2020/11/13

『香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ』令和2年11月13日

あなたのことを想っている人からの、想いのある文章を、サッと目を通すだけで『読んだ』ことにしてしまうクセのある人、居りませんか~っ()

 

自分にとって一瞬見ただけで、内容があんまり興味ないからなんやろうけど、

本のような小さい文字で何十ページもあるなら、気持ち分からんでもないけど、、、。

 

『あなたのことを想っている人』からのメッセージは、やっぱり、ちゃんと意味を理解しようとする心の姿勢が誠実さじゃないでしょうか。

不特定多数に発している文章が個別に来たんなら、何でもかんでもサッと目を通すな、と言うつもりはないんです。

 

まぁ、斯く言うワシもたまに、してしまうんやけど、

目を通しながら『いかん、いかん』と、躊躇して、時間を割ける時に、

じっくり読むようにしとるんやけどね。

 

この『じっくり読む』行為が、自分の脳に刻み込まれるんやと感じとるんです。その後、忘れてもいいんです。ちゃんと刻み込まれているから。

 

手紙だとか、数ページのメッセージだとか、そういうのは、

あなたが、好むと好まざるに関わらず、

天があなたに有益な示唆をしてくれる為に、

その人(手紙やメッセージをくれた人)を通じて、

そのシチュエーションを作ってくれてるんやと捉えるようにしとるんですよ。

 

ワシは昔から、そういう捉え方をして来たにも関わらず、

たま~に『サッと目を通す』に陥ってしまう。

戒めておるんですよ。

 

まぁ、天は、そういう方法でしか、手渡せないから、やってくれたんだ。

という捉え方や思考習慣が、大事で大切やと思うんやけどねぇ~。

 

無償のプレゼントなのに、もったいない。(お金3万か5万くれるもんなら、えぇっ?👀て、読むクセに())

 

特にワシの身近な人達であなたのことを想っている人からの文章を『サッと目を通す程度』の光景を見聞きすると、

なぁんか残念というか辛いと言うか、そんな気持ちになるんよね。

自分の身近な人に、辛い思いを抱かせてはやっぱりいかんと思うんやけど。ワシも気を付けます。

 

『ちゃんと応えてあげる』行動と想いが、(感想を伝える)

あなたに『丁寧さ』を身に付けさせてくれるのになぁ、と感じるんやけどね。

 

毎週発信しているこのインスピレーションメッセージに、自分事として捉えている感想を返事してくれる人も居るんですが、

やっぱり、甲斐があったなぁ~と、嬉しくなりますね。

 

こういう行為は、感想を伝えてくれた人の、運氣が上がるんよ、ツキが付いて来るんよホンマやでぇ。

神さんが、味方してくれる行為なんちゃうかなぁと思うとるんですよ。

 

誰やって、気分いい時は丁寧にできるもんです。

だから、自分の学びという観点に、自分の気持ちがなるように、

自分の気持ちを導いて行く思いが大事なんやけどねぇ。

そういう気持ちに少しなった時、じっくり味わえばいいんです。

この『味わうように』が『読む』ということやと思うんです。

 

また忙しそうな時に、パッパッパと、行動は周囲から見たら慌てたように見えていても、

ちゃんとそれを読める人って居るのよ。(観察力・観察眼)

その後のリアクションつまり反応で、分かるしね、その慌てた気(ゲ)にしてた人が『ちゃんと読んでるやん』と分かる事がありますね。

 

丁寧に応対している人を『めんどくさい人』と感じる人も、居るようやけど、

それはワシに言わすと『あなたに心の丁寧さが欠けている』んやと思うんです。

だから、益々欠けて行くんよ。

 

心に豊かさが溢れている人は、それが益々豊かさを増して行き、

心に豊かさが少ない人は、益々無くなって行くんです。

人間は、そうなんちゃうか、と思うとるんです。

 

サッと目を通すクセの人は、自分に興味がないからという理由を言うてる人が居るんですが、

全文、理解しようという心で読んでもない人が、自分には興味ない内容と判断できるんやろうかねぇ?

 

ひょっとしたら、思いも寄らない『気づき』があるかも知れへんのに。

自分に欠けている心の習慣を教育してくれてるかも知れへんのに。

 

自分の勝手な判断で、興味ないからサッと目を通す程度で完結しているというクセのある人はやっぱり、自分勝手な人ちゃうかなぁと。

 

天才と何とかは紙一重と言われていますが、一事が万事じゃないでしょうか。

 

丁寧な人と、めんどくさい人も紙一重。

長所と短所も紙一重。信念と頑固も紙一重。

 

その微妙な感覚を掴み取るのが、あなたの心を穏やかにさせ、

心の養成をしてくれているんちゃうかなぁと感じるんです。

サッと目を通すクセは止めませんか!?

 

仏教哲学を学んでいると、お釈迦様が言うとりますよ。

人生は一枚一枚の寸断されたフィルムが連続しているものだ。と。

この意味分かりますかねぇ?

寸断されたフィルムが連続されている。

つまり、一つ一つ完結させることの大事さ、大切さを説いているんです。

その一つ一つ丁寧に完結させて次に進めと。

 

この一枚一枚の寸断された感覚をお釈迦様は67500分の1秒の感覚だと言うてます。

一秒間に、67500回のスピードですよ。

そのくらいのスピードで人は、生きて、死んで、生きて、死んでを繰り返しているんだと言うとるんですね。

『不連続の連続』なんです人生は。映画フィルムのようなもんなんです。

 

映画のフィルムは、一枚一枚を張り合わせています。つまり不連続。

それをエンディングまでつなげています。

正に、不連続の連続。

人間の人生も同じやとお釈迦様が言葉を変えて言うてるんですよ。

 

まぁ、それはそんなもんかなぁ、でいいんです。

 

何が言いたいか!

 

何事も、何事もです。

 

一つ一つキチンと読めよっ!と言いたいんよワシは()そうせな、

もったいないでっ、てことです。

 

『人生に無駄は無い』と、ことわざは教えますが、

無駄にしているか?していないか?は、

自分の思考と行動で分かれるんやと思うんです。

一つ一つキチンとしましょうよっ!ということを、このワシの独り言を、

毎週読んでくれている読者の皆さんに言いたいんですよ。

 

覚えてなかって、いいんです。ちゃんと読んで自分に置き換えてくれれば、

キチンと読んで自分に置き換えてくれれば、

あなたの脳のレコードに、好むと好まざるに関わらず刻み込まれますから。

 

そうなると、将来何か突然、大変な事が身に降りかかっても、あなたの脳に刻みこまれた沢山のデータが、あなたをピンチから救ってくれるアイデアが浮かんで来るんやから。

これホンマやからね。

 

よくワシは言われて来ました。

『香川さんは、何で、お金も取らず、別にお茶(ルイボスティー)買うとる訳でもないのに、色々してくれるん?』

的なことを言われて来ましたが、

 

『いやぁ、ワシも好き嫌いあるし、嫌な人には言わへんし、せえへんし()』と言うて来ました。

そしたら『本にして販売したらええのに』的なことを言うてくれるんですが、

『販売やせえへんよ。販売となると、値を付けな、ならんやろう。

そしたら、その値段の価値になってしまうんやなぁ、これが。』

『縁あって受けてくれた人が、その人の価値で生かしてくれたら、ええんや。

まぁ、こういうことを昔っから、好きでやっとるのよ。自分のこの世での役目やなぁと思うとるからね。』

 

って言うて来ました。

 

商売は、縁があれば、ある意味努力せずともつながるし、縁がなければ、

いくら根回しして商売の努力しても、つながらへん。

という覚悟でやっとるから、いちいち一喜一憂せえへんし、あたふたせんしねぇ。

 

ただ己れの人生の役割と自覚していることを一番重視して、やっとるだけなんよね。

出来ることなら、してあげなさい。してあげたかったら、してやったら、ええ。

 

ワシは、そういうのが好きなんです。

 

だから、わがままなんよ。けど自分勝手やないと思うんやけどねぇ。

まぁ、自分勝手というのは、他人が感じるもんなんやけど、

『わがまま』と『自分勝手』の区別が出来へん人に、言われたくはないけどね()

 

分かるかなぁ?分かんねぇだろうなぁ?

って、昔の誰かのギャグやなぁ()