2020/07/10

『香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ』令和2年7月10日

『心根(ココロネ)で生き、世間体はあまり気にせず、迎合もせず。』

が自分の自然体な歩み方なんです。

 

73日夜に叔父(ワシの52年前に亡くなった父親の弟)が入居している有料

老人ホームから電話がありました。

先程、呼吸が止まったようなので医者を呼んでいます云々、と。

2月中頃から微熱が続き、中々微熱が治らず寝たきりが多い日々でしたが、

病気は一切なく、その夜眠るように逝去しました。

寿命を全うした感じでした。

 

その一週間前に、施設に行きワシは、いつ寿命が来てもおかしくないなぁと感じたので、

顔を見ながら

『ありがとーなぁ~、みんな言よるぞぉ~、おったん(叔父への呼び名)のお陰やぁ~。ありがとーなぁ~』と大声で言うてあげました。

 

すると『ありがとう』と言い返してくれました。

 

皆さん、なぜワシが、そういうことを本人に聞こえるように、ちゃんと言うたか分かりますか?

もうまもなく寿命を迎えるであろう人が最後を迎える時に、

本人自身が心からの『ありがとう』を自らの意思で発すると、

これは香川湧慈の考えですが、成仏できるんですよ。

 

本人が生前どんな人生を過ごして来ても、

最後の間際、本心からの『ありがとう』が言えたら、成仏できるんですよ。

まぁ、信じる信じないは、勝手ですが()

 

でその夜に、友人の葬儀屋さんに電話して、前々から依頼していたので

(毎週メッセージを読んでくれている人の中で葬儀屋さんが居たら、仕事にならなくて、ごめんなさいね🙏)

 

75日に葬儀を身内のみで執り行ないましたが、

以前母親の時もワシが祝詞(ノリト)を、神風(カムカゼ)祝詞と祖霊(ソレイ)祝詞を奏上して、葬儀をしたんです。

 

以前、母親の葬儀に際して、その友人の葬儀屋さんが

『どんな感じで祭壇を飾りましょうか?お坊さんの手配とかは?』って、

聞いて来ましたから、

ワシがこのように言ったのを思い出しました。

 

『何もせんでええで。知りもせん坊主を呼んで、有り難くもない、お経読んでもらったって、故人は喜ばへん。

母親本人が、この『おじゅっさん』(讃岐弁で、お坊さんの呼び名をこう呼んでいます)にと、指名でもしとんならまだしもやけどな。

僕が神道に則って、祝詞奏上するから。

息子が心注いで祝詞を奏上した方が、何ぼか故人は喜ぶやろぅ。

そうやろぅ○○さん。(葬儀屋)

お榊もロウソクも線香も自分で用意しますから。』って言いましたねぇ、

以前。

 

皆さん、ワシのように祝詞を奏()げんでも『般若心経』を親族で心込めて、

声出して、読んであげる方が、よっぽど故人は喜ぶんちゃうかなぁ。

 

日本人なら、ですが『般若心経』は、宗派を超え、信仰が何であれ超越して『伝わる』お経だと、ワシは思っていますから日本人なら伝わるお経です。

 

で、今回も母親の時と同じ段取りでやりますから。と友人の葬儀屋さんに伝えていましたから、段取りよくシンプルに出来ました。

こういうプライベートでも経営基本方針の

『シンプルに、独自性を生み出し、深みが感じられるように。』が地のままですよ()

 

葬儀の祝詞を奏上中、向かって右のロウソクだけが、ぶぁ~と燃え上がり、見るみるロウソクが溶けて行きました。

それを見ていた、葬儀屋の友人が言いましたね。

 

『親父からも昔聞いたことがあります。

ロウソクの、あの燃え上がりは叔父さん喜んで、感応してた証拠ですよ。

稀にあると、何十年と葬儀を執り行なって来た親父が言うていましたから。

すごいものを見せて頂きました。

以前、香川さんのお母さんの葬儀の時に親父が、本当の葬儀の在り方を見せてもらいました。感動しました。と言うていたのが、今、分かりました。』って。

 

ということは、ワシの祝詞奏上が、あの世に通じてくれた。ということなんやと感じましたねぇ。

 

故人の唯一の身内である叔父の妹(ワシの叔母)も、同じことを言われました。

『ゆうじの祝詞は、素晴らしかった。心洗われました。』って。

 

で、話の落ちですが、皆さん、葬儀の場に行くことがあると思うんですが、

よぉ~に、お坊さんが読経している最中の、ロウソクを見ていて、

両方のロウソクが同じ速度で燃えているだけなら、何も感応してない証拠やでぇ()というのが言いたかった()のです。

 

世間体は大事ですが、世間体に囚われたら、いかんのちゃうかなぁというのがワシの性格であり、価値観であり生き方なんです。

 

皆さんは、本心からの心根で行動されてますか?

人間は、いつか寿命が来ます。

何億貯め込んで、棺桶に入れても、灰になるだけやでぇ。

あの世に持って行けへんでぇ。

あの世に持って行けるのは、知識や教養そして、人柄、人格だけやと思うとりますから。

逝き方は、生き方やと思いませんか。

 

人間は、卑しい想いと潔い想いの二つを共有する『心』というものを兼ね備えているもんやと思います。

自分の中に備えている『卑しさ』との向き合いが、素直さを養成すると思うんです。

向き合うべきは、自身の『良心』です。

だから、あなたの潔い心が、あなたの卑しい心を、少しだけでいいので、

勝ってほしいんです。

寿命の時、心からの『ありがとう』と言える心根で逝けるんちゃうかなぁと思うからなんよねぇ。