2020/08/28

『香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ』令和2年8月28日

お客さんの不満には、聞くべき不満と、拒絶すべき不満があるように感じます。

その判断基準、区別できるかどうか?は、

自分達の経営目的を、確り持っているか否かで分かれて来ます。

会社でなくても、個人でも同じことが言えます。

 

哲学というのは、

日々の生活に密着したものであり、人が一生を通じて、どのような生き方をすべきかを考えるもの。

そして、人生で起こる「何か」が起きた時に、その判断を誤ることなく、

事に対処する能力を得ることを哲学を持つ、ということなんです。

 

この哲学を日々深めてゆくことが、より充実した人生の土台となるとしか、

ワシには思えないんですよ。

だからワシは、身近な人達(女房や社員や経営者仲間)に、

起きた現象を『なぜこういう事が起きたのか、何を示唆しているのか。』

という感覚を、いつも持って考える習慣を身に付けえよ。と口ぐせのように言うてます。

自分の将来に、何が起こっても自分で最善の判断をスパッと下せる人間に成れる訓練なんやから、と言うてますよワシは。

 

皆さんも、判断基準を持っていると思うんですが、

その判断基準を俯瞰(フカン)して大所高所から考えてみてほしいんやけどねぇ。

大所高所から考える為に、歴史上の名が残っている人物の考え方や生き方を学ぶことは、大いに役立ちますよ。新たな発見が、気づきが、ありますよ。

心が踊りますよ。

 

自分の納得のレベルを高めることって大切です。

何事も『区別』できる判断基準というのは、

より納得の行く人生を歩む為に、大切なことやと思います。

 

他人(ヒト)の言うことを聞くべきか?聞かざるべきか?

何に於いても、言えるんじゃないかなぁと、思うんです。

皆さんは、そう思いませんか?

 

例えば仕事で言うと、社長が何かを指示した時、それを聞いた社員の対応は分かれます。

 

スグに指示された事を実施しているんだけど心は納得していない人と、

心が納得していないからスグにやらない人。

3番目は、心は納得しているんだけど、スグに出来ないトロい人。

そして『あぁ、なるほど社長の指摘はホンマにそうやわぁ。』と、心で納得してスグにやる人。

この『あぁなるほど。なるほど。』の積み重ねが、本人の成長につながるんだけどね。

 

まぁ、この4種類でしょうか。

4番目が一番良いんですが、皆さんは1番目と2番目と3番目、どれが好きですか?

3択で選べと言われたら、ワシは3番目の人の方が好きやなぁ。

業務的には、1番目のスグやる人だと皆さん思うでしょう。

でもワシは心で納得していないのに、表面的に取り繕うような人は好かんのよ。

 

これ、女の気持ちで例えたら、理解してもらいやすいと感じます。

付き合ってる男が、顔やスタイルが好みであって、何でもスグやってくれるのは嬉しいもんですが、

ドラえもんの『心を見るカメラ』のような物があって、それで覗いたら、

まったく心ここに在()らず。だったら?

あなたはそんな男、好きですか?

ワシが女やったら、好かん!の一言です。

 

悪い意味のいい加減(中途半端)で、表面的な取り繕いの言葉を言うことを何と言うか知ってますか?

『おざなり=お座なり』な対応と言うんです。

また、悪い意味のいい加減な対応(中途半端)で、

何の返事もしない放ったらかしにしていることを何と言うか知ってますか?

『なおざり=等閑』な対応と言うんです。

 

『おざなり』も『なおざり』も、同じ『いい加減=中途半端な対応』のことを言い、表面的な言葉を発するか、無視しているかの違いなんです。

皆さんは、無意識に『おざなり』な対応や『なおざり』な対応をしていませんか?特に勤務時間中に。

 

それを『失礼』と言うんです!

『気づいたら、スグせえ!』とワシは会社で昔からよく言うてるんです。

理由は、ある意味深いんです。

そもそも『気づく』ということは『発見』なんですよ。

 

ワシは神道ですから、神道的に言うと、自分を産み出してくれた魂の親を主護霊と言うんですが、親というのは、我が子の成長を願っているもんです。

主護霊さんは、この三次元の世の中には住んでいませんから、言葉を発したりすることが出来ません。

『気づき』というインスピレーション的な事でしか、発信や示唆ができないんだと感じています。

 

つまり、この世の中の現象を、自分がどう捉えるか、が自分の成長につながるとしか、思えないんですよ。

わざわざ、発見させてくれているんだから、示唆してくれているんだから、

その行為(気づき)に対して、スグに行動することがワシは『礼儀』なんだ、と言いたいんです。

 

人は、礼をする時どこが見えますか?

礼つまり、お辞儀をしたら、自分の足元が見えるでしょ。

つまり、相手の行為に対して、自分の足元を見つめ直して、

自分が相手に対して、何を以てお役に立てるのかを考えて実践することを、

礼儀と言うんです。

 

礼儀正しくせな、申し訳ないじゃないですかと言いたい。

それがあなたの『思いやり』の心を醸成しているんですよ。

そう捉えてほしいと願います。

 

特にうちの社員達に口酸っぱく、気づいたらスグせえ!と言うている心中には、こういうこと(礼儀)を身に付けてほしいという願いが溢れているからです。

さぁ、この意味を感じてもらっていれば、言うてるワシの心も、救われますが、ね()

 

何べん言うても分からん人や、出来ん人って皆さんの周囲にも居ると思うんです。

我々が出来ることは、唯一『願うこと』しか出来ません。

親が子に対して出来ることは、子供も大きくなるんやから『願う』ことしか出来ないんですよ。

『上に感謝。下に願い。』という言葉がありますが、

自分より立場が下の者には『願ってあげる』くらいしか出来んのじゃないかなぁ、と。

 

話を戻します。

2番目の、納得していないから、やならい人も、ワシは好かんのです。

一見、理屈では『いいじゃないの、納得していないんだから、スグにやらなくても。』と思い勝ちですが、

社長の指摘している事に対して、理解しようという心構えが感じられないから、ワシは好かんのよ。

納得してないんなら、スグに聞け。そして納得ゆくまで、大いに議論せよ。

なんです。

 

皆さん、理想に対して雨降らさな(議論)、いかんと思います。

それを繰り返しやっていると、やがて地が固まって来るんです。

だから先人は『雨降って地固まる』と、言うて来たんじゃないかと思うんです。

地固まる。って、会社や家族が整って行く。という意味なんです。

そもそも理想が無かって、雨降らす行為を、ケンカと言うんです。

だから、理想が無かったら、地を固める為の雨の降らしようが無いわなぁ()

 

皆さん、1番目や2番目の対応(おざなりな対応や、なおざりな対応)を、

無意識に習慣になっていませんか?

それを『因習』と言うんです。

昔からやっている事に『伝統』と『因習』があります。

似てるようで全く意味が違いますから。

 

伝統は、これを責任持ってやって来たから今が在る。というものです。

因習は、惰性で同じ事をやって来たに過ぎない行為です。

伝統は守り、継続せないかんですが、因習は気づいたら即止めな、いかんと思います。

 

まだ3番目の人が何故ワシは好きか?

それは、心で納得してくれているからです。

ただ、ちょっと行動がトロいだけなんやから愛嬌として受け止めてあげんですか、ねっ。

健気(ケナゲ)さがあるじゃないですか。

さっきの男と女に例えたら、ワシが女なら、

自分のことを、ちゃんと理解してくれていて心で納得してくれているけど、

ちょっと行動がトロいだけなんやから。

 

気持ちが優先するのが人間としての温かさです。

だから、ワシは昔から縁ある経営者達に言うて来たんです。

『商売はセンスであり戦略』そして『経営は、人間としての温かさ』なんだと。

 

センスとは、ちょっとした事を敏感に感じ取る能力。

戦略は、経営者の性格に傾いて行き勝ちですが、そこに留意しながら、

継続的に儲けて行けるであろう仕事のやり方を決めることなんです。

これが商売です。

 

商売から経営に昇華させて行く要(カナメ)が、

人間としての温かさなんだと言うのがワシの実践であり、生き方です。