内容の会社が可能に成る可能性が、高いんだと言うとるのです。

零細企業なら社員一人の責任は大きくなるから、自ずと責任感が身に付きやすいんです。

何千人、何万人の会社は責任も何千分の一、何万分の一やからね。

決意も強くなりやすいんですよ零細規模は。

決意が責任感を生み、責任感が方法を生むんです。

だから、人間としての成長もしやすいのが、零細規模なんです。

これが数百人規模で例えば百人のフルタイム社員だと、

社員一人当たり年間1000万円の粗利額だと年間10億円の粗利額だからねぇ。

こりゃ中々皆が皆は、5~6人規模の会社に比べると、達成する数は激減じゃないかなぁと感じるのよ。

別に、大所帯の会社を否定してるんじゃないんです。

使命を果たすのに、その大人数が必要で、そこで働く社員達が、適材適所を継続できていて、経営者の考えに共感できているなら、大いにOKです。

そして、社員の安月給で成り立っている利益なら、そりゃつまらんのです。

数百人、数千人の社員全員が全員がですよ。

給料と福利厚生を時給に換算したら少なくとも2400円~3400円になっていて、会社の利益を出してほしいもんですね大人数の会社には。

だから『人手不足』と言うな!と言うとるんです。

使命感の無い社長が、規模を大きくしてはいかんと思うのはワシだけでしょうか?

人間性豊かで、科学性と社会性のバランスと高さを備えている、

大人数の会社の経営者は人手不足なんて言わないもんですよ。

だいたい人手不足と言うている大人数の会社は、パート・アルバイト募集をしょっちゅうやってますよね。

学生のアルバイトだったら、卒業を機に辞めてしまうのは分かるけど、

学生じゃない人達が辞めているのは、社内環境に、居心地が悪い何かが存在していると、言えるんじゃないかなぁ。

経営者と社員の双方に愛と情と経済と自己啓発がバランス良く存在していれば、辞めないと思うんだけどねぇ。

また、飽く無き拡大をやっていると、そりゃ社員の人数が必要にはなってしまうよね。

最終到達形を決めていないから、拡大を追ってしまうのか?

拡大をガムシャラに追い続けて、知らず知らずに、膨張企業に陥っている、

大人数の会社も、ようけあるんちゃうかなぁ。

『最終到達形』つまりどんな人生で終わりを迎えたいのか、という人生観、

死生観を経営者が持つことは、社員の為に大事なことやと思いますよ。

世の中に、もっと零細企業の起業家が数百万人と増えてほしいもんです。

で、経営者が人間性と科学性(事業の構築能力)と、社会性のバランスと、

高さを備えた人物に成って行くと、

そこで働く社員達は、体調の健康と心の健康と経済の健康と家庭の健康と仕事の健康を、 全て手に入れることが可能に成るんだという信念で、ワシは起業を志した35年前、22歳の時から縁ある人達に、発信して来たんですよ。

(文章にした証拠ありますから笑)

自分らしく、自分に出来る日本国家に役立つ道だと胸に秘めて来ました。

だから神棚の前では、そのことのみ、宣言しているんです、何十年も毎日ね。

祈りは「意宣(イノ)り」なんよね。

皆さんは、神棚や神社で何を意宜(イノ)っているんでしょうかねぇ?(笑)

あなたの、その『意宣り』神様から見て、叶えてやりたいと思う内容でしょうか?

あなたとあなたの家族や親戚だけが恩恵を受ける我欲が強いものなら、

果たして、神様が応援してくれますかねえ?と考えてみて下さい。

人手不足の新聞見出しから、神への意宣りになってしまいました。

多くの、中小零細企業経営者や、個人商売をしている人は、正直なところ、

その会社その商店なりに経済的にはギリギリでやっているのが実情でしょう。

周囲から見て、羽振り良さそうに見えていても、内情はそうでもない会社、

個人商売人は多いと思います。

年商が数億、数十億であっても案外ギリギリ経営っていうのは多いと思います。

数十億規模を売り上げる会社は、だいたいが大所帯だから、

多額の経費と大勢の社員の給料を毎月毎月捻出し続けないといけないんだから大変やと思う訳です。

『本業』そして自分の足元が最も厳しい現実なんです。

その最も厳しい現実から出発しないと、本物には成れないと思うとるんですよ。

人間、一生の内にやれる事は、たかが知れていると思う訳です。

大事なことは、自分に与えられた仕事を通じて、

如何に縁ある人達を『仕合わせ』にするか、だと思うのです。

『幸福=仕合わせ』と呼びます。

仕とは、為すこと。

為すことを合わせている状態が人間の幸福と言うことやと思っているんですよワシは。

中島みゆきの『糸』の歌詞に『♪♪人は仕合わせと呼びます🎵🎵』とありましたが、

あぁ~、ワシが言うとることと一緒やぁ、と思いましたね。

今の足元を受け入れることから始めない限り『天職』には成らないと思っています。

天職とは、生涯懸けて自らが作り上げて行くものやと思うのです。

為すことを合わせて行く努力。

それが幸福を感じられる道やと思います。

うちの社員達は社長のワシから見ると皆天職に成っていると思いますね。

社員達は天職だと感じているかどうか分かりませんが、よくよく、自分自身を振り返ってみたら、

そう感じるんじゃないかなぁ、と思うとります。

今、ほんまにギリッギリッな人へメッセージします。

『より崇高な』出会いを模索してみたらどうでしょうか。

ワシも一番しんどかった時期(今振り返っても、どうやって乗り切って来たか思い出せないんだけど)

出逢いがありました。宮城谷昌光著『歴史の活力』という単行本の最初の方に孟子の言葉を書いていました。

読んだ瞬間『あぁ~っそうかぁ~!!』と、項垂(うなだ)れましたね。

唸りましたね。

感動とかそういう言葉じゃ表せないですね。本当に芯から腑に落ちた瞬間って。

また、あの孟子の言葉は、ほんまにしんどい状況、ギリッギリッの状況の時に読まないとたぶん心に衝撃は来ないやろうね。

で、読んだ後、沸々とパワーが湧いて来たのだけは覚えてるね。✨

だから、ギリッギリッじゃない人や、まぁまぁ順調な時には読んでも

「あぁ、そうなんや」くらいにしか感じないと思いますね。
理屈でしか捉えられないんですよ普通の人達は。

心に衝撃を受けた言葉に出会うと、自分からは言葉が出ないもんですよ。

あ、話を戻します。『仕合わせ』について社会生活で言うなら、

自覚のある役割分担が仕合わせに成るんですよ。

指で例えるなら、

五本の指が、それぞれ違う機能を役割分担しているから『手』としての機能が発揮されるんですね。

たぶん、親指は小指に成りたいとか、人差し指は中指に成りたいとか思っていないと思うんだよね。

野球に例えると、

野球少年なら誰しも、四番でピッチャーというスタンスを望むと思うんだけど、

『仲良しチーム』が目的なら、順番に四番でピッチャーを皆がやれば、仲良しチームは達成できるけど、

甲子園出場甲子園優勝が目的なら、

メンバーそれぞれが、得意分野を役割分担して自分のポジションを一所懸命に役割を果たすことで、

自覚のある役割分担が為されるから、幸福感を味わえるんです。

人間社会も、自分達の指のように、自覚した人達で溢れたら、

仕合わせ=幸福感を味わえるのに、と思うんやけどねぇ。

そういう自覚をそっちのけで『運』を良くしたいと多くの人達が思っているのが、間違いの始まりやなぁと思う訳です。

そもそも、運を良くしようと思えば結局、心を養わなければならないんですよ。

心を養うということは学問をすることなんですね。

従って、本当の学問をすれば人相も良くなり運も良くなる。

全てが良くなって来るんだと感じるんです。

運も相も結局は、学問に他ならない。

学問を修養すれば、自ずから良くなるんです。

だから、昔から本物の人物は、運や相の大事なことは知っているけれども、

敢えてそれを説かなかったんです。

「あんたの人相はどうだとか、あんたの運命はどうだ。とか」

こんなことは、本物の人物は言わない。

本当の人間の運命というのは、人間学つまり聖賢(聖者とか賢者)の学問を一所懸命修めて行くと、

自然に一皮剥け、二皮剥けて変わって行くもんやと思うのです。

自分の知らないうちに運命も人相も変わって行く。

それが学問の本質やと思うなぁ。真の学びは人間の運命も変えて行くんだと、思って下さい。

だから、皆さん。

古来から続いている、『人間学の学問』を学ぶ習慣を身に付けて行きませんか。

そういう行為が本当の仕合わせやと思っているので、うち(エモーション)では、時間と予算を組んで実践しているんです。

ワシを含め、社員全員の幸福=仕合わせの為に。





ワシの人生を導いてくれている(今もあの世の世界から導いてくれている実感ありなんですが)師匠の言葉に、

『無心とは』の項目を説明している学術団体設立趣意書を見つけたんです。

昭和29年のものです。

うちの師匠は昭和3年生まれでしたから26歳にして、こういう深い哲学を述べているのかと感じた次第です。

師匠は昭和23年二十歳の時に水だけで、百日断食を成し遂げ、

禅の修行で最も厳しい臨済禅の修行を完遂した禅坊主で哲学者であり、

歴史学者でした。
師匠が主催する学術団体の第一回目の新聞(A3サイズ)で4ページにも及ぶ内容の中に『無心とは』の項目を見つけました。

こう書かれています。

『無心とは四方八方に氣を配りながら、充分意識を働かせ、

しかも何処にも止まらないことを言い、天地に満ちふさがる様な充実感を

以て、何ものにも囚われず拘(こだわ)らず、さらさらと水の自由に流され行く心を無心と言うのである。そこには、不安も恐怖心もない安心の境である。』と。

これを読んでワシは、気付きました。

気付いたというか、悟ったと言う表現の方が理解してもらいやすいかなぁと感じます。

どういうことかと言うと、

人間の究極の姿やなぁとビビビッと来たんです。

そして、なぜ会社を起業した時から、日本に於ける理想の零細企業を目指して来たのか、を悟ったと言う訳です。

理屈を言えば、理想の零細企業を目指した理由は色々ありますが、

一言で言うならば、

社員全員がこの定義の『無心』の状態で人生を歩める人間に成れるよう導いて行きたい。 という想いで、会社を作ったなぁと言い表せるんですよ、

この師匠の『無心』の定義を読んだら。

それを悟ったという感じでした。

『四方八方に氣を配りながら』というのは、同じ氣を遣うことでも相手の反応によって、 気疲れするんだったらそれは氣を配っているんじゃないんです。

相手に気遣いしても、相手が自分の思うような反応にならなかったとしても、

全然気は疲れない心なんだよね、氣を配っている状態というのはね。

だから、ワシは昔から気は使うな氣は配れ。と言うて来ました。

このメッセージ読んでくれている人の中にもワシが、このことをよう言うてるのを聞いた事あるでしょ?

『充分意識を働かせていて、しかも自分の心は充実感に溢れていて何ものにも囚われず、 拘(こだわ)らず、さらさらと水の流れの如く自由な心の状態』で、人生を歩める社員達に成れるよう導いて行きたいと願っているんですよ。

この『無心』の人間性を身に付けるというのは人間の究極のテーマやと感じるし、当に生涯懸けて値する人間像やなぁと思えるんですワシは。

うちの社員全員と女房とが『無心』で人生を歩める人間性を身に付けるられるよう導いて行ける『人生経営者』を目指す。と志しているんです。

それを身に付ける為に職場や仕事が存在しているんだという意識を更に強めたという訳です。

こういう願い、想いというのは、どこの親でも我が子を思い、子の立派に成長する事のみを願うというごく自然な心情じゃないかと思うんです。

そのことの自覚を深めさせられた『無心の定義』を発見した思いでした。

師匠は26歳にして、このように定義してたのかぁ~って。

そのことを今週、先ず言いたいと思った次第です。

その実践で大事な言動を、って考えたら、やっぱり自分の言動で他者の心が

響くかどうかだと思うのです。

『響く』ということ。

色々な人の話を聞く事がありますが、中々、心に響くことは少ないですねぇ。

何かに本氣で取り組んで来た人の実話で且つ人の道や生き様に粋さを感じるものは、響くなぁ。

その人の話し方じゃないんだよねぇ。

話し方って言うのは、その人のキャラクターによって様々だから。

ワシみたいにエネルギッシュに話すクセの人も居れば、

穏やかに話すクセの人も居ます。

その人の本心、本音、取り組んでいる事への本氣度が充満している人の実話で且つ人の道が感じられるものや、粋さが感じられるものは、

話し方がどうであれ、響くもんです。

あなたの言動は他者の心に響いていますか?

それには、あなたが『響く生き方』を実践してないと、響かんわなぁ。と感じます。

経済活動をしないと、生活はして行けませんが、その経済活動に、人の道が流れているから、またあなたの行為に『粋』を感じるから、心に響くんじゃないかと感じます。

そう考えるとキーワードは『人の道と粋さ』だと言えるなぁと感じた今週でした。