2021/06/03

『香川湧慈の今週のインスピレーションメッセージ』令和3年6月4日

縁ある人達と共に育つということは?と浮かんだんです今週。

 

人間が生きて行く上に於いて『概念整理』をキチンとして行く事が極めて大事やなぁと、思って来たので、

 

自分なりの定義付けを考えて来ました。

 

概念を整理すると言うのは『あらゆる事』に自分が納得できる定義付けをすることを言うんだと。

 

この定義することを、日頃からしないから、迷いが出て来たり、

人間関係のギクシャクを感じるんやと思う訳です。

 

ワシが活動している、中小企業家同友会では『共育』と言う言葉を使い、

共に育つことを実践しようと活動しているんですが、

 

いわゆる、世間で言う『教育』をワシは自分なりの納得行く定義付けをしておるんです。

 

優秀な人とは、教える能力の優れた人。

 

先ずは、知的理解を与え、反復訓練することが『教育』と定義しとるんです。

 

教育するから、共に育つ『共育』につながるんです。

 

誰かが、教えないと、共に育つ環境は現れないんじゃないかと。

 

先ずは、教えながら、相手に『気付き』の、キッカケを与える事をやって来ました。

 

その為に、より高い見識を身に付ける学びを実践しとるんですが、

 

自らが感動できるか、深く考え納得できるかが、鍵じゃないかと。

 

そして胆識にして行く努力や教養、哲学を以て教え育むことをすることが

大切。

 

親が子供に教えるから子供は、学びにつながり、その子供の反応から親が学ぶようになっている状態が『共育』と成るんです。

 

先生が生徒に教えるから、生徒は学びにつながり、その生徒の反応から先生が学ぶんですよ。

 

要は『学ぶ姿勢』さえあれば『共育』に成ると感じるんです。

 

親孝行は、子供が親にするものと考え勝ちですが、ワシは両方だと思っておるんです。

 

『孝』の字は、老と子が合わさった漢字。

 

先生と生徒の立場も、経営者と社員の立場も同じです。

 

先ずは立場上、上に立つ者(経営者や先輩等)が、なんですが、

まぁ同僚、仲間、後輩であってもですが、

 

勉強し、より高い見識を身に付けながら胆識を目指し、自分の考えを整理して、

 

知らない人に知らせてあげる、つまり教えること。

それを受けた者は学びながら、意見を言う。

 

その意見や行動から、教えた者も、学ぶ。

教育して行くと、経営者自身も育って行くんです。

 

つまり『共育』になって行きますから。

 

教育するには、経営者自身が、人間学を深めて行くしかないと思ってワシは、

 

自らが感動し、自らが掘り下げ、自らが納得したものだけ、語っておるんですよ。

 

なのに、世間を見聞きしていて感じるのは、

 

自らが感動もしていないし、掘り下げてもいない、納得もしていないことを、安易に言葉にしている人達、多いんちゃうかなぁ。

 

だから、説得力を持たないんです。

 

説得力とは、理解させる努力と、納得させる努力と共感させる努力で言葉を

発し、行動で示すことを言うんじゃないでしょうか。

 

何年諭しても、分かってくれない社員や部下も居るでしょう。

 

待てば、いいんです。『いつか分かる』と信じて。

 

それがまた、経営者の忍耐力を養わせてくれるんですよ。

 

自分に寿命が来て、誤解されたまた逝ってしまっても、いいんです。

 

『いつか分かる』という生き方をして逝けば良いじゃないですか。

それが『粋(いき)』と言うもんです。

 

生き様は逝き様であり、粋な様だとワシは定義しとるんです。