この数十年の間、日本の中小企業の70%が、赤字企業だと、統計は語ります。

 

毎年、毎年、利益が出てる訳じゃないのが、多くの会社です。

 

そして、この20年近くは、会社設立から10年生き残る率は数%だとこれまた統計は語ります。

 

エモーションを設立した30年前は、20%という統計だったように思うんだけど、この20年間は、生き残る会社数が激減してるんやなぁと。

 

ワシが思うに、会社を設立して業務を進めながら事業を拡大することを目指している会社が、多いように感じるんだけど、

 

社長の人生哲学を磨こうとしない、深めようとしないから、

事業と哲学のバランスが取れない。

 

だから、会社は成長ではなく、膨張企業へと進んで行くんです。

 

ワシの場合は逆やなぁと、今週ふと思いました。

誉められたもんではないんやけどね。

 

脱サラ、独立自営の道を志した22歳の時から人生哲学を深めて行くのが何より好きになって行ったんですね。

 

それを裏付ける事実を言うと、18歳で銀行に就職し、独立を志ざす22

まで、一番の関心は、

パチンコ、麻雀、ゴルフだったのが、人生哲学を深めることに、熱中し出したら、ギャンブルは一切止めましたからね。

 

しょうもないギャンブルは止めたんだけど、独立自営という人生のギャンブルの世界に入る訳ですが()

 

やっぱりワシはホームドラマより大河ドラマの人生が愉しいと感じる人種やと思うから。

 

振り返って感じるのは独立を志して約4年後の26歳で、独立自営の道を歩み始めた訳なんやけど、

 

事業が中々、思う様に伸びて行かなかったから、ある意味『膨張企業』に成らんで良かったなぁ、と()

 

もちろん、逆に哲学と事業のバランスが取れてなかった訳です。

 

さっき言いました事業が伸びて哲学が深まっていない状況と、

 

ワシの様に、事業が伸びずに哲学は深まって来た状況となら、

どっちが善かったか?

 

ワシは選んだ訳じゃないんだけど、先に哲学を深めて来たのが、

会社が30年以上継続して来た理由の大きな要因かも、と。

 

まぁ長く継続して会社経営をやって来られた最大の資源は?

 

『人の道』に外れた事をしなかった。

 

つまり『人の道』を実践しながら、経済活動をやって来たからだと今週浮かんだという訳です。

 

あぁ運が善かったなぁと、心から思いましたね。

お金の面だけは、事業が伸びて来なかった訳やから、かなり、困窮して来ましたが、

 

これも、哲学を深める実践なんやと感謝の念が湧くんやから、面白いねぇ()

 

たぶん、独立自営の道に入って順調に事業が伸びていたとしたら、

 

今、エモーションは無かったなぁとつくづく感じるんよね。

 

分かりやすく言うと、

 

小学生低学年レベルの社長が、事業がヒットして拡大しているからと言って、

 

従業員を沢山採用し、社内の人間関係のことに関心を持って良好にして行こうという思いもなく、事業拡大にしか関心が無く、

そして的を射た戦略も構築できずに、会社運営しているようなもんですよ、

ほんまに。

 

こんな会社、危なっかしいと感じませんか?

 

で、事業の数値だけが伸びているから銀行は良客と思い、多額の貸付をする。で、やがて不良債権で泣く銀行。

 

もっと分かりやすく言うと、あなたの子供が小学2年生だとして、

 

その子供が5万円ちょうだい。って言うたら『何に使うんや?!』って言うでしょ()また理由を聞くでしょう。

 

それと一緒ですよ。

 

人生哲学を深めてもない社長(小学2年生レベル)が多額のお金を扱う商売をやっているのと同じなんです。

 

しかも、沢山の従業員の生活を抱えているんですよ。

 

そんな意識も無く商売してる社長連中、多い気がするなぁ。

従業員と社員は区別せないかんですよ。

 

(業務)に業ずるだけの人を『従業員』と言います。

 

経営者の経営に対する考えを理解し、納得し共感して社業に励んでいる人を『社員』と言うんです。

 

あなたの会社で働いている人達は、従業員ですか?それとも社員ですか?

 

従業員から社員になると、やがて『人材』に昇華できる土台が出来て来るんです。

 

人材とは、自分で考え自分で問題を解決して行こうとする社員のことを言うんです。

 

『社長』と『経営者』もワシは区別しとるんです。

この意味、もう分かるでしょ。

 

社長足る者、人間は本来、どうあるべきか。人間の幸福や充実した人生とはどういう状態を言うのか。

 

自分なりの価値基準、人生哲学を明確にして歩む。商売をする。社員指導をする。

 

そして、それに相応しい、的を射た戦略を考えて、社員の人間性が豊かに成るように、

 

戦略を社員達に理解させる、そして納得させる指導力、説得力を持つと、

社員達は共感して社業に励んでくれるんです。

 

それが社長から経営者に昇華する唯一の道ではないだろうかと思う訳です。

 

『経営者』に成ると、ワシの価値観ですが、

 

社員の給料と福利厚生は『人件費』とは全く考えないもんやと思うんです。

 

『人件費という経費』と考えるから、少しでも削らないと、

と脳は無意識に判断してしまうんよ。

 

ワシは、多くの社長と捉え方が違うと思うとるんですが『人の道』に則った考えなら、

社員の給料と福利厚生は、会社の『資産』なんやけどなぁ、本来。

 

何で損益計算書の費用の部に記載されるんやろうかねぇ()

 

資産だと考えるから、脳は無意識に増やしたい。と判断するんちゃうかなぁ、と。

 

世の中の会計法変えれないもんでしょうか?

 

ワシの言う『経営者』が増えないと、そこで働く人達が、いつまで経っても、従業員から社員に、人材に昇華して行かんのよ。

 

責任者の信念なき行動は、花は咲いても実は成らんのです。花が咲いて喜んでいる社長達。要注意ですよ皆さん!

 

中心人格(社長や父親や組織の長達)の信念無き行動は、花は咲いても実は成らない。なんです。

 

よぉ~に肝に命じて、ちゃんとして行かんとね。

究極かぁ!と思うほどのピンチが来た時は、瞬時に、身体に不調が来るもんです。

これは正に、脳と身体が直結している体験的証拠やなぁと感じる。

だから、体調の疲れを軽減させる自分なりの方法を常日頃から実践しながら、

心を落ち着かせて、覚悟を決めるしか無いと、体験的に言える。

 

そういう時は、常識に囚われてはいけない。

異常なくらい前向きな思考でないと、自分の心を克服できません。

 

うちのルイボスティーの愛飲者で、70代男性で、ある会社の会長も言うてましたね。

会長は東日本大震災の被災者で『香川さん、あの時、高台から自分の自宅と

会社が、わずか数十秒で津波に流されて行くのを目の当たりにしたんだよ。

異常なくらい前向きでなかったら、生きて来れなかったよぉ。』って。

 

その言葉、聴いた時には『ううぅんっ!』と言葉が出ませんでしたねワシは。

心中察しても余りあると言うか、想像は何となくできても、当事者の心中には到底行き着きません。

 

ええですかぁ、皆さんの中で、絶望的なピンチに遭遇している人。

異常なくらい前向きに考えないかんですよ。

 

覚悟を決めて、異常なくらい前向きだったらたいていの事は克服できるんちゃうかなぁ。

恐るるに足らずです。

 

覚悟を決めると不思議と、自分らしい解決の工夫が浮かんで来ますよ。

覚悟が確り根付いていないから、慌ててしまい、自分に似合わない対処をしてしまうんです。

 

人生、慌ててはいけません!迷ってはいけません!

じっくり難題解決の、ストーリーを考えるんです。

 

その為には、日頃から自身の体験を蓄積して

『こういう時は、こんな流れになるんかぁ』的な、学習をしとかなイザと言う時、あたふた慌ててしまうんよ。

体調を整えながら、心落ち着かせて、解決のストーリーに思いを巡らせるんです。

 

その為には、日頃から様々な行動を蓄積してなかったら中々ストーリーは描けんわなぁ。

 

やっぱり『百聞は一見に如かず。百見は一行に如かず。』です。

行動から体験する自分なりの体験を蓄積して学習する習慣が結局、モノを言うようになります。

 

自分の人生を、どう歩みたいのかという最終到達系を想像し続けていると、

いつしか『こういう生き方なら本望やなぁ』と覚悟が決まって来るようになりますから。

 

また、難題に遭遇している人に聞きます。

 

その難題の相手は誰ですか、、、、、?相手は『人間』です。

たいていの場合。

 

昔の人はええこと言うてますねぇ。『男は度胸女は愛嬌』と。

これ正に、究極やなぁと感じます。

 

やっぱり、男は度胸。つまり器量がモノを言うんやと感じます。

 

この『度胸』は、確りした自分なりの判断基準や価値基準を自身の心に備えているから、備わるんです。

 

だから、物事の判断基準や、生き方の価値基準くらいちゃんと持っとかな、

人生の経営はできんでぇ、そこの貴方。

 

女は愛嬌というのは、まぁ、顔の造りは親の責任ですが、

顔の表情は自分の責任ですよ。

 

だから、愛嬌が自分と周囲の人達の心を救うんじゃないかなぁ。

 

あぁ、話を戻します。

 

対人間なんだから、度胸を据えて、対処したらええんです。

相手も、立場上あなたに、やいやい言わないかんのかも知れんのです。

 

度胸を据えるには、自分の考えを整理するいわゆる人生哲学を確り持つこと。

 

そうしないと度胸は、座りませんし、据えることはできんのちゃうかなぁ。

『逃げようと思えば、ピンチ。腹を据えればチャンス。』になって行くから。

 

そもそも、死ぬ事以外は全て挽回できるんですよ、皆さん!

誰にでも失敗はあります。

大事なのは、それをどう自分の糧にし、挫折をバネに前に進めるかどうか、

なんです。

 

皆さん、考えてもみて下さい。

失敗のない人生ほど、つまらんものは無いんちゃいますかねぇ。

失敗は、チャレンジしたからこそ起こり得るもんです。チャレンジせん人に、失敗は無いのよ。

つまらん人生になってしまうんよ。

 

挫折を乗り越えることで、真の成功、充実を掴み取れるんです。

 

壁にぶち当たった時、諦めて逃げるか、乗り越えて、まだ見ぬ景色を見るか。なんよね。

ワシは、まだ見ぬ景色が見たいなぁ。

 

その為には、人生哲学を確立したらええのです。

自分の『考え方を考える』習慣が哲学を深めて行きますから。

 

判断基準、価値基準を確り持って尚且つ、

それが独り善がりになってはいないか、を自己の心に向き合ってみるんです。

そこまで行かな、自分の判断基準や価値基準は形成されんと感じますねぇ。

 

想定外の『あらゆる難題』が、死ぬまで来ますよ、人生は。

自分で自分の問題に気付いて、自らこれを解決するところに人間の智慧というのはあるんです。

自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱に成ります。

単に、受身的に聞いたことは、あんまり価値にならんのです。

 

男は度胸。女は愛嬌。を磨いて行きましょうと言いたかった今週でした。

 

 

『縁・巡り合わせ』を操っている者。

 

誰しも自分を理解してほしい。と思っていると思いますが、

 

人間関係は、目に見えない『縁』で動いているんです。

まぁ、信じる信じないは別ですが。

 

今まで仲良く付き合っていた人がある日突然と言っていいくらいに縁遠くなることは、あるんよねぇ。

 

理屈じゃないんですよ縁って言うのは。

 

人間は、理屈で考えようとしてしまう、脳の傾向性がありますが、

人の縁と言うのは理屈を超えて動いているんよね。

 

だからある意味、覚悟したらええのよ。

 

『なんで?あの人が離れて行くの、、、』って思うのは、脳が感じるから仕方ないんやけど、瞬時に、覚悟したらええのです。

 

縁、つまり巡り合わせというのは、我々人間が作っているように見えて、

実は次元の異なる世界(あの世)で、

 

何者か(神道では自分をこの世に産み出した魂の親、つまり主護霊と言うんやけどね)が、

 

人の巡り合わせを操っているんだと、ワシは思って来ましたから。

 

だから、この世は、偶然性と必然性がミックスしたものやと思うんです。

 

なのに、こう言う人達居るでしょう。『全ては、必然なんよねぇ。』って()

 

どこかの、セミナーで聞いたとか、そういう系統の本に書いていたとかで、

自分が掘り下げても無い、納得感も薄いのに、

 

軽々しく分かった様に言う人達。自分なりの、確りした持論で言うてるなら別やけどね。

 

ワシはこう思っておるんです。

 

人間の努力と、目に見えない縁の巡り合わせの合作が、現実の世界だと。

 

そう思ったら、全部が全部、自分の努力だけやない。という気持ちになれませんかねぇ。

 

そういう気持ちになれたら、自然と『有り難いなぁ』という気持ちが湧き上がって来て、感謝の気持ちが充満して来るんよ。 

 

目に見えない縁に、感謝が出来て来る気持ちになるもんです。

 

そう捉えると、人生は『感謝』と『反省』に尽きるなぁと。

 

本質と感じるものを、学べば学ぶほど、まだまだ自分は出来てないなぁと思うもんです。

 

こういう心境が本来なんやけど、世の中は、感謝も反省もしてない人達が、

パフォーマンスで、こんなこと言うてる人達、居りませんか。

 

本心は思ってないくせに『いやいや、まだまだですよ自分なんて』的な謙虚を装って発言してる人達。

 

本心は自信ありなくせに、自分を良く見てもらいたい意識で、

わざと、へりくだったエセ謙虚を醸し出している人達。

 

思ってもないことを言う人達。偽善者やである意味。

 

ワシは、あんまり好きやないんよ。

 

謙遜してるなら、未だこう言う人の方が印象は良いんやけど。

 

『いやぁ、自分はまだまだあそこまでは出来んわぁホンマに。

でもこれだけは、努力して来たから、まぁ何とか出来てると自負しとるんですがね。』的な。

 

方が、印象良いんやけどね。本心が感じられるからやなぁ。

 

やっぱり、本音で本心で、自分が感動した事を、自分が掘り下げて納得行く境地で、発言する。

 

結局、これに尽きるんやけどねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

縁ある人達と共に育つということは?と浮かんだんです今週。

 

人間が生きて行く上に於いて『概念整理』をキチンとして行く事が極めて大事やなぁと、思って来たので、

 

自分なりの定義付けを考えて来ました。

 

概念を整理すると言うのは『あらゆる事』に自分が納得できる定義付けをすることを言うんだと。

 

この定義することを、日頃からしないから、迷いが出て来たり、

人間関係のギクシャクを感じるんやと思う訳です。

 

ワシが活動している、中小企業家同友会では『共育』と言う言葉を使い、

共に育つことを実践しようと活動しているんですが、

 

いわゆる、世間で言う『教育』をワシは自分なりの納得行く定義付けをしておるんです。

 

優秀な人とは、教える能力の優れた人。

 

先ずは、知的理解を与え、反復訓練することが『教育』と定義しとるんです。

 

教育するから、共に育つ『共育』につながるんです。

 

誰かが、教えないと、共に育つ環境は現れないんじゃないかと。

 

先ずは、教えながら、相手に『気付き』の、キッカケを与える事をやって来ました。

 

その為に、より高い見識を身に付ける学びを実践しとるんですが、

 

自らが感動できるか、深く考え納得できるかが、鍵じゃないかと。

 

そして胆識にして行く努力や教養、哲学を以て教え育むことをすることが

大切。

 

親が子供に教えるから子供は、学びにつながり、その子供の反応から親が学ぶようになっている状態が『共育』と成るんです。

 

先生が生徒に教えるから、生徒は学びにつながり、その生徒の反応から先生が学ぶんですよ。

 

要は『学ぶ姿勢』さえあれば『共育』に成ると感じるんです。

 

親孝行は、子供が親にするものと考え勝ちですが、ワシは両方だと思っておるんです。

 

『孝』の字は、老と子が合わさった漢字。

 

先生と生徒の立場も、経営者と社員の立場も同じです。

 

先ずは立場上、上に立つ者(経営者や先輩等)が、なんですが、

まぁ同僚、仲間、後輩であってもですが、

 

勉強し、より高い見識を身に付けながら胆識を目指し、自分の考えを整理して、

 

知らない人に知らせてあげる、つまり教えること。

それを受けた者は学びながら、意見を言う。

 

その意見や行動から、教えた者も、学ぶ。

教育して行くと、経営者自身も育って行くんです。

 

つまり『共育』になって行きますから。

 

教育するには、経営者自身が、人間学を深めて行くしかないと思ってワシは、

 

自らが感動し、自らが掘り下げ、自らが納得したものだけ、語っておるんですよ。

 

なのに、世間を見聞きしていて感じるのは、

 

自らが感動もしていないし、掘り下げてもいない、納得もしていないことを、安易に言葉にしている人達、多いんちゃうかなぁ。

 

だから、説得力を持たないんです。

 

説得力とは、理解させる努力と、納得させる努力と共感させる努力で言葉を

発し、行動で示すことを言うんじゃないでしょうか。

 

何年諭しても、分かってくれない社員や部下も居るでしょう。

 

待てば、いいんです。『いつか分かる』と信じて。

 

それがまた、経営者の忍耐力を養わせてくれるんですよ。

 

自分に寿命が来て、誤解されたまた逝ってしまっても、いいんです。

 

『いつか分かる』という生き方をして逝けば良いじゃないですか。

それが『粋(いき)』と言うもんです。

 

生き様は逝き様であり、粋な様だとワシは定義しとるんです。