オリンピック間際で、要職に就いていた人が次々と辞任と解任。

 

その全てが過去の品性の無い言動による責任を取らされたもの。

 

この人達は、持って生まれた素質としての『品性』は、元々無いんですよ。

ハッキリ言うて。

 

斯く言うワシも生まれて持った『品性』は、備わってないんやと思うとる訳です。

 

『品性』は『学んでも身に付かない素質』それを認めることが、実は大切。

 

その『学んでも身に付かない素質』を身に付けたいと思う人は、

あなたの『求めている素質』を、身に付けようと心掛ける。しょっちゅう意識するしか、ないんです。

 

この習慣が、その素質を養成してくれるんですが、

 

持って生まれたものではないから、常に意識していないと、

その素質を他人(ヒト)は認めては、くれない。

 

『意識している間』だけ、身に付いているんだと感じるんです。

 

だから、意識する習慣がないと、永遠に身には付かない。と思う。

 

斯く言うワシも生まれ持った素質に『品性』は無いと感じてますから、

瞬間的に声を荒げること、あるからねぇ()

 

品性ある言動を身に付けたいと、意識はしておるんですがね。

 

生まれ持った素質で、品性を備えている人って、中々、居らんと思います。

 

思い起こしたらワシの友人で一人居るなぁ。

 

彼は、同じ亡き師匠の門下生で、同志でもあり、歳は確か同い年なんやけど、

 

彼の家系は、代々人形師の家で、人間国宝の方も居て、昔、上京した時に二人で一杯やってた時に、

 

聞いたことを思い出しました。

 

『変な事聞くけど、○さんは、生まれて今までで、声を荒げたことって、あるん?』って()

 

そしたら彼は『うぅん、、、僕は、、、ありませんねぇ』と、穏やかに返事したなぁと。

 

ワシはその瞬間『あぁ毛並みというか血筋というか元が違うわぁ。

品性が生まれつき素質として備わっとる人間というのは、こういう人を言うんやわぁ。』

 

って感じましたね。

 

だいたいの人がカチンと頭に来ることって、あると思うんですが、

 

そんな時、瞬時に口から荒げた言葉を発してしまうもんです。

 

けど、生まれ持った素質としての品性を備えてる人は、声を荒げたことが無いんやろぅなぁと悟りましたね。

 

だから、皆さん!

 

身に付けたい素質があるなら、しょっちゅう意識して心掛ける努力を継続

せな、身には、付かんのちゃうかなぁと思う訳です。

 

その東京の彼は、こんなことを話していました。

 

香川さん、僕が20代の時に師匠が会社に来られた時には

『○君、儲かっとるかぁ。○君儲かっとるかぁ。』って、いつも声掛けてくれて、気にかけてくれて、人としての生き方を教えて頂きました。

だから香川さん、師匠に対して恥じない生き方をしたいんです。と。

 

いやぁ、○さん、ワシも同じやぁ。

 

師匠に対して恥じない生き方しか、自分の魂は輝かんと思うとるんよ。って

二人共、目に涙浮かべながら、一献交わしましたねぇ。

 

この、○さんの言葉を思い出す度に、毎回ですよ、熱いものが込み上げて来るんよねぇ、不思議と。

 

向こうの世界で師匠が感応してくれてるんかなぁと、感じますね。

 

何が今週言いたいか。

 

あなたが求める素質があるなら、しょっちゅう意識せないかんでぇ!ということと、

 

自分は『誰かに対して恥じない生き方をしたい』という対象がありますか?!

 

ということを投げ掛けたいなぁと。

 

 

先日、ワシが主催している日本的経営を学ぶ経営者勉強会で、ある人が、

こんな一言を。 

社員から『自分達は、○○さん(その組織の長)の為に仕事しないといけないんですか』

 的なことを言われて、困ったんです。ということがありました。

 

その社員はワシに言わせると、仕事を勘違いしとるわ。

 

けど、勘違いさせている、その『長』の話の仕方や、理解納得させるだけの説得力を培ってほしいと願っておるんですが。

 

仕事は本来『自分の為に』するもんやと思う訳です。

 

自分の為と思えるから『その氣』に成れるし充実感が湧くもんなんです。

 

それが『当たり前』のことなんだという前提で、話しますね。

 

そもそも会社や事業所の長の考えや方針を、そこに属する社員や、所員が、

理解しようともしないのは本末転倒なんよ。

 

自分が所属している長の、考えや方針や、ビジョンを先ずは理解しようとする心が、人の道であって、その気持ちすら無い人がいるんなら、

それは社員や所員の役目を果たそうという気が無いのと同じです。

 

自分が、社長や所長の立場やったらやねぇ、

 

自分の社員や所員が、自分の考えや方針や、ビジョンを理解しようともしなかったら、どう感じるの?

 

もしそういう人が居たら、その人達にハッキリ言うときますよ。あんたは『人間じゃない!』と。

 

自分が、社長や所長の立場に居てやねぇ、

『自分達は、○○さん(その組織の長)の為に仕事しないといけないんですか』なんて言われたら、

 

情けなくなりませんかねぇ。

 

よくよく聴く耳を持って、社長や所長の考えや方針やビジョンを、理解しようとする心で聴いたら、ええのよ。

 

その『考えや方針や、ビジョン』が、皆さん方の人生の充実につながるものやったら、

 

『有難うございます。ハイ!喜んで。』って成るやろう。

 

もし、その社長や所長の考えや方針やビジョンが、納得行かんのなら、辞めたらえんよ。

 

納得していない、自分達の生活の充実や人生の充実を考えてもくれてないんだったら、

 

そんな所(とこ)で何で勤務するん?って感じやなぁ。

 

自分の大切な命を費やしてるんやで、職場という場所は。

まぁ極論よ、これは。

 

あぁ言うときますが、中小零細企業の社員の場合ですよ。

大手企業や公務員は、別です。

 

そんな思いに成るのはある意味無理な組織体やからね。

 

自分達の生活の充実や人生の充実を考えても無い、会社や事業所のトップや幹部ばっかりじゃないかなぁ。

 

社員の生活の充実を一番に考えて、行動してくれている社長や幹部は、そうは居らんと思います。

 

社員にしたら、辞めたいけど、ごはん食べないかんから、致し方なく勤務している人が、

 

すごく多いとは思うけど、これも『巡り合わせ』なんやけど、でも就職決めたんは自分やろ。

 

ぶつぶつ言うたらいかんわなぁ。

 

キチンと合意と納得が行くコミュニケーションを、せなぁ、いかんのちゃぁん。

 

人間は、ヤル氣より『その氣』が、充実感を上げ、実現可能度を上げる。

そう思いませんか。

 

ヤル氣を起こさせる事をやっている会社があるように感じるんだけど、

 

ワシは、何か、ちょい違和感を昔から感じて来たので、ヤル氣を起こさせる

セミナーとか研修なんかは、自主的に参加するタイプじゃないんです。

 

ヤル氣を起こさせる。というのは、何か意図的で、好みじゃなく、違和感があるんよ。

 

それより『ヤル氣が起こってしまう』風土作りに、その氣になって来たんよ

ワシはね。

 

トップが描く『社風』を作って行くと、その社風が、社員達が心地好いと感じるものなら、

 

皆が『その氣』に成ってしまうもんですよ。うちは、そんな感じの社風ですね。

 

社風は最大の教育者。正に、言えてると思います。

 

冒頭に書いた、勉強会で、ボソッと話した人も、このメッセージ読んでくれているので、 

アドバイスとして今週インスピレーションが浮かんだから、理解させる努力に、工夫してほしいです。

 

経営トップや経営幹部は、部下に対して説得力を持つこと。

これ大事な、トップや幹部の仕事です。

 

そうしないと、勘違いをさせてしまうんよ。部下も悪気があって言うてるんやない筈。

 

また社長や所長の考えや方針やビジョンが、部下の生活の充実や、人生の充実につながるものか否か。なんよ結局。

 

人の道を起点に、あらゆる経営を考えて、

 

先ずは、長の立場にある人自身が、掘り下げて、納得したものだけを、

発する。明記するんよ。

 

合意と納得の経営を、目指しましょう。

いきなりですが、

 

お金を儲けて行く経済活動は、人生に於いて大事で、有意義な事ですが、

 

(キツネ)や、狸(タヌキ)に憑依されるような考えや行動、つまりそんな生活したら、いかんで~っ!と、言うときます。

 

狐や狸が、どんな人に憑依するか?

 

銭の亡者(モウジャ)飽く無き金儲けの権化。

 

つまり、ガメツク金儲けに走る輩(やから)のことです。

 

だからガメツイ金儲けが上手い人は、だいたい憑かれてるから金儲けが出来ていて、世間からは成功者的に見られていますが、

 

末路を知らないから、金儲けが至福の喜びの域を出るよしは、無いんです。

 

讃岐(香川県)の哲人、空海こと弘法大師は、こう『十住心論』で言うてます。

 

死んだ後、人間が行く世界を説いてますよ。ガメツク金儲けして来た人の死んだ後に行く世界を。

 

商売人だけでなく、主婦であろうと会社員であろうと、自分のお金の損得勘定が一番。

 

のような考えや行動をしている人に狐や狸は憑くんちゃうかなぁ。

 

金儲け活動と、人間性の豊かさの『バランスと高さ』が重要やと思う訳ですが、

 

特に、がめつく金儲けで財を成した社長や、元社長が、こんな人達を『カモ』にしています。狐か狸が憑いてるからね😱😱

(気を付けな、いかんで。引っ掛かったらいかんで())

 

自分の心の『芯』が、確りしていない社長達をカモにしてますよ。

 

だいたい、そういう人を狙っている人は、狐か狸のどっちかが取り憑いています。

 

よぉ~に顔つき、表情を見たら分かるから。

 

あぁ皆さん。鏡で自分の顔を見て、狐や狸に表情が、もし似てきたら、

ガメツク金儲けに傾いている信号だと受け止めて、

自身の考えや行動を『人の道』に修正しましょう。

 

そしたら、憑いてる者が逃げて行くから。

『光、入りなば、闇消えゆ。』です。

 

ガメツク金儲けに動いている人は『カモ』を探していますから。

 

社長の立場にある者が『芯』が無い人は、悪いけど、ワシに言わせたら、

情けないよ。

 

芯が確りせんから、金儲けで財を成した、有名な社長に振り回されているんちゃう?

 

その人の『カモ』にされてる感あるんよね。

 

金儲けのカモ。自己満足感のカモ。等々。と、感じることがあるんです。

 

だいたい、そういう振り回されている側の社長という人は、

 

ほんまは、お金苦しいくせに、或いは社員の安月給で利益出しているから、

 

または、会社の規模がそんなに小さくないから、一応キャッシュは回っている。

 

そういう会社の社長は自分の社員達の心と、真剣に向き合ってない社長が多いと思う。

 

また、語弊を恐れず言わしてもらうと、

 

その金儲けで財を成した有名な社長、または元社長は、

だいたい財を沢山な額を成して、悠々自適に暮らしているのにも関わらず、

 

大勢の中小零細企業の社長達から金を取ってやねぇ

(まだ欲しいのか?()って感じ)

 

高額な勉強会等を募集している傾向が大な人達、まぁまぁ居るんですよ。

 

現役で本業としてコンサルの仕事をしている人は、別ですが、

 

財を億単位で持っとるんやから、無料で自分の過去の商売体験や、

 

考え方を希望者に語ってやったらええのに、とワシは思ってしまうんです。

 

でも、せえへんのよ。そんな考えや、思いも浮かばんのやと思う。

 

同じ財を成した人でもガメツクなく、人の道を実践しながら経営して来た人は、無償で、自分の体験を語っているんよね。

 

中小零細企業の社長の皆さん!

 

自分の社員達の『心の奥深い所』に話し掛けていますか?

ワシは、心掛けて来ましたよ。

 

社員の心の奥底に潜む『良心』に向かって、話掛けて来ました。

 

まぁ社員達は、それを良心で受け留めてくれてるかどうかは分かりませんが()

 

たぶん皆、良心で受け留めてくれていると思うとりますが。

 

皆さん商売の損得勘定ばっかりで会社運営してませんか?!

 

ガメツク金儲けで財を成した人のだいたいはやねぇ、社員の心の奥深い所に話掛けて来たとは思えないんよね。

 

もし自分の社員の心の奥深い所に話掛けていないなら、

社長として、人間的に『つまらん』と感じませんか?

 

ワシは、ずっと社員達の心の奥深い所に話掛けて来たし、現在もそうしています。

 

なぜなら、縁あって、集って来た社員全員の『人格の完成』を目指したいという永遠の、人生テーマを持っておるからなんです。

 

人間は、自分で自分の『より善き習慣』を身に付けたいと強く思い行動せん限り、モノには成らんもんやと思いますが、

 

ワシは、経営の目的を『何のために経営しとるの?』と問われれば一言です。

 

『社員の生活の充実』に尽きるんです。

 

そうでしょう? 

皆さん、まともな親は、自分の子供達の『生活の充実』を心底無意識に

願っとるんじゃないの?!

 

もし『自分の社員の生活の充実』に気持ちが向かないなら、そういう情が湧かないなら、なぜなんやろうか?と、自身の内面へ心を向けてみてはどうでしょうか?

 

社員達の心の奥深い所に、仕事に於いては、全ての業務がつながるように、

 

話掛けておるんですよワシはね。

 

この意味や感覚、分かる人には分かるんやろうけど、一般的な社長には、

何のこっちゃ?かも知れませんが()

 

皆さん『中立』って、どういう意味か知っています?

 

中立と言うのは己を立てることであって、どちらにも付かないという意味では無いんです。

 

中立だから、振り回されずに居れるんです。自分の人生の究極目的を確立出来てるから、

 

つまり、心の芯が確りしているから、それに従って、日々歩んでおるんやけどね。

 

うちの経営指針書に天命とは、と明記していますが、正に天命を自覚した時から、自分の心の充実が、増して来た感が、あるんです。

 

こう指針書に明記しているんですよ。

 

経営は人間学である。経営をするということは、社業を通じて、 

人間とは、何者なのか(人間が幸福に生きるとは、どういうことなのか。)

探求し、 その人の持って生まれて来た役割を、職場という舞台で果たして行くことだと考えています。 

 持って生まれて来た役割のことを「天命」と言うが 「私の天命は?」と人から聞いて納得出来るものではない。

 自分の心の中の、もう一人の自分と深く向き合い、考え抜いて、

 自らの体験を 通じて血へどを吐くくらいの思いの上に於いて、

 これしか生きる道はないと 追い詰められてこそ、初めて「天命」を自覚出来ると思う。

 

と明記しています。

 

だから、こんな心境で歩んで来ましたし、歩んでおるんです。

 

天命に従って、人事を尽くすのみ!と。

 

決して、世間で安易に言われている『人事を尽くして天命を待つ』じゃないんです。

 

自分のこの世で果たすべき役割を、自覚してしまったから、

究極、もうそれ(天命)しか関心が湧かないんよ。

 

だから『天命に従って人事を尽くすのみ!』で日々、歩んでおるんです。

 

だから『心はいつも、ベストコンディション』状態が、ずっっと継続中です。

 

 

皆さんは『誠意』って考えたことありますかねぇ。

 

いつも誠意を感じる人は、信用されて行きます。

 

いくら良いことを言っていても、行動に現れてないと、誠意を感じんもんです。

 

あなたは、相手によっては、愛想悪くなってませんか?

 

ここ大事です。

 

あなたは、周囲の人達から、誠意がある人やなぁと思われているでしょうか?

ちと振り返ってみてはどうでしょうか?

 

自分のことを『あぁ、気に掛けてくれてるんだ。』と感じた人は、

 

その人に対して、誠意があるなぁと瞬時に感じるもんですね。

 

友人しかり、お客さんしかり、縁があって、なにがしかの付き合いしたんだから、

 

気に掛けてあげたら、ええと思うんやけど。

 

何事に於いても無意識に、ちゃんと返事している人は誠意が備わっているなぁと感じて来ましたが、

 

誠意の無い人達が増えとるんやろうかねぇ?

 

まぁ、返事をしようという意識の無い人達は、

二三十年前からも多いような感覚を体験して来ました。

 

というのは商売始めて33年。

 

たぶん1万人以上の人達と、名刺交換して来て、そのほぼ全員に、

手書きの便りを出したり、何かを同梱して来たし、現在も進行形ですが

 

『縁ある人に勇氣と感動を与えるためのキッカケを与え続ける人生を歩む』というのが、

 

自分の人生の目的やから、その実践をしたいと思って勝手にしてるだけなんやけどね。まぁ、お節介やけど。

 

この事を、うちの社員に聞いてもらったら、ホンマなんや、と分かりますから()

 

ほぼ毎日、誰かにお便りを書き、これを送ってあげたら相手の役に立つんじゃないやろうか、と思える経営の綴りを用意したり、

 

コピー機の前でコピーしてますから。

 

で、送った人からは、まぁ、何の返事も無い人が、たぶん九割は居りますねぇ😱❕しかも『代表取締役』という肩書きの人が。

 

筆無精とか、そういう問題やない、日頃の気持ちの問題やと思うわぁ。

 

だから、その社長達の会社の社員に対しても同じちゃう?って感じてしまうなぁ。

 

あと、返事が来んのはワシに対する想いの度合いが、その程度やと言うことなんやと自覚はしてますが()

 

まぁ別にワシは、それが世の中の大多数やと思ってるので、何でもないんやけど、

たまぁ~に、あぁこういう人達って、たぶん誠意が無いんやなぁ、と感じることがあるんです。

 

人間観察が出来て面白いなぁと思うとるんですが。

 

世の中は、誠意があっても能力がない人には付いて行かんもんですね。

 

また、能力があっても誠意の無い人は、世間は認めない。と思うとるんですね。

 

これ、経営にも言えますね。

 

人柄が良い社長でも、経営能力が無い人には不安で付いて行きにくいのが

『普通(大多数)の社員』です。

 

逆に、商売の能力がある社長でも、人柄が悪かったら、誠意を感じなかったら、人は付いて行けるもんではないんよねぇ。

 

能力があっても誠意の無い人を、世間は認めない!んです。

 

これを読んでるあなたは、そうならんといてね、お願いやから。

 

社長というのは、社員をどれだけ愛しているか、に尽きるんです。

 

社員を愛しているから自身の内面の誠意が、浮上して来るんちゃうかなぁと、ふと今週浮かんだんです。

 

これ(下記『』の投げ掛け)は、冗談が半分ですが()

 

『何で?愛情も湧かないような人を雇うの?()身内にしてしまうの?

手が足りないから雇ったり、社員が辞めたから補充要員として雇ったり?』ですか?

 

社員に愛情が湧かない社長は、愛情が自然と湧いて来るような真剣勝負を日頃からしてないんよ、たぶん。

 

理想に対して社員とも真剣勝負せな、愛情なんて湧いて来んのよ。

 

人間誰しも、誠意は備わっている筈なのに、

 

それが日頃から現れないのは、その人が自分の損得しか考えてないからなんです。

 

『あっても現らしめない限り無いに等しい』なんです。

 

これも、何にでも応用できるし、言える事やと思います。

 

自身の内面にあっても現さなかったら、行動せんかったら、無いのと一緒なんです。

 

これを禅語で『あっても現らしめない限り、無いに等しい。』と言うんです。

 

気持ちを現す。これ習慣に成るようにワシも努力するから、皆さんも努力しませんか。

 

 

社長の皆さん!

自分が感激した事や、エピソードをシャワーの如く、社員達に降らせてますか?

 もし、そういう事をしてないとしたら、 

なんで、せんの?同じ釜の飯を食う仲間やのに。

 

ワシは感動を共有したいから、そういう事をやって来たけどねぇ。

 

何でも『キッカケ』を与え続けるのがワシの人生やから、です。

 

これだけは、誰に何と言われようと、貫いてますねぇ。

 

自分らしい生き方なんやろうねぇ。

 

『縁ある人に、勇氣と感動を与えるキッカケを与え続ける人生を歩む』

 

これ無くして香川湧慈の『存在意義』が無いんです。

つまり、生きてる意味が無いのと同じなんよ。

 

あぁ話を戻します。

仕事もそういう日常が感動の共有になり、 

社内業務の情報の共有化にもつながるんやけどねぇ。

 まぁ、多いでぇ~。社内の情報が共有化されていない会社。

 

悪い意味で世間でよく言われる『役所仕事』みたいな、

全く情報の共有化が出来てない会社や、お店。

 

いや、共有化?っていう観点の無い会社や、社長達。

 

別に、業務を順調良く進める為の『共有化』がしたいから、じゃないんやけどねワシは。

 

単純に、感激した事を社員皆と分かち合いたいから、ワシは昔からシャワーの如く、降らして(共有化)来た感ありですね。

 

感激した事や感動した事を自分だけのものにせんと、社員と分かち合ったら、えんじゃないの!と言いたいのと他に、

 

今週はこれが言いたいんです。

 

自分なりの人生哲学を明確にしていない社長が『変化が常態』という

経営の勉強会なんかで、かじった程度の社長達は、

 

『変わらなきゃ』って安易に思い、信念ない行動をしてしまう。

 

移ろい行くものの中で変わらずに居ることもホンマは大事なんやけどなぁ。

 世の中、常に変化に晒されているからこそ、 

変わらないで居ることが、逆に輝いて見えることがあるんです。

 周囲の人達が変化して行く中で『変わらない信念』を貫いていると

『存在感』が増して来るもんです。

 

周りの変化が逆に、 

自社が信念を貫いているから、存在感を増して、自社の『風格』を創ってくれているんです。

 

同じ事を、手を抜かず貫いていれば、商売は上手く行くもんです。

 

もっぺん言いますよ。 

『同じ事を手を抜かずにやり続ける』から、商売はだいたい上手く行くんです。

 

こういうのが『老舗』と言われるものだと思うなぁ。

 なのに、なんで、同じ事の繰り返しに手を抜くんかなぁ?

 

これを読んでるあなた『毎日毎日の、ルーティーン』が手抜き、氣抜き、になってやせんですか()? 

同じ繰り返し事だからこそ、手を抜いたらいかんのよ。

 

上手く行ってない会社は、同じ事の繰り返し業務を、手抜きしてるんよ。

マンネリになってしまってるんちゃうかなぁ。

 

マンネリは、霜です。

霜は、知らず知らず忍び寄って来て、根を腐らせるから、

一番要注意せないかん配慮なんよ。

 

会社に於ける最大の敵は『マンネリ化』やからね!

 

だからうちでは口酸っぱく、マンネリ予防を言うとります。

 

せないかん変化とは、マイナーチェンジ。 

ちょっとでも、自分の成長や、仕事の成長になるなぁと感じたら、

 自身の中身を変化させて行かんと、悪い意味で、いつまで経っても成長せえへんのです。

 マイナーチェンジは、繰り返しやらないと、進歩は無いのよ。

 

マイナーチェンジという『変化は常態』の文化(社風)を創って行かんと、

発展して行かんのや!と自覚せなぁ。

 

大きなチェンジじゃないんです。 

他人(ひと)が気づかないくらいの、内面の小さなチェンジです。

 

『名人は、変化を感じさせずに、変化している。』と先哲(先人の哲人と思われる人達)は、教えます。

 

本来『老舗』というのは、

 

その人、家、会社が、その人柄、家柄、社風の根底に在るものは何かを見極め、如何に、その仕事を責任を持って積み重ねて来たかで『格』が生じて来るんやと思う訳です。

 

そして、この人柄や、家柄、社風、仕事を、 

どう学び生かして来たかで『式』に成るんじゃないか、と。

 

この二つが成り立たないと「格式」があるとは言えない。 

ただ古いだけでは格式があるとは言えないんです。

 

なのに、世間では長く続いているから、古くから存在しているから『格式』がある会社だとか、お店だとか言うてる人が居りますが、

 

何を以て、格式があると言うのか?

くらいは、明確に説明できるようにしてほしいもんです。

 

自分の責任に於いて、自分の責任を積み重ねてゆく。

 

これが格式を形成して行くんです。

 

人として『格式』ある人間でありたい。

 

少なくとも、うちは、社員全員が、そういう人間に成ってほしいと願って社業をやっておるんです。 

ワシは、それが第一義なんです本氣(マジ)で。

 

だからうちの経営理念は『志高く、らしく生きる』にした理由であり、

 うちの経営指針書の『経営目的』の項目に明記している一文です。

 『思想と経済のバランスの取れた会社を築きながら、、、、』と。

 

格式ある人間集団が、格式ある会社に成るとしか、思えない。

 

その第一歩の『同じ事の繰り返し』が実は、 

元氣ハツラツの朝礼や社員間の挨拶に出て来るのよ。 

社外の人には、元氣な挨拶は、だいたい出来るもんです。 

毎日顔合わせている人達つまり『今さら』と無意識に感じている間柄の人達への、元氣な挨拶が、やっぱり基本。

 

と今週閃きました。